
夜勤で食べるご飯が、体を壊していた― 看護師の「食」が失われた現場 ―
夜勤のご飯は、食事ではない。
それは、
朝まで動き続けるための燃料だった。
ナースステーションの片隅で、おにぎりの包装を急いで剥がす。
米は少し固く、海苔はしっとりしている。
一口入れた瞬間、ナースコールが鳴る。
モニターが鳴り、名前を呼ばれる。
食事は途中で止まり、机の端に置かれる。
戻ってきたときには、もう冷えている。
何を食べていたのかすら、少し曖昧になる。
そんな夜を、何度も繰り返してきた。
食べなければ、もたない。
けれど、食べても回復しない。
本来、食事は人を回復させるものだったはずだ。
温かさがあり、
匂いがあり、
噛む時間があり、
食後に少し緩む時間がある。
けれど夜勤の現場には、それがない。
深夜、体が休むはずの時間に食べる。
血糖は上がり、そして落ちる。
眠気が来る。だるさが来る。
それでも動かなければならない。
体は、ついてこない。
腸も止まる。
便秘、膨満感、違和感。
それでも現場では、こう言われる。
「夜勤だから仕方ない」
本当に、そうだろうか。
看護師は、患者の食事を整える。
食べやすさを考え、
栄養を考え、
回復を考える。
けれど、自分の食事はどうか。
冷えたコンビニ飯を、
短い時間で、
緊張したまま流し込む。
それは、回復ではない。
私はこれまで、
プレホスピタル、院内急性期病棟、
救急外来、救急クリニック
いくつかの現場を経験してきた。
その中で見てきたのは、
人が壊れていく過程だった。
腰を痛める人。
眠れなくなる人。
食事が乱れる人。
それは、個人の弱さではなかった。
回復できない構造の中にいるだけだった。
食事は、本来「回復」のためにある。
けれど現場では、
食事が回復として機能していない。
これは、個人の問題ではない。
構造の問題だ。
忙しさの中で、
食事は後回しにされる。
だが本来、
削っていいものではないはずだ。
人は、回復できなければ壊れる。
どれだけ優秀でも、変わらない。
医療は、人でできている。
だからこそ、
人が回復できる設計がなければ、医療は続かない。
食は、贅沢ではない。
土台だ。
夜勤のご飯は、静かだ。
特別でも、華やかでもない。
けれどそこには、
その職場が人をどう扱っているかが、
はっきりと表れている。
もし、あの食事に
もう少しだけ余白があったなら。
温かさがあったなら。
壊れずに済んだ人が、
いたかもしれない。
私は、そう思っている。