
無道無乃⑫
金露を宿す(五)
風に吹きちぎれた竹の葉がためらいがちに降る下で、無乃は地面に膝をつき、じっと足元を見つめている。うろうろと指を迷わせ、ほくろの辺りに指を押さえて考え事をしていた。
奇怪な猿の声が飛び交う湿った泥の道は墓地へつづく一本道のはず。それなのに、この道をどうやら大勢の人が通ったようだ。大小様々に入り乱れる靴跡に無乃は首をかしげた。
その道脇の笹に飛び跳ねた泥はまだ乾ききっていない。彼らはついさっきまでここを歩いていたようだ。墓地にしか続かない道を、夜にしかも大勢でわざわざ来るなんて盗掘以外にないではないか。
鉢合わせしなければ良いなと無乃はしばらくして立ち上がり、手の汚れを払って後ろに回し、ゆっくりと歩き始めた。どこか鷹揚に構える羅冴流をちらりとみる。
「そういえば、君は随分、この場所について詳しいらしい」
真っ直ぐに無乃を見つめて羅冴流は頭を捻った。
「どうして?」
綾風渚に着いたのは無乃より少し早いくらいのはず。そんな彼がたった数時間で青菊について調べあげたことが無乃にはとても信じられなかった。
「我氷津の依頼というわけでもなさそうだ。それなのになぜ、君は青菊を探しているのかな?」
その疑問をあっさりと解決してくれる羅冴流が少しの恥じらいもなくいってのける。
「主人を助けるのが、忠実な犬の役目だからだよ、無乃」
日に焼けた大きな身体を気持ちよさそうにのばして、羅冴流は腰に帯びた剣を自慢げに軽く弾いた。彼はやはり、雇われるつもりなのだと無乃は心の中で苦い顔をした。
「主人? さて、誰のことかな」
「指輪を受け取っておいて、ほかに誰がいる」
受け取ってはいない。勝手におしつけられただけだ。
さりげなく指輪をいじっていた無乃は咄嗟に手を離す。やはり捨ててしまおうかとも思うのだが、羅冴流に責められた朝の言葉がそれをためらわせた。
死者に追いかけ回されるのは、ご免かな。
苦々しい思いとは裏腹に無乃はやわらかく微笑を浮かべる。
「青菊の墓のことは誰から聞いたんだ?」
会話を強引に戻すと、羅冴流は落ち着き払った声でいった。
「あの少年だよ。最近亡くなったひとはいないかとたずねたら、青菊という少女が亡くなったと言うんで、墓の場所もついでに教えてもらった」
「へえ、あの少年が……」
――ということは、
無乃が来るより先に羅冴流は小来と知り合っていたということになる。ぐるぐるとこめかみをもみほぐしていた無乃の手を、羅冴流が自然と引いていく。驚く無乃に、羅冴流が優しく夜道だからと微笑んだ。無乃はそれでも不思議に羅冴流を見上げていた。
「もしかして、小来に私のことを話したのは、君か?」
ゆったりとした足取りで考え込む無乃に、羅冴流はにこにこと笑って頷く。
「墓の場所を教えてもらう代わりに、君のことを伝えた」
無乃はやはり君なのかと肩を落とした。
なんてことだ。
忠実な従者が面倒事を運んでくるなんていけないことだ。これは今からしっかり教えておかなくてはならないな。そんなふうに吐いた息に憂いを残し、無乃はいいかい、と羅冴流の足を引きとめて「そこに直って」、と指をさす。
「……青菊のためだ、今回は目を瞑るよ。けれど私は医者ではない。ただの貧しい遊客で、病を治すことは私にはできないのだから」
それを意外そうに羅冴流が横目で見ていた。
「だが君は、晩景門の主座だ」
無乃はくたりと笑った。
「悪逆無道のね」
「奇秀を、殺した――」
握る羅冴流の手に力がこもる。食い込む指先の痛みに無乃はほんのり眉目を歪め、「羅冴流……」と呼びかけようとして、夜闇の中に据えられた彼の視線に鳥肌がたった。
奇秀――
十五年前、たった一人生き残った前王朝の皇子の名前。
羅冴流が彼の名前を出したのは、無乃の反応を試すため? 痛みにうずき始める目元をおさえて、無乃は困惑した。
どうして彼が、奇秀の名前を。
隣にいながらも、無乃の視力の悪い目では彼の顔色を盗み見ることもかなわない。やんわりと口元をやわらげ、そっとその手を握り返した。
「大事な、人だったんだね……」
羅冴流はハッとした様子で無乃をみつめると、握り返された手にやはり勢いよく手を離した。強い拒絶反応に無乃は忘れていたよ、嫌いだったねと微笑をもらす。
羅冴流はにっこりとした目の下に訝しげな瞳を隠してしまった。
「さっきの、妾の話についてどう思う? 青菊だとおもうか?」
無乃も同じようににっこりと微笑んだ。
「違うだろうね。青菊とその妾が消えたのは一週間前で一致はしているけれど、青菊をわざわざ妾に偽装させてその日のうちに失踪させる必要がないよ。船からいなくなったままにしておけばいいのだから。二人は別人だろう。それに小来の浮かれっぷりをみれば、侍女との手紙にも不穏なことは書かれてなそうだ。妾は本当に、ただ故郷に帰っただけだと思うよ」
応えながら、無乃はずっと知りたがっていた疑問をようやく口にする機会に恵まれた。
「それより、君、船にいた青菊が実は成り代わっていてしかも男だと、本当は知っていたんじゃないのか? どうして放っておいた?」
「俺の職務は、女装男を見破ることじゃない」
羅冴流はさらりといった。
「それより、青菊の墓が見えてきた」
無乃の視線を誘導するように羅冴流は指をさす。暗い木々の影から見えてくる墓は、何人もの足跡で乱れていた。
ほり返されているのは、羅冴流がしめしている青菊の墓だ。慌ててよろよろと駆け寄って、木の香りがまだたちのぼりそうなほど真新しい木棺と、そして露わになった副葬品の数々を目にした。
「棺の中は、空っぽだ」
羅冴流が残念そうにいう。
「……なるほど。あの水死体が青菊である可能性が、高まってしまったね」
すると羅冴流が聞き捨てならないというように無乃の顔を覗き込んだ。
「盗まれたと、どうして思わない? この足跡をみたら普通盗まれたと思うだろ」
無乃は指をさされてちょっとその足跡を掠め見たが、息を吐いて頭をふった。
「一つ、確認しておきたいのだけれど、まさか、君が墓を暴いたわけではないだろうね?」
あ、と羅冴流が苦い顔をする。肩をすくめて隆々とした肩を動かした。
「……確りお祈りをして、許しももらった。あそこ、酒と肉が供えてあるだろ。それより、俺の悪事ではなくて君のことだが」
顎をしゃくる羅冴流の視線の先には確かに新鮮な肉と酒が供えられてはいるが、しかし、墓を暴くなんて大胆な……
この足跡は荷華幇の一派でもつれてきたのだろうか。
頭を抱える無乃は苦い笑みを浮かべて見せた。
「副葬品をそのままにして、遺体だけ盗む盗賊なんていないよ。仮に青菊が王族や貴族ならまだわかるけれど。ただの巨船の姪だ。どうして青菊の墓を掘り返した?」
羅冴流はとっくに墓への興味を失っていた。
「本当に青菊の墓か確認しなければ、君は青菊の遺体を持って帰る羽目になる。我氷津のことだ。多額の金を請求するだろう」
「私のために墓を暴いたと? どうしてそこまで」
「報酬は後で確りもらうつもりだから、心配せず俺を顎で使うといい」
無乃は眩しいほどの笑みを浮かべる羅冴流に参ったなと眉を寄せた。皮膚を剥いで内臓を売るつもりではないだろうか。それにしても、それなら墓の遺体はどこへ消えてしまったのか。白々と明るみはじめる空のきわみに無乃はどっと押し寄せてくる眠気をこらえて、穏やかに微笑んだ。
「夜が明けてくる。小来のところへ戻ろう」
さて、寧家の若い主人が待っている。