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あの世を信じたほうが幸せ

    4回にわたって、親鸞しんらんの思想である悪人正機しょうき説を解説してきました。
    今回は番外編として、 「極楽浄土」について考えてみたいと思います。

    極楽浄土とは、阿弥陀如来がいらっしゃる世界です。

    よく混同されますが、「天国」と「極楽浄土」は異なります。
    天国はキリスト教、極楽は仏教における理想郷を指します。
    とはいえ、どちらも悩みや苦しみから解放された世界であるという点は共通しています。

    でも現実的には、天国や極楽は存在しているのでしょうか?

    臨死体験をした人が、三途さんずの川を見たり、亡くなった親族と会ったりしたという不思議な話もあります。

    レースで事故に遭い、火だるまになったモータージャーナリストの太田哲也さんは、その時に黒いマントの男が現れ、「君は濃い人生を送った」と語り、肩を抱かれ、男と一緒に坂を下りていくという臨死体験をしたそうです。

    死後の世界ではありませんが、生まれてくる前の世界のことを記憶している子供もいるそうです。

    そう考えると、あの世は存在しているのかもしれないと思えてきます。

    いずれにしても、私はあの世を信じて生きていきたいと考えています。
    なぜなら、あの世で母に再会できると思えなければ、この深い悲しみを癒やすことはできないからです。

    親鸞の『悪人正機説』に救われたのも、自分のような人間であっても念仏を唱えれば極楽浄土へ行けると説かれているからでした。

    現実にないものを信じて糧かてにするのは間違っている、という意見もあるかもしれません。

    しかし、人は夢や希望があるからこそ、前を向いて生きられるのです。

    天国や極楽と同様に、夢や希望もまた、目に見える『現実』ではありません。
    もし現実に存在しないものを生きがいにしてはいけないのであれば、夢や希望を持つことさえ否定されることになってしまいます。

    悪徳な宗教に惑わされるのは論外ですが、ひとりの心の中で、いつかあの世へ行けることを励みに生きていくのは、誰にも侵されることのない自由であるはずです。

    現実には、死ねば何も感じない無の世界である可能性のほうが高いでしょう。

    しかし、何も感じないのが死後の世界なら、あの世が存在しないことも確認できません。
    がっかりすることも、だまされた自分が愚かであったと思うこともないのです。

    そうであるならば、あの世に行けば、愛しい人に再会できると信じて生きるほうが幸せです。

    いずれにしても、あの世があってもなくても、死ねば、悩みや苦しみからは解放されます。

    「嘘も方便ほうべん」ということわざもありますが、これはもともとは仏教の教えからきているようです。
    宗教で天国や極楽浄土が必要になるのも、これが人々の苦悩を救う手段になるからでしょう。

    医学でも「プラシーボ効果」が確認されています。
    これは薬効効果のない薬であっても、患者が薬が効くと信じることで、実際に症状が緩和することです。

    自分の臨終が迫っている時も、あの世に行けると思えば、死ぬのが嫌だという気持ちが鎮しずまるかもしれません。
    なので、あの世を信じて生きていこうと思っています。


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    「どうすれば、この星の全員が幸福になれるのか?」この答えを見つけるため、認知症の父の介護をしながら持続可能な新システムの開発を進めています。答えは既存の延長線上にはありません。未来は予測するものではなく、自分たちで創るもの。私と一緒に、新しい世界の扉を開いてみませんか。

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