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青い鳥は案外こころの中にいる|【エッセイ】主体性と私|こころの因数分解

中高生の頃


 私は学生時代に自分の中心がさっぱり分かりませんでした。

 専門学校へ行ったけれども、専門的に能動的に学んだかというと、それなりには学んだけれども、そもそものところ自分の中心と離れたところにいました。

 高校生の時はどうだったかというと、五里霧中。中心を探すというのは何なのかすら分かりませんでした。

 自分が高校時代に「これが自分の中心だ」と勘違いしていたものは、実はとても自分とは離れたところに、これもあったものでした。

 ある経験をして、自分の経験を文章にして残そう。そう思って、初めて長い長い「私小説」を書きました。2本。それで、初めて私は、自分が書くことが好きで得意で、それが「自分の中心だった」と言うことを思い出したのです。

 中心に気付くのに60年弱です。

 以前記事にも、しましたが中高生に宛てた手紙のような記事。中高生で自分の中心を知っている子は多くはないのではないでしょうか。

 もちろんそういう才能に早くから気付いている子もいるでしょうが、そういう子達は幸いなので、いろいろな人の手を借りて、その才能を伸ばしたらいいと思います。

 でも、私の様な凡人は中心を探すのに60年近い月日が要りました。

 私が自分の中心を探し当てたので、これからなろうとする職業を決め、そこに向かってあれこれ自分で学ぶ内容を決め、自分で勉強をする。そういうのを主体性を持つ。ということなのでしょうか。

青い鳥は「自分の中心」を探す話か


私が自分の中心を探し当てたとき、「チルチルミチル」の「青い鳥」のようだと思いました。

 チルチルミチルは青い鳥を探しに行きます。でも、青い鳥は身近にいました。というお話です。

 あのお話は今考えると「幸せは身近にある」ではないのかもしれません。

 「自分の中心」を探しに「遠くへ行く」のではなく、自分の「子供の頃」を思い出すといい。そういう話なのではないでしょうか。

 「幸せ」とは「自分の中心を見つける」ことかもしれないと勝手に思います。

 私の詩で申し訳ありませんが、「帰れるかもしれない」という一見ふざけたタイトルの詩があります。

 『道に迷った人がいる。その人は道に迷ったので「家に」帰らなければいけなかった。そのために、自分のいる場所から「最寄り駅」のプラットフォームへ行きたい。そして家路につきたい』

 そういう詩です。

自分の中心は子供の頃にあるのかもしれない


 自分の中心を探す話になるとよく引き合いに出されるのが、「子供の頃の自分が何に興味を持っていたか」という話でした。

 「色鉛筆で絵を描くのが好きだった」でも良いし「ティッシュペーパーを濡らして、サインペンを押し付け、色のにじみを楽しんだ」でもいい。

 又は「体育の授業中に座り込んだ地面の上に転がる綺麗な砂粒を集めること」だったかもしれません。

 全部私の事ですが(笑)

 そういう「中心」というのが分らなくなってしまった人は、「子供の頃」を思い出すといいかもしれません。

 何にも制限されず、ただこころの赴くままに興味を抱いたころのことを思い出すといいかもしれません。

 案外そういうところに、自分の「好き」が隠れているのかもしれません。

「試してみる」という「くじ」と「青い鳥」


 そして、今、見つけられなくても焦ることはありませんよ。必ず見つかるなんて無責任なことは言いませんが。

 くじをたくさん引くのも良いと思います。

 宝くじのことではありません。

 ちょっと気になったことを試してみるというくじ。たくさんくじを引くと、それだけ確率が上がります。

 「そう言えば、こんなこと昔好きだったなぁ」というくじ。

 私は小学生の頃、体育の授業中、学校の校庭で、暇だったから、ずっと砂粒をよっていました。その中でガラスの様に透き通った粒がお気に入りで、その粒の大きいものを探すのに尽力を注いでいました(笑)

 高校生になって、理科を選択で取れると知ったとき、「地学」を取り、あの透明な砂粒ががおそらく「石英」だったのだと知りました。

 その先、私が地学の勉強のためにその道へ進んだ。と言った事実はありませんが、今でも石が好きで、本があると買ってしまいます。

 このゆみれもんてぃーのページのトップ画像も石です。

 でも、全部のくじを引く必要はないと思います。引かないという主体性も大いにありますから。

 やりたいならやる。
 やりたくないならやらない。
 分からないから保留する。

 これも全部ありです。

 学生時代の私は、「やらない」というのも自分で選べる選択肢なのだと知りませんでした。今は大人なので、結構わがままです。「やらないのも自由でしょ」と思っています。

 私にとって書くことは子供の頃にしていた「一行ジャーナリング」(※後から勝手に付けた名称です)を起点としているのですが、それを思い出せて「ああ、私は昔から書くことで頭の中を整理する人だった」と気付けました。

 青い鳥は案外こころの中にいるのかもしれないと、私は思うのです。




シリーズこころの因数分解

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English Version:
🌐The Blue Bird is Surprisingly Within the Heart | Agency and Self | Factorization of the Heart


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