
無道無乃⑩
金露を宿す(三)
新月の夜、羅冴流は灯りをぶらさげ、静かな古い竹林をその先の鬱蒼とした墓地へ向かって歩いている。
まっ白な光りが射し込んだような道は山里へひたと続き、星空のもとへのぼるよう。
無乃は、笹や土の冷たい感触を足の裏に感じながら、心地の良い夜風にふぅと嘆息を零していた。羅冴流が差し出す提灯の柄に軽く指を引っかけ、真っ暗な道をふらふらといく。
「私を、待っていたのか?」
「どうして、君を待たなくちゃならない?」
すました羅冴流の顔が真っ直ぐ前を見据えてこたえた。
無乃はちらりとそれを見て呆れる。まさか、誤魔化すつもりだろうか。あの店は綾風渚の入り口にあって、人を待つにはうってつけだ。
「青菊を知っているかと聞いたら、給仕が君のところに案内したよ。青菊が有名な少女でなければ、私以外にその名前を口にする人はいないだろうね」
羅冴流は和やかな顔のままこたえない。月のない夜道に闇はまとわりつき、提灯の灯火のゆらぎに竹の影は不気味に動きまわった。二人の影がゆったりと茂みの前を通り過ぎていく。
なぜなにも答えない? 無乃は少しじれったくなった。
「待っていたんだろ?」
凜々しい眉をやわらかく押し下げて羅冴流は微笑んだ。ざわざわと風が草木の上を渡っていく。その風の音が止むのを待って羅冴流は囁いた。
「青菊だよ」
えっ、と無乃はおもいがけず喜び、その後に続く言葉をまたずに羅冴流にずいと近づく。
「私の代わりに、まさか見つけてくれたのか」
「墓がある」
「墓だって?」
急転直下。悩ましく額をおさえて天を仰いだ。墓と言うことは、青菊はすでになくなってしまったということだろうか。
「……今からその墓に、向かうつもりでは、ないよね?」
「怖いのか?」
羅冴流は相変わらず柔らかな物腰だった。「そういうわけではないよ」と無乃は呆れながら、首筋をなめていく冷たい風にぞわりと肌が粟立つ。
「この辺りには虎が出ると聞くし、それに、なにも日が落ちてからでなくたって……」
無乃はすっかり暮れてしまった道を振り返って気がかりに呟いた。手短に粥を食べて宿を出たのは昼前だったはずなのだが。
本当は行って帰ってきて二時の距離。羅冴流は最初こそ冗談だろと言いたげな顔をして無乃ののんびりとした足取りに絶望したのだが、農家に頼って牛の値切りに挑み、ついに借りられたそれは無乃よりもさらに歩みが遅かった。これでは歩いた方が早いと早々に返してしまい、羅冴流も急ぐ旅ではないと改めて無乃の隣でのんびり歩いた。
今では思いもよらない長旅を満喫しているらしい。
「前、気をつけろよ、頭を打つぞ」
「え?」
悠長な羅冴流の言葉に目を瞬いたその瞬間、ゴツッ、と無乃は強かに額を打ち付けた。
「痛……ッ、な、なにが……」
あまりの痛みに額を覆って蹲る。細長くて硬いなにかのようだ。竹でも倒れてきたのだろうか?
羅冴流が打った頭を優しく押さえて瘤の有無をしっかり確認した。
「赤くなっているだけで、綺麗なものだよ」
円をえがくように撫でる手つきにようやく痛みが引き、その耳にはかわりに、遠くの方から蚊のなくようなかすかな声が聞こえるようだ。
「う、無乃さまで、ありましょうか……?」
頭を打ったから、変な声が聞こえてくるのだろうか。無乃は首をめぐらせた。真っ暗な夜道であたりには誰もいない。
空耳か? 気のせいだと思って歩きだそうとして、再び同じような声が聞こえてくる。
「こ、ここです……」
まるで亡霊のようだと無乃は苦く笑った。
「どこにいる? 私には姿がみえないが……、君は生きているのかな?」
様子を見守っていた羅冴流が闇の中に腕を伸ばし、それを力いっぱい引き寄せた。
「わ、わわ……、」
提灯の前にか細い声の主が引っ張り出される。
困り顔の少年だ。
彼が持っていた柄杓の先が無乃の額を打ったらしい。しかもどうやらそれを棒きれや竹の切れ端で元の長さよりも何倍に伸ばして前に突っぱねて歩いてきたようだ。当の本人は一丈ほど後ろで身体を小さくさせて怯えているのだから、どうりで姿が見えないはず。
無乃はもじもじと落ち着きなく身体をさする少年に微笑んだ。
「何か、用でもあるのかな」
少年は一瞬びくりと首をすくめたが、柄杓の先を無乃に向けた。
「……な、中に、依頼状が……」
覗き込むと、確かに手紙が入っている。風で飛んでいかないようにわざわざ石までおいてある。
「悪逆無道だとよく耳にするので、万が一があればすぐに逃げられるようにと……私は、その、寧家のものです……。無乃さまが町にいらっしゃると聞いた旦那様が、是非診てほしいと……」
無乃は息を吐き、困ったように眉をよせた。取って食ったりしない。それなのに少年の怯えかたといったらまるで猛獣を前にしたときのようだ。
「診るだけなら構わないけれど、私には何も治せないよ」
すると少年が食いかかるように顔を上げ声の限り叫んだ。
「ご謙遜を! 女に恋した姫君を男に蘇らせたと聞きましたよ!」
「誰がそんなことを……?」
おそらく青菊のことだと思うのだが、無乃はやれやれと派手な噂に思い悩む。あれは元々が男だっただけで、無乃が性別を変えたわけではない。
「ふっ……」
と思わず吐息を漏らす羅冴流が口元をおさえて笑った。
「羅冴流、」
笑うなと目色でとがめ、無乃はますます困る。寧家の主人を女にしろとこの少年が言いだすのではないだろうかとひやひやしたのだ。
「とにかく、私の主人、太丁さまを診ていただきたいのです」
そういって羅冴流から提灯をひったくり、少年は意気揚々と歩き始めた。