
【文脈開発エピローグ】「広報にスペシャリストなんていないでしょ」と言われた日の、その後
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
連載は#12で完結しました。最後に、少しだけ個人的な話を書かせてください。
15年間、同じものを追い続けてきた
振り返ると、私は15年間、広報という仕事の可能性を追い続けてきました。
最初は違和感でした。次に仮説になり、行動になり、実験になった。
そしてその15年間を振り返ったとき、一つの問いにたどり着きました。
「広報は、本当に事業に資するのか。」
東京スカイツリーの広報として働き始めた23歳のころから、その違和感は始まっていました。広報は重要と言われながら、事業が決まったあとに降りてくる。上流にいられない。広報はスピーカーであって、設計者ではなかった。
次の会社で広報の限界を見て、本に逃げながら確信を深めた。その次の現場では自ら広報の居場所をつくり、やがて、その仮説を確かめるために会社を立ち上げた。
会社が広報を必要としないなら、自分で作ればいい
同僚と株式会社アノニギワヰを立ち上げたのは、その実験でした。
広報発想を起点に事業を作れるのか。広報は、本当に事業に資するのか。
会社が広報を必要としていないなら、自分で広報の役割を作ればいい。それだけではなく、広報を事業の起点に置く会社を、自分で作ればいい。
考えるより先に、行動していました。
文脈が、人生を変えた
その後、縁あって日本財団の事業に携わることになりました。
「海のごちそうプロジェクト」という事業で、高校生たちが自ら商品を手配し、マルシェで販売するという半年間のプロジェクトです。私はその企画・運営・広報を担当していました。
子供たちは最初、海に対してそれほど特別な感情を持っていたわけではありません。でも半年のあいだに、何かが変わっていきました。売りたいという気持ちが生まれ、伝えたいという意欲が出てきて、他校の生徒に負けたくないという競争心が芽生えた。
そしてイベントが終わったあと、ある生徒は休みを使って函館まで職業体験に行った。別の生徒は、社会課題を伝える仕事がしたいと言い始めた。
プロジェクトが終わってしばらくしたころ、学校の先生から連絡が来ました。卒業を前にした生徒が、ジャーナリストを目指すことにした。志望理由は、あのプロジェクトで社会課題に触れたことだ。大学への推薦文を、担当だった豊島さんに書いてほしいと言っている、と。
3者で面談をして、私は推薦文を書きました。後日、合格したとメッセージをもらいました。
ある文脈の中に置かれることで、一人の人間の人生の方向を変えた。
あの瞬間、それまで点だった15年間の経験が、一つの線につながりました。
広報は、本当に事業に資する。そして、その方法論がある。
この連載は、途中経過です
2年前、私はこう言われました。「広報にスペシャリストなんていないでしょ」。
その場で何も言いませんでした。言えなかった、というのが正確です。確信はありました。15年の経験もありました。でも、それを論理として整理して、第三者に手渡せる体系にしていなかった。
だから書きました。
振り返ると、15年間やってきたことは一つでした。
広報が本当に事業に資するのかを、現場で問い続けること。そして、その答えを一つずつ証明していくこと。
この連載は、その途中経過です。
次は、あなたの番です
広報という仕事の価値を、あなた自身の言葉で語ってください。
私が書いたのは、あくまで私の15年から生まれた一つの体系です。あなたには、あなたの現場があり、あなたにしか言えない言葉があるはずです。
#文脈開発で、皆さんの感想や、皆さん自身の広報論を、聞かせてください。
ここまで、本当にありがとうございました。