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Photo byshiroyukimin

創作と阿修羅

    おはようございます。

    最近思うんですよ。腕が足りないなあって。
    ”実力”って意味の”腕”じゃなくて、純粋に本数が足りないなあって。
    皆さんはそう思いませんか?

    僕ね、二ヶ月ほど前から『片想い文芸部』っていうのを始めまして。結構いろんな方に参加していただいていて、すっごく嬉しいんですよ。
    ただ、手が回らない。忙殺されかけるんです、毎週月曜。

    火曜日に、全参加者の記事に感想を添えて紹介するスタイルでやってます。八月いっぱいはスピンオフ企画も同時進行中(今週は『片口鰯文芸部』なんです)。
    で、そうなってくると腕が足りない。本数が。つまり、時間が。

    どちらかの感想を古いノートパソコンで書き、もう一方の感想をタブレットで書く。この時点で腕が二対(すなわち四本)必要になります。
    更に、note以外の用事や食事を済ますために、あと一対は欲しい。つまり、最低でも六本の腕が必要な計算になります。

    更に、です。腕だけが三対あったとて、作業効率は変わりません。目も同じ数だけ必要になる。仮に左と右が独立して機能するのでなければ、

    ノートパソコンでの作業用
    タブレットでの作業用
    その他雑務用

    で、目も三対必要です。ここまで書いて、僕はあることに気付きました。

    阿修羅になればいいじゃないか。


    ※説明は面倒だから端折る。

    そう、この状態になれば、作業効率における全ての問題が解消することに気付いたのです。二度と外に出ることは叶わなくなるでしょうが、noteを書くことに特化したスタイルです。ピーキーの極みみたいなスタイル。

    余談ですけど、『Dr.アシュラ』主演の松本若菜さん、好きです。いいようにされたい。僕は変態なんですよ? 知ってたでしょ?


    ただ、ここで一個だけ疑問が生じます。

    顔三つあるけど、脳みそどうなってんの?


    これです。致命的な問題です。
    仮に、三つの顔それぞれが独立した脳を持っているとしましょう。作業の進捗情報を適宜共有しなければいけなくなります。エラーを防ぐためです。
    つまり、会話しながらnoteを書かなければいけない。そう、集中できないのです。
    以前も言いましたが、僕は自分の声が嫌いです。いつか、有料記事に埋め込んでやろうとは思っていますが。本気で訛ってやろうと…って、それはいいんです。
    そんな、大嫌いな自分の声がサラウンドになっている空間、集中もへったくれもありません(全部推しの声ならいいのに)。

    ですが、三つの顔(あるいは三対の腕)がひとつの脳で操作されている場合は、より一層深刻です。
    キャパオーバーで脳みそが焼き切れます。

    「みっちゃん…夏鈴ちゃん…へへへ…くみてん…にぶちゃん…」とか何とか言いながら、廃人と化す可能性があります。腕が六本、顔が三つの廃人。本格的にバケモノです。
    今もだって? 否定はしないでおきましょう。

    つまり、阿修羅になったって作業効率は上がらないのです。


    まあ、この話の結論としてはね、一番妥当なものがあります。
    「腕の本数どうこうではなく、こまめに感想書け」ってことなんです。
    夏休みの宿題と一緒です。締め切りに追われる前にやる。たったそれだけのことだったんです。

    ほんと、なんのはなしでしょうね。

    #なんのはなしですか

     
     
     

    ナル

     
     
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