
『生きちゃったから、なんかやろっかな。梨の剪定枝を食べたい変な私の物語』【最終章】
この物語を書き進めてきた時間を振り返りながら、今の私の気持ちをそっと置いておきたいと思います。
この物語は最終章となりますが、まだまだ、「梨の枝に価値を与えたい」、「梨の枝を食用化したい」旅は始まったばかり。
そんな始まりの思いを込めて、この最終章には、Mr.Childrenさんの GIFT を添えたいと思います。
生きてきた時間のすべてが、
痛みも、出会いも、寄り道も、
気づけば“私を育てていた贈り物”だったのだと、
ようやく静かに受け取れるようになった今の私に、そっと寄り添ってくれる曲です。
循環の中で受け取ってきた光を、
今度は私が誰かに手渡していく。
そんな最終章の“あたたかい余韻”と同じ色をした一曲。
◾️最終章: 循環 — すべてが私を育てていた
私は今、本気で梨の枝を食べたいと思っている。
それは奇抜な挑戦ではなく、この街への恩返しであり、人類がまだ見たことのない未来への小さな扉だと感じています。
私は研究者でも科学者でもない。
ただの週3パート事務派遣。
でも、それでいいと思っています。
生きちゃったからには何かをしたい。
せっかく生きているのなら、この命をまっすぐ使いたい。
その思いが、私を剪定枝の食用化という無謀な旅へと連れてきました。
たとえ私が生きているうちに、剪定枝の食用化ができなくても、挑戦したことは残るかなと思いながら、日々の生活と両立できる形で小さくても一歩を進めています。
そしてその歩みの中で、私は大きな事に気づいてしまいました。
静かに、でも確かに、胸の奥で何かが変わったのです。
この梨の枝と一緒に、今の社会の『当たり前』を壊しに来たんだと。
他者が作った枠組みや先入観の中で、
"これが当たり前"という透明な隔たりに触れるたび、
そこからはみ出してはいけないという生きづらさを、私はずっと感じてきました。
しかし、あの通学路に置き去りにされた梨の剪定枝と出会ったことで、この旅が動き出しました。
どんなものにも、人にも、
"価値と可能性が溢れている"。
そんな当たり前のことを、この活動は、静かに思い出させてくれました。
痛いほど自分が自分を肯定できず、
でも心の奥では欲しがることばかりで、
今あるものや人に感謝を忘れていた事もそうです。
今、この活動を肯定してくださる方に心から感謝をしています。
この物語を読んでくださっているあなたにも。
だからこそ、同じように暗闇の中にいると感じている方がいらしたら、そっとお伝えしたいのです。
もし今、お仕事や何かの活動、育児、介護などを暗闇の中で抱えていらっしゃるのならーー
その道のどこかに、あなたを照らす味方が必ずいることを。
そして、その味方は、思っているよりずっと近くにいることでしょう。
ものも人も、感謝で接すると、感謝が返ってくる。
その循環が、こんなにも温かい。
この循環こそ、私がずっと探していた世界でした。
この街を支えてくださっている農家さんを応援したい、梨の枝で色々な人と繋がりたい、そして優しい関係が優しい社会になると信じています。
木も人も動物も土も水も風も、すべては循環の中にいる。
優しさもまた、循環する。
思いはまだ輪郭が曖昧ですが、小さく刻んで積み上げて梨の枝の食用化を目指しながら、
私が思い描く循環型社会にこの街でこれからも挑みたいと思っています。
その循環の中で、私もまた育てられていく。
梨の木が毎年、新しい芽を吹くように。
私もまた、この街で生きていく。
◾️ここまでお読みくださった方へ
長きに渡り、ここまでお読みくださり、私の物語にお付き合いくださった事に感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
この物語が、あなたのどこかの小さな灯りになれたら嬉しいです。
最後に——
もし、この物語に少しでも心が動いたなら、
ぜひ、『香り』を体験しに鎌ケ谷へいらしてください。
コーヒーの香りという形になった梨の枝たちが、千葉県鎌ケ谷市で、静かにあなたを待っています。
また、どこかでー