
論理的思考力・表現力の身につけ方
論理的思考力って何?
(1)論理的思考力のイメージ
社会人の方にとっては釈迦に説法かもしれません。でも学生時代に「論理的に考えろ」と言われても,いまいちよくイメージがわかないだろうと思います。単純に言えば,論理的思考力ってこんなイメージです。
達成したいゴールがあって,
現在自分が立っているスタート地点があって,
スタートからゴールに至るまでを結んだ経路(いくつも経路があり得るかもしれないが)が1つある。
スタート地点から出発して,その経路上を順番に進んでいって,最後にゴール地点に辿り着くことができるようにする。
(2)「論理的でない」と言われたときに陥っている状況
これは小学校の算数でも中高の数学でもやってたでしょ? 問題はそれを意識しているかしていないかっていうだけで。
意識していない人は,やらなきゃいけない手順について何も知らないまま,何も考えないまま,ただただ闇雲に覚えている,そういう状態です。自分の力で取り組んでいないし,全然脳みそを使っていないことがわかるでしょう。
学校の先生やいろんな人から「論理的じゃない」というように指摘を受けたこともあるでしょう。でも「論理的だ」とか「論理的でない」とは何かよく分かっていない状態で指摘を受けても,どう改善したらいいか,よく分からない。結局時間が経っても何も改善されていないので,本人は論理的でないままだし,次々と課題に取り組んでも出来ないことに変わりはありません。そうやっていくうちに学習が嫌になっちゃう。だから経験値も積めない。だから何も出来ない。こうやって負のループに陥ってしまいます。
なんだかうまくいかない,でも改善の余地が十分にある,そんな方の思考方法がこちら。
コーラを片手に論理的思考力入門
(1)自販機でコーラを買ってみよう
特に高校を卒業してすぐの方や,難関大学を目指したいのに「論理的じゃない」と言われてどうしようと困っていらっしゃる方は,自動販売機でコーラを買う行為について考えてみてください。
①コーラを販売している自動販売機の前に立つ
↓
②コーラの代金に相当する金額またはそれ以上の金額の現金貨幣を自販機に投入する。
↓
③コーラの商品を指し示すボタンを押す
↓
④コーラが自販機から出てくる
(近年では電子マネーも使える自販機が増えていますが,その場合だと①と④の間はどうなるでしょうか。自分で考えてみてください。)
先に(1)で書いたように,達成したいゴールは④,現在の自分が立っているスタート地点は①,そしてスタートからゴールに至るまでのルート・経路を考えて,そしてスタート(①)から出発して,経路上にあるステップを順番にクリアし(②→③)て,ゴール(④)に至ることができる。
(2)「論理が飛躍している」
この例を使って少し思考実験をしてみましょう。どういう場合だったら「それは論理的じゃない」と批判されることになるか。
まず,②が丸ごとカットされていたら,この文章はどうなりますか?
①コーラを販売している自動販売機の前に立つ
↓
↓
③コーラの商品を指し示すボタンを押す
↓
④コーラが自販機から出てくる
①から順番に進んでいって,④に辿りつくことができますか?
少し難しいと思ったらこう考えてみてください。これで自販機からジュースを買えますか?
これが「論理的じゃない」の例の1つ,「論理が飛んでいる」「論理が飛躍している」「前と後ろがつながっていない」です。
①から④に行きたい気持ちは分かるのですが,必要なステップを省略してしまっていて,それではゴールに辿り着かない。①の話と③の話がつながっていない。こういうときに「論理が飛んでいる」と指摘します。
編入学試験では,志望理由書や面接で自分のことを語る時によく見かけます。法学や経済学の答案でもよく見かけます。
(3)「順番がおかしい」
別の例を紹介しましょう。
①コーラを販売している自動販売機の前に立つ
↓
③コーラの商品を指し示すボタンを押す
↓
②コーラの代金に相当する金額またはそれ以上の金額の現金貨幣を自販機に投入する。
↓
④コーラが自販機から出てくる
①から順番に進んでいって,④に辿りつくことができますか?
これは「論理的じゃない」例の1つ,「順番がおかしい」です。
①から④に行きたい気持ちも分かるし,必要なステップは列挙できていますが,この順番ではゴールに辿り着かない。試しに自販機の前であなたが①③②④の順番で行動してみてはいかがでしょうか。こういうときに「順番がおかしい」と指摘します。
(4)「だから何なん?」
別の例。
①コーラを販売している自動販売機の前に立つ
↓
②コーラの代金に相当する金額またはそれ以上の金額の現金貨幣を自販機に投入する。
これは「論理的じゃない」例の1つ,「だから何なん?」です。
その先には本来目指すべきゴールがあるにもかかわらず,そこに到達していなくて途中で終わってしまっています。こういうときに,相手はモヤモヤとした気持ちに包まれて「だから何なん?」と指摘します。
「ゴールが無い」「話にオチが無い」場面でよく指摘されます。編入学試験では,小論文や面接などでよく見かけます。
(5)「どうしてこうなった?」
まだまだ別の例。
①コーラを販売している自動販売機の前に立つ
↓
④コーラが自販機から出てくる
これは先に挙げた「論理が飛んでいる」の進化形態,「どうしてこうなった?」です。
文字どおり,「どうしてこうなった?」と指摘します。
自分で考えることを放棄して,ただ闇雲に原因と結果,スタートとゴールだけを暗記してしまうと,順番に進むべき各ステップを飛ばしてしまい,「どうしてこうなった?」と言われてしまいます。
「論理が飛んでいる」だと違和感が少しくらいあるけれども,言いたい方向性は何となく伝わるくらいです。でも「どうしてこうなった?」の場合,強烈な違和感が先に出てきます。実際に①→④と読んでもらえればわかります。自販機の前に立っただけでコーラが出てきたら,それはもう怪奇現象と言わざるを得ないでしょう。答案や志望理由書を書く時点で,こんな論理進行を書いた瞬間に自分のミスに気づいて欲しい,そういうレベルです。
編入学試験では,志望動機を語る場面でよく見かけます。数学や物理学が苦手な人は,結構このケースに陥っています。
(6)「そうはならんやろ」
さらに別の例。
①コーラを販売している自動販売機の前に立つ
↓
❷渾身の力を振り絞って,自販機を殴る
↓
③コーラの商品を指し示すボタンを押す
↓
④コーラが自販機から出てくる
これは「論理的じゃない」例の1つ,「そうはならんやろ」です。
先に紹介した「論理が飛んでいる」の亜種です。ゴールに辿り着くために必要なステップを飛ばしているだけではありません。上の例で言えば,①から❷が繋がりませんし,❷から③も繋がりません。
①から④に行きたいとしても,この順番を辿っても④のゴールに辿り着けない場合に,思わず「そうはならんやろ」と指摘します。
スタートから始めてゴールまで向かうにあたって,ルートから外れて関係のない話題に
(7)「因果関係が逆転している」
まだまだ続くよ。
④コーラが自販機から出てくる
↓
③コーラの商品を指し示すボタンを押す
これは「論理的じゃない」例の1つ,「因果関係が逆転している」です。
原因と結果の関係が,本来の自然科学法則や経験則から見て逆転している時に「因果関係が逆転している」と指摘します。
(8)大学の一般入試と編入学試験
ひと口に「論理的じゃない」と言っても,結構バリエーションがあるものです。しかし地球規模の生物多様性biodiversityを保全する話とは異なり,「論理的じゃない」という指摘の多様性は保全する必要はありません。これらに陥らないように注意するところから,「論理的に考える」が始まります。
身近な例を使えば,「論理的である」「論理的じゃない」についてイメージが湧きましたか?
このように「論理的である」ということが,中学や高校の数学,理科全般に限らず,世界史,日本史,地理や,現代文や英文読解でも必要とされていた,というわけです。
高校生くらいであれば,この「論理的である」という部分が多少甘くても見逃されていたかもしれません。多少分からなくても,他人が作ってくれた論理的な手順をパターンとして暗記して解くことが(部分的に)通用していたかもしれません。
でも編入学試験だと,志望理由書も,筆記試験のどの科目も,面接も,全て論理的である必要があります。例え数式を一切使わずに自然言語だけで答案が構成される小論文であっても。また,いわゆる難関大学になればなるほど,要求されるレベルが高くなっていきます。他人が作ってくれた論理的な手順をパターンとして暗記する,というのは,もはや通用しません。
そこに学問が絡むからです。
コーラを片手に学問に差し掛かる論理的思考力
(1)「自販機でコーラを買う」からの発展
先の自販機の例では,次のように論理が単純化されていました。
①コーラを販売している自動販売機の前に立つ
↓
②コーラの代金に相当する金額またはそれ以上の金額の現金貨幣を自販機に投入する。
↓
③コーラの商品を指し示すボタンを押す
↓
④コーラが自販機から出てくる
高校生まではこれで「論理的だ」と評価されても,大学で専攻する学問によっては,これでは不十分なことが往々にしてあります。
(2)工学アプローチ
例えば工学では,②から③,③から④の繋がりがもっと複雑になります。投入した現金貨幣をその種類ごとに分類し,硬貨や紙幣の数量を機械でカウントしなければなりません。カウントした金額が商品代金に等しくなるかこれを上回る時に始めて,商品ボタンを点灯させて「商品を購入可能である」と表示しなければなりません。ボタンが押されたことを感知して,商品ストックから商品を送り出さなければなりません。
機械,電気,情報処理の知識を持つようになると,ここからさらに論理が細かくなります。ここに電子マネーによる精算も加わると,電気信号の処理や,自販機のユーザーインターフェースをどう設定するかも工夫しなければなりません。機械の仕組みがどれだけ複雑になろうとも,ユーザーはその仕組みを知らなくても安心して確実に自販機を使用できなければなりません。デザインも関わってきます。
(3)経済・経営アプローチ
経済学や経営学の観点からすると,利潤を最大化させるためには価格をいくらに設定すべきかが問題になります。
自販機を設置したい場所では,果たしてコーラを買いたい人はどれくらいいるだろうか,どれくらい欲しいと思うか,需要はどこまで高いのかを知る必要があります。少し歩けばコンビニや飲食点が数多くある都市部の中では,自販機を利用しなくても,人は喉の渇きを満たすことができます。だから必ずしも自販機に頼らなくても欲求は満たされるかもしれません。でもコインパーキングの料金清算機では五千円札や一万円札などの高額紙幣を使えなかったり,一千円札も使えない状況だとしたらどうでしょうか。手持ち現金に100円硬貨や500円硬貨がなければ,車を駐車スペースから外に出すことができません。歩いてコンビニを探そうにも,時間がかかれば駐車料金は上がります。そういう状況下においては,ジュースを買いたくなくても自動販売機を利用したいという需要があります。自動販売機を,ジュースを買うために利用するのではなく,手持ちの硬貨を増やすために利用するわけですね。
また,ロジスティックスも考慮しなければなりません。人里離れた山奥に自販機を設置しても,商品をそこに搬送するために,人材の確保,人件費,輸送費が余計にかかりますね。それで果たして収益性があるのかを計算しなければなりません。
これらを始めとする経済・経営の知識は,「価格を決める」というゴールを達成するためにクリアすべき手順,考慮しなければならない要素になってきます。
(4)法学アプローチ
法律学を学ぶ人であれば,そこから法律問題が発生する場面を考えます。この自販機で消費者Xが購入したコーラを飲んだところ,コーラ缶の飲み口に病原菌がべったりと付着していたため,体調を崩して病院で治療を受け,1週間の入院を余儀なくされたケースを考えましょう。Xは治療費と入院費を支出せざるを得ませんでした。コーラ缶は,アルミ素材の販売事業者Pから素材がコーラの製造業者Qに渡り,Qの下で缶に成型されて飲料が充填され,そして商品として卸売業者Rに移転したり,流通業者Sに移転したりして,自販機の管理スタッフTに移転して,そして缶が設置事業者V(オーナー)所有の自販機の中に収められる,そういう経路を辿ります。では病原菌がどこの時点で付着したのでしょうか。製造業者Qの品質管理が悪い場合もありますし,管理スタッフTが不衛生な手で業務に従事していた場合もあります。また,設置事業者Vの自販機が老朽化していて,雑菌が繁殖しやすい状態だった場合もあります。
そこでどういう根拠で誰に損害賠償を請求できるかが問題となります。
病原菌が付着したのが自販機設置事業者Vの責任だとしましょう。この場合にはVは,消費者Xとの間で商品の売買契約を締結していて,仮に債務の本旨に従った履行があると言えなければ,債務不履行だとしてそれに基づいて損害賠償を請求することができます。
ではVは債務不履行に陥っていたといえるでしょうか。売主Vは,買主Xに対して,商品の所有権を移転しこれを引き渡す義務(債務)を負います。しかし上記の①〜④の全ステップを経由した以上,その債務の履行は完了しているので,これだけでは債務不履行に基づく損害賠償責任を問うことができません。消費者Xが可哀想な結果になりますね。このままでは不公平な結果に終わるのでまずい。
そこで,売主Vが追うべき債務は他にもあって,「商品の提供にあたり買主Xの生命・身体やその健康・財産を侵害しないように注意を払う保護義務が課せられていて,それが債務に含まれる」のだと構成することができれば,望む結果が出てきます。すなわち売主Vは買主Xに対して,商品の引渡債務だけでなく,設置する自販機の衛生を管理して提供する商品の品質を悪化させないようにして,買主に危害を加えない保護義務を債務として負っている。しかしその保護義務に反して衛生管理を怠ったので,債務を履行しているとはいえない,すなわち債務不履行に陥っているので,それに基づき損害を賠償する責任を負うべきだ,と。
病原菌が付着したのが,管理スタッフTの場合や製造業者Qの場合では,消費者Xとの間で契約があるわけではありませんので,債務不履行構成を使うことができません。そこで管理スタッフTに対しては民法709条の不法行為で,そして製造業者Qに対して製造物責任法3条に基づいて,それぞれ損害賠償を請求していくことになります。
ひと口に損害賠償といっても,その根拠はバラバラで,適切なものを選ばなければなりません。
ゴールを見つけることの意義
(1)学問を専攻するとゴールが違う
先の例では,自動販売機でコーラを買うという行為を取り上げて,「論理的だ」とは何かを確認しました。これは未就学児でも実践可能なステップです。
でも皆さんは大学編入を志望する方々です。それでは全然「論理的だ」とは言えません。
上記の(1)から(4)までの例では,同じ「自販機でコーラを買う」という行為であっても,学問によってさまざまな角度からスポットライトが当てられているとわかるでしょう。
工学では,機械が設計者の思惑どおりに作動する状態,購入者が無事に商品を入手できる状態がゴールに設定されます。経済・経営では,自販機の商品の価格を何円に設定するというのがゴールです。そして法律学では,そこで事故が生じた時に,購入者が損害賠償を請求できるというのがゴールです。もちろんこれらはコーラの例に限った場合に考えられるもので,人によっては他にももっとたくさんのゴールを考えることができるでしょう。
このように,選ぶ学問によってゴールが違います。ゴールが違えば,スタート地点から向かう経路が異なりますし,踏むべき手順も異なります。だから論理も異なります。
(2)「論理的じゃない」人はゴールを考えていない
人が幸福に暮らす,あるいは憂うところなく不自由なく暮らすために,学問はさまざまなアプローチを提供してくれます。例えば健康不安があれば生命科学,衣食住に不安があれば被服学,食物栄養学,住環境学,建物の構造に不安があれば構造力学,企業の営業活動で売上を伸ばすことに不安があれば経営学,民間主体だけで実現できない景気や失業に不安があればマクロ経済学や公共政策など。
現状では何かうまくいかない,解決を要する問題点がある。それによって生じるトラブルに悩まされるという不安・不満から,人は問題意識を構成します。わかりやすい言葉で言えば,それがゴールです。
「達成したいゴールがある」ということは,論理的であるための必要条件の1つです。それは冒頭でも述べたとおりです。
短期的であれ中・長期的であれ、現状に満足していない課題や解決を要する課題がある。これが問題意識となって,それを改善したいという「達成したいゴール」が出てくる。
しかし達成したいゴールがまだ見つかっていない場合には,論理的であるための必要条件が揃っていないといえるでしょう。
論理的思考力を身につけたいという人がよく陥るところ,編入したいと思っている方が「論理的じゃない」と指摘されて悩むところは,まさにここです。
ゴールを考えていないのです。
(3)ゴールが無いことで,筆記試験対策に及ぼす影響
ゴールを考えていないということは,学習面で「論理的じゃない」悪影響を生みます。
数学,物理学,化学,生物学に限らず,自然科学全般の科目(情報学,水理学,構造力学など自分で当てはまる科目を想像してみてください)で,今何の勉強をしているのかわからないという人が多いです。先生から教わっているところや教科書・基本書で取り扱っているところが,一体何をゴールにしているのかがわからない。
社会科学(教育・心理学,法学・政治学,経済・経営学など)や人文科学(哲学・倫理学,歴史学,諸言語など)も同様です。スタートから特定の経路・ルートを辿ってゴールに至ることで,まともな論理が伴った論文,小論文として評価されます。論理を欠いているならば,それはただの読書感想文,雑学メモにしかなりません。
映画館に行って,上映中の映画を途中から見始めて,エンディングを迎える前に映画館を出てしまう。そんな感じ。話もわからないし,だから感情移入もできない。
達成したいゴールがない。
そのため現在のスタート地点から,自分がどのような進路に向けて何を学ぶべきか,今勉強しているのは何かがわからない。(ゴールなしでスタートする方がおかしいですからね)
だから人から言われた課題しかできない,今の自分が学問その他勉強でどんな課題に取り組むべきかがわからない。
だから自ら進んで勉強することはない。
だから能力が伸びない。
ゴールが無い人は,それでも勉強しなきゃと思うのでしょう,ゴールなしでスタートしてしまいます。ゴールも無い,定まってもないのに,スタートしてしまう。
登山で言えば,どこの山に登るか知らないのに,何日かかるか,どんな装備が必要か,食料は何日分必要なのか知らないまま,地図も持たないままとりあえず山奥に突入していくだけ。こんな登山,成功するわけがありませんね。
筆記試験対策も一緒です。ゴールなしで勉強し始めると,知識の習得もうまくできませんし,論理的な答案も書けません。「どうしてこうなった?」「そうはならんやろ」「論理が飛躍している」等,そういう答案になってしまいます。
(4)ゴールが無いことで,志望理由書・面接対策に及ぼす影響
ゴールが無いことで,面接での印象が悪くなります。
「あなたはなぜこの大学を志望したのですか?」
「大学の施設が充実しててェ〜」「少人数教育でェ〜」「建学の精神に共感したッ!」
いずれの答えも,皆さんならもうわかりますね。
ゴールが無い。これだけではゴールがわからない。自分のことを話すべき面接の場で,しかも時間が限られている中で,こんなことを答えていてはいけませんね。
さまざまな受講生の方の面接練習をしましたが,
大してゴールもなく,目的もなく,そこに自分の意志もなく…
そういう人だと学習意欲の低い奴だと評価されてしまいます。興味・関心も無い,何の取り柄も無い,そう評価されてしまいます。それではあまりに可哀想だ。
話し方が「論理的じゃない」,考え方が「論理的じゃない」。
それは,普段からそういう生き方をしているのだろうと評価されることにも繋がります。
論理的思考力の練習方法
別にこのスキルは自然科学系の学問(数学,物理学,化学,生物学etc…)に限られません。いわゆる文系科目でも普通に必要です。
小論文も同じです。①から④までの手順を踏んでいない答案,つまり②のスタート地点からどうやっても①のゴールに辿り着けない,そんな文章は「感想文に過ぎない」と言われてしまいます。
どうやって鍛えたらいいですかとよく訊かれます。
でも何か特別なこととか仰々しいトレーニングが必要なことでは無いんですよね。普段の毎日を生きているだけで論理的思考力のトレーニングを積むことができます。机に向かっていない時でも,論理的思考力のトレーニングになっている,しかも本人は意識していない。そういう状態に仕向けられればいいですよね。
話題は変わって,文章表現力・語彙力の話に…
表現力・語彙力ってどうやって身につける?
筆記試験の小論文答案,志望理由書,面接。どれをとっても言葉づかいの上手い・下手っていうのが如実にあらわれますね。言葉づかいが下手な人だと,やっぱり何を言っても説得力がないし,意欲や使命感もいまいち無いと思われてしまう。別に詐欺師のようにペラペラと話しなさいというわけでは無くて,スラスラ話しなさいというわけでも無い。たどたどしく話す人でも,今の自分の等身大の言葉で,自分の考えを表現することができる。これはやはり編入学試験を受ける方は目指して欲しいところですね。
(1)表現力・語彙力の性質
そういう表現力とか語彙力っていうのは,単語帳を読むように頭を緊張させた状態でゴリゴリ意識を強く持ってやるような方法では身につかないように思います。こういう人って,面接で全然しゃべれないんです。ガチガチに緊張した脳みそで,(どういうわけか)これから自分が話す文章を考えちゃう。普段,家族や友達など他人と会話するときに,これからしゃべる文章を考えてから発話する人間っていますか? 普段から文章を考えた後で話しているんですか? そんなこと,誰もやってませんよね。「文章を考えてから話す」なんてこと,全然やったことないですよね。全然やったことないから上手くないですよね。その全然やったことなくて上手くない「文章を考えてから話す」という行動を,なぜ編入学試験の面接という大事な場面でやっちゃうの? なんで自分の進路を決める大事な場面で一度もやったことがない,苦手で不慣れなことをやっちゃうの?
私たちは普段,「文章を考えて話す」みたいなことはしていません。普段から話すときに考えているのは,無味乾燥な文字や文章ではありません,そうではなく,もっと色鮮やかで鮮明で,時には豊かな感情を持って表される映像やイメージです。
「語彙力がある」と評価してもらえる場面っていうのは,「よくそんな単語を知っているなァ…」と単語の知識をひけらかすようなものではありません。幼稚園児を相手にして「近年の世代間格差の現状を踏まえるに…」と議論をふっかけたところで,そんな人は「語彙力がある」なんて言えません。
単語そのものを使える,というのは「語彙力がある」ということにはなりません。言葉を使って,相手の感情を揺さぶったり,相手に一定の行動を促したりして初めて,「語彙力がある」と言えるでしょう。
これらの能力は頭を緊張させない状態で,「表現力・語彙力を身につけるぞー!」なんてことを全く意識しない方法でやらないと伸びないでしょう。いわば「人間力」と近い。つまり人間として生活していないとなかなか伸びにくい。朝から晩まで机に向かって本を読んでいるだけ,スマホを見てるだけ,授業を聴いているだけという人だと,外から情報が自分の中に入ってくるだけになってしまいます。でも文章表現力・語彙力っていうのは,自分の中にある情報を外に発信するときに必要なものです。本を読んでいるだけ,スマホを見てるだけ,授業を聴いているだけっていう人は,何も情報を発信していない。だから情報を発信するスキルが伸びない。当たり前ですね。
(2)表現力・語彙力のトレーニング方法
でも人間として,人間らしい生活をしていると,毎日何度も情報発信の機会はあります。
友達と話す,レストランのアルバイトでお客さんに説明する,フラッと立ち寄ったお店でお酒を飲みながら初対面の人と話して盛り上がる。ほら,何度もあるでしょ?
レストランとかコンビニでアルバイトをする時なんて,勉強時間じゃないと思うでしょ? でも実際には,21時までに業務を終えないといけないとか,お客さんに満足して帰ってもらいたいとか,新入りのバイト君に接客できるようになってもらわなきゃ,とかいろいろ達成しないといけないゴールがあって,そのゴールを達成するために順番に行動する必要があります。論理的思考力も自ずと鍛えられる。
話すときや説明するときには,ただ情報を伝達すればいいだけというわけではない。それは皆さん,ご自身の経験で分かっているはずです。
家族と話すとき,接客するとき,人と一緒に盛り上がるとき,これらの場面では必ず相手がいます。血が通っていない機械ではなく,感情をもって,時には非合理的な行動をする人間です。そういう人間を相手にして「腹減った」「晩ご飯にはカレーを食べたい」みたいに情報を伝達するだけの人って,それは相手を人間として,敬意を払うべき1人格として扱っているとはいえないでしょう。そういう人は,他者を尊厳ある存在として扱うことに慣れていないわけですから,普段からそういう敬意ある行動をしていないわけですから,編入学試験や就職の面接で急に相手を尊厳ある存在として扱うことなんてできるわけがありませんね。練習していない行動が本番だけ上手く,なんてことはないんです。
では普段から他人に接するとき,相手を尊厳ある存在として,感情ある存在として大事に扱おうではありませんか。「気遣い」です。
この「気遣い」をはじめとする対人能力が,表現力・語彙力の強化につながってきます。
(3)気遣いから始まる表現力・語彙力トレーニング
気遣いができるということ,それは表現力・語彙力のトレーニングに必要なスキルです。そしてこれは旧時代で通用していた精神論でも何でもありません(これを精神論だと一方的に決めつけて自分には関係のないものだと切り捨てるなら,その人は,そのまま気遣いのできない人間として,乏しい表現力,乏しい語彙力を携えて就職やその後の人生を乗り切っていけばいいんじゃないでしょうか,それで就職できるならの話ですけどね)。
気遣いできるということは,相手に「こう考えて欲しい」「こうなって欲しい」「共感してほしい」など,目指すべき,達成すべきゴールを自ら生み出せる。それだけでなく,相手が自分の主張のどこに疑問を持つか,どこに反発するか,どこがわかりにくいと悩むか,そういう疑義のある箇所を察することができる。察することができるからこそ,疑義のある箇所をあらかじめカバーすることができる。
そして気遣いによって相手に配慮できる経験が多くなると,相手に合わせて言葉を選ぶようになってきます。幼稚園児を相手に気遣うことに慣れている場合には,園児の子たちが理解しやすい言葉で,リズムで,温度感で話します。消費者を相手に接客することに慣れている場合には,商品やサービスを購入したくなる言葉を選ぶことができます。
言葉を使って相手の感情や行動に作用することができる,影響を与えることができる。そうやって書いた文章では,行間から書き手の個性・キャラクターが垣間見えます。これは生成AIで書いた文章では表せない,大事なものです。
そのように考えると,単語そのものを使える,というのは「語彙力がある」ということにはなりません。言葉を使って,相手の感情を揺さぶったり,相手に一定の行動を促したりして初めて,「語彙力がある」と言えるでしょう。
そうすると「語彙力を身につけたい」という人は,単に単語を知っているだけでは足りないとわかるでしょう。サッカーが上手くなりたいという人は,単にコートの面積を知っていたりサッカーの細かいルールを知っている,記憶しているというのでは全然足りないのと同じです。ボールを使って初めて上手くなり始めることができる。語彙力も一緒です。単に(やろうと思えば)使えるというのではいけません。実際に言葉を使って,それで相手の感情を揺さぶったり,相手に一定の行動を促したりする練習を積まない限り,語彙力は向上しません。
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