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幸ひ

わたしはもう
未来を入れると底から漏れる
ひびの細かな容器です
朝になればそこらいちめん
昨日のつづきがこぼれてゐます
(踏まないやうに歩くのです
 それでも足は濡れるのです)

かつてわたしにも
遠くへ行かうとする性質がありました
靴を履き
切符を買ひ
まだ見ぬ駅の名を
自分の行先として発音しました
いまではどの駅も
降りそこねた駅に似てゐます

十一月
雨は停車場の屋根を冷やし
鉄骨のなかを夜が渡ります
わたしは迎への来ない荷物のやうに
ベンチの端に腰をおろしました
膝の上には両手があり
両手には何もありません
何もないのに
置いて帰ることができません

  もう結構です
  もうたくさんです

声にすると白くなるので
黙つてゐました
胸の奥ではまだ
小さな肺がふくらんで
この世の空気を受け取つてゐました

(注文したおぼえはありません
 注文したおぼえはありません)

やがて向かひのホームへ
黄色い窓が幾つも来ました
窓にはそれぞれ人があり
人にはそれぞれ帰る時刻がありました
そのなかのひとりが
曇つた硝子を袖で拭きました

楕円にひらいた夜の穴から
幼い顔がこちらを見ました

わたしは少し背を起こしました
誰かと取り違へたのでせう
その子はわたしに手を振りました

ちがひます
あなたの知つてゐる人ではありません
待つてゐた人でも
待たれてゐる人でもありません

電車が動きだしました

わたしの右手は
膝からわづかに浮いてゐました

それでもやつぱり

黄色い窓はもうありません
行先の消えた手のひらに
雨が二つ三つ
つめたく着きました

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