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側溝に咲くカタバミからもらえた勇気

    側溝に落ちた自宅のマサキの葉を掃除していると、アスファルトの隙間から生えている雑草が、鮮やかな黄色い花を咲かせているのに気づきました。
    春は桜や水仙、チューリップに牡丹と、多くの人たちの関心を惹ひく花たちが咲き乱れる季節ですが、この足元の小花にも、強く心を打たれてしまいました。

    とはいえ、ご近所から見ればこれは単なる「雑草」です。環境美化のためには、抜いてしまうのが正しいのでしょう。
    けれども、日が昇れば花を開き、早朝や夜には静かに花びらを閉じるその姿を見ていると、彼らもまた懸命に生きているのだという実感が湧き、伸ばした手が止まってしまいました。
    せめて花が咲いている間だけでも、このままにしておいてやりたい。そう思ったのです。

    後で調べてみると、その草は「カタバミ」という名前でした。
    植物学者の牧野富太郎博士は「雑草という名の草はない」という言葉を遺しましたが、確かにどの草にも名前があり、命があります。
    その他大勢に見える人々にもそれぞれに名前があるように、それらを「どうでもいい草」として一括りにしてしまうのは、あまりに不憫ふびんです。

    なぜこれほどまでに、このカタバミを抜くことに躊躇ためらいを感じたのか。よく考えてみると、それは単に花が可憐かれんだったからだけではないようです。
    私は昨年、最愛の母を亡くしました。さらにこの春、九十歳の父も病に倒れ、大病を患っていることが告げられました。父は二週間の入院を経て、現在は自宅で療養を続けています。
    命の尊さを痛いほど感じている今の私にとって、道端で健気に咲く命を摘み取ることが、どうしてもできなかったのです。

    私が抜かずとも、道路の割れ目に咲くカタバミは、いつ誰に踏まれてもおかしくない運命にあります。それは、いつ何が起きるかわからない、危うい状況にある我が家の境遇にも似ているように感じました。

    けれど、カタバミは踏まれても抜かれても、逞たくましく再生します。その根が驚くほど深く、強く地面に張っているからです。
    その諦めない強さは、今の私を静かに励ましてくれました。

    次から次へと予期せぬ困難に見舞われ、自分自身の花を咲かせる余裕もなく、気持ちが折れそうになる日が何度もあります。
    けれど、諦めずに前を向いていれば、このカタバミのようにいつか花を咲かせられる日が来るはずだと、元気づけられたのです。
    逆境にある今は、この草のように深く根を張る時期なのだ。そう自分に言い聞かせています。

    独身で兄弟もおらず、ワンオペで看病や介護、家事に追われる日々で、心身ともに余裕はありません。それでもめげずに、一日に一歩でも。わずかな時間を見つけて、自分の掲げた目標に向かって進んでいこうと思います。


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    「どうすれば、この星の全員が幸福になれるのか?」この答えを見つけるため、認知症の父の介護をしながら持続可能な新システムの開発を進めています。答えは既存の延長線上にはありません。未来は予測するものではなく、自分たちで創るもの。私と一緒に、新しい世界の扉を開いてみませんか。

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