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Photo byyamamoto15

ほんの少しだけ、違う世界で


    「生きている世界が違う。」


    時々、そんな風に言われる。だけどきっと、世界が違う。なんてことはなくて、世界を見る角度が、ほんの少し違うだけなのだと思う。

    ここでは、そんな私について話してみることにする。






    突然だが、私には未だ理解し難い感情がある。それは、

    「嫌い」そして「好き」

    でも決して、その感情を否定している訳でもないし、全く分からないという訳でもない。あくまで、“理解し難い”というだけだ。

    「嫌い」というのは、気持ちが強くなればなるほど、それを、その人を、受け入れられなくなってしまう。できることなら無関係でいたい。だけど、社会の中で関わりを完全に断つのは難しい。いざ関わることになれば、無性に腹が立ってくる。

    私はある日突然、嫌うだけエネルギーの無駄だと気づいた。だから、嫌いでいることをやめた。


    「嫌い」
    ではない。「苦手」なのだ。


    そうすることで、少しだけ受け入れ難いけれども、しっかりと向き合うことができる。少しだけ、自分の気持ちを閉じ込めてしまえば、なんてことはないものに変わっていった。



    一方、

    「好き」というのは、多くの意味を持つ。しかしその全てが理解し難い訳ではない。私が理解し難いのは、一般的にいう「特別な存在」に対するもの。きっと、素敵なものなのだろうけど、私はほんの少し、気持ち悪さを覚えた。

    ちょっぴり背伸びをしたくなる年頃、思春期に、急激に周りの様子が変わってくる。耳を傾ければ、好きな人いる?だとか、好きなタイプは?だとか…。

    未熟な年頃だからこそなのだろうけど、付き合っても結局は別れ、また付き合う。そんな様子を、私は見ていて思った。付き合っていればどこか上の空で弱くなるし、別れれば気まずい雰囲気になる。良いところがないとまでは言わないが、あまり良いもののように思えない。
    言ってしまえば、人と付き合って何になるんだ、と思ってしまう。

    きっと私がほんの少し、気持ち悪さを覚えたのは、この考えのせいだろう。

    けれども、自分にとって特別なものや人を、大切するのはとても良いことだと思う。暖かな心が育つと思う。だから、「好き」というものが理解し難いとしても、「愛情」というものだけは大切に生きようと思った。




    ふと思う。



    私は「孤独」になれているから、こんな風に思うかもしれない。



    私は小さい頃から背が高く、隣には誰もいなかった。

    私は昔から話すのが少し苦手で、今日も、会話をただ静かに、息を潜めて聞いている。

    私はほんの少しだけ、気持ちや状況を察するのが下手で、気の利いた発言や行動があまりできずにいる。



    気がつけば、人を信じきれなくもなっていた。



    あの人は、

    私と関わっていて楽しいのだろうか。

    無理して一緒にいるのではないだろうか。

    本当は嫌われているのではないだろうか。

    考えすぎだということは、何となく分かっている。それでもやっぱり、相手からどう思われているのか、という私には分かりもしないことばかり考えてしまう。


    そうやって徐々に、「孤独」でいることに慣れていった。


    でも、「寂しさ」にだけは慣れることはないと思う。だけどそれでいい。「寂しさ」を抱えて、私は生きていく。




    私はこの「寂しさ」と共に、世界を見つめている。こんな私にしか分からない、この世界の優しさや痛みを、これからも抱きしめていきたい。


     
     
     
    主にエッセイを投稿しています。 気分屋ですので、投稿は不定期。

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