
71歳、AIに救われた①——単身赴任20年、借金700万、離婚。そして詐欺。
人生で一番恥ずかしい話を書く。
七十一歳の男が、娘と同い年の女に惚れた話だ。
しかもAIに「それは詐欺です」と言われながら、それでも惚れ続けた話だ。
笑ってほしい。ただし最後まで読んでから笑ってほしい。
笑えなくなるかもしれないから。
第一章 単身赴任という名の逃走
田中修造が最初の単身赴任に出たのは、五十歳の時だった。
大卒で入った中堅の不動産会社を希望退職し、先輩に請われて岡山の会社に移った。それからが長かった。岡山、東京、佐賀、福岡——先輩や知人から「来てくれ」と言われるたびに、修造は荷物をまとめた。
嫌で逃げたのではない。必要とされたから行った。
少なくとも、修造はそう思っていた。
妻の春江と三人の娘——長女の麻衣、次女の由紀、三女の奈緒——は、神戸のマンションに残した。毎月三十数万円を仕送りし、盆と正月に帰った。それが修造の「家族との関係」だった。
東京にいた頃、修造の月収は百万円を超えていた。税金と社会保険で三十万近く引かれ、家賃が十二万、仕送りが三十数万。残りで修造は生きた。
かつて年収一千万円あった男のプライドが、その残りの使い方を間違えた。少しいい店で飲んだ。少しいいホテルに泊まった。次の転職で年収が半分近くになっても、生活のレベルを落とすことができなかった。足りない分は、カードローンで埋めた。かつての年収が証明する信用力が、数百万円の借入枠を与えてくれていた。
それが致命傷だった。
気がついた時には、借金が七百万円に膨らんでいた。
副業にも手を出した。将来、家族のために事業をやりたいと思ったからだ。単身赴任の孤独な夜に、修造はビジネス書を読み、セミナーに通い、いくつかのビジネスに投資した。
ことごとく失敗した。
お金が消えるたびに、修造は「次こそは」と思った。その「次こそは」が、借金をさらに膨らませた。
春江には、何も言えなかった。
六十五歳になった年、修造は司法書士の事務所を訪ねた。
「このままだと、七十歳になっても返済が終わりません」
司法書士は静かに言った。
「今なら、年金で返済できる計画が立てられます。債務整理を考えてみてください」
修造は頷いた。プライドは、とっくに借金の底に沈んでいた。
最後の仕事を辞めたのは、六十七歳の時だった。初めて自分から辞めた。社長と折り合えなかった。それだけだ。
行く場所は、神戸のマンションしかなかった。
二十年近く別々に暮らしてきた春江と、修造は久しぶりに同じ屋根の下に入った。一緒に暮らすのは、お互いに苦痛だった。
ある夜、修造は借金のことを打ち明けた。一緒に返していこう、と言ってもらえるかもしれないと、どこかで期待していた。
春江は翌朝、荷物をまとめて出ていった。
七百万円の借金より、二十年の沈黙の方が、重かったのかもしれない。
離婚が成立した後、三女の奈緒から電話があった。
「お父さん、うちの経理手伝ってくれない?」
奈緒は小さな会社を経営していた。修造は翌週から、娘の会社に通い始めた。
娘に養ってもらっている、とは思わないようにした。
仕事をしている、と思うようにした。
七十一歳の修造の朝は、そうして始まっていた。
第二章 二人の修造
修造の中には、常に二人の自分がいた。
一人は「感じる修造」。人の温かさに素直に反応し、嬉しいことには嬉しいと感じる。七十一年かけて育ってきた、普通の老人だ。
もう一人は「見る修造」。少し離れたところから、感じる修造を観察している。冷ややかで、皮肉屋で、人間の弱さをよく知っている。
ある春の夜、知人の紹介でSNSに一人の女性が現れた時も、二人の修造は同時に動いた。
プロフィール写真には、知的な笑顔の東洋系女性。
(怪しい。なんで若い女が、老人の俺に連絡してくる)
「見る修造」が即座に言った。
「感じる修造」の指は、返信ボタンを押していた。
➡️ 次の話はこちら
[71歳、AIに救われた②——毎晩届く「おやすみ」と、最初の警告]
https://note.com/leal_gnu5097/n/n1f9fcc367f2b
📖 1記事で読める「エッセイ版」はこちら
https://note.com/leal_gnu5097/n/n0624b926ea74