メインコンテンツへスキップ

うるさい沈黙

    今、僕の目の前に黒い死骸がある。
    それは、確かに僕の口から出た。
    僕の中にあるときには、やわらかく温かかったはずなのに。
    僕の口から出るやいなや、一気に体温をなくし重力に引っ張られ目の前のテーブルにビタンと貼り付き黒いシミの塊となった。
    それは、僕が言った「さみしかったよ」だった。

    遠距離になっていた彼女から、こっちに戻れることになったと電話があった日、電話口で僕は口籠った。
    彼女が戻ってくるのが嫌で口籠ったわけではない。
    むしろ、嬉しい。飛び上がる程ではないが、嬉しい。その気持ちを伝える過不足なくちょうどいい自然な言葉を探して頭の中をぐるぐるしているうちに妙な時間が空いてしまったのだ。
    ああ、変な間が空いてしまった。早く早く何か言わなくては。と思えば思うほど、どれも選べない。こんなに長く待たせているのだから、変なものは選べない。ちょうどいいピッタリしたもうそれしかないという言葉。と、その時。
    「うれしくない?」と彼女の声がした。
    僕の心臓はぎゅっとなった。でも、声が出ない。まだ頭の中から最適の言葉をつかまえられない。目が回りそうなほど、ぐるぐる回る頭とは裏腹に、沈黙が続く。
    「まあいいや。日曜に一旦帰るね。」とため息まじりの声とともに電話が切れた。

    小学三年生の時、クラスメイトの吉田くんが転校することになった。担任の先生が「最後に一人ずつメッセージを送りましょう。」と言った。
    僕の前の何人かが「吉田くんがいなくなるとさみしいです。次の学校でも頑張ってね!」と言った。
    僕もそれに倣って「吉田くんがいなくなるとさびしいです。次の学校でもがんばってね。」と言った。
    「ぶっ!!」と吹き出す声が聞こえた。
    「カタコトかよ~!」とお調子者の丸山が笑った。つられて笑うヤツや、不謹慎だと眉間にしわをよせる女子たちが見えた。
    前の子たちと同じように言ったつもりだったのに、僕の言葉は異様な棒読みになっていた。自分でもわかってる。それを遠慮なく笑う丸山の声は生き生きと教室の中を飛んでいた。

    日曜になり、彼女が駅に着くという時間に僕は待っていた。
    しばらくして改札の向こうに彼女の姿が見えた。彼女と目が合い、「あっ、」と中途半端に手を挙げた。いつもなら、笑って走ってきてくれる彼女が、今日はふっと目をそらし無表情のまま黙々と僕に近づいてきた。
    いつもは、「ただいま」とか「元気だった?」とか「今、新幹線でね」とか彼女が話してくれることに、「おかえり」とか「うん」とか「へ〜」と返していたから、無言で目の前に立たれて僕は面食らった。
    何か言わなくては、と息を吸い込んだとき、彼女はまた無言で歩き始めた。
    慌てて僕もその後を追いかけた。

    小学5年の夏に、新しいゲームソフトを買ったクラスメイトの家へみんなで遊びに行こうということになった。
    その“みんな”の中に僕も入っているのだろうか。と、思っていると丸山が僕の背中をバンッと叩いて「3時半集合な!」と言った。え、と思っているうちに、丸山はもう別の子のところへ行き「3時半集合な!」と言っている。
    3時半に丸山の家に集合なのか、どこか公園で待ち合わせるのか、ゲームソフトを持っている子の家に行けばいいのか分からない。一旦家に帰り、連絡網で丸山の家の番号を調べ電話をかけた。
    数回呼び出し音がなりガチャッと受話器を取る音がした。しかし、電話の向こうの相手は何も言わなかった。ただ、電話の向こうからテレビの音が小さく漏れ聞こえてくるばかりだった。
    僕は静かにパニックになった。
    丸山の家の人が「はい、丸山です。」と出たら、僕は名前を言い丸山にかわってもらう。それしか考えていなかったから、想定外のことにどうしたらいいか分からない。
    なんでなにも言わないんだろう?かけ間違えた?いや、それにしたってなにか言うだろう。いや、でも……と、静かな沈黙の中で僕の頭の中は大騒ぎしていた。
    そして、「丸山君のクラスメイトの〇〇ですけど……」と言えば良いんだと気づいた時には数分経ってしまっていた。
    もう今更名のれない。不審すぎる。
    これはもう。と、イタズラ電話犯に徹することにした。
    最初からそうでしたという雰囲気で、僕はその後も無言で受話器を持っていた。
    なかなか手強い丸山の家族と我慢比べのような時間が過ぎ、10分を過ぎたあたりで頃合いだろうと電話を切った。

    そういえば、あの後どうしたのか覚えていない。
    僕は無事にみんなと合流し、遊べたのだろうか。それとも、出かけることも諦め大人しく家で過ごしたのか。
    僕はいったいどうしたのだろう。
    黙々と進む彼女の後ろ姿を眺めながら、そんな事を思っていた。

    電話と言えば、社会人になり会社の電話を取ったとき、いきなり取引先の人間に怒鳴られ、僕は必死に謝った事がある。
    とにかく、相手の怒りが鎮まるよう僕は必死に申し訳なさそうに謝る人間に徹した。そうしてどうにか相手の怒りが収まり、電話を切ったとき、心配そうに眺めていた上司が「どこがなんだって?」と聞いてきた。
    僕は、電話中手元にあったメモを見て愕然とした。
    そこには、ただぐるぐると黒い渦があった。何度見ても何も出てこない黒光りした渦を見つめたまま「すみません…わかりません…」と答えた。
    え、と僕のメモを覗き込んだ上司が、得体の知れないものをみたような気持ち悪さと哀れみの混じったような目で僕を見た。「なんで……」と言ったまま、上司は次の言葉が出なかった。
    出なかったわけじゃないかもしれない。言ってはいけないと飲み込んだのかもしれない。「なんで……こんなことができないんだ?」と。

    僕は、五体満足で生まれてきて世の中の多くの人となんら変わらない見た目をしている。だけど、明らかに何かが欠落している。みんなができる当たり前ができない。それがバレると上司がしたような目をされる。
    ギョッ、という声が聞こえるようだ。
    それが怖くて、正体がバレないように必死に人のまねをしている。
    だけど、それすらもズレているらしい。
    結局、ギョッとした目が僕を見る。
    僕は地球に紛れ込んだ宇宙人なのかもしれない。

    「どうして相手の会社名も覚えてなかったの?」
    会社の飲み会で、隅っこにいた僕の隣にズカズカとやってきた彼女が開口一番こう言った。
    興味津々といった目で僕の顔を覗き込んできている。
    遠慮のない感じが丸山に似ている。嫌いなタイプだと思った。
    「……自分がちゃんと謝っているように見えているかが気になって……」と、ボソボソと答えた。
    一瞬間があって、彼女は爆笑した。
    「えー、そこぉ?」と笑っている。
    でも、本当にそうなのだ。
    人の話を聞くとき、カフェで本を読むとき、誰かと笑い合っているとき、いつも僕を斜め上から眺める僕がいる。
    指をピンと伸ばし、相手の目を見ながらそれらしく頷く僕、コーヒーカップに手をかけ、ほどよいタイミングでページをめくる僕、いかにもツボに入ったというように手を叩き笑う僕。
    それがとても自然にできていると感じたときには恍惚とした気持ちになる。
    しかしその実、話は一つも聞いていないし、もちろん本の内容も全く入ってきていない。
    ただ、その場に自然に馴染めたということが嬉しくて、夜寝る前に「あそこ、良かったな」などと何度も反芻したりする。

    彼女はその後も根掘り葉掘り僕の失敗談を聞いてきた。もう会社を辞めようかな、と投げやりな気持ちになっていたこともあり、僕もあれやこれやいつもよりも取り繕わずに話した気がする。
    あまりにも彼女が楽しそうにゲラゲラ(人の失敗を)笑っているので、周りの人間もなになに楽しそうだね、などと集まってきて「えー、そうだったの?」「なんだ、それぇ!」とひとしきり盛り上がった。
    不思議なことに僕が怖がっていた“あの目”で僕を見る人はいなかった。
    おそらく酒の力だろう。酒とは偉大なものだ。

    この日を境に、会社で僕は“ちょっと変な人”ということになった。
    僕がいつものように失敗をすれば、「またやってるね〜」と笑ってくれる。僕を恐ろしい目で見ていたあの上司は、電話が鳴るたび「会社名と用件!」と声をかけてくれるようになった。
    人は得体の知れない人は怖がるが、ちょっと変な人には割と優しいらしい。
    とても雑な括りに入れられ不服な気持ちもあるが、ずいぶんと生きやすくなったような気もした。

    そんなことがきっかけで、僕は彼女とよく話すようになった。主には彼女が「新ネタある〜?」などと、話しかけてくるのだが。誘われるがままに食事に行き、映画に行き、街をぶらぶらするというようなことをしているうちに、週末は彼女といるのが当たり前のようになっていた。
    彼女が突然、地方へ転勤になるまでは。

    黙々と歩いていた彼女が、ふとうどん屋の前で立ち止まり入っていった。
    それは彼女がこっちへいた頃、二人でよく行ったうどん屋だった。
    「何食べたい?」と聞かれると僕の頭には「うどん」しか出てこない。一度、彼女に「うどん以外」と言われ、じゃあ彼女の食べたいものはなんだろうと考え始めた結果、例の思考の迷宮に陥り何分も黙りこくってしまったことがある。彼女はそれ以来うどん以外が食べたいときには自分から言うようになった。
    いつだって彼女は僕を責めたりせず、助け舟を出してくれた。その彼女が今回はとても怒っている。それでも、このうどん屋に入っていくことにうれしいような泣きたいような気がしてきた。
    もうなんでもいい。何か言おう。そして、いつも通りの彼女に戻ってもらいたい。そう思った。
    うどん屋に入り、店の中央にある4人がけのテーブルに彼女が座った。僕は彼女の向かい側に座った。
    昼にはまだ早い時間だったせいか、僕ら以外には一人のおじさんが新聞を片手に首の痛くなりそうな高さにあるテレビを眺めているだけだった。
    とにかくもうなんでもいいから彼女に僕の気持ちを言おうと意気込んでいた僕は、席に着き彼女と向かい合うやいなや勢いよく声を発した。
    しかし、僕から出た言葉はあっという間に言葉ではなくなった。
    ビタンとテーブルに叩きつけられて潰れるそれの音がはっきりと聞こえた。
    子供が走っていて思いっきり転んだ時のような痛々しい音がした。
    思わず音がした方に目をやると、そこには黒い塊が潰れてぴったりとくっついていた。
    「お冷やです」
    うどん屋の女将さんが僕らの前に水を置いた。
    「ご注文決まりましたら呼んでください。」
    と至って普通の様子である。
    あの大きな音は聞こえなかったのだろうか。そういえば、水もあの黒い塊のすぐ側に平然と置かれている。
    「海老天そばで」
    とすぐに彼女の声がした。
    「海老天そば、温かいの?冷たいの?」
    「温かいので」
    と、普通の会話が進む。
    僕がポカンとしていると、「そちらは?」という顔をした女将さんと目が合った。
    慌てて
    「あ、え、あ、きつねうどんで。」
    と答える。
    「きつねうどんね」とメモを取りながら女将さんは奥へと消えて行った。
    チラッと彼女を伺うと、上着を脱ぎ首の痛くなるテレビを見上げている。
    僕もテレビを見上げながら、黒い塊の端を指でカリカリとかいてみた。
    びくともしない。というか、もう境目も分からないほどペタンコにぴったりと張り付いている。
    可哀想に。僕の口から出なければ、こんな姿にならずに済んだのに。
    僕が焦って投げやりに口にしたばっかりに無惨な死骸にしてしまった。
    僕はカリカリと引っ掻くのをやめ、代わりに指の先で慰めるように撫でた。
    テレビからは楽しそうな声がする。おじさんが新聞をめくる音、厨房の奥からはカチャカチャと食器のなる音もする。とても穏やかな日常だ。
    彼女と僕は黙ってテレビを観ている人に徹している。
    いつかの我慢比べのようだ。
    ここに丸山がいれば、この黒い死骸を笑ってくれるかも知れない。

    ふと、これが最後になるような気がした。
    僕にはもう次の言葉を発する勇気はない。無残な死骸になってしまうくらいなら僕の中にいたほうがいい。
    この店を出て、彼女が無言で歩き出しても、もう後は追いかけないでおこう。
    そうして、さよならも言わないままに終わるんだと思った。

    うつむく僕の目の前に、ダンッとうどんが置かれた。
    「はい、きつねうどん」
    そう言って、女将さんが置いたうどんはちょうどあの黒い塊の上だった。
    ああ、トドメのようだ。
    「はい、お待たせしました。温かい海老天そばね」
    そう言って、彼女の前にもどんぶりが置かれた。
    少し引き寄せ、箸を取り、ふうふうと息を吹きかける音がした。
    今度は彼女と二人食べる人にならねばと、僕もどんぶりに手をかける。だが、あの黒い塊を押しつぶしたまま食べるのは忍びなく少しずらすことにした。
    恐る恐るどんぶりをずらすと、あの黒い塊が少しぷっくらとし、色も薄く液体のようになっていた。
    どうやら、僕がモタモタとしているうちにうどんの熱で温められたらしい。
    その姿を見た途端、喉の奥がぎゅっとなり鼻の奥がツンとし視界はみるみる涙でぼやけた。
    僕はどんぶりから手を離し、両手でそっとすくうように持ってみた。
    それは、生たまごのようでとても持ち上げられなかった。それでも、なんとか卓上を這うように彼女の前まで持っていき、彼女の目を見た。
    そして、もう一度「さみしかったよ」と言った。
    しかし、それはちゃんと声になっていたか分からない。口を開くと同時に涙がこぼれ後半はちゃんとしゃべれていなかった気がする。
    それでも、今度は重力に押しつぶされることも黒い塊になることもなくとろとろと指の間から漏れ落ちながらもそのままの姿でいてくれた。
    「うそつき」
    と、彼女の笑う声がした。
    「う、うう、、、」と情けなくも嗚咽が漏れる。
    そう、そうなんだ。ごめん、うそです。
    ホントはそんなに言うほどさみしくはなかった。週1電話して、月1会う。あとは、毎日ラインしてるこのくらいが心地よくもあったんです。薄情な人間でごめんなさい。でも、君がいないとさみしいんです。笑ってくれるとうれしいんです。僕にとって君は、ありがたくてめいわくで愛おしくてめんどくさい優しくて的外れで何もわかってないくせにわかってくれて雑で丁寧でうるさくて陽気で憧れるけどなりたくはない、そんなまだ言い足りないけど、概ねそんな人なんです。
    どうかこの先もつかず離れず僕の近くにいてください。ああ、僕のこのうるさいくらいの頭の中を全部君に見せられたらいいのに。
    こんな僕の願いは叶うはずもなく、ただ漏れ出てくるのは「あう、、ああ」なんて情けない声ばかり。
    でも、不思議とその声はシャボン玉のようにぷかぷかと君のもとまで飛んでいくのだった。

                     完

     
     
     

    文具

     
     
    大したことは書きません。 読んで笑って寝て起きたら忘れてください。 家族に内緒でやってます。 日曜消えがちです。

    あなたへのおすすめ