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【心からの願い】「一生この字を書くんだよ」 ~手段に過ぎない~

    教室で
    子どもたちの教材の添削のときに

    お手本通りの字を書けていると
    いっぱい褒めた後に
    いつも言ってしまう言葉です。

    「ふだんもこの字を書くんだよ」
    「一生この字を書くんだよ」
    叱る
    強制する
    という意味でなく
    私の心からの願いで出てしまう言葉です。
    「一生この字で生きていくんだよ」

    これほどまでに基本に忠実な字
    一生この字でいてほしい…
    心からそう思います。


    教室でどれだけうまく書けても
    日常で活かせなければ意味がない。
    私のいないところで
    その字が再現できなければ意味がない。

    一生その子の字を
    隣で見届けてあげることはできないから。

    時々
    いろんな子のお母さんが
    子どもが何かで賞を取った時の字や
    学校で書いた字を
    見せてくれる時があります。

    それは
    本当に本当に嬉しく
    たぶん
    指導者として私がいちばん嬉しい瞬間です。

    本当に涙が出ます。



    他にも

    添削をしている時に
    毎回「ちょっとこれもう一回書いてみて」と
    私の前で書いてもらいますが
    (書き順や持ち方を見る目的も含めて)

    公文書写は
    字の共通の原理原則を覚えていくので

    そこで必ず言う言葉もあります。
    「他のこれがつく漢字も全部そうだからね」


    自然と出てくる言葉…

    「一生この字を書いてね」
    「他の漢字もこれがついたら書き方は同じだからね
    」
    もう「願い」のような思いなので
    意識して言ってはいませんが

    私は
    私がいない時
    私が見ていない時を
    常に想定しているんだと思います。

    「今だけ」うまく書けても意味がない。
    「その漢字1つだけ」うまく書けても意味がない。
    (まぁ、意味はあるか…)

    何のための公文書写。

    と思っています。


    基礎の字が書けるなら
    他はどんな字でも書けるから
    今は基礎を固めよう。
    一生基礎だけでいいくらい、と思っています。




    私は
    「公文書写の先生になるのが夢」だったわけではなく
    「先生」と呼ばれる仕事につきたかったわけでもなく
    まったく字とは関係のない仕事をしてきたので

    たぶん
    私にとっては
    公文書写の指導者であることも
    「字をきれいにする」ことも“手段”に過ぎず、

    きっと他の仕事をしていたとしても
    同じようなことを言っていたんだと思います。

    「一生幸せでいてほしい」…




    「一生この字で生きていくんだよ」
    「私がいなくてもこの字を書くんだよ」
    「他の漢字も同じたからね」

    違う仕事をしていても
    その言葉が変わっても
    伝えたいことは同じだったと思います。


    字がきれいなことは手段に過ぎない。


    私たちは
    書写を通して何を得るのか、
    字の練習をすることで何を身に付けるのか、

    きっとそこで学ぶことは
    「きれいな字」だけではないと思います。


    私のいない未来に
    「一生この字で生きていってね」

    本当に伝えたいことは
    「ずっと幸せでいてね」なんだと思います。


    幸せであるように。
    みんなみんな幸せであるように。

    その想いを伝える手段として書写があるだけです。
    きっと。


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