
🍒子どもの詩250 Theme-84
〜小学6年生の世界〜
読みに来ていただき、ありがとうございます。
子どもの詩を紹介するnoteです。
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学年別に見ています。
3歳〜5歳頃の子どもを、「事の分かる年齢」という言い方で表現する場合があります。この言い方をまねるなら、6年生の子ども達は、「事の繋がりが分かる年齢」と言えるのではないかと思います。いままで、バラバラに理解していた事柄を関連づけて考えられるようになってきます。大極的俯瞰的な見方が可能になって来たとも言い換えられるでしょう。
古墳に立って
今 岩倉古墳に来ている
社会で勉強している古墳の見学だ
パンフレットで勉強したそのままの石室がある
円墳だ
写真で知っているはずなのに
自分の目で確かめると意外に大きいのにおどろく
高台になっていて 広がる平野が見渡せる
川のはん乱の影きょうを受けないこの地を
権力者の墓として選んだこともうなずける
石室は深くて大きい
石はていねいにびしっと積まれている
千五百年前にこの場所で
一つ一つ石を積み上げた人の額の汗
意気ごみいっぱいの足どり
昔の思いが伝わってくる
古墳を造った時代と今の時代が
つながっていることが不思議だ
そしてその時代を生きた人の血が
今もぼくに流れている
何となくうれしくなって
石のかべを
もう一度そっとさわってみた
6年 なおと
クモの糸
帰り道にクモがいた
とても大きかった
オニグモだった
巣には虫が引っかかっていた
モンシロチョウだった
ぐるぐる巻きにされていた
モンシロチョウは
バリバリ バリバリ音がした
別のクモの巣からもバリバリ音がした
クモが虫を食べる音
食べる速さにびっくりした
食べ終わると破れた巣を直していた
クモの巣は光に反しゃしてキラキラしていた
まるで宝石みたい
この糸はどうやって作っているのだろう
モンシロチョウが食べられている時は
助けてあげようかなと思った
でも助けたらクモが死んでしまう
クモは生きるために食べている
私はそっと見守ることにした
6年 りな
おじいちゃんの帽子
「おはよう」
おじいちゃんの帽子はもうありません
わたしのおじいちゃんはバスの運転手
朝六時にはもうバスに乗っています
朝早いお客さんがいるようで
いそがしいみたいです
おじいちゃんが運転しているバスと
すれ違うときがあります
わたしは運転するおじいちゃんを
初めて見た日のことをはっきりと覚えています
帽子をきちんとかぶって
きりっとした顔で運転している姿を
とってもかっこいいと思いました
おじいちゃんが運転するバスに
乗ったこともあります
帽子をかぶった見覚えのある後ろ姿
フロントガラスの上に
おじいちゃんの名前の札があります
今日はおじいちゃんかと思うと
とっても安心して楽しい気分で乗れます
夏に入るとお客さんが増えるので
おじいちゃんはとってもいそがしくなってきます
七時に食べる夕ご飯に
間に合わないときがあります
八時になるときだってあります
「ただいま」
遅くなって帰ってくるときは
やっぱりくたくたのようです
おじいちゃんは帰ってくるといつも
段ボール箱の上に帽子をおきます
わたしはおじいちゃんの帽子を
そっとかぶってみました
「くさっ!」と思わず言ってしまいました
帽子はおじいちゃんの汗で
べっちょりとぬれていました
そして少し重く感じました
この帽子は 一日中
一生けん命働いた証拠かなと思いました
わたしはおじいちゃんの帽子を
少しの間じっと見ていました
そしてちょっと気取った声で
「ごくろうさま」と言いました
6年 みゆ

小学校の6年間は、長いなあと思います。入学時のランドセルは、1年生を覆い隠すように背負われていました。卒業時まで使われているランドセルは、6年生にパツンパツンで背負われています。
体の大きさだけではありません。物の見え方や思考まで変わってきています。ただものを見つめる眼差しの確かさはかわりません。それだけは、6年たっても一緒です。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
また読みに来ていただけたら、嬉しいです。