可能性依存症 第7話
私は続きを読む。
ページをめくると紙がかすかな音を立てた。
静かな夜だった。
冷蔵庫のモーター音だけが聞こえている。
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主人公の名前は高瀬悠人だった。
二十二歳。
大学四年生。
就職活動中。
私は思わず笑った。
当時の私は、どうやら自分を男にしたかったらしい。
名前を変えて。
性別を変えて。
それで別人になれると思っていたのだろう。
若かった。
本当に。
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私は続きを読む。
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『何になりたいのか分からないわけではない。』
『何にだってなりたいのだ。』
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私は苦笑した。
面倒な人間だと思った。
主人公のことではない。
書いている私のことだ。
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『公務員も悪くないと思う。』
『教師もいい。』
『大学院にも興味がある。』
『海外にも行ってみたい。』
『小説も書きたい。』
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私は目を細めた。
欲張りだった。
そして少し安心した。
二十二歳なんて、そんなものだ。
可能性がたくさんあるように見える。
何者にもなれていないからこそ、何者にでもなれる気がする。
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ページをめくる。
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『高瀬は進路相談室の前で立ち止まった。』
『入るかどうか迷っていた。』
『相談したところで答えが出るとは思えない。』
『それでも誰かに話したかった。』
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私はふと手を止める。
進路相談室。
少しだけ可笑しかった。
今の私は相談を受ける側なのだから。
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私は続きを読む。
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『何を悩んでいるの?』
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相談員が尋ねる
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『全部です』
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高瀬はそう答える。
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『全部?』
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相談員が笑う。
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『就職も。大学院も。』
『小説も。』
『全部です。』
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私は思わず吹き出した。
夜中で良かった。
娘たちが起きていたら、不審に思われただろう。
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『それは大変だ』
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相談員はそう言った。
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『でも、やりたいことがあるのは悪いことじゃない』
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高瀬は黙っている。
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『問題はね』
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そこで文章が途切れる。
改行。
私はページをめくる。
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『問題は、全部やろうとすることだよ』
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私は少し姿勢を正した。
さっきまでの青臭さとは違う。
妙に言葉が残る。
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『人はよく、選択肢が多い方が自由だと思っている。』
『でも違う。』
『選ぶことも自由なんだ。』
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私は黙って読んでいた。
冷蔵庫の音が大きくなった。
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『選ばなかった人生は消えると思う?』
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相談員が言う。
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『消えると思います』
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高瀬が答える。
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『僕はそう思うから選べないんです』
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私はそこで手を止めた。
妙な気分だった
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選ばなかった人生は消える。
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今まで何度も聞いてきたような言葉だった。
相談者から。
転職希望者から。
独立希望者から。
学生から。
けれど。
この文章が書かれた時。
私はまだ二十二歳だった。
相談員ですらない。
離婚もしていない。
子どももいない。
それなのに。
同じ場所をぐるぐる回っている。
そんな気がした。
私は再び視線を落とす。
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『相談員は少し考えた。』
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『そして言った。』
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『選ばなかった人生はなくならないよ』
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私は息を止めた。
ページの上で指が止まる。
静かな夜だった。
冷蔵庫のモーター音が遠く聞こえる。
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その言葉を。
私は知っている気がした。
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どこで聞いたのか。
誰に言われたのか。
思い出せない。
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でも。
ただの創作ではない気がした。
私は原稿から顔を上げる。
暗いキッチン。
誰もいない部屋。
午前二時を過ぎた家。
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それなのに。
胸の奥がざわついていた。
まるで。
何か大事なことを思い出しかけているみたいに。