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【創作百合】王子様に憧れていた(18557字)


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    設定が違う初期絵


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    幼少期


    王子様に憧れていた

    幼少期、擦り切れるほど何度も同じビデオを見た。お姫様が一生懸命に努力して最後は王子様と幸せになる。結末は決まって同じで、今思えば何が面白かったのかわからないけど、見るたびに胸が躍った。俺は、王子様に憧れていた。

    小学6年生のある日、そんな夢は封印した。
    理由は簡単で、下駄箱近くの全身鏡に映った自分があまりに不似合いで滑稽だったからだ。兄のお下がりを着た自分は、前を走る男子達とはまるで違う体つきで、こんな不格好な王子がいるわけがないと思った。

    高校に進学した。私服高ではないので中学に続きスカートを履き、合格発表以来の通学路を歩く。制服のスカートは中学のときは履くのが嫌で、声を押し殺して自室で泣いたこともあったが、さすがに3年も履き続けると慣れてしまった。俺のクラスは1年3組…。心の中で俺と言うのさえ痛々しいのに、でも中々直らない。とにかく、自分は教室へ向かった。
    教室へ入ると、数人の視線がこちらへ向く。見定めるような視線だ。教壇の上に座席表があるようでそれを取って自席へ向かう。窓きわの前から4番目の席だ。座席表を眺めて、ある一点に視線が固定される。そんな、まさか。

    渡辺 マリア

    ちょうど教室の真ん中の席だ。視線をやると、今はまだそこに誰もいない。自分は何でもない風に自席に座ると、ため息を吐いた。
    彼女は、小学5年生の頃俺のうちの近所に住んでいた。病弱なようでいつもベッドの上で過ごしていた。少なくとも俺の学校には通っていなかった。良い病院があるとか静養にいいとかで1年も経たずに引っ越していったと思う。
    彼女は、俺の黒歴史を知る人物だ。
    あまりにも可愛らしい子だったから、お姫様に見立てて「王子様ごっこ」に付き合わせていた。毎日のように家に押しかけて、俺は王子様に成りきる気持ちよさに心酔してた。

    「大路さんってさ、西中?」
    前の席の鳳さん?が話しかけてきた。教室中もざわざわとしていて、会話が盛り上がってるグループもいくつもあった。SNSでうちの高校の46期生コミュニティもできていたし、交流はすでに始まっているようだった。
    「うん、西中だけど」
    「あ、やっぱり。鹿島って子知ってる?受験の時話してるの見かけてさー」
    「鹿島英子さんかな…正直そんな話したことないけど」
    「あ、そうなの…。じゃあ部活って何入るか決めた?私は吹部か剣道で悩んでるんだけど」
    鳳さんはニコニコとしていて気さくな感じだ。色々と話を振ってくれる。

    ふと、強い視線を感じた気がして教室のうしろの扉を見る。

    教室のざわめきが止んだ。そんな気がしただけかもしれない。ただ俺は成長した彼女の姿に目を奪われた。俺に向けられたような見定める視線が当然彼女にも集中して、誰も目が離せなくなっていた。
    目が合っている。
    彼女の視線は俺から外れなかった。意志の強そうな大きな瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
    俺はすぐに目を逸らして鳳さんに向き直った。
    「すっごい綺麗な子だねぇ…外国の子かな」
    鳳さんが惚けたように言う。ハーフだよ、とは言わなかった。おれ、いや自分は曖昧に笑い、元の会話に戻るよう努める。
    渡辺マリアはあの頃より一層綺麗になったようだった。同じ人間とは思えない綺麗な顔をしている。目も髪も透き通った色をしていて、近くで見なくて良かったと心の底から思った。あんなに綺麗な子相手では、自分はまたあの頃と同じ間違いを犯すかもしれない。

    入学式に、軽いオリエンテーションが過ぎて自己紹介の時間になった。この時間は何回経験しても緊張する。トップバッターの人間の心情を思うと胃がキリキリした。たまにはふざける者もいたが、大体はどこ中出身か、趣味やどの部活に入るか、名前などを言っていた。至って無難な自己紹介が続く。
    「渡辺マリアです」
    それだけ言って彼女は座った。せめて「よろしくお願いします」くらいは言えばいいのにと思ったが、彼女の外国人然とした見た目のおかげで日本語が不自由な人が一生懸命挨拶したようにも見えた。
    「鳳祐希です。趣味は音楽鑑賞で、結構色々聴きます。部活は、剣道か吹奏楽か悩み中です。」
    鳳さんの自己紹介はほとんど頭に入ってこなかった。鳳さんが座って自分はすぐに立ち上がる。ぼーっとした心地で声を出す。
    「大路律子です。西中出身です。趣味はー...」
    教室中の視線が自分に集まる。その視線から逃れるようにさっさと自己紹介を終え座った。すぐに後ろの席の岡部さんが立ち上がり話し始めた。
    気が抜けてなんとなく教室を見回すと、渡辺マリアと目が合った。なぜ自己紹介中の岡部さんじゃなくて俺を?居心地が悪くなってすぐに岡部さんに視線を戻した。

    放課後には鳳さんと部活見学に行こうと約束していた。
    「大路くん」
    席を立とうとしたその時、よく通る清流のような声で名前を呼ばれた。見上げると、渡辺マリアがそこに立っていた。その後ろで鳳さんが少し驚いたように目を見開いている。
    その呼ばれ方は決まりが悪い。確かに昔はそう呼ばせていたけど。
    「なんか用ですか、えーと、渡辺さん」
    彼女が眉を顰める。綺麗な顔が不機嫌そうになって迫力がある。流石に態度が露骨過ぎたかもしれない。
    すると、急に彼女は鳳さんに向かって
    「私、大路くんと話があるの。借りてくね」
    と言い、俺の腕を引っ張った。いくらでも抵抗のしようはあった。手を振り解くだけで良かったのに、彼女の横顔を見たら自然と力が抜けていた。眉はひしゃげ、色素の薄い目は潤み、唇を強く引き結んでいた。今にも泣き出しそうな顔をしていた。

    上着を持たずに出てきたので少し肌寒い。風が肌を撫でるたび身震いがした。渡り廊下から上履きのまま土を踏み締めて校舎裏の人気のないところへ出た。
    目的地に着いたのか、彼女は俺を掴んでいた手を離した。
    こちらに向き直って、何も言わずに俯いている。金髪がサラサラと風に揺れるのを俺はぼーっと眺めた。瞬きのたびにバサリと音が鳴りそうなほど豊かなまつ毛が、髪と同じように金色に光っている。空をそのまま映し取ったような瞳がゆっくりとこっちを見る。その下には、主張の薄い鼻と小さな口があって、俺に西洋人形を思わせた。
    「大路…くん」
    か細い声だった。ただ確かめるだけに呼んだような声。
    「うん」
    思わずそう返していた。彼女の大きな瞳が揺れるように煌めいて、目の端が赤くなっているのを見たら、誰だってそうしたと思う。
    「大路くんッ」
    彼女はそう大きく呼んで、目から大粒の涙を流した。結局泣かせてしまった。どうしていいか分からず呆然としていたが、気まずく感じて適当に話すことにした。
    「渡辺、さんは元気になったんだね。よかった。昔は家の中でしか遊ばなかったから変な感じ…」
    「姫」
    「ん?」
    「昔みたいに姫って呼んで」
    死にたくなった。俺が無かったことにしてきた黒歴史が首をもたげて、全力で殺しにかかってきていた。
    「大路くんのことずっと考えてた。引っ越しちゃったあともずっと寂しくて…。手術の時も大路くんが応援してくれてると思って頑張れた。このリボンもね、大路くんがこういうの似合うって言ってくれたから」
    拗ねたような口調で彼女は話し続けた。ぶっちゃけ耳を塞ぎたかった。彼女と話していると、胃の腑を掻き回されているようなそんな気分になる。大体なんだ「大路くん」って。「姫」って。過去の自分を呪いたくなった。

    「大路くん、好きです。付き合ってください」

    一瞬、思考が停止する。…なんて言った?
    渡辺マリアは泣き止んだと言うのにまた泣きそうな顔になっていた。
    聞き流そうと努めていたからわからないのか、彼女の考えていること自体がわからないのか、とにかく事態が飲み込めなかった。

    「いや、そもそも女同士だし。付き合うとかないでしょ」
    急なことだったので一般論が口からついと出る。言った後にしまったと思った。流石に優しくなさすぎる。
    「いや、あの、渡辺さんだったらもっと相応しい人がいるだろうし、おr、私なんかじゃ」
    「大路くんがいいの」
    「……」
    「大路くんじゃなきゃ駄目なの」
    彼女は一歩も譲る気はないようだった。今にも涙がこぼれおちそうな瞳がじっと見つめてくる。俺の心の揺れを見透かすように。
    そもそも俺は彼女のことを恋愛的な意味で好きではない。今も昔もそりゃあめちゃくちゃ可愛いとは思うがそれだけだ。昔足繁く通っていたのも、俺自身の満足感のためであって…。
    ただ、この顔に弱いという自覚はあった。大概の男はこの子の言うことならコロッときいてしまうんじゃないかというくらい彼女は魅力的なのだ。
    「えぇと、じゃあ付き合おうか。一応」
    だから、ここで俺がつい言うことを聞いてしまうのも仕方ないことなんじゃないかと思う。
    俺は、また昔と同じ間違いを犯そうとしてるのか?

    1

    私には、私だけの王子様がいる。

    学校の友達には何度言っても夢見がちだって笑われたし、親にすらあまりいい顔はされなかった。(まあそれは王子様が誰か知っているからだろうけど)

    この街に戻ってきたときには予感があった。また王子様に出会える予感が。
    昔に私を助けてくれたみたいに、私がどこかで困っていたらきっと助けに来てくれる。

    高校で出会えるとは思っていなかった。受験の時も合格発表のときもそれらしい人は見かけなかったから。
    でも、教室に入ってきた私を見る十数人の中に王子様はいた。
    あんなに待ち望んでいた彼女がじっと私の方を見ていた。私には永遠のようにも思えたけれど、その実短い時間だったようで、彼女はすぐに前の席の人とのおしゃべりに戻っていた。
    私だと気づいていないんだろうか?
    そんなことあるかな。だって私は正直目立つ見た目をしているし、あの頃とあまり変わっていないと思う。
    王子様じゃないんだろうか。教壇の上の座席表を取って彼女の席の名前を見る。「大路律子」。たしかに王子様だった。昔、私は彼女のことを「大路くん」と呼んでいたから間違いない。
    自分の席に座り、大路くんを眺める。髪は伸びているし少し昔より女性らしくなった気はするけど…
    「ね、渡辺さん、マリアって呼んでもいい?」
    いつのまにか私の周りに数人女子が集まっていた。
    「いいけど」
    「それって地毛?めっちゃ綺麗な色」
    「日本生まれ?いつからいるの?」
    「顔ちっちゃあ〜、すっごい」
    ずけずけと私のことについて聞いてくる。こういう無遠慮な人たちに囲まれるのは慣れていたけど、今は放っておいてほしかった。私は大路くんと話したい。
    受け答えをしているうちに先生が入ってきて、体育館へと移動することになった。当分、大路くんと話はできそうに無かった。

    自己紹介ってする意味あるのかな。正直誰も真面目に聞いていないと思う。仲良くなる子とはどうせ後からじっくり話すし。早く帰る時間にならないかな。大路くんに声かけたいのに。

    「大路律子です。西中出身です。趣味は読書で、部活は今のところ決めてません。これからよろしくお願いします」

    大路くんの声は想像と違った。昔はもっとはきはき喋っていた気がするし、あんなに声も細く無かったと思う。自己紹介で緊張しているのかもしれない。でも顔は昔のまんまで、やんちゃそうな三白眼がまた私の方を見てくれないかなと思った。大路くんは一瞬こっちをちらっと見たかと思うとすぐに目を逸らした。気のせいだろうか。よく目が合うような…。

    放課後になるとまとわりついてくる数人の間を縫うようにして、大路くんの元へと向かう。ちょうど教室を出ようとしているところのようだった。前の席の女子と何やら話している。私は間に立って話しかけた。
    「大路くん」
    ようやく話せる…!嬉しかった。何から話そうか迷った。毎日うちに来てくれて嬉しかったこと。大路くんの存在が生きる支えだったこと。手術のとき不安でたまらなかったこと。大路くんのおかげで頑張れたこと。

    「なんか用ですか、えーと、渡辺さん」

    大路くんは私を知らない人を見るような目で見ていた。ショックだった。大路くんが私のことを忘れているかもしれないと考えたこともあった。私にとっては重要でも、彼女にとってはただの友人の1人で…。
    でも、私は忘れられていたとしても思い出して欲しかった。話したいことがいっぱいあった。
    「私、大路くんと話があるの。借りてくね」
    と前の席の女子に言い、大路くんの腕を引っ張った。

    人通りがなさそうな場所を探して校舎を歩く。大路くんは「あの」とか「どこ行くの」とか話しかけてきたけど私にもわからなかった。大路くんと私以外がいないところへ行きたい。そんなのは現実的ではなくて、仕方なく、校舎裏の壁のところで立ち止まる。
    大路くんの方を向いて話し出そうとしたけどうまく声が出なかった。俯いている私を訝しげに大路くんが見ている。だって何を話せばいいんだろう。私のことなんか忘れてしまっているこの人に。

    「大路…くん」
    「うん」
    答えが返ってくると思っていなかった呼びかけにあっさりと彼女はそう返した。先から我慢していたのに目が熱くなってきて、あ、こぼれると思った時には涙が流れていた。

    「大路くんッ」
    感極まってそれ以上の言葉が出てこなかった。2人の間に沈黙が落ちる。

    最初に口を開いたのは大路くんの方だった。
    「渡辺、さんは元気になったんだね。よかった。昔は家の中でしか遊ばなかったから変な感じ…」
    相変わらず他人行儀な呼び方をしてくる。渡辺さんってなに。距離を感じる。

    「姫」
    「ん?」
    「昔みたいに姫って呼んで」
    大路くんがピシリと固まる。それきり何も言わなくなった。何かを考え込んでいるようでもある。確かに「姫」呼びは高校生になって子供っぽすぎるかもしれないと思った。

    「大路くんのことずっと考えてた。引っ越しちゃったあともずっと寂しくて…。手術の時も大路くんが応援してくれてると思って頑張れた。このリボンもね、大路くんがこういうの似合うって言ってくれたから」
    夢中で喋った。頭に付けているリボンを大路くんに見えやすいように引っ張る。大路くんはこういう大ぶりのフリルのついたリボンを付けているとよく「可愛い」と言ってくれた。大路くんが近くにいなかった時も、ずっと思っていたことを言葉を尽くして話す。
    大路くん、ずっと会いたかったんだよ。
    大路くん、大路くん。
    私の、王子様。

    「大路くん、好きです。付き合ってください」

    一瞬、思考が停止する。…なんて言った?
    完全に言い過ぎた。再会した喜びでうっかりはずみで言ってしまった。

    「いや、そもそも女同士だし。付き合うとかないでしょ」
    大路くんがあっさりと言う。何も悩んだり考えたりしてくれないみたいだった。昔の王子様とは別人みたいな顔で困ったように笑う。
    「いや、あの、渡辺さんだったらもっと相応しい人がいるだろうし、おr、私なんかじゃ」
    「大路くんがいいの」
    もごもごと言い募る大路くんを遮る。

    「大路くんじゃなきゃ駄目なの」

    駄々をこねる子供のようにそう言う。真っ直ぐに大路くんを見つめる。手は震えているし足にも力が入らなくてみっともない。今にも泣き出しそうだった。大路くんの三白眼の瞳が困ったようにうろうろしている。眉を八の字にして大路くんは言った。

    「えぇと、じゃあ付き合おうか。一応」

    2

    昼間の言葉を思い出してふー、と息を吐く。「一応」ってなんなんだろう。大路くんはお情けで私と付き合ってくれることにしたんだろうか。ちゃぷん、と風呂の中に手を沈め、胸元の傷に触れる。多分一生消えることのない手術痕。少し腫れ上がって他の肌より色が濃い。痛々しいだけのこの痕も大路くんのことを思えば甘やかな記憶に思えた。手術をするのが怖かった。何度経験しても、無理やりに意識を失わせるあの瞬間は怖かった。次こそ目覚めないかもしれない。そう思うと手術なんてしたくなくて駄々をこねては両親を困らせた。
    あの日もそうだった。

    「大路くん、私もうすぐ手術をするの」
    「えっ、じゃあ何日か会えないってこと?」
    「…何日かじゃすまないかもね。一生会えないかも」
    大路くんを困らせたかったわけじゃないけど不安だった。大路くんは言葉を選んでいるようでしばらく黙り込んでいた。
    「……手術したら、良くなるんだよな?おじさんとおばさんがそうした方がいいって姫のこと考えて決心したんだもんな」
    「…うん」
    「会えないのは寂しいけど、姫が元気になるなら俺はそれでいいよ」
    大路くんがそう言って笑うと、不思議と私は勇気が出た。

    私って大路くんにとって面倒臭い子供だったと思う。学校の友達みたいに外で遊べないし、時々無理なお願いをしては実際に困らせていたし。でも大路くんはそんな私にまっすぐ向き合ってくれていた。花畑が見たいって言った時は部屋中に花を飾ってくれたし、プールに行きたいって言った時は浮き輪を持って水風呂で一緒にあそぼうとしてくれた(お母さんには怒られてたけど)。
    お母さんたちは、寂しがる私を思ってか時々同い年くらいの子供をうちに連れてきてくれたけど、続けて遊びにきてくれるような子はいなかった。私がつまらない人間なのもあるだろうけど、私の部屋はテレビもゲームも無かったし外で遊ぶ方が楽しかったからだと思う。
    学校帰り、毎日のように大路くんは私と話に来てくれた。私は家で寝てるだけだから正直話すことなんて何もなくて、でも大路くんは楽しそうに色々な話をしてくれて、私はそれがたまらなく嬉しかった。

    ザパァと風呂からあがり決心する。
    だから、私はなんだっていい。大路くんのそばにいられるなら。

    3

    「姫とは呼ばない、人前では大路くんとも呼ばない」
    次の日会って開口一番、大路くんはそう言ってきた。その顔つきは険しくて気持ちは揺るがなそうだった。
    「じゃあ律子ちゃん」
    すこし意地悪をしてみる。案の定、大路くんは苦々しい顔をした。昔、律子って名前は女の子らしすぎて苦手って言ってたもんね。
    「いいけど、渡辺さんはやめて。マリアって呼んでくれる?」
    え、とかう、とか言いながらいくらか迷ったようだけど、やっとのことで大路くんはうなずく。
    「じゃあ放課後!」
    それだけ言って大路くんは廊下を駆けて行く。朝の登校くらい一緒にいてくれてもいいのに。

    「ここいーい?」
    集まってお昼を食べている3人のグループに話しかける。その中にはもちろん大路くんもいて、大きく目を見開いている。はは、目がこぼれ落ちそう。
    ショートカットの女の子(確か鳳さん)が「もちろん」と言ってわたしが食べるスペースを空けてくれる。
    「渡辺さんってさ、りっこと仲がいいんだよね?」
    「りっこ?」
    「律子。昨日一緒に帰ったんでしょ」
    正確には一緒に帰ってない。校門を出たところで大路くんが用事があるとかで駅のほうに向かったから。
    「昔ご近所さんだった時期があって、ね?」
    大路くんが困ったように言う。私はそんな態度を無視して勢いよく大路くんの肩を抱き寄せるように手を回した。
    「うん!すっごく仲良しだったの」
    手を乗せたところから大路くんの体温が伝わってきてすこしドキドキする。柔らかいけど下に骨のある感触。大路くんの横顔を覗き見る。相変わらず困った顔をしていて、私以外の2人の方ばかり見ている。

    「あのね、渡辺さ...マリア。人前でああいうのはやめてほしい」
    眉間に皺を寄せながら大路くんが言う。
    「ああいうのって?」
    「くっつくのとか、おr、私たちが昔どんな関係だったかとか」
    「気にしすぎじゃない?友達同士でもあれくらい普通だよ」
    「そうだけどさ...」
    大路くんを言いくるめるのは簡単だった。ただ心情的な部分で納得いっていないようで歯切れが悪い返答が返ってくる。

    「もしかしなくてもさ、大路くんって私のこと嫌い?」
    「嫌いじゃない!」
    慌てたように大路くんが言う。
    「ただ、その、恋愛的な意味で好きかっていうと...わからない」
    ちらちらとこちらを伺うように上目遣いでこちらを見る大路くん。ご主人の機嫌を気にする犬みたいで可愛い。なんか再会してからこんな風に困らせてばかりな気がする。大路くんって昔は私のわがままにも堂々としてて自信満々って感じだったのに。
    「大路くん、この後用事ある?」
    「...ないけど」

    「じゃあ、デートしよ!」

    4

    大路くんが断固として外は誰かに見られるかもしれないから嫌だというので、大路くんのお家にお邪魔することになった。昔は私の家で遊ぶことしかなかったので、人の家の知らない匂いにそわそわする。
    「今は兄貴しかいないから、多分部屋から出てこないと思うし」
    「大路くんのお兄さんって確か3人いたよね?」
    「よく覚えてんね。上二人はもう自立しててうちにはいないんだ」
    大路くんの部屋は2階にあるようだ。階段を上がりながら「部屋散らかってるから」と大路くんがぶっきらぼうに言う。
    男の子の部屋みたい。それが最初の印象だった。かかっている服もボーイッシュだし、全体的に青とか黒の家具が多い。ダンベルとゴムのついた野球ボールが転がっている。部屋の隅には少年漫画がうず高く積み重なっていた。
    「ジュースとってくるからその辺で座ってて」
    言われたとおり、扉からすこし離れた小さなテーブルの前に座る。
    一人になるとしんとして、部屋中の大路くんの匂いが強く感じられて、身体中が総毛立つ。ほんとに、大路くんの部屋にいるんだ。
    「もしかして暑い?クーラーいれようか?」
    戻ってくるなり大路くんがそう言う。顔が赤くなっていたのかもしれない。今日は確かにこの時期にしては気温が高めだけど、クーラーを入れるほどじゃない。断って、大路くんの入れてくれたオレンジジュースを飲む。冷たくて美味しい。
    「最近ゲーム売っぱらっちゃってさぁ、今これしかないんだよね」
    そう言って大路くんが差し出してきたのはNintendo Switchだった。CMでよく見るけど遊んだことはない。
    「これどうやるの?よくわかんない」
    「あ、そっか。もしかしてゲームあんまやらない?家にも全然なかったもんね」
    素直に頷くと、大路くんが横に来てあれこれと教えてくれる。こんなにくっついてたら大路くんが嫌がりそうなものなのに、ゲームを教えるのに夢中で気にならないみたいだった。
    大路くんに言わせれば「雑魚敵」が私には強敵だった。私の攻撃は敵にひらりと躱され、敵の攻撃はうまく避けられない。大路くんが言うには敵の攻撃の後に隙があって、敵に近づいて倒すらしいけど私には難しかった。ここだけで何度もゲームオーバーになっている。直前でセーブしてるから何回でも挑戦できていい。次こそは。
    体力は残り少なかった。それは敵も同様であと一撃与えればライフゲージが0になりそうだった。私が避けるのが苦手な敵の突進がくる。すんでのところで転がって避けて、敵に向かって一撃を放つ。
    「やった!倒せた」
    「すごいじゃん!よかったな!」
    思わず横を向くと思ったより近くに大路くんの顔があった。目がキラキラと輝いていて子供みたいに興奮している。大路くん、可愛い。
    顔をすこし傾けて、唇を合わせた。ちゅ、と小さくリップ音が鳴る。
    その瞬間、大路くんは大きくのけぞった。目を見開いて口をはくはくとさせている。かおが真っ赤だった。
    「なッ…急に何して…ッ」
    声がひっくり返っている。大路くんは顔を顰めるとじとっと私を見つめた。
    「もしかして、初めて?」
    「そう言う問題じゃない!」
    私が揶揄うように言うと、大路くんはさらに顔を真っ赤にした。不満そうな顔、というよりはどう見ても怒っている。
    「ごめん、顔が近かったからつい…。次からは先に言うね」
    「そういう問題でも…てか早すぎないか?」
    「?」
    「付き合ってからキスするまでが!!」
    正直キス自体を嫌がられてたのかと思ったけど、大路くんは違うところが引っかかっているみたいだった。
    「キス自体は嫌じゃなかった?」
    大路くんの顔を覗き込むように言う。大路くんは困ったように眉を八の字にして目を逸らした。顔は赤いまんまだ。
    「嫌とか…君みたいな子にされて嫌がる奴がいると思うのか」
    もごもごと大路くんは呟く。正直意味がわからない。好きじゃなかったら普通に嫌がると思うんだけど。
    「『君みたいな』ってなに?」
    「君みたいな………綺麗な子のことだよ」
    大路くんが遠慮がちに見上げてくる。
    その後も大路くんは文句を言い募っていたけど私の耳にはあまり入ってこなかった。

    5

    平日は毎日のようにお家デートをした。大路くんの家にいつもお邪魔して、ほとんどゲームばかりやっていた。正直私はお話ししたりイチャイチャしたいんだけど、大路くんはゲームの方が好きみたいだった。私専用のセーブデータができた。
    学校では普通の友達のように過ごしている。大路くんは鳳さんと岡部さんとグループになって過ごしていて、私は入学初日に話しかけてきた長谷川さん達と過ごすことが多くなった。だからたまの休み時間に大路くんと話すのが生きがいになってきている。
    「なぁ、渡辺。この間のマネのことなんだけど」
    だというのに、たまにこうして邪魔が入る。
    「ごめん、今忙しいから後にしてもらっていい」
    そう言って大路くんに向き直る。大路くんは小声で「え、いいの?」とか言っている。
    話しかけてきた違うクラスの男子が去っていくのを、大路くんは興味深けに眺めている。
    「7組の倉本だよね。なんか大事な用だったんじゃないの?」
    「知らない。なんかサッカー部のマネージャーになってくれって前言われたからそれじゃない?しつこいのあいつ」
    というか、大路くんが他クラスの人を知っているの珍しい気がする。
    「え、意外だな。同中だったけどクールなイケメンってイメージだけど」
    「同じ中学だったんだ」
    「うん、女子にすげーモテてたよあいつ」
    倉本とかいう人のことはどうでもいいけど大路くんが興味を示すのが意外だった。
    「大路くんも好きだった?」
    「うぇ!?いやすごいイケメンだとは思うけど〜…そういうんじゃないかな。どっちかっていうと………」

    「ああいう風になりたい、かな」

    大路くんは遠い目をしてそう言った。

    6

    顔で得したことがないといえば嘘になるけど、損は現在進行形でしている。
    「好きなんだけど、もしよかったら付き合ってくれない?」

    この学校に入ってから4人目だった。たいして話したこともないのに告白してくる男。一目惚れとかを否定するわけじゃないけど、やっぱり軽薄に感じてしまう。

    倉本くんだった。大路くんのおかげで名前は覚えていたけどそこまで親密に話したことはない。クラスメイトでもないしほぼ他人だった。丁重にお断りをして、帰り支度をする。大路くんを待たせているのだ。
    「あの、もしかして好きな人とかいるの?」
    「います。なのですみません」
    「誰かとかって聞いても」
    「すみません、では」
    めちゃくちゃ食い下がってくる。「クールなイケメン」?どこがだ!大路くんって見る目がないと思う。こんな奴より大路くんの方がよっぽどかっこいいのに。

    私の顔は可愛い。親ばかりと接していた時は気づかなかったけど、病気が良くなって学校に通うようになってから気づいた。中学で女子校に入ると男の人だけじゃなくて女の子からも告白されるようになった。「同性には興味ないけど」って言いながら私に言い寄る人がたくさんいた。私を見つめていると好きになっちゃうんだって。
    その条件なら、毎日私と話して至近距離でゲームをしている大路くんはとっくに私のことを好きになっていないとおかしい。
    まだ足りないんだろうか?
    「お待たせ!」
    大路くんの顔を覗き込むように見る。私の顔がよく見えるように。じぃい、と目を凝らして見つめると、不思議そうな顔で大路くんが言う。
    「視力いくつ?」
    「2.0」
    「あ、目ぇいいんだ。羨ましい…じゃあなにかした、私」
    外向けの話し方で大路くんが喋って小首を傾げている。私の方が背が高いから少し上目遣いなのも相まって小動物を思わせる仕草だった。大路くん、可愛い!…じゃなくて私が魅了されてどうする。
    「大路くん、これ心理テスト。私の顔をよく見て」
    「?……見たけど」
    「一番最初にどこを見たかであなたの心理状態がわかる!」
    「目」
    「目か、目は、そうだなぁ…」
    誤魔化すために口からでまかせを言っただけなので困る。どうしよう。うーん、と唸っていると
    「…忘れちゃった?」
    楽しそうに大路くんが言う。悪戯っぽいその笑顔が昔の大路くんを彷彿とさせた。胸がきゅうとなって思わず手で抑える。好きになってもらう予定だったのに、私ばかり好きが募ってどうしようもない。

    今日も大路くんの家にお邪魔していた。大路くんがジュースを持ってくる間、手持ち無沙汰になって転がっているダンベルを持とうとした。おっもい。両手で数センチ持ち上げることができたけど、すぐに落としてしまう。
    「なんかすごい音したけど、あ、それか」
    「ごめん」
    「いや別にいいけど。怪我しなかった?」
    そう言いながら大路くんが片手でそれを持ち上げる。私から遠ざけようとしたのかそのままベッドの上に置いた。
    「大路くんって趣味筋トレだよね。自己紹介の時は言ってなかったけど」
    大路くんがピシリと固まる。最近気づいたけど、大路くんには触れてほしくない地雷みたいなものがあって、それを踏むとこうなる。つまり、筋トレが趣味なのには触れてほしくないってこと。私にはいまいちわからない。いい趣味だと思うけど。
    「大して力もないのに鍛えてること自体がアレっていうか、痛いだろ」
    「?」
    「俺なんかが鍛えてたってみっともないだろってこと!」
    大路くんは卑屈だ。最近になってからなのか、昔は隠していたのかわからないけど、やたらと人の目を気にする。
    「私は格好いいと思うよ」
    素直に言う。
    大路くんは不機嫌そうにどかっと私の横に座る。私はなおも言い募る。
    「そういう、トレーニングっていうの?続けられるのすごいと思うし。実際私は全然持てなかったけど大路くんはそのダンベル持てたし、、、私はそういう大路くんを」
    「おれのは男の真似事なの。こんなことしたって男みたいに慣れっこないのに、、、かっこわるいんだよ、とにかく」
    拗ねたように大路くんが唇を尖らせる。子供っぽいその仕草に胸の奥がきゅうとなった。かわいい。多分言ったらもっと不機嫌になるだろうから言わない。大路くん。私の王子様。筋トレ続けたらもっとかっこよくなっちゃうのかな。それは嫌だな、なんか。
    「大路くんが更にかっこよくなったら、他の子に取られちゃう」
    「はぁ?」
    大路くんの声には多分に呆れが含まれていた。
    「あのね、マリアだけだよ、そういうふうに思うの。多分あの時に刷り込まれちゃったんだなぁ、、、ごめん」
    「なんで謝るの?」
    「昔、俺ら普通じゃなかったろ。毎日王子とお姫様の真似事してさ。まだマリアは小さかったからさ、刷り込まれちゃったんだよ。勘違い。俺がかっこいいとか王子様とか、全部」
    「そんなことない!!、、、なんで大路くんまでそんなこと言うの」
    思ったより大きな声が出る。さっきまで苦虫を噛み潰したような顔してた大路くんが今度は目を大きく見開いてる。
    『あのね、マリア。大路さん家の子とのごっこ遊びはもうやめにしなさい』
    『マリアちゃんって夢みがちって言うか、、、それって洗脳に近いんじゃない?』
    親や友達に言われた言葉がフラッシュバックする。全部、嫌な言葉だ。なんで私の心をみんなが勝手に決めるの。
    「大路くんでも許さないよ、撤回してさっきの言葉」
    「、、、はぁ」
    大路くんの大きなため息にビクッと体が震える。
    「じゃあこう言えばいいのかな。迷惑なんだよ、昔のごっこ遊びを間に受けて付き纏われるの」

    どうやって家に帰ったか覚えてない。ただ、ママやパパが私の顔を見てすごく心配していた。心配する2人を振り切って自室に入る。ベッドに突っ伏すと、枕がじわじわと冷たくなってきて、ああ泣いてるのか私、と思った。
    大路くん。私の王子様。

    あの時、私は住宅街で迷ってしまった。似たような形の家が建ち並んで、ああママと一緒に出てくればよかったと後悔した。喉もカラカラだった。初夏だと言うのにもう陽はかんかん照りでじめっとした空気が体にまとわりついてたのを覚えている。気づいたら私はその場にへたり込んでいた。住宅街だっていうのに平日の微妙な時間だからか人の声も何も聞こえなくてしんとしていた。
    「おーい、大丈夫?」誰かが私のおでこに触った。顔を上げると、逆光になってみづらいけど、私と同じくらいの子供みたいだった。
    「歩ける?」
    私はフルフルと力なく頭を振った。
    「熱中症ってやつかな。ちょっと待っててな。これ飲んで」
    キャップを外されたペットボトルが渡される。夢中で吸い込むと、スポーツドリンクだったみたいでいつもより美味しく感じてごくごくと飲んだ。
    「汗臭いかもだけど、勘弁な」
    そう言って私の頭に何かが被さった。タオル?
    「大人呼んでくるから、ちょっとだけ待ってて」
    私はタオルをぎゅうと握りしめながら、子供が帰ってくるのを待った。その間に寝ちゃったみたいで目を覚ました時にはベッドの上だった。
    「あ、起きた。おかあさーん、この子起きたーー!」
    間も無く現れた女性が、私の家がどこかとか体調はどうとか尋ねてくる。もう少しで救急車を呼ぼうかと思った、と言われてびっくりした。そんなに重症だったの。
    「親御さんに連絡するね」そう言ってまた女性は部屋から出て行った。
    「もうすっかり元気そうだな、よかった」
    そう言ってベッドの横にいた子供がニコッと笑いかけてくる。不思議とどきりとした。キラキラとした目とやけに白い歯から私は目を離せなくなっていた。
    「あなたが、、、助けてくれたの?」
    「助けたって言うかお母さん呼んだだけだけどな、びっくりしたぜー、お姫様が倒れてるんだもん」
    「お姫様、、、?」
    「君のこと。すっげぇ絵本から飛び出してきたみたいじゃん。その服も髪も」
    でもその服は暑そうだから今日は勘弁だなー、そう言って何が楽しいのかニコニコ笑っている。私の服は胸元のボタンがはずされていて、脇には冷たい、、、多分保冷剤が挟まっていた。
    「そういえば名前なんてーの?てかここら辺で見たことないよな!引っ越してきたん?」
    「わたし、マリア。渡辺マリアっていいます。、、、うん。引っ越してきた」
    相手の勢いに押されながらしどろもどろに答える。
    「俺は大路!大路律子、、、名前は嫌いなんだけどなー女っぽくて。大路でも、律でもいいぜ」
    「女の子なんだ」
    「なに?男に見えた?」
    「いや、、、どっちだろうって迷ってた」
    「ふはっ、、、素直だなー」
    噴き出した大路くんはしばらく私をじーっと見てから呟くように「うん、綺麗だ」と言った。
    私は一度引いた熱が顔にもう一回集まってくるのを感じていた。

    むくりと起き上がる。いい夢を見ていた気がする。でも少し切ない感じもした。
    鏡を見ると目が真っ赤になって腫れぼったくなっていた。明日までこうだったらどうしよう。大路くんに気を遣わせちゃうかな、、、そこまで考えてそういえば付きまとうなと言われたことを思い出した。大路くんに嫌われてしまった。どうしようもなく胸がザワザワして不安な気持ちが押し寄せてくる。大路くん、今まで無理して付き合ってくれてたのかな。そういえば、高校生になってから私の横にいる大路くんはいつも苦々しそうな顔をしていた気がする。一回治ったはずの涙がまた眼に膜を貼り始めて、急いで腕で目を擦った。

    翌日、下駄箱でマリアと出会った。少し、、、いやかなり気まずい。マリアは俺に挨拶をせずに通り過ぎて自分の下駄箱へと向かった。横目で盗み見ると、少し目が赤いような気がした。いや、俺にはもう関係ない。すぐに視線を自分の上履きへと移す。もう少しで絆されて、昔みたいな間違いを犯すところだった。
    「大路さん」
    ずいっとマリアの手が突き出される。一瞬突き飛ばされるのかと思ったが、そんな衝撃はなく、マリアの手には手紙が握られていた。
    「あ、りっことマリアおはよー!」
    後ろからの声にビクッとして思わず手紙を受け取る。「おはよう」と返すとマリアはすぐに教室に向かって行った。
    「何それ。さっきからずっと持ってるけど。ラブレター?」
    教室に着くなり、鳳さんにそう言われる。多分に揶揄うような雰囲気が含まれている。ハッとして右手を見るとマリアからの手紙がわずかに皺がよった状態で握られていた。どんだけ動揺してるんだ俺は。「なんでもないよ」と言って乱暴に机に手紙を突っ込む。

    それを見つけたのは偶然だった。
    今日は掃除当番の日で、正直言うとバックれたかったが、前にサボったら女子が先生にチクったみたいで盛大にお小言を喰らったので大人しく教室を掃除することにした。机を運び終わって、いざ掃き掃除をしようとしたところで、ゴミにしては大きすぎるそれに気づいた。淡いピンク色の封筒。表にも裏にも何も書かれてない。誰かの机から滑り落ちたのだろうか。少し悪いなと思いつつ興味半分で封を開ける。
    女の子の字だ。しかも見覚えがある気がした。
    『大路くんへ』から始まるその手紙は熱烈なラブレターだった。少しの謝罪と、いかに自分が大路くんを愛しているか、大路くんがいかに魅力的かが綴られていた。呼んでるこっちが小っ恥ずかしくなるほどまっすぐな言葉だらけだった。大路くんなんてうちのクラスにいただろうか。男子に大路なんて奴がいた記憶がなくて黒板に貼ってある座席表を見ると、大路律子という女子がいるようだった。あまり関わりがない奴だった。完全に記憶の隅に追いやられていたそいつの顔が朧げに浮かぶ。
    それよりも俺の胸を高ならせたのは、最後の一文だった。
    『渡辺マリアより』
    俺を手ひどく振った女だった。顔だけはいいが、性格に難ありという感じで今では付き合えなかったことを幸運に思ってるほどだ。なるほど、女が好きだったから俺に靡かなかったのか。女子からも浮いた存在で孤立というよりは孤高という感じの女だ。まさに高嶺の花。

    そんな女を引き摺り下ろせる手段が手の内にあると思うと、不思議に高揚するのを感じた。

    誰もいない教室。登校にはだいぶ早い時間だった。朝練をしている陸上部の笛の音がかすかに聞こえる。昨日持ち帰るのを忘れたマリアからの手紙をじっくり読もうと思ったからだ。この時間帯ならば誰も来ないだろう。
    「あれ?、、、?」
    ない。マリアからもらった手紙が。
    確かにあの時机の中にしまったはず。そりゃ少し焦ってはいたけど、確かにしまったんだ。ゴソゴソと机の中を探るが見当たらない。教科書類を全部取り出して机の中を覗く。空っぽだった。教科書やノートをパラパラとめくるが、間にも挟まってはいなかった。
    自然、顔面から血の気が引く。
    誰かに中を見られでもしたら、マリアと俺の関係がバレたら。嫌な想像が頭の中に積み重なっていく。
    いや、善意ある人間が拾って落とし物として届けてくれているかもしれない。一縷の望みにかけ、俺は職員室へと向かった。

    朝、いつものように教室に入って自分の席に座る。鞄からひととおり荷物を机の中にしまい終わってひと心地ついた時だった。居心地が悪い気がする。周りを見ると誰もが私から目をサッと逸らす。チラチラと教室の前方を一様に見ていた。自然、私の視線もそちらに行く。いつもはまっさらな緑色であるはずの黒板に白いチョークで「注目→」と書かれている。その矢印の先にあるものは、、、

    あの便箋は。

    『この色って姫っぽいよなって。お母さんから貰ったけど俺手紙とか書かないからさ』
    思わず黒板に駆け寄り3枚ある便箋を黒板から剥がす。びりっという音がしたけど気にせず胸元に手紙を抱え込んだ。
    怖い。後ろを振り返れない。クラスメイトの反応を見るのが怖い。そしてなにより、そこにいるかもしれない大路くんがー…。

    「はーい、朗読始めまーす!」

    職員室には落とし物は届けられていなかった。朝見た感じ教室にもなかったから、下駄箱から教室までの道を丹念に調べる。結局見つからなくて、もう一度教室を調べようと思って扉を開ける。いつの間にかみんなが登校する時間になってたみたいで教室には半分ほどクラスメイトが集まっていた。ただ、雰囲気が妙だった。マリアが黒板の前に立っている。黒板の方を見て、固まっているみたいだった。そして教室中の誰もがマリアを見つめているみたいだった。

    「はーい、朗読始めまーす!」
    クラスメイトの佐藤くんが大きな声をあげる。いつも騒がしくしていてはっきり言って苦手なタイプだ。

    「『大路くんへ』」
    自分の名前が呼ばれてビクッと肩を跳ねさせる。佐藤くんは、スマートフォンに目を落としながらなおも続ける。これは、マリアの言葉だ。大路くんなんて俺を呼ぶのは彼女しかいない。
    『昨日はごめんなさい。大路くんに嫌な思いをさせちゃったね。もう付き纏ったりしません。無理に付き合わせたこともごめんなさい』
    ああ、俺のせいだ。俺が手紙を落としたから。これはマリアの手紙なんだろう。嫌な予感がしてクラスLINEを見ると佐藤くんが手紙の全文を撮影したものを貼り付けていた。
    そうだ、マリア。ハッとして黒板の前に立つマリアを見る。微動だにしない彼女は、それでもいつもはしゃんと伸びる背中を丸まらせて何かに耐えているようだった。近寄ろうと一歩進んだところで、後ろから組みつくように体を抑えられた。振り向くと佐藤くんといつもつるんでる男子がニヤニヤしながらこっちを見ていた。
    『私が大路くんのこと好きなこと勘違いだって君は言ったよね。それだけは誤解を解きたくて手紙を書きました。私は大路くんが好きです。ごっこ遊びのせいだって君はいうけど、そのごっこ遊びが私にとってどれだけ大事な思い出か君は知らないでしょう。毎日私の元に君がきてくれるのを、ベッドの中でどれだけ心待ちにしていたか君は知らないでしょう。辛い闘病生活の中で、弱音を吐きそうになるたびに、死んだほうがマシだと思うたびに、君に会いたくて生きようと何度思ったか、君は知らないでしょう。』
    マリア、と呼びかけようと思った。いや、声に出ていたかもしれない。だって彼女の肩が震えるのが見えたから。
    火事場の馬鹿力ってこういうことを言うのかもしれない。俺は男の足を踏んづけて、一瞬の力が緩んだ隙に腕を抜け出した。一刻も早くマリアの元に行きたかった。行くべきだと思った。クラス中の視線が俺に集まってるのがわかる。くそ。明日からどうなるかなんて知らない。俺のせいでマリアを苦しめてる。それだけで充分だった。クラスの真ん中を突っ切って一直線にマリアに向かう。ふら、と後ろに倒れそうになるマリアの体を抱き留める。

    マリアの顔は真っ青だった。ただでさえ色白でドールのような顔が完全に色を無くしている。呼吸もわずかに早い。俺は姫抱きをしようとして、わずかにふらつきそうになるのを感じておんぶに切り替える。「ほら、手はここだ」マリアの両手を肩口に持ってくる。

    「ごめ、、大路くん、、、」
    「謝んなくていいよ、しっかりつかまっててな」

    数人の男子が「ヒューヒュー」「熱烈ぅ」と声をあげていたが無視して俺は教室を出た。

    目を覚ますと保健室だった。いつの間にか寝てしまったらしい。確か教室で倒れて、それで、、、大路くんがおんぶをしてくれたような気がする。あまりにも私にとって都合がいいので夢かもしれない。夢の続きが見たい。目を瞑る。
    「あれ?まだ眠い?調子悪いのかー?」
    大路くんの声。一気に意識が覚醒して上半身をばっと起こす。私の足下にいた大路くんはびっくりしたようで目を点にしていた。
    「起きたみたいだし先生呼んでくるな」
    「ま、待って!」
    「まだパニック?なおさら先生呼んだ方が」「ち、違う。正気!」
    大路くんの顔が窺うように下から私を見上げてくる。かわいい。顔に熱が集まってくるのを感じる。いけない、これじゃまた誤解されちゃう。
    「覚えてるか?教室で倒れたの。パニックになって過呼吸起こしたんじゃないかって先生は言ってた、、、俺のせいだ」
    「大路くんのせいじゃないよ!」
    「まあマリアはそう言うよな、でも手紙を落としたのは俺だし、臆病になってマリアを突き放したのも俺なんだ」
    こうなったら大路くんは頑固だ。いくら大路くんのせいじゃないって言ったって聞かない。
    「おれはさ、恥ずかしいことだと思ってた。自分のこと王子様だと思い込んでさ、周りを振り回して、夢を諦めたふりしても憧れだけは捨てられなくてさ、、、筋トレとかしちゃって」
    「大路くん」
    「でも、昔の俺がマリアの救いになってたならよかったよ」
    「手紙、全部読んだ…?」
    「いや無くしちゃったし、ドタバタしてたから読む暇なかったな」
    「読んで」
    ここにある、とベッドサイドに置かれてた便箋を差し出す。大路くんはしばし固まってからそれを受け取って読み始めた。

    『今だって大路くんに救われてます。大路くんの声が、表情が、身振りが、全部好きです。大路くんと一緒の学校に通えるなんて夢みたいです。キス以上のことだって本当はしたいけど、大路くんが嫌だと思うならしません。
    大路くんが格好悪いという君の色々なコンプレックス、私にはとても愛おしいものに思えます。
    きっと運命なんだって思います。だってこんなに私に都合がいい人なんて他にいるわけがないから。』

    大路くんはそこまで読み上げて、顔を真っ赤にしてベッドに突っ伏した。表情は見えないけど耳まで真っ赤になっている。
    「大路くん、、、大丈夫」
    「大丈夫、じゃないけど少しわかる気がする。俺もマリアみたいに俺の理想のお姫様みたいな子がいるなんて都合が良すぎるって思う。昔は俺ラッキーって思ったんだけど」
    「今は?」
    「…確かに、こう言うのは運命っていうのかもしれないな」

    大路くんの手が私の手の上に重なる。大路くんの目はいつもよりも熱を帯びているようで漆黒がとろけるようだった。大路くんの顔が近づいてきて、思わず目を瞑る。

    ふに、と触れるだけのキス。それだけで胸がいっぱいになって目から自然と涙が溢れた。
    「なんで泣いてんの」それを大路くんが親指で拭う。
    「わかんな、、、嬉しくてっ」

    大路くんの右手に顔を擦り寄せるようにして「しあわせ、、、」と呟く。
    大路くんは顔を真っ赤に、でも少し満足げな顔をしていた。


     
     
    オタク女の自分語り!興味ある分野だけでも読んでもらえればうれしいです。・発達障害(ASD中心)・うつ病・指定難病 潰瘍性大腸炎・自分の思う萌え・日々の疑問・アニメ、漫画の感想

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