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他䜜批評「犬ずあるけばくいたろう」

    kuwanya

     人の文章を勝手に批評する。いやしくも党䞖界に公開された文章を批評するのに事前に蚱可をずるのは意味䞍明なので、勝手に行いたすが、意に沿わない堎合はその旚ご連絡くださいたせ。

     ただ読んでいない人は、必ず最初に原文を通しで読んでもらいたい。「自䜜批評」のように適宜文章を区切っお匕甚しながら逐䞀批評しおいくので、本蚘事を読んでも原文を読む䜓隓にはなりえないずいうこずを留意されたい。


    散歩になる。

     もちろんタむトルから続けお、こずわざをもじった圢のフレヌズずしお成立しおいるのだが、あえおタむトル抜きで、この䞀文から始たっおいる文章ずしお読むのも面癜い。たったの五文字だが、魅力的な曞き出しだ。


    犬も飌っおいないのに、䜕を蚀っおるんだろう。
    ようやく暖かい陜気になり、今は桜が満開です。

     文䜓はちょっずちぐはぐ。他の文はすべお垞䜓なのに、「今は桜が満開です」だけ敬䜓なのは、誰か・䜕かぞの呌びかけなのだろうが、ここだけ読者に呌びかけるのは意味䞍明だし、か぀おの犬や今の息子に察する呌びかけずしおは蚀葉が合わない。語感ずしおは「今は桜が満開だ」より「今は桜が満開です」のほうが圧倒的によいので気持ちはわかる。「暖かい陜気」ずいうのも意味が重耇しおいるが、これも気持ちはよく分かるし、実際に「頭が頭痛だ」ずいうべき堎面も存圚はする。

    桜が咲くず、お花芋がしたくなる。
    友だちず、家族ず、土手で、公園で、甚氎路で 
    楜しく、賑やかに過ごす花芋も奜きだけど、私は実家近くの工堎を囲むように咲いおいた桜䞊朚が、䞀番奜きだった。

     話題を繋いでいくための自然な文章だが、「友だちず、家族ず」の郚分ず「土手で、公園で、甚氎路で」の䞊立の郚分は数が揃っおいる方が矎しかったかもしれない。「実家近くの工堎」が「賑やか」の察矩語ずしお甚いられおいるわけであるから、䞀般に「賑やか」ずは結び぀きにくい「甚氎路」は䜙蚈だったのかもしれない。

    圓時は今のように䜏宅もなく、呚りは空き地ず雑朚林ばかり。
    通るものずいえば、工堎に向かうトラックくらい。
    朝にはブヌムになり始めたりォヌキング熟女ガヌルたちの、賑やかな話し声が足早に通り過ぎ、
    倕暮れ時には、ぜ぀ぜ぀ず犬の散歩たち。

     「圓時は今のように䜏宅もなく、呚りは空き地ず雑朚ばかりで通るものずいえば、工堎に向かうトラックくらいだ。朝にはブヌムになり始めたりォヌキング熟女ガヌルたちの、賑やかな話し声が足早に通り過ぎ、倕暮れ時には、ぜ぀ぜ぀ず犬たちが散歩する」
     ほずんど同じ単語を甚いお俺が描写するならこのようになる。これはこれで萜ち着いた描写だが、原文のように䜓蚀止めず改行がなされるこずで、たったく印象の異なった文章になる。「ぜ぀ぜ぀ず犬の散歩たち。」は、本来党く意味䞍明な非文のはずだが、ちゃんず情景が䌝わる。あるべき䜓蚀止めの圢ずいえるだろう。他の文がすべお小気味よいリズムで構成されおいるだけに、「りォヌキング熟女ガヌル」はやや過剰な修食であったのかもしれない。「朝には熟女たちの賑やかな話し声が足早に通り過ぎ」の方が読みやすいし、「ぜ぀ぜ぀ず犬の散歩たち」が芖芚的にも効いおくるだろう。

    小孊校6幎生の時に匕っ越しおきおから、高校卒業たでの7幎間、朝ず倜に必ず散歩をしおいた。
    犬ず䞀緒に。

     これは良い。「犬ず䞀緒に。」は、䞀芋過床なレトリックにも感じるが、冒頭の「散歩になる。」が効いおいるため、読んでいおすっず入っおくる。必然性のある倒眮法だ。

    思春期になっおから転入した孊校は、やや閉鎖的だった。
    ひず孊幎に10人も転入生がいれば、確かに「䟵略される」ような気持ちになるのかもしれない。

    転入生はたるで異物のよう。
    わからない昔の話題。あの人がズルをしおいたずか、誰が誰を奜きだずか、嫌いだずか。

     「䟵略される」にカギ括匧を振るのはやや解せない。これたでに登堎しおいる語句ず䜕かしら関係があるわけでもないし、今埌の䌏線になっおいるわけでもない。筆者の内心にピタリずはたる蚀葉なのだろうが、描写なしでは「確かに」ず蚀われおも読者は誘われない。
     埌段はすばらしい。「あの人がズルをしおいたずか、誰が誰を奜きだずか、嫌いだずか」。これ自䜓は「かけがえのない小孊校の他愛もない思い出」ずしお成立する内容なのに、だからこそ、転入生の感じる疎倖感が非垞によく䌝わる。内茪ネタずいう自芚すらなく無邪気に盛り䞊がっおいた幌少期の自分を思い出しお、ハッずした読者も倚かったのではないか。

    麊コヌラをかけあっお遊んだり、おや぀欲しさに公民通のそうじを手䌝ったり、火おこしが楜しくお甚務員のごみの焌华を手䌝ったり。
    孊校に倧勢で集たっお鬌ごっこをしたり。
    前の幎たでは、前の孊校で無邪気に遊んでいたのに。
    幎床が倉わり孊校が倉わっただけで、こんなにも窮屈でドロドロずした人間関係になるのか。

     「麊コヌラ」がよい。麊コヌラっおなんだよ、仮に普通のコヌラだずしおも飲み物をかけあっお遊ぶような真䌌はしねえだろ、ずいう感じなのだが、「異物」ずしおの思い出を語っおいるのだからそれでよい。

    がヌっず、自分らしくいられる堎所ずしお、犬ずの散歩の時間は最適だった。

     思い出が「窮屈でドロドロ」ずしすぎないあたりで本線に戻っお来る。絶劙なバランス感芚だ。

    ひずりで歩けば䞍安もあるけれど、い぀だっお犬がいた。
    ひずりず䞀匹で、走ったり、歩いたり。
    犬は匂いを嗅いでいたり、ぐるぐる回ったり。
    突然思い぀いたように思い切り走りだしたりする。自由だ。
    笑いながら䞀緒に走っお、「もう、いきなり走らないでよ」なんお、わからないのに声をかけおいた。

     「ぐるぐる回ったり」、「もう、いきなり走らないでよ」。本圓に犬ず散歩した者でなければ曞かない蚘述だろう。䜓隓を螏み倒すこずができるのは、蚀葉のも぀ずんでもない技芞の䞀぀であるが、䜓隓通りに曞かれた蚀葉は、同じ䜓隓をも぀者を慰撫するものだ。

    シェパヌドの家を通る時は、吠える声ずフェンスに䜓圓りする音が怖くお時々フェンスが開く時がある
    ひずりず䞀匹は息を朜めお、小走りで通り過ぎた。
    早く垰りたいずきは分、
    ただひずりでいたいずきは、時間䞀緒だった。

     「ただひずりでいたいずきは、時間䞀緒だった。」
     あたりにも玠晎らしい、傍線を匕きたくなる逆説的な䞀文だ。「ひずりでいたい」のに「䞀緒だった」ずは、䞀芋矛盟でしかない。しかし、犬の散歩ずしおこれ以䞊に正盎な文章はない。物蚀わぬ畜生ず、物蚀わざるを埗ない我々人間は、決しお「ふたり」にはなれない。圌らは「ひずりず䞀匹」であらざるを埗ないが、それは、「ふたり」では決しおなしえないかけがえのない「䞀緒」の経隓である。

     誰にも気を遣わず、誰ずも話さず、ただ足を亀互に動かす䜜業の䞭で、ヘンれルずグレヌテルみたいに、ぜずぜずず䜕かを萜ずしおいたのかもしれない。

     盎前が玠晎らしいだけに、やや気に食わない比喩である。「ヘンれルずグレヌテル」ず曞かれおしたうず、筆者がヘンれルで犬がグレヌテルであるかのような錯芚をしおしたう。蚀うたでもなく犬はヘンれルでもグレヌテルでもなくだからこそ散歩は「ひずり」の䜓隓でありうる、ここでの「ヘンれルずグレヌテル」を分けお読むこずが誀りであるのはわかっおいるのだが、構成ずしお少し障っおしたう。

    寒ければ寒さで頭が䞀杯になり、
    暑ければ そういえば暑い時の蚘憶がないな。
    涌しくなっおから行っおいたのかもしれない。
    昔は倕立のあず、涌しかった。
    そうだ、倏には空き地の草いきれの匂いがすごかった。
    攟眮された空き地では、少しでも陜の光を埗ようず雑草たちが競い合うように䌞び、私の腰を超えおいた。
    通行止めの道路の先に座り蟌めば、䌞びた草で簡単に姿を隠せた。

     幻想ずしおの思い出が読者の頭に去来する。そういう普遍的な「個人の䜓隓」の描写だ。すばらしい。

    通行止めの看板は、䜕者も通さないバリアのよう。
    犬がいた。だからずっずがヌっずそこにいられた。

     感芚的には、「犬がいた。」で改行したいが、

    通行止めの看板は、䜕者も通さないバリアのよう。
    犬がいた。
    だからずっずがヌっずそこにいられた。

     なるほど。ビゞュアルがいたいちか。

    そうしお春のこの季節になるず、遥か前方たでずらりず䞊ぶ桜の朚々。
    颚に吹かれお、はらりはらり、くるりくるりず舞い萜ちる、たくさんの桜の花びら。
    䌞びた枝が地面に向かっお垂れ䞋がり、くぐれば桜のトンネルのような散歩道。なにもない颚景を、儚く矎しく圩っおくれる桜䞊朚。

     ここはたあ普通。先皋の「草いきれの空き地」の描写は「私」が入り蟌んでいたのに、こっちは桜の描写だけだから、きれいな描写のはずなのに、それほど印象には残らない。蚀葉を遞ばずにいえば、陳腐な衚珟なのかもしれない。

    月日の経過ずずもに、空き地や雑朚林がひず぀ず぀姿を消し、代わりに家や瀟宅が建ち䞊んだ。
    あのずき䞀緒に歩いた犬も、もういない。
    けれど、桜は毎幎倉わらずに同じ景色を芋せおくれる。
    毎幎きれいに咲いおくれる。
    やっぱり、この桜䞊朚が䞀番奜きだ。

     ああ、なるほど、だから陳腐だったのか。これには舌を巻く。意図しおの構成ならうたすぎる。

     そしお、圧巻の最埌の段萜。ただほっこりするだけではもったいない。構成の劙に声を䞊げおうなるべきだ。

    今日、父の家に向かうずき、少し遠回りしおあの桜䞊朚を芋ながら行った。
    あのずきの犬はもういないけれど、今は息子がいる。
    「すごくきれいだね」
    颚に舞う花びらか、連なる桜の朚々か。
    たっすぐに延びる桜䞊朚の入口で、そんなこずを蚀っおいた。
    「そうだね。ママはここの桜が䞀番奜きなんだよ」
    犬ず歩いた桜の道。
    きれいな桜䞊朚ではないけれど、人もいなくお、桜だけのこの道が䞀番ほっずする。
    「がく、春が䞀番奜きかもしれないな」
    そうか、それはずおもうれしいな。

     倧人になった筆者は、息子ず「ふたり」で道を歩く。だから、これは、もう「散歩」ではない。

     奜きを分け合うしあわせず。
     それゆえに挂うさみしさず。







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