
『四階のない病院』
第1話「雨の夜の病院」
大学二年生の真司は、コンビニの夜勤バイトを終えた帰り道、突然の豪雨によって終電を逃してしまう。スマホの充電は残りわずか、財布の中には数百円しか入っていない。仕方なく徒歩で帰宅しようとするが、なぜか同じコンビニの前を何度も通り過ぎてしまう。
不安になった真司の前に現れたのは、見覚えのない古い病院「城山総合病院」だった。
病院の中は異様なほど静かで、患者も医師も見当たらない。唯一いたのは顔色の悪い看護師だけだった。
看護師は真司にこう告げる。
「四階には行かないでください。」
しかし病院の案内板に四階は存在しない。
その直後、エレベーターの表示に赤い「4」が浮かび上がる。
開いた扉の向こうから聞こえてきたのは、三年前に亡くなった祖母の声だった。
第2話「404号室」
翌朝、自宅で目を覚ました真司は、昨夜の出来事を悪夢だったと思い込もうとする。
しかし机の上には見覚えのない診察券が置かれていた。
患者名――真司。
病棟――四階病棟。
病室――404号室。
さらにスマホには毎日深夜0時になると通知が届くようになる。
「次回診察まであと6日」
「次回診察まであと5日」
カウントダウンは止まらない。
友人に相談しても誰も信じてくれない。
しかし真司が撮影した診察券の写真だけは、なぜか画像データとして保存できなかった。
第3話「消えた病院」
真司は病院の正体を調べ始める。
地図アプリにも病院は存在せず、市役所の記録にも「城山総合病院」という名前はない。
しかし図書館で古い新聞を調べていた真司は、二十年前に起きた病院火災の記事を見つける。
病院名は同じだった。
火災では患者と職員を含め三十七人が死亡。
だが不思議なことに、火災当日の見取り図には存在しないはずの四階が描かれていた。
さらに記事の最後には奇妙な証言が載っていた。
「四階から助けを呼ぶ声が聞こえた。」
しかしその病院は三階建てだった。
第4話「呼ばれる人」
真司の周囲で異変が増えていく。
大学のエレベーターでは押していない四階のボタンが点灯する。
アパートのエレベーターにも存在しない四階が現れる。
夜中に目を覚ますと、部屋のドアの外からストレッチャーを押す音が聞こえる。
ガラガラ。
ガラガラ。
音は毎晩少しずつ近づいてきた。
そしてある日、真司の部屋のインターホンが鳴る。
モニターに映っていたのは、あの病院の看護師だった。
「お迎えに参りました。」
第5話「四階の患者たち」
真司は病院火災の唯一の生存看護師だった老女を探し出す。
老女は真司の持っていた診察券を見た瞬間、顔色を変える。
「まだ続いていたのね……。」
老女は語る。
事故の日、存在しない四階へ向かった職員たちは誰一人戻らなかった。
だが数日後、行方不明だった患者たちが病院周辺で目撃されるようになる。
彼らは皆、同じ言葉を繰り返していた。
「帰りたい。」
「でも帰れない。」
「代わりが必要なんだ。」
第6話「もう一人の真司」
真司の周囲で「真司を見た」という証言が増え始める。
授業を休んだはずの日に大学へ来ていた。
バイトを休んだ日に店へ顔を出していた。
友人と遊びに行った記憶まで残っている。
だが真司本人には覚えがない。
ある夜、真司は鏡の中の自分が一瞬だけ笑ったのを目撃する。
自分は笑っていない。
鏡の中の真司だけが笑っていた。
そして鏡の中の自分が口を動かす。
「もう時間だよ。」
第7話「入院手続き」
深夜0時。
真司の部屋に封筒が届く。
中には入院申込書、同意書、病室案内。
すべて記入済みだった。
署名欄には真司自身の筆跡。
保証人欄には、すでに亡くなっている祖母の名前が書かれていた。
翌日、大学へ行くと自分のロッカーに患者服が入っていた。
さらに学生証の顔写真がいつの間にか病院の患者写真に変わっている。
周囲の人間も少しずつ真司の存在を忘れ始めていた。
第8話「存在しない四階」
ついに真司は再び城山総合病院へ迷い込む。
今度の病院は前回よりも人が多かった。
待合室には無数の患者が座っている。
だが誰も顔を上げない。
診察室には医師がおり、受付には職員もいる。
しかし全員の名札には名前が書かれていなかった。
エレベーターに乗せられた真司は、ついに四階へ到着する。
そこには長い廊下と大量の病室が並んでいた。
病室の名札には行方不明者たちの名前。
そして一番奥の404号室。
そこには最初から真司の名前が書かれていた。
第9話「帰りたい人たち」
404号室の中で真司を待っていたのは、これまで行方不明になった患者たちだった。
彼らは普通の人間に見えた。
笑い、話し、食事をしている。
だが窓の外には何もない。
景色も空も存在しない。
患者たちは口を揃えて言う。
「ここには時間がない。」
「歳も取らない。」
「死ぬこともできない。」
そして彼らは真司に真実を語る。
四階から出る方法は一つだけ。
新しい患者を代わりに残すこと。
つまり誰かを犠牲にすることだった。
その時、病室の扉が開く。
入ってきたのは、外の世界で生活していたもう一人の真司だった。
彼は笑いながら言う。
「交代の時間だ。」
「今度は君が残る番だよ。」
最終話「四階のない病院」
「交代の時間だ。」
404号室の入口に立つ、もう一人の真司が笑っていた。
真司は言葉を失う。
目の前にいるのは、自分と同じ顔、自分と同じ声を持つ人間だった。
違うのは表情だけだった。
目の前の真司は笑っている。
まるで長い仕事を終えた人間のような、安心した笑顔だった。
「何を言ってるんだ……。」
本物の真司が言う。
するともう一人の真司は静かに病室へ入ってきた。
「君も気づいてるはずだよ。」
「大学の友達が少しずつ君を忘れていたこと。」
「バイト先で出勤記録が消えていたこと。」
「家族との写真が減っていたこと。」
真司の背中を冷たい汗が流れる。
確かにそうだった。
母親との写真がスマホから消えていた。
大学の友人とのグループ写真でも、自分が写っていた場所だけが不自然に空いていた。
「君は外の世界から消え始めてる。」
「そして僕は戻ろうとしている。」
「順番なんだ。」
病室の外から足音が聞こえる。
ペタ。
ペタ。
ペタ。
廊下には無数の患者たちが集まっていた。
全員が真司を見ている。
そして全員が同じ言葉を繰り返していた。
「帰りたい。」
「帰りたい。」
「帰りたい。」
その時、看護師が現れた。
白い制服。
青白い顔。
最初に病院で会ったあの看護師だった。
「面会時間は終了です。」
看護師は静かに言う。
「患者様の入れ替えを開始します。」
病室の壁に掛かっていた時計が逆回転を始める。
カチ。
カチ。
カチ。
部屋の景色が揺れた。
真司の身体が重くなる。
足が動かない。
「嫌だ……。」
「俺は帰るんだ。」
「まだやりたいことがあるんだ!」
もう一人の真司は少しだけ寂しそうな顔をした。
「僕だってそうだった。」
「でも二十年間待ったんだ。」
「今度は君の番だよ。」
その瞬間だった。
病室の扉が開いた。
廊下の奥。
非常口の扉が開いている。
その向こうには夜の街が見えた。
雨の匂い。
車の音。
風の音。
外の世界だった。
看護師が言う。
「出口は一人分しかありません。」
「どちらか一人だけが帰れます。」
沈黙が流れる。
患者たちの視線が二人に集まる。
もう一人の真司が笑う。
「行きなよ。」
真司は驚く。
「え?」
「君は二十年間待ってない。」
「僕は待った。」
「だからもう疲れたんだ。」
「今度はちゃんと終わらせたい。」
真司は首を振る。
「そんなことできるわけないだろ!」
「お前だって真司なんだろ!」
その言葉を聞いた瞬間、もう一人の真司は初めて驚いた顔をした。
そして少しだけ笑った。
「そうか。」
「僕も真司なんだな。」
病院全体が揺れ始める。
警報が鳴り響く。
赤い非常灯が点滅する。
廊下の患者たちが叫び始めた。
「行くな!」
「置いていくな!」
「代わりを残せ!」
看護師の表情が初めて崩れる。
「早く決めなさい!」
「病院が閉じます!」
真司はもう一人の真司の手を掴んだ。
「帰るぞ。」
「二人で。」
看護師が叫ぶ。
「不可能です!」
「外へ出られるのは一人だけです!」
真司は走った。
もう一人の真司の手を引いて。
患者たちの間を抜ける。
廊下を駆ける。
階段を下りる。
非常口まであと少し。
背後から無数の手が伸びる。
白い手。
焼け焦げた手。
冷たい手。
それでも真司は走った。
そして。
二人は同時に病院の外へ飛び出した。
次の瞬間。
背後で大きな音が響く。
振り返る。
そこに病院はなかった。
ただの空き地だけが広がっていた。
雨が降っていた。
冷たい夜の雨だった。
真司は隣を見る。
もう一人の真司が立っている。
彼は空を見上げて笑った。
「外の雨って、こんな匂いだったんだな。」
身体が少しずつ透け始める。
真司が息を呑む。
「おい……。」
「消えるのか?」
彼は頷く。
「四階は壊れた。」
「だから僕も終わるんだと思う。」
「でも悪くない。」
「最後に帰れたから。」
身体が光になっていく。
消える直前、彼は真司を見る。
「残りの人生、ちゃんと生きろよ。」
「僕の分まで。」
そして。
もう一人の真司は夜の雨の中へ消えていった。
一年後。
真司は大学を卒業し、新しい仕事を始めていた。
あの日のことを誰も覚えていない。
城山総合病院を知る人もいない。
すべて終わった。
そう思っていた。
ある雨の夜。
仕事帰りの真司は、ふと足を止めた。
道路の向こう。
見覚えのある赤い看板が見える。
古びた病院。
かすれた文字。
そこには確かに書かれていた。
城山総合病院
そして病院の窓。
四階にだけ灯りが点いている。
存在しないはずの四階に。
その窓際で。
白い看護師が静かに微笑んでいた。
その瞬間、真司のスマホが震える。
届いた通知は一件。
差出人は表示されていない。
本文にはこう書かれていた。
「405号室の患者様が不足しています。」
完