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触れる空間

    あらすじ

     大学生の広尾和樹に差出人不明のXRグラスとグラスに連動する手袋が届く。
     連続爆破事件の犯人と思われる人物からスーパーに仕掛けた爆弾を解除するように脅されてやむを得ずやる事になる。
     その後、警察署に仕掛けた爆弾を解除するように指示される。
     そこで坂崎刑事と知り合ったのもつかの間、恋人の恵理に危険が迫る。
     坂崎が行方不明になり、石井刑事と事件を追うが爆弾犯に翻弄される。
    SFミステリー

    本編

    ◇その日常は突然変わる

     恵理が俺の左手を握った。いきなりでも柔らかい感触に安心した。
    「和樹、今日もバイト?」
    「そうだけど何で」
    「別に。じゃあね」
     大学の門を出て、恵理は桜の花びらが雑に落ちた歩道を歩いて行った。
     付き合って半年経つが、未だに彼女のリアクションがわからない。
     
     三年目の春。自由を感じられる最後の年。来年は就活。
     考えても疲れるから考えない。講義を真面目に受けてバイトやって恵理とデート。
     普通のキャンパスライフに幸せを感じる。
     今夜は居酒屋でバイト。帰ってからレポート。明日は午前中休み。午後から登校。いつものルーチン。
     正直バイトはやりたくないが、生活費を稼ぐ為に仕方なくやっている。一人暮らしに反対する親を説得して選んだ結果だ。それでも大学でいい成績を出していい会社に就職したいのにと愚痴をこぼしたくなる。
     
     バイトを終えて午後十時前に自宅のマンションに着いた。
     郵便受けに宅配便の不在票が入っていた。ロッカーを開ける。小さめの段ボール箱がある。
     伝票の差出人欄には『メルトルン株式会社』と書かれている。全く聞いたことがない。怪しい。
     まさか爆弾? そんなことないか。宛名はしっかり俺の名前。ボールペンで殴り書きされた文字。オートロックのドアを開けてエレベーターに乗って自室に入る。
     着替えて弁当を食べながら箱を開ける。
     ビニール袋に入った眼鏡と肌色の樹脂の手袋。丸い接触型の充電器。
     何だこれ。説明書を読む。XRグラス? 何気なくスマホで調べる。眼鏡越しに見ると現実の風景にCGが重なって見えたり、通信でメッセージ交換ができるらしい。
    「へえ」
     グラスを見て思ったのはそれだけ。それが何で俺に? 同封の白い封筒を開けて手紙を見た。
     
    『グラスを掛けて爆弾を解除しろ。日曜日の午後3時に如月公園で爆発する。警察に通報したら無条件で爆発する』
     
    「くだらねえ!」
     思わず言って弁当のハンバーグを頬張った。面白くも何ともない。
     爆弾……そう言えば小型の爆弾が爆発する事件が続いていた。真夜中にどこかの公園のごみ箱が爆発した事件があったな。
     それにしても眼鏡を掛けて爆弾を解除しろなんて頭がおかしい奴のイタズラだ。
     呆れてグラスを箱にしまってテレビを観る。
     しかも日曜日って。その頃は恵理と昼飯の時間。前の晩にやりまくって昼に起きてのんびり弁当を食べながら過ごしている。
     こんなガキみたいなイタズラに付き合っていられるか。
    「馬鹿馬鹿しい!」
     苛立って弁当を片付けてスマホを見る。
     
    『バイト終わったよ。ああ疲れた』
     恵理からのメッセージに癒される。
    『おつかれ! また明日』
     返信してシャワーを浴びる。
     手紙が少し気になったが、恵理の体を思い出す。勃起してオナニーを済ませる。ちょっと眠くなる。浴室を出て髪を乾かして残りの課題を済ませて寝た。
     
     翌朝、大学に行くと恵理が教室の前にいた。軽く挨拶して雑談。放課後にカフェで会う約束をした。
     講義を聞きながら昨日届いたグラスを思い出し、机の下でスマホで検索して調べる。似た形はあるが何か違う。グラスと連動する手袋なんて殆ど見当たらない。
    「おい、スマホは禁止だぞ」
     講師の大声で指が止まった。前列の生徒が「すみません」と謝った。俺じゃないのか。ホッとする。
     昼食は一人でパンを食べながら読書。恵理は女友達と校庭で食べている。やっぱりグラスが気になってスマホで調べる。
     俺の電話番号宛にSMSが届いて見た。
     
    『そんなに気になるなら直接訊けよ』
     背筋がゾワッとした。
     
    『キモッ! なんだお前』
    「あっ」
     返信して思わず声を出した。反応したことを後悔した。すぐにメッセージが来た。
    『いきなりキモいはなんだ。約束は守れよ。でないと死人が出るぞ。お前のせいでな』
     住所を知っているくらいだから電話番号も調べているか。死人が出るぞ? 好きにすれば。そんな事に関わっていられるか。ため息をついてスマホをポケットに入れる。
     
     放課後。カフェで恵理と他愛のない雑談をしているとスマホにSMSが届く。嫌な気分になる。
     
    『外の白い車を見ろ』
     白い軽自動車を見る。開いた車窓から黒い煙が上った。
     
    「おい!」
     思わず声が出る。恵理が「どうしたの?」と外を見て「ちょっと!」と驚いた。
     店の中がざわついた。
    「爆発するんじゃないか」
     窓際の客が騒いで走って店を出た。俺は冷ややかに店の様子を眺める。「逃げろ」とは言われていないから。
     パトカーと消防車のサイレンが聞こえた。
    「何かすごいね」
     煙が出る車を見ながら恵理の口調に驚きと好奇心が混ざっている。こんな状況でも他人事なんだ。事情を知らないならそうなるか。なぜか息苦しくなった。
    「じゃ、バイト行くね」
    「ああ、車に近づくなよ」
     恵理が店を出た後、スマホを見る。またSMSが届いた。
    『本気だからな。警察に通報したらわかっているな』
     ため息と同時にムカついた。
    『知らねえよ』
     返信したが反応はなかった。余計にムカつく。
     
     帰宅して食事を済ませる。箱を開けて説明書を読む。
     スマホにアプリを入れて無線で繋いだグラスを掛ける。少し耳が重たい。
     手袋を着ける。サラッとした肌触りだ。手袋の付け根に小型の乾電池を入れる袋がある。
     とても市販品とは思えない。研究用か軍事用か。ネットで見つからない住所とメーカーだからそんなところか。
     チュートリアルに沿って操作する。画面に映った青い立方体のオブジェクトを持ち上げた。誤差は殆どない。触感はない。不思議な気分だ。これがXRという技術か。しかしこれが爆弾とどんな関係があるのか。考えてもわからなかった。
     
     翌日、居酒屋のバイトを終えて帰宅。
     シャワーを浴びてのんびりしているとスマホにアプリを見ろとSMSが届いた。
     アプリにメッセージが届いていた。手順通りにグラスを掛けて目の前に映っている青い立方体のオブジェクトを握り潰して破壊する。オブジェクトが粉々になった。
     この動作を他の人が見たらどんな風に見えるだろう。おかしな奴に見えるのが嫌だ。
     アプリ経由でグラスにメッセージ通知の案内が映る。右側に小さな丸印。指先を少し動かして開く。
    『慣れてきたようだな。約束は守れよ』
     上から目線でムカつく。しかし警察に通報して俺のせいで人が死ぬのは嫌だ。やるしかない。
     翌日、恵理に日曜日は急用で会えなくなったと謝った。恵理はふて腐れた顔で「こっちの用事が先でしょ」と拗ねた。当然か。頑張って謝ると納得してくれた。俺だってあんな約束を守りたくないよ。心で呟く。
     
     日曜日。スマホにSMSが届いた。
    『場所をスーパーの○○に変えた。2時開始。行って連絡を待て』
    「おい、何でだよ」
     思わず怒鳴った。俺の都合は考えていないのか。仕方なく指定された大型スーパーに行って連絡を待った。
     午後一時。SMSが届いた。
     
    『2時にオブジェクトが出る。3時に爆発。アプリを起動してグラスを掛けろ』
     
     淡々とした指示。ムカつきながら従う。グラスにアプリ経由で指示が映る。
     
    『店内にある5個のオブジェクトを壊せ』
     
     どんな仕掛けか理解できないが従うしかない。店の中を歩き回ってオブジェクトを探すルートを決めた。
    『まさか女子トイレに無いよな。絶対無理だからな』
     たどたどしくメッセージを打つ。スマホと違って左目に映るソフトキーボードを指先を細かく動かして打つので面倒だ。文字入力は使えないな。
    『さあな。俺は知らない』
     こいつだけじゃないのか。確かにこの仕掛けは一人では無理か。妙に納得する。
     
     午後二時──
    『スタート』
     メッセージが届く。急ぎ足で食品売り場を見回る。
    「あった」
     調味料が並んでいる棚に赤い立方体のオブジェクトが浮いている。オブジェクトを握り潰すと粉々になって消えた。手袋のセンサーと連動している。本当によく出来ている。
     菓子売り場、総菜売り場、冷凍食品売り場と歩いて野菜売り場に着くと林檎の横に赤い立方体のオブジェクト。紛らわしかったが色の違和感に気がついて握り潰す。
    「こんなのばかりだと見つからないな」
     呟いて目を凝らしながら歩く。
     トイレは男子トイレだけ見て、二階に上がって洋服売り場を歩き回る。下着売り場に無いことを祈りながらブラジャーが並ぶ中を急ぎ足で過ぎる。婦人服売り場にはない。紳士服売り場にもない。
    「あった」
     思わず呟いた。子供服売り場の棚に並んだ帽子の間に赤い立方体のオブジェクトが置いてある。掴んで握り潰す。
     ひと通り洋服売り場を見回って雑貨売り場に入る。台所用品、浴室関係、トイレ用品、家具――ここにはないのか。丁寧に探しているつもりだが、当然見落としが沢山ある。
     三十分過ぎている。どこだ。もう一度探す。
    「わかんねえよ」
     声に出す。メッセージが届く。グラスを通してどこかで聞いているのか。
    『ナビを使わないのか』
     ナビ? 何だそれ。スマホを取り出してアプリのヘルプを見ながら操作する。オブジェクトの近くに来ると座標を表示するらしい。
    「何だよ。最初から説明しろよ」
    『お前は一から説明しないと出来ないタイプか』
     グラスに映るメッセージにムカつく。まあいい。後で警察に通報してやる。座標が映っているということは近くにある。数字が減る方向に歩く。
    「あった……ていうかわかんねえよ」
     舌打ちしながら呟く。ベッドの下にあった。しゃがんでオブジェクトを握り潰す。座標が消える。周りは俺をどんな風に見ているのだろう。立ち上がりながら見渡す。特に変化はない。
    「あと一個」
     呟いて店内を歩き回る。二階はないのか。スタッフルームは入れないから無理。その時は諦める。そこまで付き合う必要はない。これまで見つかった場所は誰でもオブジェクトを置ける。どんな風に置くか知らないが客になりすませば出来る。そう思った俺の気分は少し楽になった。
     二階の男子トイレにはない。女子トイレにあれば座標が映る筈だが映らない。どこだ。一階に降りてまた探し回る。
     あと二十分。急ぎ足で歩き回る。そしてまた二階。
     座標が映った。
    「どこだ」
     歩き回る。
    「えっ!」
     声を出す。青い立方体のオブジェクトが女性店員の背中で浮いていた。
    「いやいや。こんなのどうするんだよ」
     また声を出す。ハッと周りを見る。小さな子供が俺を見上げている。母親と思わしき女が俺から引き剥がすように子供の手を取って歩いていく。何だよ。ヤバい奴だと思われているじゃないか。恥ずかしくなって焦る。
    『どうした。見つからないのか』
     メッセージが届く。白々しい。絶対にそばで見ているな。俺が恥ずかしい行動をするのを見て楽しんでいる変態野郎が。
     黙って考える。残り時間が十分を切った。どうする。
     もういいや、どうにでもなれ。
     店員の横を走って転ぶ。
    「いたたたたた」
     まずい。本当に足を打った。
    「大丈夫ですか」
     店員が声をかけてきた。
    「すみません」と立って店員の肩に掴もうとするが触れられない。わざとらしくて無理。
     ゆっくり立ち上がりながら息を荒くする。ああ、絶対にヤバい奴だ。どうする。
    「痛い!」
     膝を押さえてしゃがむ。店員がこちらを見ながらしゃがむ。
     俺はいきなり立ち上がって背中に浮いたオブジェクトを掠め取るにように握り潰して、
    「いたたた」
     としゃがんだ。
    「お医者さんを呼びましょうか」
     慌てる店員に微笑んで、
    「すみません。もう歩けそうなので大丈夫です。ありがとうございます」
     日本語になっていないような返事をして立ち上がって歩き出した。
     三時を回った。何も起きなかった。
     周りの客達は俺を遠目に見ている。
    「くそっ、好きに見やがれ」
     ムカついているとメッセージが届いた。
     
    『よくやった。もう1人は失敗したけどな』
     
     全然嬉しくない。誰だよ。もうひとりって。
     さあ終わったし警察に行くか。面倒くさいし。グラスを外して頭を軽く振る。
     バスに乗って警察署に来た。
     向かいのカフェに警官が集まっていた。野次馬の話だと爆発が起きたらしい。
     まあいいやと警察署に入った。スマホにSMSが届いた。
    『自首する気か。やめとけ。誰も信じないぞ』
     あんな恥ずかしいプレイをさせてよく言う。怒りを込めて返信する。
    『言うだけ言うさ。よくも大事な日曜日を潰したな。許さねえからな』
     少しだけせいせいした。受付のカウンターへ歩いた。またメッセージの着信音。
    『恵理とセックスできなくて気が立っているなら謝る。悪かった。もし話したら恵理を殺す』
     そう来たか。人質作戦か。諦めた。
     警察署を出た。スマホにSMSが届く。
     
    『話さなかったようだな。賢明だ。おかしな真似をしたら恵理を殺す』
    『お前、闇バイトか。いい加減にしろ。これ以上脅したら警察に言うからな』
     
     ムカついて返信する。返事はなかった。
     帰宅して弁当を食べながらテレビのニュースを観た。警察署の前のカフェで起きた爆破事件の犯人が捕まった。俺と一つ下の大学生の男。誰か知らない。
     スマホのメッセージ着信音が鳴る。ため息をついて見る。
     
    『警察署に爆弾を仕掛ける。水曜日の夕方5時。解除しろ』
     
     思わず半笑いになってため息をつく。弁当を食べてスマホを打つ。
    『警察に行ったら全部話すかも知れないぞ。面倒なのは苦手だからパス』
     返信してシャワーを浴びる。大体何だよ。面倒臭い。こんな風にズルズルするのが大嫌いだ。宗教やら闇バイトもこんな感じで仲間に引き込んでズルズルと関係を保とうとするのか。
     浴室から出るとSMSが届いていた。
    『従わないと恵理を殺す』
     またかと思い返信する。
    『面倒臭いから警察に全部話す。じゃあな』
     手早く打って送信してから着信拒否。
    「馬鹿馬鹿しい」
     吐き捨てるように呟いて寝た。
     
     月曜日、大学の昼休み。
    「背広を来た男の人がこれを和樹にって」
     恵理が紙片を差し出した。
    『爆弾を解除した礼にお前の口座に振り込んだ。次の約束よろしく』
     ため息をついた。これで共犯にしたつもりか。本当、面倒臭い。
    「どうしたの?」
    「馬鹿なイタズラに付き合わされてうんざりしているところ」
     紙片をポケットに入れて恵理に答えた。
     講義を終えて警察へ行った。
     警察署に入った途端、メッセージ着信音が鳴った。着信拒否したが駄目だったか。どうせ恵理を殺すと脅すつもりだろう。
     
    『警察署に爆弾を仕掛けた。あと30分で爆発する。騒いでもいいぞ』
     
    「うそだろ……」
     意外な答えに戸惑う。しかし時間がない。ここは警察だ。何とかなる。カウンターに行って婦警に話しかける。
    「スマホにこのメッセージが届きました」
     俺がスマホを見せた。婦警の表情がこわばった。
    「ちょっと待って下さい」
     婦警が誰かに電話した。すぐに背広姿の男達が降りて来た。
    「心当たりはあるか」
     見るからに刑事な感じの強面の男から訊かれた。
    「いいえ。全くないので困っています」
     おどおどして答えた。
     刑事が仲間に指示している間に俺はカバンからグラスと手袋を取り出して着けた。スマホでアプリを起動してグラスと接続した。メッセージが届いた。
    『見つけられるかな』
     短い一文に舌打ちした。座標が映らないから近くにはない。慌ただしく動く刑事と警官達の中で俺も階段を駆け上がって廊下を走る。近くにあるなら座標が映る筈だ。
     六階まで探したが映らなかった。イタズラか。それなら俺が怒られるだけで済む。ゆっくり事情を話せばいい。メッセージが届いた。
    『あと10分。どうする』
     屋上? 地下? 取りあえず一階に下りた。これ以上動いてもどうしようもない。
    「爆弾はないだろ」
     声を出したが反応はない。聞いていないのか。
    『爆弾はないだろ。嘘か』
     指先を動かして文字を入力する。
    『だとしたら』
     すぐに返信が来た。
    『どっちでもいい。全て話す』
     今度は画像が届いた。こんな時に慣れない機能を使わせるなよ。
     三枚の写真。恵理と俺の両親……
     驚き、戦慄、そして怒り──目を閉じて深呼吸をする。
    『脅しているのか』
     メッセージを送信する。
    『あと3分』
    『もういい。死ぬ覚悟が出来た。このグラスが爆弾だとしても構わない』
     送信するとすぐにスマホのメッセージ着信音が鳴る。
     
    『これを警察に→→→すみません。イタズラです。爆発しません。調べても発信元は特定できません。その人は無関係です』
     
     慌ただしい署内でフッと鼻で笑った。
     固い表情でそばの刑事に声をかけてスマホを見せる。刑事はこわばった表情で俺を睨みつけた。
    「くそっ! イタズラか」
     刑事はすぐに仲間の元に走って行った。
    「少し借りるよ」
     強面の刑事が言ったのでスマホを渡した。
     グラスにメッセージが届いた。
     
    『時間だ』
     
    「えっ」
     思わず呟いた。刑事が不審な表情で俺を見た。
     パーン!
     窓際に置いてあった花瓶が割れた。周りにいた人々が悲鳴を上げた。
    「おい、どういうことだ!」
     刑事が俺を見た。俺は首を横に振った。
    「知りませんよ」
     俺も驚いた。驚きの後で冷めた感覚になる。どうして警察が沢山いる中で爆弾を仕掛けられるのか。
    (まさか犯人は警察……)
     それなら俺の情報を把握しているのもわかる。
     刑事に案内されて取調室に入った。スマホを刑事に渡したからメッセージは届かないだろう。グラスを外した。
     強面の刑事から色々と訊かれた。名前も住所もここ数日起きたことも全部話した。そしてXRグラスを渡した。
    「ふ~ん、これで爆弾を解除するのか」
     刑事がグラスを掛けた。ギリギリ普通の眼鏡に見えるか。俺の指示に従ってスマホのアプリを立ち上げた。同時に「おお、何か文字が見えるぞ」と刑事が驚いてグラスを返した。
     スマホのメッセージ着信音がした。嫌な予感がしてスマホを返してもらった。
     
    『楽しんでもらえたかな。せっかく警察に来たから遊ぼうよ。次は1時間後に爆発する』
     
     俺は早口で読み上げた。刑事が驚いた。
    「ちっ! 遊んでやがる。爆弾がまだあるぞ。探せ!」
     刑事の指示で若い刑事が急いで部屋を出た。
    「君はここにいるんだ。爆弾は我々が見つける」
     俺は「わかりました」と言うと強面の刑事も出て行った。
     部屋には細身の中年の刑事が残った。メッセージ着信音が鳴る。
    『アプリを起動してグラスを掛けろ』
     言われた通りグラスを掛ける。グラスにメッセージが映る。
    『裏切り者には制裁を』
     メッセージに苛立って返信する。
    『はあ? 勝手に巻き込んでおいて何言っているんだ』
     文字を入力するのに慣れてきた。部屋の刑事はスマホで誰かと話している。
     狭い部屋の外で物音がする。下手くそな勧誘の電話をして断ったら脅して切る悪徳業者みたいなノリにうんざりする。
    「何だよ。こいつ」
     苛立って言う。ちらっと刑事が俺を見て話を続けた。もしかして俺の状況を説明しているのか。
     三十分が過ぎた。メッセージは届かない。地味な部屋で待つ。刑事は黙っている。お茶は出さないのか。ため息をつく。
    「自動販売機ありますか」
     刑事に訊くと「お茶を持って来ます」と見かけと違って丁寧に言って部屋を出た。
     何気にスマホを見る。恵理からメッセージが届いていた。
    『何よ。今夜会いたいって』
    「そっちを攻めたか」
     相手のやり方が読めてきた。読めただけで回避出来ない。仕方ない。
    『ごめん。アカウントを乗っ取られたみたいだ。それ違うから』
     送信したらすぐに返事が来た。
     
    『残念でした。乗っ取ったのはこっち。恵理を殺す準備は出来ている。どうする。クールな和樹くん』
     
     キャラが変わって痛い奴になっていないか。返信をやめた。
     あと十五分。まだ外は騒々しい。
    『受付にオブジェクトを置いた。あと3分』
     メッセージが届く。緑茶の入った紙コップを持って戻って来た刑事にその旨を伝えて急いで出る。三階から階段を急いで下りる。
    「あった!」
     受付のカウンターに青い立方体のオブジェクトが浮かんでいた。
     黙ってオブジェクトを握り潰す。
     ドーン!
     カウンターの向こう側の椅子が吹っ飛んだ。騒々しくなる。
    「えっ!」
     思わず声を出した。時間切れで爆発したのか。
     また座標が表示された。振り向くと青い立方体のオブジェクトがソファの上に浮かんでいる。今度は五個。指示は来ない。
    「まさか。これから選ぶのか」
     カウンターの近くに先程話した強面の刑事がいた。大きく手を振って呼んだ。
    「ここに起爆用のオブジェクトがあります。しかも五個。本当に爆発するかわかりません」
     説明しても面倒なのでグラスを渡した。刑事はすぐにグラスを掛けた。
    「こいつか……どうしたらいいんだ」
    「センサー付きの手袋で握り潰します」
     俺は右手の手袋を渡した。刑事は手袋を着けてオブジェクトを触った。
    「なるほど。意味はわかった」
     刑事は周りを見て、
    「起爆装置を見つけた。今から壊すから周りに気をつけろ!」
     大声で叫んだ。周りが一斉に俺達を見た。
    「いくぞ」
     刑事がオブジェクトの一個を握り潰した。反応はなかった。刑事がホッとするのを見て俺もホッとした。スマホのアプリを見た。メッセージが届いた。
    「何か来たぞ」
    「こっちで開きます」
     タップしてメッセージを開く。
    『おめでとう。残りのハズレ2個を壊せば爆発しない』
     刑事もグラスでメッセージを見た。
    「爆弾の場所はどこだ」
     俺も刑事が言った事を思った。
     こんな遊びに付き合う筋合いは無い。スマホでメッセージを返信した。
    『爆弾はどこだ』
    「おい!」
     グラスでメッセージを見た刑事が俺を見た。
    「訊くしかないでしょ。わからないのだから」
     俺が答えるとメッセージが来た。
     
    『受付のカウンター越しの赤い本がある机の下』
     
    「カウンター越しの赤い本がある机の下だ」
     刑事が叫んだ。爆弾処理班が机を見回った。
    「ありました!」
     処理班の隊員の声がした。メッセージが届いた。
     
    『今日は終わり。お疲れ』
     
    「馬鹿にしやがって!」
     グラスでメッセージを見て刑事が舌打ちして呟いた。
     爆弾は処理班に解除された。俺はまた事情聴取を受けた。面倒だが黙って爆弾魔に従うより気分は楽だった。自分の選択に間違いはなかった。
     午後七時過ぎに釈放されて帰宅。ビールを飲んでいるとスマホにSMSが届いた。
    『楽しかったな。裏切った罰は受けてもらうぞ』
     この手の脅しが続くと冷めてくるのは俺だけか。最初に恵理を殺すと脅された時は不安だった。恵理が死んだら俺のせいだと怯えたが、時間が経つと別に自分のせいではないと考えが変わった。不安から逃げ出したい為の屁理屈。そうかも知れない。だが脅しに屈して怯えたり、悩むのは正しいと思えない。納得できないことはやりたくない。それだけだ。
    『脅して楽しいか。爆弾を作るアタマはあるのに心は幼稚だな』
     スマホの予測変換に出てきた「アタマ」を選ぶことしか俺には抵抗出来ない。
     しかし今回の件はムカついたのでそのくらい返してもいいだろう。なめんなよの気持ちを込めて。シャワーを浴びてSMSが届いていないのを確認して寝た。
     
     火曜日。通学すると大学の前で昨日の強面の刑事が立っていた。俺に用事か。それしかないか。
    「おはようございます」
     俺が声をかけると「昨日はありがとうな」と答えて目をそらした。何だ俺じゃないのか。自意識過剰な気分で恥ずかしくなって校舎へ歩いた。
    「じゃあ何で来たんだ」
     振り向いて刑事を見る。特に変わった様子はない。ずっと見ても仕方ないから校舎に入る。
    「おはよう」
     恵理が声をかけてきた。「おはよう」と返す。
    「ねえ。うちの学校に爆弾犯がいたみたいなの」
     恵理がなぜか楽しそうな表情で言った。
    「えっ」
     一瞬黙って考えた。
     恵理が「どうしたの」と訊いたので、
    「いや、いきなり言われてびっくりした。カフェで爆発した事件か」
     と自分に納得しながら答えた。
    「そう。その友達が事情聴取されているみたい」
     ああ、それであの刑事がいるんだと納得する。SMSが来ないのは警察が大学に来るのを知ったからか。
    「どうしたの? 何かあったの」
     恵理の表情が曇った。「何でもないから。じゃあ」と別れて教室に入った。
     講義がいつも通り始まった。
     冒頭に講師が爆弾事件の捜査で警察が来ているから協力するようにと伝えて講義が始まった。
     メールが来た。嫌な予感がしてこっそりスマホを見る。門で待っていた刑事からだった。
    『昼休みに話を聞かせて欲しい。メシおごるから』
     刑事の名前は坂崎純一。昨日メアド交換した。中年の刑事からメールをもらって違う意味で嫌な感じだ。「メシおごる」にちょっと笑った。
    『いいですよ』
     こっそり返信する。きつい顔が苦手。仲良くなれるとは思えない。ため息をつく。
     一時限目の講義を終えて休み時間。廊下から窓の外を見る。特に変わった様子はない。トイレに行って教室に戻る。
    「教育学部の奴が捕まったって」「へえ」「どんな奴」「知らない」
     斜め前の席であまり話したことがない生徒達が雑談していた。徐々に噂が広がっている。
     嬉しくない昼休みが来た。強面のオッサンとランチタイム。
     坂崎さんに挨拶して車で店に連れて行ってもらった。
     予約してくれたようで料亭風の店に入った。少し恐縮した。
     料理を注文してほっと一息つく。
    「いやあ、昨日は大変だったな」
     坂崎さんの表情が緩んだ。普通の顔をするんだな。父親より若いな。
    「何か用ですか。捕まった奴のことは知りませんよ」
    「そうか。いや、ちょっと気になってな。また変な連絡が来ていないか」
     昨晩から何も連絡が来ていないことを答えると「そうか」と言いながらスマホを操作した。
    「アプリをダウンロードして、あの眼鏡……XRグラスだったかな。スマホとグラスを繋げても全く動かなかった」
     坂崎さんが言っていると料理が来た。ちょっと高いランチだ。少し嬉しかった。
     手を合わせて「いただきます」と言って食べ始めた。和食で上品な味だ。
    「君のアプリで試してみないか」
     坂崎さんがグラスを差し出した。嫌な気分になった。
     仕方なくポケットからスマホを出し、アプリを起動してグラスを掛けた。
    「あっ」
     メッセージが届いた。手袋がないのでスマホのアプリを操作する。
    『この製品は複数のアプリから起動できません。不正利用の為にデータを消去します』
    「おい!」
     思わず叫んだ。
    「どうした!」
     唐揚げを食べていた坂崎さんの顔がこわばった。刑事の顔だ。
    「データを消去するって」
     坂崎さんも「おい」と言った。
     慌ててアプリを強制終了した。グラスの左目に映っていた赤い印が消えて何も表示されなくなった。
    「不正利用したと認識されたみたいですね」
     グラスを外して坂崎さんに渡した。
    「変な仕掛けをするもんだ。一体何者なんだ」
    「俺も知りたいです。本当、いい迷惑です」
     二人で愚痴を言いながら昼食を済ませて学校に戻った。
     校舎に入った途端、SMSが届いた。
     
    『予定通り明日の夕方5時に警察署を爆破する』
     
     坂崎さんにメールで連絡する。しかしグラスが使えなくなった俺に連絡してどうするのか。警察に任せるしかない。
    『あの人誰よ』
     恵理からメッセージが来た。
    『ちょっと知り合い』
     それだけ返して教室に入る。始業のチャイムが鳴って講義が始まる。爆破予告が気になる。
     午後の講義を終えて担任に明日学校を休むことを告げ、居酒屋でバイトして帰宅。
     郵便受けに不在票が入っていた。宅配ボックスのロックを解除して見る。
    「やっぱり……」
     前に来た時と同じ箱。部屋で開ける。
    「やっぱり」
     袋に入ったグラスと手袋を見てがっかりした。
     グラスを掛けてスマホと接続して起動。メッセージが届いた。
    『明日。刑事を頼っても無駄』
     簡潔な文章にため息をついてグラスを外した。その後はいつも通りシャワーを浴びて課題を済ませて寝た。
     
     水曜日。朝食を食べているとメールが来た。坂崎さんからだ。
    『1時に署で』
    『グラスが届いたから持って行きます』
     すぐに返信した。
     正午過ぎに警察署に入った。
     おととい来た時より警備が厳重で、あちこちに警官が立っていた。警察署だから違和感は覚えないが緊張感が伝わる。
     坂崎さんはいない。待合室の椅子に座って待つ。警官達の視線を感じる。私服の学生が座っているのに話しかけて来ないのは坂崎さんが手配しているせいか。
     ポケットからスマホを出してグラスと連動しているアプリを起動する。
     メッセージは届いていない。どうせ予定の一時間前に送ってくるだろう。何となくスマホを操作してニュースを見る。
     恵理は講義中だからメッセージは来ない。
    「おう、待たせたな」
     坂崎さんがにこやかに声をかけて来た。俺も挨拶した時、
     ドーン!
     上から爆発音が響いて床が揺れた。
     驚いた俺はスマホを見た。アプリにメッセージは届いていない。
    「何も来ていません」
     俺が叫ぶと坂崎さんは、
    「予定を変えやがったな」
     と舌打ちしながら言って走って行った。
     メッセージが来た。
     
    『スタート! 爆発まで30分』
     
    「時間守れよ。くそっ!」
     グラスを掛けて電源を入れた。座標は表示されていない。階段を上って奥まで行った。坂崎さんが誰かと話していた。ここにはオブジェクトは無い。
    「坂崎さん。メッセージが来ました。三十分後に爆発。探します」
     大声で叫んですぐに走った。坂崎さんの顔は見ていない。
     屋上までフロアを走り回った。座標は表示されない。エレベーターで下りる時も座標が表示されない。地下二階に出る。座標が表示された。ここは留置場だ。
    「マジかよ」
     驚きと呆れが混ざって呟いた。どうするか考える。仕方ない。
    「坂崎さんを呼んで下さい。爆弾のオブジェクトが中にあります」
     留置場の受付の男に言う。「何を言っているんだ」と言われたが早口で事情を説明して連絡してもらった。すぐに坂崎さんが来た。
    「この中です。早く!」
     あと五分。急かして一緒に入る。座標が微動している。また人間か。
    「ここです」
    「おい、何でだよ」
     坂崎さんが叫んだ。看守が鍵を開けた。中に男がいた。
    「な、何だ!」
     知らない若い男が驚いた。
    「いいから動くな!」
     坂崎さんが乱暴な口調で言って俺は背中に回り込んだ。背中に浮いているように配置された青い立方体のオブジェクトを握り潰した。
     グラスに『CLEAR』が表示された。前よりアップデートしたのか握り潰した瞬間に触感が伝わった。
    「潰しました」
     叫んだ俺は一気に疲れが出てその場にうずくまった。
    「よくやった。爆弾を探そう」
     坂崎さんがホッとして言った。
    「あ、あの……」
     若い男が震えながら言った。
    「く、首が……」
     俺も坂崎さんも言っている意味が一瞬わからなかった。しかし同時にハッとした。
    「ちょっと見せろ」
     坂崎さんが男の首を見て触った。
    「おい! 何か入っているぞ。何だこれは」
    「わからない。さっきから振動が!」
     男は動揺して坂崎さんに答えた。俺は男に訊いた。
    「お前、爆破事件の奴か」
     男は震えて頷いた。グラスにメッセージが届いた。
     
    『人の命を助けた気分はいいだろ。その気持ちを忘れるなよ。その男はあと30分で爆発する』
     
    「くそっ!」
     俺は男を見た。
    「その眼鏡に手袋、まさか君は……」
    「いいから黙ってろ。坂崎さん、ちょっと」
     俺は坂崎さんと檻を出て説明した。坂崎さんは驚いてすぐにスマホで仲間を呼んだ。
     仰々しい武装をした男達と医者のような男が走って来た。
    「君は一階で待ってろ。何かあったらすぐに電話するんだ」
     坂崎さんに言われた通り、俺は一階の受付前のソファで座って待った。
    「あそこで爆弾を取り出すのか……」
     うんざりして呟いた。もう少し男の話を聞きたかった。俺と同じ学校に通っている。そこだけが共通点か知りたい。
     XRグラスを使った爆弾解除ゲームだけでも凄いのに人体に時限爆弾を仕掛けるってどれだけ高度な技術を持った連中だろう。俺にはSFの世界だ。
     そろそろ時間だ。特に異変はなかった。坂崎さんから電話が来た。
    「無事に取り出して解除したよ」
    「お疲れ様でした。じゃあ帰ります」
     電話を切って立ち上がった。中年の強面の刑事が目の前に立ちふさがった。
    「広尾和樹さん。爆破未遂事件の重要参考人として身柄を保護します」
     周りを警官が囲んだ。
    「えっと………意味がわかりません」
     動揺より怒りが先に込み上げた。さっきまで走り回って疲れたせいか、余計に苛立った。
    「あなたも爆弾を埋め込まれているかも知れません。ご協力を」
     刑事が言っていることもわかる。だが素直に従えない。
    「着替えを取りに帰ってもいいですか。何ならついて来てもいいですよ」
     そう言うと刑事は「わかりました。送ります」と無表情で答えた。
     覆面パトカーでマンションの前に着いた。待ち伏せしているかも知れないからと一緒に警官が降りた。制服が目立つ。郵便受けに宅配便の不在票が入っていた。ため息をついてロッカーを開けた。いい加減な名前の差出人。またかよと思い無表情で持って部屋に入った。
     スマホにSMSが届いた。
     
    『プレゼントだ』
     
     箱を開ける。しわの入った女物の洋服? 何だろう。ハッと思いついた。
    「まさか!」
     急いで恵理に電話した。留守電モードになった。
    「恵理。俺だ。すぐに電話してくれ」
     通話を終える。警官が不審な表情で「どうしましたか」と訊いた。
    「これ、恵理の服だよ! 差出人は不明。わかるだろ」
     俺が怒鳴ると警官は「その方の住所は?」と訊いた。
     答えようとしたが、住所を書いている物が思い浮かばず、警察で調べてくれと頼んだ。
     警官の指示に従って自分の着替えをバッグに詰めて部屋を出るとSMSが届いた。
     
    『服の中身しか興味がないから誰の物かわからなかったかな』
     
     からかわれている怒りと恵理のことが心配になったが、急に頭の中が冷めた。
     それが俺の性格か。急に面倒臭くなる。
    『警察に言った。別に内緒にする必要はないからな』
     そもそも秘密にする必要はない。恵理の命が危ないのに秘密にして犯人に従って恵理が殺されたら誰の責任か。それで俺が責められるなんて冗談じゃない。
     こういうのは警察に任せたらいい。冷たいと思われても別に構わない。メッセージを送信してマンションを出て車に乗った。
     ホテルかと思ったら警察署の留置場。スマホとグラスと手袋は押収された。改めて恵理と両親が心配になる。俺と同じように拘束されているのか。みんな無事でいて欲しい。
     警官に説明を聞いて部屋に入る。いつまでここにいればいいのか。考えても無駄だが考える。大人しく寝る。
     深夜に警報が鳴った。誰かの声がするが、何を言っているかわからない。
     人影が見えるとドアの部分がポンと音がして焦げ臭くなる。まさか爆弾……プラスチック爆弾みたいな物か。
     ドアを押すと開いた。床にスマホが落ちている。俺のじゃない。爆弾犯の仕業だとすぐに想像できる。
    「どうするか」
     考えながらスマホを見る。SMSが届いている。
     
    『そこから逃げるか逃げないか。お好きなように』
     
     どちらを選んでもこいつらに乗せられる。
    『面倒臭い』
     そう返信して檻の中で寝た。

    ◇憂鬱になっても流されるだけ

     目覚めると寝心地が違うことに気がついた。頭が痛い。こめかみを押さえて起きる。
    「何だよ」
     白い壁に天井に床。白い木製のベッド。病室のような蛍光灯が眩しい部屋。誰かに連れ去られて監禁されたようだ。薬でも打たれたのか。想像すると憂鬱になる。
    「まさか……」
     首のあちこちを押さえる。しこりはない。爆弾は埋め込まれていないようだ。安心する。
    「勝手に爆弾を埋め込まれた気分はどうかな」
     ドアの上にあるスピーカーから男の声がした。俺は体のあちこちを押さえた。特に違和感を覚えない。どこだ。
    「頭だよ」
     男の声にため息をついて頭を押さえた。絶望より怒りが強い。
    「俺の頭を弄って楽しいか。趣味悪いな」
     怒鳴り声が部屋に跳ね返る。
    「嘘だよ。すぐに冷める性格でつまらないからな。あの学生と違って」
     性格を読まれてもムカつかない。どうでも良くなった。
    「それで俺に何をして欲しいんだ。どこかに爆弾を仕掛けるのか」
    「流石だね。君に仕掛けて欲しいのは高速道路の高架だ」
    「自分で仕掛けろよ」
     平気で言える自分に驚いた。あまりに日常を超えた出来事が続くと感覚が変わるのか。
    「自分は安全な所から指図して俺を捨て駒のテロリストにしたいのだろ」
     俺が言うと少し間を置いて、
    「すぐに達観するのは冷静なのか人を信頼していないのか、それでよく彼女がいるな。彼女もそういうタイプかな」
     呆れに軽い笑いが混ざった男の声が響いた。何を言っているんだこいつな気分だ。
    「無駄話はもういい。俺に恨みがあるのか。俺に人を殺させて死刑にしたいのか」
     大声で言った。
    「君がやっても面白くないからな。モニターの電源を入れてくれ」
     言われた通り、大型の液晶モニターの電源を入れた。
     おどおどしながら歩く恵理の姿が映った。
    「おい!」
     思わず叫んだ。
    「ゆっくり楽しんでくれ。それじゃ」
     男が言うとマイクのスイッチが切れる音がした。
    「恵理!」
     伝わらないのはわかっている。だが叫ばずにいられなかった。
    「おい! どういうつもりだ」
     叫んだが返事はない。モニターを見る。恵理はグラスを掛けた。形は違うがわかった。
     こちらから何も出来ない。
     どこかの河原の高架下を恵理が歩いている。それを車から撮っている。たまに窓のフレームが映る。
     恵理がしゃがんで高架の柱の根元に何かを貼っている。どうせロクな物じゃないだろう。プラスチック爆弾か何かか。
     今更ながら爆弾は人が仕掛けるのだと思った。爆弾は実物だから誰かが仕掛けるのは当然だなと思いながら様子を見る。
     恵理が手袋を着けて何かやっていた。爆弾とXRを紐づけしているのか。色々と想像しながら見た。
     しかし何で俺にこれを見せているのか。冷静になる。俺の目の前で恵理を殺して俺が悲しむのを喜ぶのか。
    「普通の家庭で育った普通の君がどうしてそんなに冷淡なんだろうね」
     男の声がした。
    「身辺調査をしたのか。そんなに俺を好きなら直接訊けばいいだろう。陰キャラのストーカーかよ」
     俺がボソボソと言うと、
    「そう言うな。君のことを調べた上で選んだのだから」
     と半笑い気味に答えた。
    「どういう基準で選んだのか聞かせてもらいたいな。お人好しで騙されやすいとでも思ったのか」
    「平凡だと思っていたが冷静沈着。いや、冷酷といっていいかな。人は見かけによらないな。別に前から君を知っていた訳ではない」
    「適当に選ばれたって訳か。俺もついていないな。いつまでここに閉じ込めるつもりだ」
    「それは君次第だ。まあ楽しんでくれ。大好きな彼女を見ながらな」
     男はそう言うとマイクを切った。
     監視カメラ付きの殺風景な狭い部屋。まるで独房だ。独房? 警察に爆弾を仕掛けられるような連中なら警察の人間だとしてもおかしくない。過激な正義感からテロリストになる奴がいても不思議ではない。
     はっきりと悪人だとわかっていても誰もそいつを裁けない腑抜けた社会。ネットで勇ましいことを言う奴らも口先だけで自分の手で悪人を裁こうとしない。政治家も警察もみんなそうだ。「平凡」と思われている俺ですらその程度のことは肌で感じている。
     恵理はおどおどしながら歩いている。まだ爆弾を仕掛けるのか。
     
     いきなり二人の男が恵理に襲いかかった。恵理が男達に柱の陰に連れ込まれた。
     
    「おい!」
     思わず怒鳴った。
    「おい! 聞こえているだろ。何をやっているんだ」
     誰も答えなかった。
     柱の陰で何が起きているのか想像したくなかった。しかし脳裏に浮かぶ。
    「恵理!」
     必死に叫んだが、伝わらないのはわかっている。
    「お前ら絶対に許さないからな」
     俺は怒鳴った。
    「何だよ。そんなに大きな声で。彼女がレイプされたと思ったのか。モニターを見ろよ」
     男の淡々とした声に俺は「えっ」とモニターを見た。
     予想しない光景が目に入った。
     血だらけになった恵理が柱の陰からふらふらになって歩いて来た。
     数人のマスクを着けた男達が駆け寄って恵理に革ジャンをかけてその場を足早に去った。
    「彼女は強いね。襲われたら殺しても構わないって言っておいたから大丈夫だよ」
    「大丈夫って……恵理が殺されたらどうするつもりだったんだ」
    「ほう。殺されるのを想像したか。てっきりレイプされるのを想像して興奮していたと思ったよ。勃起しているんじゃないのか」
    「いい加減にしろ! 恵理を人殺しにして何したいんだ。警察にチクった俺に文句あるんだろ。ここにいるから何でもしろよ」
     怒りが無限に込み上がった。
    「別に警察に言ったことは怒っていないよ。それに彼女が殺されそうになったら仲間が助ける段取りだったからね。ちなみに彼女が殺したのは闇バイトに応募してきた連中だ。彼女を襲ったら百万やると言ったらすぐに飛びついて来たよ。馬鹿な連中だから気にすることはない。遺体は我々が処理する」
    「お前らの段取りなんかどうでもいい。恵理は人を殺したんだぞ! あんなに血を浴びて……ショックを受けているだろ。どうする気だ」
     淡々とした口調に腹が立つ。口調に抑揚があるだけのロボットみたいだ。ロボット? 俺は人間と話しているのか。疑問になった。
    「これからの計画を聞かせてくれ」
    「どうしたんだ。急に」
    「俺に何をさせたいんだ。爆弾を仕掛けるだけか」
     俺の問いに男は、
    「後で説明するから楽しみにしたまえ。彼女の仕事は終わったから家に帰すよ。モニターを切って指示を待て」
     と答えてマイクを切った。モニターに何も映らなくなった。
     出来のいいAIかと一瞬思ったが違うようだ。
     部屋が静かになった。恵理のことが心配になった。本当に家に帰ったのか。何も出来ないことに苛立つ。あんな目に遭って俺を嫌いになったな。襲った男達を殺した恵理は深く傷ついただろう。俺はどうしたらいいんだ。ひと通り考えて冷静になる。
    「従わない俺に嫌がらせをして俺を苦しめたいんだろう。ドS野郎が」
     呟いてベッドで横になった。
    「モニターを見たまえ」
     いきなり男の声がしてちょっと驚いた。モニターの電源を入れた。さっきの高架が映った。恵理が仕掛けた爆弾が爆発するのか。凝視した。
     特に変化はなかった。しばらくして男の姿が見えた。
    「坂崎さん!」
     知っている姿が見えた。何をやらせるのか。不安になる。坂崎さんは辺りを見渡している。他に人影はない。ここの連中に呼び出されたのか。坂崎さんはグラスを掛けた。
    「殺されるのか」
     ドラマを見ている気分だ。歩道から外れて立ち止まって起爆用のオブジェクトを解除しているようだ。
     柱が爆発した。
     破片が飛び散る。根元から上に亀裂が入る。柱が少しずつ崩れる。映画と違う崩れ方をするんだと他人事に見えるのは画面越しに見ているからか。驚く坂崎さんを見て現実に戻る。
     道路が崩れて車が流れ落ちる。その様子をカメラで映したまま車が走り去る。これがCGなら大したものだ。まだこの映像が本物か疑って見ている。高い技術を使っている連中なら作り物でも驚かない。
    「これであの刑事も人殺しだな」
    「嘘を教えたな」
     男の冷淡な声に俺は怒鳴った。
    「オブジェクトを壊したら爆弾を解除できると教えた。驚いた顔が面白かったな」
     少し半笑いで言う男にムカついた。
    「本当にサイコ野郎だな。俺にも同じことをやって欲しいのか。くだらない」
     俺が言うと、
    「いや、気が変わった。帰っていいよ。警察には寝ている間に監禁されたと言えばいい。そのくらいで我々は捕まらないからね」
     男が言うとドアのロックが解除する音が聞こえた。
    「さようなら。ドアを開けたらプレゼントが置いてある。警察に差し出すなり好きにすればいい」
     男はそう言うとマイクを切った。鉄のドアを開けるとそこは玄関で靴置き場の上に俺のスマホと新しい黒縁のグラスと手袋が置いてあった。グラスと手袋はいらなかったが、警察に渡す為に仕方なくポケットに入れた。奥のドアを開けて外に出た。どこかの河原で俺が閉じ込められていたのは黒い長方形のコンテナハウスだった。
     スマホで現在地を調べて警察を呼んだ。パトカーが来て警官が建物に入った途端、中で爆発音がした。
    「しまった!」
     思わず叫んだ。簡単に証拠を残す連中ではないのはわかっていた筈だ。警官は大丈夫か。心配になった。いや、心配している場合ではない。
    「早くここから逃げるんだ!」
     そうだ。こんな小さな爆発ですまない。俺は叫んで建物から全力で走って百メートル程先で止まって振り返った。
    「何が起きるんだ」
     一緒に逃げた警官が訊いた。
    「わからない」
     それだけ答えるのが精一杯だった。
     ドーン!
     コンテナハウスが爆散した。黒い煙と異臭が漂う中、スマホのメッセージ着信音が鳴った。
    『大当たり! 残念』
     俺を警官達と一緒に殺すつもりだったのか。怖くなったと同時に怒りが込み上げた。
     返信しようと思ったが、小さく深呼吸をしてスマホをポケットに入れた。
     警察でまた事情聴取。身柄を保護された。スマホとグラスと手袋は押収。今度はホテル住まい。
     恵理も身柄を保護されたらしい。場所は教えてもらえなかった。親は監視付き。高速道路の爆破事件が起きてから坂崎さんは行方不明。そんな中、俺は無事に解放されて警察に保護されている。俺が一番安全な場所にいる。しかし安心できない。この状況に何か思惑を感じる。
     警察署に爆弾を仕掛けたり、高速道路を爆破した連中だ。しかも死者が何人も出ている。
     コンテナハウスの爆発でも警官が死んだ。立派な犯罪組織だ。犯行声明がないから目的はわからない。ただの愉快犯とは思えない。
    「一体何でしょうね。あいつらって」
     ホテルでテレビを見ながら俺が言うと目の前のソファに座っている中年の刑事は、
    「人殺しだよ」
     と不愛想に言った。石井と名乗った彼は俺を嫌いらしい。彼が俺を見る目、俺を見る時の表情、何となくわかる。
     
     高速道路の爆破事件から三日経った。ニュースはこればかりでコメンテーターや専門家が憶測ばかり言っている。全部ハズレているのはXRグラスの仕掛けを警察が公表していないからだろう。そのうち週刊誌が書くか。俺のことも載るかな。犯人の一味とか。その前に坂崎さんが載るか。
    「恵理は大丈夫ですか。怪我していませんか」
     話すことがなかったから適当に言ってみた。目の前に中年の男がいるだけでも鬱陶しいから。
    「言えないな」
    「察しろですか。あんな目に遭ったから大丈夫じゃないですよね」
     モニターで見た光景を思い出す。血だらけの恵理の歪んだ顔は俺の知らない感情が滲んだ顔だった。俺のせいで傷ついたのは事実。悲しくなる。
     石井が俺をちらっと見た。
    「彼女なら大丈夫だ。安全な場所で保護している」
     気休めだとわかったが、答えてくれた。
    「そうですか。ありがとうございます。理由は何であれ人を殺してしまったのはショックでしょうね」
    「遺体はなかった」
     俺は「えっ……」と石井を見た。それと同時に男が「遺体を処理する」と言ったことを思い出した。
    「どうした。驚いてすぐに落ち着いたな。何か知っているのか」
    「いえ。何か仕掛けがあるのかなって。今まで散々振り回されて来たから何となくですがそう思っただけです」
     なぜか言いたくなかった。
    「ああ、手の込んだことをする連中だ。あの眼鏡の出どころもわからなかった。それを坂崎さんが勝手に持ち出した」
    「坂崎さんは脅されたのですか。俺と同じように誰かを殺すとか言われて」
     俺が言うと石井は黙った。彼の意思ではない。俺に余計なことを話すなと命令されたのだろう。俺も話すのをやめた。
     何もすることがないのでテレビを見ていた。護衛の警察が交替で見張る。どこから俺に連絡が来るかわからないのでトイレや風呂以外は付きっきり。気が滅入る。
     食事はコンビニで買ってきてもらう。テレビを見ながら知らない男達の目の前で食事。本当、気が滅入る。

    ◇無力感は慣れと比例するのか

     憂鬱なホテル暮らしが続いた。ある日の午後、テレビにニュース速報の文字が出た。
     国会議事堂前で爆発。
     目の前にいる刑事のスマホが鳴って俺を見ながら話し始めた。あいつらの仕業かと勘繰る。どうせ訊いても答えないから黙ってテレビを見る。
    「外に出ないように」
     刑事はそう言って部屋を出て行った。
     ドアが閉まる音がする。もし連中が俺に用があるならこのタイミングで偽者の刑事になって部屋に入って来る。簡単に想像できた。
     刑事が部屋を出て三十分──
     ノック音はしない。ルームサービスを装った男は襲って来ない。外で銃声がしない。焦げ臭い煙はない。映画やテレビで観て思いついたパターンは何も起きない。俺は被害妄想が酷いのか。自意識過剰なのか。嫌な気分になる。
     無造作にドアが開く。思わず驚く。背広姿の眼鏡をかけた高齢の男だ。六十才前後か。
    「代わりに来ました」
     穏やかに話す男に安心する。テレビでドラマの再放送が流れる。爆破事件の続報が流れないのは、大したことではなかったのか。
    「スマホ、返してくれませんか。退屈なので」
     ダメ元で頼む。「それは無理です」と男は答える。「そうですか」と俺も答える。男のスマホが鳴る。「失礼」と男がスマホを見て外に出る。
     
     ドン! ドン! ドン! ドン! ドン!
     外から爆発音が何度か響いた。
     
    「来たか!」
     驚きよりやっぱりな気分。不安よりも僅かな期待と高揚感。一瞬で様々な感情が湧く。俺はソファに座って目を閉じた。
    (何があっても外に出ない)
     俺は心で呟く。ドアが開いて走る足音が近づく。
    「ここは危険なので避難します」
     さっきの男だ。
    「いえ、ここにいます。どこに逃げても一緒ですから」
     俺の答えに男は少し驚いた。そして微笑んだ。
    「大した男だよ。これは君にプレゼントだ。退屈しのぎにどうぞ」
     男はグラスとスマホを俺に投げて部屋を出た。
    「つまらない」
     俺はソファに座ったままスマホを操作した。
     
     警官が数人、ドカドカと入って来た。スマホとグラスをズボンの中に隠す。
    「ここは危険です。案内します」
     警官の一人が言った。俺は「着替えを持って来ます」と寝室に入り、スマホとグラスをバッグに入れてリビングに戻った。
     部屋を出る。煙が漂って騒がしい。警官達に連れられて上の階の部屋に移る。背広姿の刑事と一緒に入る。
    「石井さんは来ないのですか」
    「今向かっています」
     刑事は慌てた表情で答える。普通のリアクションだ。さっきの男は何者だろう。
     着替えずにソファに座る。テレビのリモコンを操作する。
     国会議事堂と首相官邸で小型爆弾による爆破事件が起きて報道特番をやっていた。随分と派手にやったもんだ。
    「坂崎さんの行方はわからないのですか」
    「まだです」
     落ち着きを取り戻したかのように答える刑事に「そうですか。それじゃシャワー浴びます」と答え、寝室で着替えを出してシャワールームに入った。
     
    「恵理がいなくて寂しいだろ」
     鏡に手書きのメモと恵理の写真が貼ってあった。ため息をつく。
     
    「ちょっと来てください」
     大声で言うと刑事が来た。俺は黙って鏡を指差した。刑事は驚いてスマホで連絡すると数人の警官が入って来た。黙ってシャワールームを出て寝室でバッグからスマホを取り出す。SMSが届いていた。
     
    『ホテルに爆弾を仕掛けた。5個のオブジェクトを壊さないと爆発する』
    『いい加減にしろ!』
     メッセージを見た途端に返信した。それでやめる相手じゃない。さっきもらったグラスを掛けてスマホのアプリと接続してグラスを起動する。メッセージが映った。
    『今から45分以内で解除しろ』
     グラスにタイマーのカウントダウンが表示された。
     
    「くそっ!」
     俺は寝室を出てシャワールームにいる刑事達に言うと彼らはすぐに部屋を出た。
     部屋の中では座標は表示されなかった。ここにはない。
     部屋を出た。警官達が慌てている中でフロアを走り回った。座標が映った。
    「どこだ」
     奥にある自動販売機の前に青い立方体のオブジェクトが浮いていた。
    「手袋がなくても壊せるのか」
     不安に思ってオブジェクトを握る動作をすると粉々に壊れた。
    「便利になったな」
     皮肉を込めて言う。メッセージが届く。
    『君の指紋を登録した試作品だ。指とグラスの位置関係をセンサーで測っている。楽しんでくれ』
     メッセージに舌打ちしてエレベーターで最上階に着く。四十階建てのホテルを探すのは警察署より大変だ。
     階段を下りてフロアを駆け回る。廊下に浮いた青い立方体のオブジェクトを壊す。
     一階のフロントまで下りながらオブジェクトを壊して残り一個を探す。見当たらない。地下の駐車場に下りる。
    「あった」
     残り七分。白い車の前に浮かぶ青い立方体のオブジェクトに駆け寄る。
     オブジェクトが赤く変わった。
    「何だよ。これは」
     戸惑っているとグラスにメッセージが届く。
     
    『壊したら爆発する……かも知れない』
     からかわれているのを承知で返信する。
    『他にオブジェクトがあるのか』
    『ない。どうする。壊すか放棄するか』
     
     メッセージを見て駐車場を走り回る。近くに警官がいないので一階に上がってフロントにいた警官に言って地下に戻る。
     あと三分。
     赤い立方体のオブジェクトが浮いている前に立つ。
     グラスのカウンターが一分を切る。どうするか迷う。爆発する可能性が高い。無心になって選択した結果──
    「壊す」
     警官達が見守る中、赤い立方体のオブジェクトを握り潰した。目を閉じた。
     爆発は起きなかった。
    「まだ近くにいる筈だ!」
     俺が叫ぶと警官達は車の中を見回ったり駐車場の出入り口に走った。
     多分いる──直感する。まるで近くで見ているかのようなタイミングでメッセージを送るのは盗聴や盗撮では無理だ。視線を感じる。警官に変装しているのか。車の中から見ているのか。さっきの男か。
    「取りあえず部屋に戻りましょう」
     警官が声をかけてきた。疑うが他にやることがないので従う。数人の警官に付き添われて部屋に戻った。中に石井さんがいた。穏やかな表情だった。
    「大変だったな」
     石井さんが淡々と言った。
    「どうして他のホテルに移らないのですか」
     わざとらしく訊いた。
    「こんなに早くバレるとは思わなかった。他のホテルを手配しているが、警備の準備に手間取っているから今夜はここで泊まってくれ」
     想像していた答えと違った。どうせバレるからここでいいと答えると思った。
    「別に留置場でもいいですよ。ホテルの人達に悪いでしょ。泊まっている人もいるし」
     気だるく答えると、
    「へえ、若いのに気が利くんだな」
     石井さんが感心した。別に嬉しくなかった。
     俺は「普通ですよ」と答え、ため息をついてペットボトルの緑茶を飲んだ。
     
     翌日、前とは違う警察署の留置場に入った。
     居心地は悪いが安心した。今は仕切られた檻が自分を守る為にあると思った。
     スマホとグラスを警察に渡して外界と断ち切った生活。恵理や親のことは心配だが、警察から何も言ってこないから大丈夫だろう。
     ベッドで横になって差し入れの雑誌を読む。緊張している。
     強面の刑事が来た。
    「君を他の警察署へ移送する」
    「バレたのですか。早すぎませんか」
     どんどん感情が無くなっていく。疲れよりも新しい環境に適合しているのか。
    「よほど気に入られているのだろう」
     刑事はグラスとスマホを差し出した。いくら手放しても勝手に戻って来る人形が出るホラー映画を観ている気分だ。
    「どうしてこれを?」
    「どうせ捨てても誰かが君に新しいのを渡す。まるでホラー映画だな」
     同じことを思っていて笑いたくなったが、堪えて受け取った。
     グラスとスマホを無線で繋げてグラスを掛ける。メッセージが届いていた。
     
    『どこにいても君の居場所はわかる。どうしてかな』
     メッセージをそのまま口に出して読み上げる。刑事が怪訝な表情になる。俺は黙ってメッセージを打った。
    『内通者がそばにいるから。例えば目の前の刑事』
     送信するとすぐに返信が来た。
    『勘繰りすぎだ。人間不信だな』
     若干当たっている。そうなったのはお前のせいだろと心で突っ込む。
     
     指先の動きと左のレンズに映る簡略なソフトキーボードの動きの連携が完璧だ。以前より格段に操作性が向上している。
     留置場でしかも刑事の前で爆弾犯と交信している異様な状況に気づいて交信をやめた。
    「いつ移るのですか」
    「今夜だ。いつでも出られるように」
     刑事は素っ気なく言って部屋を出た。
     午後十時過ぎに刑事達に囲まれて警察署を出た。覆面パトカーに乗り込んで少し安心した。命を狙われている訳でもないが、過敏になっているのかも知れない。
     隣に座った石井さんはスマホで誰かと話している。後部座席の中央に座ってフロントガラスから見える殺風景な街並みを眺めている内にホテルに着いた。
     部屋に入るとため息をついた。
     
    「今日はゆっくりお休み」
     床にそう書かれたA4用紙が置いてあった。
     
     俺は「やっぱり」、刑事達は「びっくり」の瞬間。つい口元が緩んだのを自覚した。
    「休んでいいですか」
     近くにいた石井さんに訊くと「待ってろ」と答えてどこかへ行った。まあいいやと思いながらドアの横の壁にもたれて待った。
     結局、他のホテルに移るのも面倒なので部屋で休むことになった。
     シャワーを浴びてジャージに着替えてグラスを掛けた。
    『今度はちゃんと迎えに来るよ』
    『あっそ。好きにしろ』
     届いたメッセージに何も考えずに返信して寝た。

    ◇決断と選択は似て非なるものだと実感した

     翌朝、テレビの電源を入れた。
     世界の主要都市でネットワーク障害が発生したニュースが流れた。
    「失礼するよ」
     眼鏡を掛けた男が部屋に入って来た。知らない顔ではない。ホテルで俺にスマホとグラスを渡した六十才前後の男だ。
    「驚かないのか」
     男は微笑んで訊いた。
    「くだらない鬼ごっこはうんざりだ。俺に何をしたいんだ。殺したいのならさっさと殺せよ」
     俺が投げやりに言うと男は、
    「そのつもりはない。言っただろ。迎えに来たんだよ」
     そう言って手を差し出した。
    「刑事がテロリストとは笑えないな。どうなっているんだ」
    「その辺は後で話す。どうする」
    「断っても付きまとうだろ。全然嬉しくないから」
     俺は荷物を持って男と一緒に部屋を出た。
     外にいる警官達は何の反応も示さなかった。まるで気づいていない振り。少しムカついた。
    「あんた、何者だ。警察の上の人間か」
    「まあ、そういうところだ」
     俺の問いに男はサラッと答えた。こいつには敵わないと思った。ホテルの前に止まった黒い外車に乗った。
    「ご家族と彼女の身の安全は保障する」
    「それはどうも」
     俺は淡々と男に答えた。車窓から見える町がなぜか色褪せて見えた。
     もう戻れない──
     なぜか思った。
     車が止まったのはどこにでもある雑居ビルの前だった。
     三階の部屋に入る。何もない空っぽの部屋。しかし綺麗に掃除してある。
    「グラスを掛けて起動してくれ。アプリと接続する必要はない」
     男の言った通りにグラスを起動する。
     グラス越しに見えるのは大きな画面。
     男が説明を始めた。
     聞いたことがない会社。それは複合企業で様々な商品を作って売っている。
     大企業の下請けみたいなことをやっているが、世界規模にグループ会社を展開している。
     グラスに映る画面で会社の情報が次々と表示される。日本の有名な企業とも取り引きしている。
    「会社説明会ならいらないよ。就活は来年やるから」
     俺が言うと男は、
    「面白いね。君は」
     と笑って話を続けた。
    「その大企業と俺とどんな関係があるんだ。それにド派手なテロは何だ」
     ひと通りの説明が終わって俺は訊いた。
    「新たな社会の構築ってところだな」
     男の言ったことが理解できない。
    「君を選んだのは無作為だった。中流の家庭で育った普通の大学生。アルバイトをしながら週末は彼女と激しいセックス。真面目かどうかわからない。知能は普通。総合評価をSABCDの五段階で評価すると「B」。特に試した訳でもない。死んだら次を選ぶつもりだった」
     男は淡々と言った。
    「ああ、そう」
     投げやりに答えた。男は微笑んだ。
    「そういう達観したところは意外だった。グラスのモニターだけやってもらうつもりだったが、行動力が面白くてね。泳がせて様子を見ることにした。彼女の身の安全より警察にまっすぐ駆け込んだのは独特の保身があるからかな。追い込まれたら大切な人より自分の命を守るタイプだな」
    「言いたいことがあるなら直接言えよ。いつも周りくどいんだよ」
     段々話すのが面倒臭くなってきた。
    「まあ続きを聞きたまえ」
     男は話を続けた。
    「つまり、その企業が世界を治めるってことか。頭おかしいぞ」
     俺は呆れた。
    「荒唐無稽な話だが、それが出来るんだよ」
    「どこのカルト教団だ。世界を滅ぼして新たな世界を作るつもりか」
    「話を聞いたらみんな大体そんなリアクションをするよ」
    「それで宗教に勧誘か。断ったら殺されるのか」
     俺は投げやりに言った。
    「君に面白いことをやってもらおう」
     男が言うと目の前に赤い立方体のオブジェクトが浮いた。
    「またこれか。壊したらどうなるんだ」
    「さあな。試す勇気があるかな」
     男がにやついて言った。煽られた気分だ。
    「断ったら?」
    「もちろん。殺す」
     あっさり答える男に呆れる。
    「罪悪感はないんだな」
    「そういう仕事なんでね」
    「これを壊したら俺は逮捕されるか死ぬのか」
    「逮捕されないが、死ぬのは君の自由だ」
     壊さなかったら死ぬ。壊したら死ぬかも知れない。七十五パーセントの確率で俺は死ぬ。無意味な暗算に苦笑。余裕じゃなくて投げやりになる。
    「わかったよ」
     俺は赤いオブジェクトを握り潰した
     部屋は静かだ。男は黙ったまま。
    「また悪ふざけか」
    「いや。君はよくやったよ」
     男は指を動かした。
     目の前に青い世界地図が浮かんだ。日本から世界各地に繋がる細い線。小さな赤い点が次々と地図上に映る。
    「これは何だ」
     俺が訊くと、
    「爆発地点だよ」
     男は地図越しに答えた。各国の都市部が点で真っ赤になる。
     思わず俺は「嘘だ」と笑った。
    「ニュースでも見るか」
     男が軽く言った。地図の隣の空間にどこかのニュースサイトが映った。
     各地で爆破事件が起きた記事が載っていた。
    「どうせ偽のサイトを映しているのだろ。騙されないぞ」
     俺はグラスを外して部屋を出た。男は追ってこない。
     ビルを出た。遠くで煙が上り、消防車やパトカーのサイレンが鳴っていた。
    「何だ。火事か」
     俺は呟いてなぜか安心した。
    「君のせいだよ」
     背後で男が言った。思わず振り向いた。
    「市役所、警察署、消防署。この辺だとそれくらいだな。東京だともっと爆発しているな」
     男が遠くを見て言った。確かにあちこちで煙が上がっている。
    「大丈夫だ。誰も君のせいだと思わない。もうすぐ声明が出るよ。この爆発でどれだけ死んだかわからないけどね」
     罪の意識がない俺は何も思わない。
    「本気で企業が人類を治める世界を作るつもりか。政治家達が許さないぞ」
    「この世界で一番いらない人間は政治家だ。政治家が様々な壁を作り、政治家が争いを生む。自分の私利私欲を満たす為に企業や民衆に無理難題を押し付ける。政治家というのは人間社会で必要悪な存在だ。そんな政治家達を根絶する為に有志による反乱が起きた」
    「よく言うな。市場の独占と完全な独裁が目的じゃないのか」
     俺が言うと男は微笑んで、
    「すぐに慣れる。上が政府から企業に代わって人間は生まれてから死ぬまでどこかの社員となり人生は保障される。福利厚生が充実しているから飢えはない。これから十年かけて抵抗する人間を粛清する。君はどうする。我々に従うか、抗うか。従うなら特別なポストを約束するよ」
     淡々と話す言葉の端々に感情が混ざっていた。
     パン──
     銃声が鳴った。腹に痛みが走った。右側を見る。
     坂崎さんが銃を構えていた。俺は男を見た。
    「やっぱり嘘だったのか……」
     俺は息を荒げて言った。男は、
    「違う。彼は敵だ」
     と言うと銃を持って発砲した。
    「い、痛い……」
     腹の痛みと息苦しさで声がかすれる。
     乗って来た車の後部座席で意識がもうろうとした。
     このまま死んでどこかに捨てられるのか。それでもいいと思う。体が熱い。
     病院で目覚めた時には痛みは和らいでいた。
     病院の前で男が俺を車から降ろして走り去った。そして手術──全く覚えていない。
     警察の事情聴取はいかにも事務的で虚しかった。
     知らない男と雑居ビルに行って坂崎刑事に撃たれたとだけ話した。
     入院中に親が見舞いに来た。恵理は来なかった。
     親は大学を辞めて実家に帰って来るように言ったが、卒業したいから断った。
     一ヶ月で退院してからは自宅療養の為にバイトを辞めて休学した。
     今日も自宅でテレビを見る。朝から晩まで爆破事件の特番ばかりだ。
    「これからどうなるんだ」
     手元にあるグラスを掛けてスマホと接続して起動した。
     グラスにメッセージが届いていた。
    『彼の行方はまだわからない。気をつけてくれ』
     込み上げる怒り、そして諦め。黙ってグラスをはずした。
     数日後、スマホに恵理からメッセージが来た。
    『ごめん。大学を辞めて実家に帰る。電話した方が良かったかな』
     返事に困ってしばらく考える。
    『いいよ。警察で聞いたよ。色々あったんだな。力になれなくてごめん。たまには電話しろよ』
     入力して「色々あったんだな」を削除して送信した。すぐにメッセージが来た。
    『ありがとう。じゃあね。ありがとう』
     二つ目の「ありがとう」で終わりを確信した。
     復学した時には恵理はいなかった。
     周りの学生は恵理の中退より世界規模で起きた爆破テロ事件の話題でもちきりだった。
     警察の監視から解放され、変わってしまった日常を過ごす俺も不安しかなかった。
     
     古びた建物の廊下で、
    「明日は誕生日ね」
     隣で恵理が笑って言った。
    「誕生日なんてもう嬉しくない年だ。明日で五十だぞ」
     歩きながら俺は答えた。
    「別に祝いの食事会とかいらないからな」
    「自意識過剰ね。明日は旦那と食事よ」
     二人で話していると突然、守衛が前に立った。
     老いているが見覚えのある顔。坂崎さんだ。
    「死ね! 売国奴!」
     坂崎さんは怒鳴って銃を構えた。
    「ここで俺は死ぬのか」
     俺は呟いて目を閉じた。銃声が数回。目を開けた。
     坂崎さんが仰向けに倒れていた。
    「ご苦労でした。石井さん」
     俺は振り向いて年老いた石井さんに礼を言った。
    「いえ、片付けろ!」
     石井さんが言うと他の守衛が坂崎さんの遺体を運んで行った。
    「死ぬ気だったの?」
     恵理が無表情で訊いた。
    「いつかロクな死に方しないと思っているよ。君も凄いな。怖がらずに隣に立っていた」
     恵理を見て言った。気高さを感じる女になった。
    「お互い苦労したからね。大学を辞めてまた会った時には和樹は本社の東ユーラシア事業部の副部長」
    「恵理は日本支社の資材部長だからな。平凡な俺と違ってかなりの切れ者だと本社で噂になっているぞ」
    「それはどうも」
     二人で話しながら国会議事堂の議場に入った。
     巨大な複合企業が治める政治家がいない世界。
     生まれて死ぬまで社員として働き、自社商品を買って給料をもらって暮らす社会。
     決して平等や自由ではない新しい社会で人々は生きている。
     掛けていたグラスにメッセージが届いた。
     
    『希望の異動先は決まったかい?』
     俺はフッと笑って、
    『そっちへ行っていいかな』
     指先を軽く動かす。
    『却下。君はすぐバレるから無理。表の世界で頑張るんだね』
     メッセージを見て微笑む。
     
    「誰から?」
     隣の席に座った恵理が訊いた。
    「古い知り合いからだ」
     俺は淡々と答えて席に座った。
     円形の議場で幹部達による会議が始まった。
    (了)

     
     
     
    主に小説・音楽 遠い所から生温かく見守って頂けたら嬉しいです。 X(Twitter) https://x.com/kutowon000_jp

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