
無道無乃⑨
金露を宿す(二)
衣服を受け取った羅冴流は一瞬微笑んだものの、流れるように無乃の肩を押さえ、「じっとして、」と小さな顎をつかんだ。青い紗が風にゆれ、淡い光りが射し込む寝台。
「ほくろのある方、やはり、少し目の色が薄い」
そっと目の下を撫でる親指が、下まぶたを軽く掠めていく。
無乃は瞼を伏せつつ、困ったように笑った。
「ああ、そっちの目だね。視力があまりよくない。ほとんど見えていないよ」
「生まれつきか?」
「十年前に。棍棒があたってしまって、それきり視力が落ちてしまった」
羅冴流は目元のほくろに触れて複雑な顔をした。
「君が、危なっかしくふらふら歩いていたのは、そういうわけか」
「慣れてしまえば、それほど気にならない。狭い通路だと少し距離感が掴めにくいから、舟はどうしても苦手なんだよね」
それだというのに道には迷うし、雇った羊群は盗賊団で無乃よりも道を知らず、二人して方向音痴なのだから困ったもの。
「それなら……」とにっこり、羅冴流が柔らかな陽ざしの下で微笑んでいった。
「俺を拾ってよ。君の首に痣を残してしまった罪悪感がある。俺が君の目になってあげるから」
無乃は乾いた笑みを浮かべつつ、どっと汗が噴き出した。この剣客はなにやら晩景門の主座である無乃を、探っているらしいのだ。正体を暴かれるのは少し困る。それにこの爽やかな顔立ちをした大きい男を連れて歩くには目立ちすぎてしまうから、嫌だな。
口角をきゅっとあげながら羅冴流の企み顔を隙なく見おろす。
「拾うって、誰を?」
「雇い主に捨てられてしまった、かわいそうな剣客なんだ」
日に焼けた肌に屈託のない笑顔を浮かべて、どういうつもりだろうか。冗談だろうと無乃は取り合わなかった。
「みたところ、君は腕の立つ剣客だろう。私は無一文で、君を雇える金がない。護衛を雇うつもりもないよ。それに君は、危ないからね」
「危ない?」
足元に座りこむ羅冴流が楽しげな笑みを浮かべている。このさい、言ってやろうと無乃は袖をまくり上げた。
「我氷津が主なら、どうして主人を呼び捨てにする?」
「なら、俺の主は我氷津ではないということになるな」
無乃は頷く。
「そうだろうね。船に荷華幇の旗があった。護衛船はうちのものだといっていたが、君は荷華幇の幇主の命令で我氷津の護衛をしていたんだ。違うかい。君が一緒にいた我氷津も、もしかしたら本物ではないのかも」
もし舟にいた我氷津が別人なら、青菊の病に興味がなかったのも納得できる。
それに、あの偽の青菊……面倒だから赤桃と呼ぼう。いくら青菊と顔が似ているからといって体つきまでは誤魔化せない。病を理由に人を遠ざけていたが、医者まで邪険にするのはやりすぎだ。それを、少しは腕の立つ剣客の羅冴流が気づかないわけがない。
すると羅冴流が無乃の手を胸の傍まで引き寄せた。
思いがけずよろめいて、無乃は怜悧そうな羅冴流の顔を間近に見つめることになる。その気恥ずかしさを誤魔化すようにゆったりと微笑んだ。
「また、尋問をするつもりかな? この状況じゃ、布一枚身につけていない君の方が不利だと思うけど」
無乃はそんな風に冗談を言う。すると羅冴流は自分の指からなにかを抜き取って、ほっそりとした無乃の親指にそれを押し込んだ。
まずいまずい、それほど近くに迫られたらほくろの秘密がばれてしまう。と、逃げ腰の無乃の耳元で、「君も脱いでくれるなら、それもいい」と揶揄うように囁いた。
「縁がなければ、逢っても他人だ。けれど縁の糸は千里を繋ぎ、君と俺は、縁あって結ばれたらしい」
耳朶に熱い息をかけながら、羅冴流は離れていく。
「何かあれば、その指輪が君を守る。当分は無給で勘弁してやってもいい。俺を雇わないと、損するかもね」
無乃はどうしたものかと指輪を眺める。はめ込まれた真珠をなでさすりながら、それならいっそこれを売って羅冴流の報酬にあてようかとも考えていた。
それを見抜いたように、鋭い羅冴流の声が飛ぶ。
「手放したら君を永遠に恨む。死んでも魂が尽きるまで君を追いかけ続けるから」
無乃は「だめかな?」と口を滑らせかけて慌てて閉ざす。衝立障子の後ろへ消えていく羅冴流の、何か言いたげな顔つきに冷や汗を浮かべ、物憂げな笑みをさらりとはりつける。
「……しないよ、そんなこと」
絶世の微笑をなんてことなしに披露して無乃は誤魔化すのだった。