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リチャード・ローティーを読む

今回はyoutubeでたまたま流れてきた動画がすごく興味深かったので紹介します。

この動画は、哲学者・朱喜哲さんの書籍「バラバラな世界でともに生きる:リチャード・ローティーの哲学」を紹介するものです。

さらにこの書籍は、リチャード・ローティーのこちらの本「偶然性・アイロニー・連帯 リベラル・ユートピアの可能性」を中心に書かれています。


さて、動画の内容を元に気になった内容を紹介していきます。

リチャード・ローティーは、20世紀のアメリカの哲学者・文学批評家であり、西洋哲学で語られる形而上学や啓蒙主義を批判します。さらに、ヘーゲルやニーチェなどのアイロニスト(絶対的な真理なんて無い、ということを受け入れる考え方)の流れを受けた哲学者のひとりです。

そのリチャード・ローティーはこの書籍「偶然性・アイロニー・連帯」の中で、それぞれのキーワードを説明しています。

普遍的なものを信じるのではなく、偶然性を引き受ける

まず「偶然性」と言うキーワードですが、これは「真理とは発見するものではなく、人々が歴史の中で偶然作り上げたもの」ということです。

伝統的な西洋哲学、つまり「世界や自己には固有の『本質』や『客観的真理』が存在し、それを発見できる」と言う考え方を明確に批判します。ローティーは、「真理とは元々世界に存在していて誰かが発見するものではなく、人間が歴史の中で偶然作り上げたものである」と主張しました。

世界の真理も私たちの自己も、偶然の営みや言葉によって作られた産物であるということになります。

偶然性を受け入れるアイロニー(皮肉、あきらめ)

世界の真理や私たちの自己が「偶然」であるとして、私たちの社会や自分の人生は、川に流れる葉っぱのように身を任すだけなのでしょうか。ローティーは、「偶然性とは、神頼みではなく、自ら作り上げたものを真理として信じて受け入れる力」というようなことを言っています。(逆に、世界には真理や本質があるからそれを探し求めれば良いのだ、と考える姿勢こそ「人間を超えた大きな存在に、進むべき路を示して欲しい」という神頼みであると考えました。)

アイロニーな考えを持つ人=アイロニストは、自分が語っている内容についても絶対的な正解とは考えず、常に根本的な疑いを持っています。そのため、他者の意見や考え方を「良い・悪い」と断定することもしません。そして自分自身のアイデンティティすらも偶然であると考えています。

この偶然性を受け入れるアイロニーと言う考え方は、その言葉の意味からは想像できないような信念の強さが必要になります。

人と人との間に共通点は無いが、残酷さを共有することで連帯できる

ここまで出てきた「偶然性」「アイロニー」を踏まえると、「個人主義」で「ニヒリズム」であると言えます。自分と他者はいくら言葉をかわしても(理想を表す本質は無いので)、分かり合うことはできません。また、そういった真理や本質というものが客観的に存在しないような状況では、「人と人」「集団と集団」をつなぐ理想や目標を設定することは難しいでしょう。

そこでローティーは、アメリカの政治哲学者 ジュディス・シュクラーの「残酷さこそが私たちがする最悪の行為である」という言葉を借りて、残酷さが人々をつなぐことができる、つまり連帯できると説きました。

つまり、連帯とは「共通で客観的な本質を分かち合っているから見出されるもの」ではなく、「他者の痛みや屈辱といった残酷な状況を想像し、それを回避しようとすることによって作られるもの」だと論じているのです。

個人的には、人々の連帯が「良いこと(理想や効果)」によってもたらされるのではなく、「避けたいこと(残酷な状況)」によってもたらされるというのは、非常に興味深いです。

まとめ

今回は、Youtube動画をきっかけに積ん読となっていたリチャード・ローティーの「偶然性・アイロニー・連帯」を紹介しました。
哲学書と言うジャンルの中では比較的読みやすいような気がしますが、もう少し読み込んでこの本の本質に迫りたい・・・もとい、この本を読みながら私なりの真理を作り上げていきたいと思います。


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