
まどろみの境界線:第33話:4人分の注文と、消えたメインディッシュ
「まさか、私たちのあの気球が『最も優雅に空を舞ったで賞』に選ばれるなんてね」
マルタは、大会の素朴なスタンプが押された白い封筒を、コートのポケットの上からそっと撫でた。
色とりどりの布を丁寧に縫い合わせたパッチワークの気球は、大会のどの気球よりも可愛らしく、ひときわ目を引いていた。ふわりと優雅に舞い上がったものの、たった十五メートルほどの高さでぴたりと止まり、そのまま静かに降りてきてしまったのだけれど。
大賞には手が届かなかったものの、思いがけない賞金は、四人の心を温めてくれた。
その足で彼らが向かったのは、馴染みの肉屋だった。少し立て付けの悪い扉を押し開けると、ショーケースのひんやりとした空気が迎えてくれる。
目的はただ一つ。この賞金で、幻とも言われる「トリュフ豚」のお肉を購入することだった。
「トリュフ豚かい? そいつは運だねえ」
肉屋の主人は、清潔な白いエプロンで手を拭きながら少し困ったように笑った。
「うちでもまだ扱ったことがないんだ。なかなか市場に出回らなくてね。知り合いの問屋に掛け合ってみるよ。四人で食べる分だけあればいいんだろう?」
「ええ、少しで構わないわ。入ったらまた連絡してちょうだい」
それから数日後、肉屋の主人から「トリュフ豚が入ったんだけど……ちょっと困ったことになってね」と、ひどく歯切れの悪い連絡が入った。
ローズとマルタとジョセフの3人で店を訪れると、店の奥に、小さな木箱が置かれていた。
「四人分くらいの、少量で何とかならないかって頼み込んだんだよ。そしたら、向こうが聞き間違えたみたいでね。『小さいやつ(子豚)』が届いたんだ」
主人がため息をつきながら指さした木箱の中を覗き込み、マルタは息を呑んだ。
そこには、清潔な柔らかい藁に埋もれるようにして、小さな子豚が一匹、丸まっていたのだ。鼻先をひくひくと動かし、こちらを見上げるつぶらな瞳。
「このサイズじゃまだ食べられねえ。大きく育てないともったいない希少種なんだが……どうしたもんか」
その瞬間、マルタの瞳が輝いた。
「……なんて、可愛いのかしら」
そっと手を伸ばすと、子豚はマルタの指先をくんくんと嗅ぎ、安心したように小さく鼻を鳴らした。あまりにも愛らしい子豚だった。
「おいおい、マルタ何言ってんだい」
ジョセフが呆れたように眉を寄せる。
「あんた、いつも喜んで肉食べてるだろう? こいつだって一緒さ」
マルタはジョセフの言葉を受け流し、隣に立つローズの袖をそっと引いた。
「……ねえ、ローズ。お願い、ダメかしら?」
ローズはしばらくの間、静かに木箱の中の小さな命を見つめていた。それから、困ったように、けれどどこか楽しそうに目を細めてマルタを見た。
「あなたはいつか、猫か犬を飼うんじゃないかと思っていたわ。……まさか、子豚になるとはね。ふふ」
ローズは店主に顔を向け、穏やかな口調で続けた。
「この子を引き取らせていただくわ。……ご主人、アパートまで運んでくださるかしら?」
「ああ、もちろん。そいつは助かるよ。少しだけどまけとくよ。」
肉屋の主人がホッとしたように笑い、話は決まった。
アパートへ戻る道すがら、マルタはもうすっかり子豚のお世話に心を躍らせていた。
「お名前、どうしようかしら」
「ちょっと待て、名前なんてつけちまったら情が湧くじゃねえか。こんなの、小豚の『ピッグ』でいいんだよ!」
後ろを歩くジョセフの抗議が響く。
「そう……じゃあ、ピーちゃん、ぴーちゃんね」
アパートの前に到着し、そっと置かれた木箱を覗き込みながら、マルタは弾むような声で話しかける。小さな鼻が、柔らかい藁の中からすんと顔を出した。
新たな自分の居場所を確認するように、鼻先をひくひくと動かしている。
「さあピーちゃんは、一体何が好きなのかしらねぇ。何か食べるものを探さないとね」
「……だから、ピーちゃんじゃねえって」
ジョセフの力ない呟きが静かに溶けていった。