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#4 短編小説:透明な器

    やぁ、ご主人。こんな雨の日も営業かい?
    客足なんてさっぱりじゃないか。
    さっさと店じまいにして、体を休めようとは思わないのかい?

    あぁ、紳士な君か。こんな雨の中に来てくれたのかい?
    君こそ、家でゆっくりしていれば良いのに。
    さっさと温かいミルクでも飲んで、体を休めようとは思わないのかい?

    はは。意地悪なご主人だね。
    今日はこの雨だ、私のところに訪れるような人間はいないんだ。
    だからね、そんな日は、私も会いたい人間に会いに行こうと思うんだよ。

    私を訪れる人間たちは「誰かと比べて」幸せだ、不幸だなんてことに心を囚われている。
    自分に見合わない、自分が好きでもない器をわざわざ選んでいる。
    自身が器に見合わねば、と躍起になっている。

    さっさと自分に見合った、自分の好む器を手に入れて、それを楽しめば良いのに。

    勿論、そんな人間たちと話をするのは興味深いがね。
    私の思いもしないところで悩み、立ち止まる人間は理解不能で面白いものだ。

    だが私には、そんな彼らのために「器を作る」ご主人が、特段魅力的に見えるのさ。

    毎日、違う大きさ、違う形、違う色の器を作り
    毎日、違う人間がそれを買いに来る。

    まるで最初から彼らの求める器をわかっていたかのようだ。

    そんなご主人の生き様に、私は興味津々なのだよ。

    ああ、賢い君。本当に君は賢いな。
    そんな風に「こうあれば良いのに」と理解し、そのままに生きている君だからこそ
    そうあれない人間たちは、君を訪ねるのだろうね。

    人間というものは本当に愚かだ。
    君のような生き方に憧れるくせに、それをやろうとはしないんだ。

    羨ましい、ずるい、そんな言葉ばかりが行き交う寂しい町だ。

    だから俺は器を作るのさ。
    人々の喜怒哀楽を、全て受け入れるような器だ。

    自分の心が詰まった器を見て、その心を飲み干せたなら。
    自身で飲み干せないほどの心なら、誰かと分け合えたなら。

    感情というものは刹那的にやってきて、自分で理解しようと思った時にはもう過ぎ去ってしまう。
    だから理解が出来ぬまま、人はまた苦しむのだ。

    一度じっくり観察して、その心の正体を見つめることが出来たなら
    同じような苦しみを味わうことは、減っていくと思わないか。

    だから俺は器を作るのさ。

    やぁ、ご主人。実に興味深い話だ。

    そうさ、どうして人間という生き物は、自分のことを理解できないのか。
    自身の心を器に入れて、温かさや甘味、もしかしたら冷たくて苦いかもしれない。
    そんな自身の心を目で、肌で、舌で楽しみ、味わえば良いというのに。

    他人の器に入った素敵な心を見ては
    「自分には何もない」
    などと嘆いてばかりだ。

    さっさと自分に見合った器で、自身の心を味わえば良いというのに。

    賢い君、おっしゃる通りだ。
    だから俺は器を作るのさ。

    ここに来る連中は、皆見合わない器を買おうとする。

    打ちのめされた心で、少しでも気分を上げたいからと真っ赤な器を買おうとする者。
    馬鹿だろう。自身の心に合った、寂しくて深みのある紺色の器を買えば良いのに。

    虚栄心と卑屈の狭間で、少しでも自分を大きく見せたいからと大きな器を買おうとする者。
    馬鹿だろう。自身の心に合った、気持ちの寄り添いにも似た大きさの器を買えば良いのに。

    自身の可能性に蓋をして、それ以上大きくなろうとせずに窮屈な器を買おうとする者。
    馬鹿だろう。もっと豊かな心を入れるために、深くて広い器を買えば良いのに。

    自身の心に合った器を買えば良いのに。
    だから俺は器を作るさ。

    毎日の心を、ぴたりとはまる大きさ、形で受け止めてくれる器を。
    毎日の心を、良いとか悪いとかじゃない、そのまま表現してくれる色、模様の器を。

    ご主人、実に興味深いね。
    本当に人間は馬鹿だよ。

    他人の器を羨んだり、自身に見合わない器を買ったり。
    さっさと自身の心に見合った器で、自身の心を味わえば良いのに。

    自分の心の温度を、自分自身で「ああ、ちょうどいい」と感じられるかどうか。
    ただ、それだけのことなのに。

    さあ、ご主人。
    私も器を新調したくてね。
    私に見合った器を選んでは頂けないか?

    おっと、俺が賢い君に器を選ぶだなんて。
    大変光栄なお話だな。

    君のことを思いながら作ったとっておきの器があるんだ。
    俺自身が君のような生き方に憧れて作った器だ。
    気に入ると良いが、いかがだろう?

    ご主人、透明で軽い、まったく装飾のない硝子の器だ。
    こんなにも飾り気が無い器が、私にお似合いだと?
    私はこう見えても芸術家なんだ。
    もっと華やかな器は無いのかい?

    お気に召さなかったかい?
    驚くほど軽い。まるで何も持っていないような、軽やかさだろう。
    色も模様もない。ただの器だ。

    その完成された透明の硝子の器は、どんな装飾よりも美しく、君に見合うと思うのだが。

    あぁ、ご主人。参ったな。

    自分の心の「今の色」を、一切誤魔化さずに映し出す透明な器か。
    余計なものを捨てて、自分だけで満たしてくれる器か。

    虚栄心や卑屈さなど持ち合わせない私のようだ。
    余計なものを捨て、軽やかな幸せに心踊る私のようだ。

    完敗だ。気に入ってしまったよ。
    この器を頂こうじゃないか。

    お気に召したかい、光栄だ。
    さぁ、そろそろ店じまいだ。
    新しい器で飲むミルクは最高だよ。
    一杯、いかがだい?

     
     
    店長・エリアマネージャーとして18年間勤めました。 人生の夏休みとして、現在休職中です。 仕事しか生き甲斐が無かった私が、少しずつ「好きなこと」を取り戻していきます。 趣味、仕事観、全部まるごと私を受け入れるnoteです。 Amazonのアソシエイトとして収入を得ています

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