
ステージと狭山:第⑦話(最終話) 「栄光の狭山」
最終話 栄光の狭山
激震!
灼熱地獄の日々が続くさなか、職場にトンでもない事件が発生した。まさに職場全体を揺さぶるメガトン級の大事件である。
その内容とは、「スーパーエース・川野さんの引退」である。
「ひとひとり辞めたくらいで、なにを大袈裟な」と思うかも知れないが、これは凄まじい大問題である。
S山さんやO沼が辞めるのとはワケが違う。

これまで、ステージ上は人の入れ替わりが激しかったものの、ラインの方ではほとんどメンバーに変化がなく、「安定期」だったと言える。
それを支えてきた大黒柱は、かの伝説のエース、川野さんだったのだ。彼が狭山をひとりでこなしてくれていたからこそ、みんなが安心して働けたのである。
その川野さんを失った今、この職場はさながら孔明を失った蜀のようであった。たちまち職場は大混乱、てんやわんやの大騒ぎ。

この急場をしのぐために、とりあえず狭山にはベテランのフォークマンが緊急配置されたが、フォークマンは基本的に「雇う側」の人で、普通はラインにはつかない。あくまで後継者を育てるまでの緊急避難である。
後継者は誰だ!?
この後継者選びは、非常に難航した。
なにしろ、「配置された人間は、必ず短期間で辞めていく」恐怖の狭山である。おいそれと人材が見つかるわけがない。
そこで、会社は非情な手段を使うことにした。
他のラインの人間をまわすことをせずに、相変わらず変動の激しいステージの、ちょっと慣れ始めたころの新人を使いだしたのだ(ちなみに、この頃ステージは4人から最大7人にまで増員している)。
やはりある程度定着した人間は辞めさせたくなかったのだろうか。
だが、このやり方では結果は火を見るより明らかだ。
スパーク!スパーク!
連日スパークのオンパレードである。
私も熊谷をやっているときは狭山と真向かいなため、その混乱ぶりをまのあたりにし、胃が痛い思いであった。
例の留学生、高や黄もやったが、一日でステージに戻されている。
(いくら体力があっても、技術と経験が要求されるのである)
なかには狭山に定着し始めたにもかかわらず、自ら志願してステージに戻してもらったおじさんもいる。
「お願いですから、ステージに戻してください」
と言わしめるあたり、言語に絶するものがある。
恐怖のホワイトボード
そしてついに、私に順番がまわってきた。「順番」というのは、狭山に定着する人が出ないため、手当たり次第やらせているのだ。
配置されるポジションは、いつも仕事前の朝礼で、ホワイトボードに名前が書いてあり、それを見ることで知ることができる(野球のスタメン発表みたいで緊張する)。

狭山に私の名前があったときは、正直言って目の前が真っ暗になった。
同僚達は「がんばれよ」とか、「手伝ってやるから」とか、ねぎらいの言葉をかけてくるが、そのときの私には、殿(しんがり)を任された武将に対する鎮魂歌(レクイエム)にしか聞こえない。
「気休めはよしてくれ!」こんなセリフがぴったりだ。
怒濤の狭山
ついに”狭山テスト”を受けることになった私だが、やはりまだまだ未熟で、とてもこの凄まじいラッシュに耐えうることはできなかった。
例の「オペレーターコール」が、憎らしいほど連呼される。
当然、コールがあったら作業を一時中断して仕分け装置のところまで行かなければならない。そして、「グイッ」と荷物を引っ張るのだ。
「狭山、狭山、狭山、狭山、狭山・・・」
それは全部と違うんかい!ワレ!
と突っ込みを入れたくなるくらいの連発だ。
最初のうちは、なんとかスピードに負けないように必死にもがいていた。
だが、コンテナに積めども積めども、増える方が速く、辺り一面「荷物の海」と化してしまう。
今までは他人事だと思っていた光景である。それが今まさに、我が身に降りかかっているのだ。

もはや笑うしかない。
川口は「冗談だろ」で済んだが、狭山はもはや完全に冗談である。ギャグである。
「こんなの出来るわけないじゃん」と、居直り泥棒のような心境になる。
あるいは、「こんなの出来ないモン!」と、だだっ子のような心境か。
(※Xさんがキレた原因の『太田の大爆発』。あれは、擬似狭山体験みたいなものであった。そう考えると、こんな仕事やってられるわけがない。このとき、Xさんの気持ちをより深く理解することができたのであった。)
不合格
翌日、私は狭山を降ろされた。
どうやら「不合格」だったらしい。
恐らく、あまりの忙しさにラベルを見忘れ、誤仕訳をこいたらしい。
会社側としては、誤仕訳だけはされてはかなわないのだ。誤仕訳は一件につき、ウン万円の損失になるという。
なにはともあれ、「嬉しい」の一言だ。虎口を逃れ、なんともいえない開放感であった。まだ未熟だったことが幸いしたのだ。
狭山を脱したかと思ったら、やはりステージに戻された。
一難去ってまた一難。今度は熱帯夜と戦うことになった。
とりあえずこの夏休みは、ほとんどステージ上で過ごすハメになった。
しかし、「まあ、狭山よりましかー」などと思えるあたりが悲しい限りだ。
TO BE CONTINUED…
運良く狭山を脱した私だが、まだこれで私と狭山の因縁が終わったわけではない。
また相まみえる時が来るであろう、いつの日か・・・
第一部完
あとがき(と、考察)
”第一部完”
と書いてありますが、この話の続きはありません。
第一部で終了です。
理由はいくつかありますが、(昔のことなので想像も含みます)
・就職活動などで、それどころではなくなった
・単純に面白い内容の話が書けないと思った
つまり、続きを書くだけの熱量がなかった。
言い換えると、第一部でもう完成されていて、それ以上の盛り上がりがなかったのです。
ざっくり話すと、私はその後、狭山に定着。
絶対エース川野さんの境地にまでは届かなかったものの、”エース”として、学生の立場ながらも職場の大黒柱として君臨したのです。
これは、我ながらよくやったと思います。
特別なにかお金を貯めて欲しいものがあったとか、家が貧しくて学費を稼がなければならなかったとか、そういった事情はまるでなかったのに、どうしてこのバイトを大学在学中ずっと続けていたのか、理由は今もって謎だったりします。
なんの気なしに始めたアルバイト。
最初は地獄のような日々であり、逃げ出したかったし放り出したかった。これは事実。
ですが、
「自分で選んで始めた仕事を、嫌だから、しんどいからという理由で放り出す」
ことが、若かりし当時の私は許せなかった。
そして、我慢して続けていると、最初は地獄だと思っていた環境が、慣れてくると案外そうでもない。
身につけた知識と経験によって、見えてくる景色が少しずつ変わっていく。
別の場所に異動して、全く違った環境に身を置くと、少しどころか180度視点が変わる。
こういった出来事、経験の積み重ねが、自分自身の成長を促し、そこに「楽しさ」を見出した。
また、若輩者の私の頑張りが、周囲の大人たちの目にとまり、「助かるよ」「あんさんじゃなきゃー、狭山はつとまらんぜよ(どこ出身の人だよ)」といった信頼と称賛の声に、私の自尊心は大いに満たされたのです。
アラフィフとなった私が30年も前の自分自身の心境を分析すると、こういった形になりました。
そしてそれは、私自身の人格や価値観の形成に非常に重要な役割を果たしていたと断言できる。
大学卒業後に就職した会社で23年間勤め上げたこと(現在転職している)や、マラソンを趣味にして毎年何本もの大会に出続けていることなど、やはりこのバイト経験が私の忍耐力や継続力、ものごとを多角的に捉える視点など、多くのものの礎(いしずえ)となったことは間違いないのです。
そんなわけで、私の絶大なる恩人、”ブッダ”明石さん、”ゴッドファーザー”所長(名前知らない)に、改めて敬意と感謝を伝えたい。
そして、この物語は真に幕を閉じるのであった。
完