メインコンテンツへスキップ
見出し画像

いつか本にするはずだった、秘密のノート

    ある日の通勤中。
    薄れて消えかけていた記憶の中から、祖母の言葉が蘇ってきた。それは、今ではもうどこにも残っていない、彼女の生きた証だった。


    ーーこれは、私が小学生だった頃の話。
    私は3LDKの古い田舎の団地で、祖母、母、姉、 兄、 私の
    5人で生活していた。

    私の家は少し変わっていて、“おばあちゃん”“おかあさん”“お姉ちゃん”などといった呼び方を使わず、お互いを名前やあだ名で呼んでいた。


    ーー私は、祖母のことを「まあちゃん」と呼んでいた。

    まあちゃんはいつからか、ほぼ毎日就寝前にA4のノートに日記をつけていた。私がそれを知ったときにはノートは2冊目になっていたから、恐らく1、2年ほど前から書き続けていたのだと思う。

    私はまあちゃんの書く日記が好きで、隣にくっついて書いている姿をよく眺めていた。絵本のように読み聞かせをしてくれることもあった。

    日記に書く内容は家の問題がほとんどで、たまに政治やニュースで見た事件について触れることもあった。


    ーー私の家は家庭環境が悪く、母はまあちゃんにほぼ毎日暴言を吐いていた。

    「死ね」「出ていけ」「お前は家族じゃない」

    私は大好きなまあちゃんに向かって暴言を吐き続ける母が大嫌いだった。
    汚い言葉を聞くたびに、自分のことのように胸が痛み、まあちゃんが可哀そうで仕方がなかった。そんな毎日を繰り返す中でも、まあちゃんにはまだ夢や希望が残っていた。


    ーーある日、まあちゃんは独り言のように呟いた。
    「いつか、この日記を小説にして本を出したい」 その言葉を聞いた私は、すぐそばにいた姉と「絶対夢を叶えてあげる!」と、まだ小さく無力な子供だったくせに、自信満々にそう答えた。

    けれど、その約束を果たす日は来なかった。

    小学校卒業を目前とした2月の終わり。入院中のまあちゃんは、リハビリ中に体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。
    1、2日前にお見舞いに行ったときは、手を振って「バイバイ」と言ってくれていたのに。

    ーーまあちゃんが亡くなって、私は日記を母から隠さなければいけないと思っていた。2冊あった内の1冊は、病院に持っていく荷物を準備しているときに母が見つけ既に捨てられていたから、何が何でも残りの1冊だけでも守り抜かないとと思い、転々と場所を変えて隠し続けた。

    心が壊れそうになった時、私は日記を読むことで自分を保っていた。
    まあちゃんが亡くなってから唯一頼れる存在だった姉は家を出ていき、
    私の居場所が消えかけていたから。母の目を盗み、兄にも見られないようにこっそり読み続ける日を過ごした。

    そんな日々を過ごして数年が経った頃、最悪なタイミングで母に日記が見つかってしまった。
    私はこれだけは手放したくないと、取り上げようとする母に必死に抵抗した。けれど、子供の力では大人の暴力的な力には到底敵わなかった。 日記は目の前でビリビリに破られ、修復もできないほどグチャグチャにされ、最後の1冊も呆気なく消え去ってしまった。私の守りたかった世界が、音を立てて崩れた瞬間だった。

    あの日記には、決して恨み言ばかりが書かれていたわけではなかった。 自分を産んだ母から暴言を吐かれ続ける毎日でも、まあちゃんの中には娘への思いやりや心配が消えずに残っていたのだ。直接伝えることができない代わりに、母の体調や将来への不安を、祈るようにノートに綴っていた。 それなのに母は、自分の悪口が書かれていると決めつけ、まあちゃんの真意に気づくことのないまま、その想いを粉々に破り捨ててしまった。


    何も残らなかったからか、小学生だった当時の記憶は最近になるまで思い出すことはなかった。

    あの日の約束を思い出してからずっと、日記のことについて考えていた。
    そこでたどり着いて出た答えが

    私がまあちゃんの夢を引き継ぐこと。

    noteを始めた1番の理由は、あの日の約束を守りたかったから。
    そんな簡単に叶うことじゃないと分かってるけど、何もせずに後悔するよりはいいと思った。

    思えば、今の私にとってこの場所が大切な場所になりつつあるように、彼女にとってもあの2冊のノートは、誰にも言えない想いを託せる唯一の場所だったのかもしれない。

     
     
     
    うまく表面に出せない気持ちを言葉で紡ぐ。 複雑性PTSD•聴覚過敏•鬱•不安症と共に日々歩んでいます。 誰かの心が少しだけ軽くなるきっかけになれたら嬉しいです。

    あなたへのおすすめ