メインコンテンツへスキップ
見出し画像

私の余白は、私の物だ。余白こそ、宝物なのかもしれない。

    きょうたの|kyotano

    人生を共に生きると誓った夫には、
    全てを捧げるのが当たり前だと思っていた。

    それは、私の余白も例外ではない。

    ここでいう、余白は余力、すなわち、寄り道とか遊びとかそういったことというべきだろうか。

    もう、とりあえず、全てなのだ。


    私は、余白も全て夫に捧げた。

    働きすぎな夫の体を自分のこと以上に心配して、食事はちゃんと摂っているか、睡眠時間は足りているか、と心配事が絶えなかった。
    時間を数えるのが苦手な私は、1、2、3、4、、と手の指を使って、夫の睡眠時間をいつも計算するのが癖になっていた。
    その姿を見て、
    「お母さん、何を数えているの?」
    と、こどもたちに不思議がられた。



    だが、そんな生活を続けて行くと、共倒れした。


    夫は自立神経が乱れ、パニック発作を頻繁に起こすようになる。
    それを支えるために、これまで以上に私の余白全てを夫に捧げていたら、私のキャパをとうに超えて、生きていられないほど、私が無くなった。自分を失った。
    私自身も睡眠不足、過労から、過呼吸、パニック発作を起こし、何度か救急車で運ばれた。
    それでも、私は、夫に元気になってもらいたかった。
    自分の全てを捧げても、自分の余白なんか無くっても、夫に健康でいてほしかった。


    でも、自分を失って、死にかけて、気付いた。


    私の余白は、私の物だ。

    例え、夫であっても、こどもであっても、
    誰にも渡してはいけない。
    余白を無くすと、人は死ぬ。


    私は死にかけて、余白の大切さに気が付いた。


    息ができること、
    今日がまた来ること、
    当たり前の日常がどんなに大切かに気が付いた。
    そして、余白は当たり前の日常、
    こなさなきゃいけない日常ではない。
    非現実、息抜き、ひとやすみ、それが、余白なのだ。

    余白で、自分の時間を持った。
    自分の好きを取り戻した。
    “自分とはこんな人間だったんだ“を思い出した。

    捧げた余白。
    いつの間にか、余白を超え、自分を蝕んで、
    何者でもなくなろうとしていた。
    姿形さえも失うところだった。


    余白を持ち、
    余白を楽しむ。
    それくらいで人生は生きていかないと。
    死んでしまう。


    それほど大切な余白。


     
     
     
    書くことが好きすぎて、書くと結婚しました。 ちいさなことをカタチに。 日常の意味を拾い、書いて描く。 500日連続投稿|メンバーシップ運営中 フォローもフォロー外しも、お好きなタイミングで🤲

    あなたへのおすすめ