
見上げるよりも見下ろすよりも、真横にある桜が1番好き
新生活、私は特に変わらないはずなのに周りが変わっていく。このままだと取り残されてしまうかのような気がして、ぼんやりとした不安を感じながら今日も会社に向かう。
でも焦りは大きくなく、むしろ諦めることが増えてきたお年頃。自分よりちょっと若い後輩たちのお悩みを聞いてるとどれもが眩しい。もちろん当の本人たちは、もがいてるのだからキラキラしてるなんて言われたら腹が立つかもしれないけど。
私も数年前まではそうだった、無知ゆえの怒り、未熟ゆえの悔しさ、たくさんのまっすぐな感情を持っていた。
今は蓋をしている、うまくやっていかないと生きるには少し大変すぎるから。そして、かれらを守れないから。
大人になって、大人の気持ちが腹落ちする機会が増えてきた。子供の時に言われたこと、社会人になったばかりの時に向けられたたくさんの感情を当時はわからなかったが、少しずつ実感を伴うようになってきた。
周囲が明るい期待と不安でいっぱいに包まれていくなか、私の本体はどこか遠くにいる。
通勤で向かう道すがら、草花たちや小鳥たちだけが、ゆっくりと季節の移ろいを確かに感じさせてくれるのだ。
昨日よりもたくさん咲いてるチューリップに、花ってこんなに開くんだと驚いたり。
どうしてここは、こんなに雀たちが止まっているのかな、と見上げると一斉に動いたり。
川には花筏ができていたり。
やっと訪れたあたたかい春を味わい尽くす前に、
桜にはほんのり緑が混じってくる。
今年もただひとりで桜を見る自分を愛おしく思う、
君とみたかった桜をとじこめて。
きっと君とみたかった桜は、こんなふうに「ねえみて、綺麗だね」と
肩を寄せ合って見上げたり。
遠くに見つけてぼーっと見下ろしてみたり。
でもひとりで見る桜は、ただ静かに隣にいてくれるのだ。何者になろうかとずっとぐるぐるしては傷つく私のそばに、ただそこにいるだけなんだと。
今日も優しい人がいる。
この人は咄嗟で動いていて
優しさを差し出してるとも思わず
ただ当たり前に生きている。
息を吸うかのように差し伸べられる善意に救われるのは、かのお爺ちゃんだけではなく
こうやってたまたま見た私もだし
そして今日、心のほぐれた私がこれから触れていく人にも伝わっていくのだ。
見えなくても
どこかで起こっている
優しい小さな世界を守れるように
私もじんわりと変わりながら、生きていくのだろう。