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悪夢の春の再来

    母が病に倒れ、救急搬送されたのは、去年の四月のことでした。そのまま六月に、母は帰らぬ人となりました。
    まさか一年後の同じ時期に、再び同じ悲劇が降りかかるとは夢にも思いませんでした。 今度は、父が救急搬送されたのです。

    異変が起きたのは、四月五日の朝でした。
    いつものように朝の家事を中断して父を起こしに行くと、父は激しい腰痛で立ち上がれず、苦しそうに顔を歪めていました。
    もともと腰痛持ちではありましたが、これほど急激に悪化したのは初めてのことで、私は激しく動揺しました。
    背中を見ても外傷はなく、転倒した様子もありません。詳しい状況を確認したくても、認知症を患っている父から原因を聞き出すことはできませんでした。

    父の腰痛は、母が亡くなった頃から始まっていました。
    心配ですぐに医者に診てもらいましたが、整形外科でのレントゲン検査は異常なし。かかりつけ医に相談しても「お年ですから」と言われるばかりでした。
    父自身、時折散歩にも出かけていましたし、痛みを訊いてもいつも「少し」と答えていたので、この程度なら大丈夫だと、私はどこか軽く受け止めてしまっていたのです。

    しかし今思えば、五日の深夜から異変は現れていました。
    夜中にふと目が覚めたとき、隣で寝ている父が布団をはいだまま寝ていることが何度かありました。
    (陽気が良くなったせいかな)と思い、その都度かけ直してやりましたが、あれはきっと、トイレに行きたくても起き上がれず、布団をかけ直すことすらできなくて、そのまま諦めて横たわっていたのでしょう。

    朝、ようやく事の重大さに気づき、患部をさすりながら「救急車、呼ぼうか?」と問いかけました。
    ところが父は「病人じゃないんだから、絶対に呼ぶな」と頑なに拒否し続けます。
    迷った末に電話をした「救急安心センター(#7119)」の相談員さんは、「生活に支障が出ているのなら、呼んでもいいと思いますよ」と優しく背中を押してくれました。
    しかし、そのことを伝えてもなお、父は「すぐに良くなる」と言い張るのです。

    実を言えば、私自身も救急車を呼ぶことに強い躊躇がありました。
    独身で一人っ子の私は、両親の介護のために仕事を辞めています。経済的な余裕がまったくない中で、入院やその後の生活がどうなるのかという不安が、受話器を持つ手を重くさせていたのです。

    その日のお昼前、父がなんとか起き上がり、小用を済ませてソファまで移動できたのを見て、私は少しだけ胸をなでおろしました。
    「急性期の腰痛は二日ほどで和らぐ」というネットの情報もあったので、しばらく様子を見ることにしたのです。
    翌朝、自力でトイレに行けた父を見て、(良くなっているんだ、呼ばなくて正解だった)と、うれしくて涙が出そうになりました。

    しかし、立ち上がれたのはそれが最後でした。
    次第に寝返りすら打てないほど容態は悪化。寝ながら食べられるパンやバナナを口に運んだり、麦茶の容器におしっこをさせたりするのが精一杯の状況になってしまいました。

    「お父さん、もう無理だよ。覚悟を決めて、救急車を呼ぼうよ」 私がそう説得しても、父はなお強く拒否しましたが、四月七日の午前九時。私は意を決して、一一九番に通報しました。

    申し訳ありません。 今はまだ心身ともに余裕がなく、今日はここまでしか書けませんが、少しずつ続きを綴っていこうと思います。


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    私が現在書き進めている小説はこちら。

    先を考えるのが怖くて、眠れない夜が続いています。
    どうしたらいいのか…。




     
     
     
    「どうすれば、この星の全員が幸福になれるのか?」この答えを見つけるため、認知症の父の介護をしながら持続可能な新システムの開発を進めています。答えは既存の延長線上にはありません。未来は予測するものではなく、自分たちで創るもの。私と一緒に、新しい世界の扉を開いてみませんか。

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