メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bywriting_nrm

コルセット店長

    東日本大震災が起こった翌年、私はがんになった。
    がんは初期段階だったので大したことはなかったのだが、
    予後を考えて、少し大きな手術をすることになったので、入院することになった。

    手術の朝早く、主治医がまさかの部屋を間違えるという事態が勃発。
    裸足にトイレスリッパ(みたいなスリッパ)で、
    直線の廊下をはるか彼方から猛ダッシュする主治医が近づいてくるのは、先生には申し訳ないが結構笑えた。
    看護師一同も「先生カワイイよね〜❤️」と和やかに笑う。
    深刻なはずの手術は笑いに包まれて始まり、無事に終了。
    その後事件(?)は起こった。

    母と妹が九州から見舞いに来た。夫も一緒だ。
    「じゃあお昼を食べてくるから」
    手術直後でひどく痛むお腹をさすりながら、手を振って一同を見送った。
    そこまではよかった。

    2時間後。
    「ただいま〜〜〜〜うひゃひゃひゃ」
    一同顔が赤いし、ずいぶんハイテンション。かなり酔っているらしい。
    いきなり「はい」と何か渡された。パンフレットだ。

    …ハングル?読めないー!意味わかんないー!
    築地本願寺のパンフレットだということだけはわかった。
    「うひゃひゃひゃ」戸惑う私を見てみんな笑っている。
    周りの患者さんの迷惑になりそうで、とても部屋にいられないので、面会ルームに移動(痛むお腹をさすりながら)。

    母と妹が楽しそうに大声で話す。
    「○○くん(夫の名)にすしざんまいに連れて行ってもらったの〜。ずっと行きたかったから。そこでお腹いっぱいマグロを食べて、ビールを飲んで、気持ちよくなってお散歩してお寺に行ったの!」
    普段ごきげんにならない夫だが、楽しそうに続ける。
    「そしたら大勢で『歎異抄』を音読していたんだよ。それがもうおかしくっておかしくって。葬式とかああいう厳粛な雰囲気の中にいると無性に笑いたくなるから、こらえきれずに出てきちゃった」
    3人爆笑。

    Youは何しに病院へ?
    ごきげんな酔っ払い3人が騒ぐので、ここでも迷惑になると思い、院内の喫茶店へ移動することにした。
    落ち着いた雰囲気。さすがにここでは静かになってくれるだろう。

    コーヒーを飲みながらなごやかに談笑…していると、妹が窓辺を指差した。
    患者さんが忘れていったのだろうか。
    出窓にぽつんと無機質なコルセットが置かれている。

    妹が言った。
    「あれ、実はここの店長さんだよ。
    この出窓からみんなを見渡して、きちんと仕事してるか見張ってるんだ」

    一同爆笑。私もつられて大笑い。

    結局喫茶店でも大騒ぎして、ゲラゲラ笑いながら3人は帰っていった。
    私も笑ったのでかなりお腹が痛い。傷が開いたらどうしてくれるんだ。かなり痛いぞ。
    再び患部をさすりながら部屋に戻る。

    部屋はしーんとしている。今までの喧騒が夢のよう。
    真っ白なシーツの上には、ハングルの築地本願寺のパンフレットだけがぽつんと残された。お腹痛い。


    それが、私のがんの思い出。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
     
    身の回りのくすっと笑える出来事を中心に綴っています。 公認心理師、精神保健福祉士。英語の勉強中。 大好きな本の翻訳を出版して、著者と友達になるのが夢。 行くぞロンドン☆

    あなたへのおすすめ