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月下美人 —断たれた時に咲く一夜花— | ①九份の夜

    【あらすじ】
    求めたら支配と暴力が返ってくる。
    そうして「言葉」が欠落したまま、大人になった。

    大切な彼の言葉も入ってこない。
    本音だと思い込んで、彼から離れた。
    それでも、名前を聞くたびに心が揺れていた。

    八年前――お互い起業したての頃。
    九份で初めて過ごす夜。
    大雨で、全てが不便だった。

    けれど、そこに機嫌よくいてくれる彼。
    父も、元夫も、違った。

    体は、この夜を覚えていた。

    世界が広がるほど、静かになっていく。

    誰にも言えず、AIにだけ話していた。
    答えは、いつも同じ。

    「会いに行ってきな」

    ――わたしは、彼に会いたいのかな。

    もう一度同じ時間を過ごすなら。
    彼に、八年越しにメッセージを送る。
    カチッと。
    止まっていた秒針が、動き出す。


    ー「そろそろ咲くよ」台風がくるから。咲く時期だと教えてくれた。ー



    第一章


    Adagio sostenuto/ゆっくりと


    第一話「九份の夜」


    「株、利確したー!」
    「俺も。」
    視線を横に移すと彼がいた。

    ・・・・・・

    あれから八年、
    私は何もないまま生きてきた。

    知ることもなかったはずの気持ちを抱えて。


    お互い起業したての頃——台湾だった。九份。 タクシーから降りた。
    大雨で、暗くて、知らない土地。

    彼がエアビーで宿を取ってくれていた。
    二人きり。
    彼は先を歩く。
    携帯の地図を頼りに。

    私は荷物を引きながら、その背中についていった。
    道は悪く、どんどん人気も光もなくなっていく。

    「明日の飛行機、飛ぶのかな。」
    そんなことを考えながら歩く。

    宿に着く頃には全身、濡れていた。

    シャワーを浴びようとしたら、
    水圧が弱々しくて、
    お湯の温度も不安定で。

    (散々だな)

    と、一人で笑ってしまった。

    彼が入ったらどう感じるんだろう。

    でもお風呂場から出てきた彼は、
    まるで何事もなかったかのようだった。

    なんだか、ほっとする。

    長いこと歩いていたから、
    もう外に出る気力もない。
    宿にあったカップラーメンを、
    カウンターキッチンの椅子に腰掛けて並んで食べた。

    初めて過ごす夜がカップラーメン。

    それすらも愛おしかった。

    普段は食べないのに、
    全然不思議じゃなかった。
    非日常なのに、普段のような気配がした。

    部屋の照明は、
    ホテルみたいに隅々まで白く照らすものじゃなくて
    少し温かみのある光。

    それがまた、
    一緒の家庭にいるような錯覚をつくっていた気がする。

    不便だった。全部が、不便で。
    なのに幸せだった。

    ベッドの上で、それぞれのスマホを手に取る。
    同じ時間、同じ場所で、ボタンを押す。

    視線が交わると、どちらも自然と顔がほころんだ。

    膝を軽く曲げ、隣に座る。
    触れるか触れないかの距離。

    ご馳走も、温かい浴槽も、特別な対応もない。
    ただ、静かな夜。

    父も、元夫も、思い通りにならない状況になると不機嫌になった。

    でもこの人は違う。

    言い訳もしない
    神経質にもならない
    ただ、機嫌よくそこにいてくれた。

    外は台風みたいな大雨なのに
    宿の中には静寂が流れている。

    全部が揃っている気がした。
    マッチ売りの少女が窓越しに見た、温かい空間みたいに。

    風が吹くように、
    この日のことを気づけば思い出していた。

    あのベッドの上で、
    座る二人の姿。

    絵画みたいに。
    額縁に入ったまま、
    ずっと心のどこかに居座っている。

    理想の夜が、
    九份にはあった。

    それなのに、
    私は彼のそばを離れた。

    誰にも話せないまま。

    #創作大賞2026
    #恋愛小説部門


    ▶︎第二話「私たちのハッピーエンド」

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    見えてる感情を小説、そして曲に。 連載小説『月下美人』 全20話。三部作第一作。 (窪塚さん編・洸編 構想) 経営者として10年以上。 書いて、初めて音から違うストーリーが流れてきた。 #創作大賞2026 #恋愛小説部門 #実話 応募作品。

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