
詩を書くつもりはなかった|【エッセイ】日常のスベッたコロンだ
詩を書くつもりはなかった
noteで詩を書くようになって、そんなに私って詩という物を書くのに慣れ親しんでないのに、変だな。なぜ書いてるのだろう。と思っていたのです。
「最果タヒ」さんの詩を引き合いに出したら怒られそうですが、私は詩集を読んで分らないなりに感心したので、詩集を読んだときにはあのような世界を書くという行為は私とは無縁だろうなと思っていました。
でも私には私の書ける詩があるのだと思ったら嬉しかったのです。
何か書こうと指が動き出す。因数分解でもスベコロでもない言葉が連なっていく。
「ああ、詩のようだ」
詩を書く気もなく書いたのが最初でした。
出てきてしまったので「詩」という名前を付けて出したのです。
小学生の時の詩
詩で思い出したことがあるのです。
小学生のとき自分で書いた詩がクラスで選ばれて、お昼の学校放送のときに
自分で朗読したことがあったなと。
まるで知らない世界だったわけではないのか。そう思いました。
多分学校で書きましょうという授業がなかったら私は詩を書いていなかったと思います。
自発的に詩を書く習慣がなかったのに、その記憶から幾年月。今こうして時々詩を書くのですから面白いものだと思います。
詩は「何でだろう」から
子供の頃から詩を思いつくのは「何でだろう?」の発見でした。
空に落ちていくような気がするのは何でだろう?
音がなくなる気がするのは、何でだろう。
てんとう虫がオモチャに見えるのは何でだろう?
小さな違和感が詩の種になっていました。
何でだろうと思ったれけどこんなことが詩になる?
と思えることが詩になったりもしました。
世界の今に恋している
詩になる世界を見たとき私は世界の「今」に恋しているのだと思います。
ボーっと世界を夢見るように眺める。
夢を見る時、人は一人です。
その時の孤独な気持ちは、世界の美しさ、不思議と重なって、
「心動くけど、淋しい」という形をなすのでしょう。
人の裏側を見る
私は私が人を見るとき、そこに、その人の裏側を見てしまいます。
淋しさだったり、孤独だったり、
逆のものを見る時もあります。
丁度明るい歌詞にマイナー調の曲が付いたように
沈んだ歌詞にメジャー調の曲が付いたように
その人の中に流れる音楽の様なものを見てしまいます。
その人の複雑な色を見てしまいます。
誰かを見る為にそうなったのではなく、私が元々そういう人だったから、そういう風に人を見るのです。
そうか私はこんなものの味方をするのか。はっきり文字にして分かった気がします。
書きながら確認するのも私です。
自分のものを見るときのわけが分かって、安心が戻ってきたような気がします。
English Version:
🌐I Didn't Intend to Write Poetry | Daily Slips and Trips