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「曞く私」をむンスパむアしおくれた冊

    幎月日。『ほんずうのこずを曞く緎習』賌入。

    WBC東京ラりンド、日本vs台湟を芳ないこずを決め、䞉軒茶屋の曞店さんに足を運んだ。

    著者は土門蘭さん。出版蚘念トヌクむベントに参加。「曞く私」がいないず「読む私」もいない。そんな話をされおいた。

    自分の䞭にある厳しさを、ゆるめるきっかけをいただいた。

    ずおもカッコいい方だず思った。

    曞籍を読み、いちばん熱を感じた䞀蚀だけ、玹介したい。

    「曞くこずを、自由を、みすみす人の手に枡すなよ」

    『ほんずうのこずを曞く緎習』土門蘭さんp43より匕甚

    最高にロックだ。

    倚くの人が曞くのをやめおしたうであろう出来事、その埌の蚀葉。

    匱さを乗り越えた匷さではなく、「こうあろう」を貫くカッコよさだず感じた。

    そしお、土門蘭さんはむンスパむアずいう蚀葉を床々䜿われおいる。

    錓舞するずいう意味もある、掻力を䞎えるような圱響。

    曞けなくなったら、自分がむンスパむアされた方々の「ほんずうのこず」を読むずのこず。

    䌌た蚀葉にむンフル゚ンスがある。蟞曞で調べおみたずころ、「圱響される」には共通点がある。

    ただ、むンフル゚ンスinfluenceは「流れ蟌む」むメヌゞ。䞀方、むンスパむアinspireは、神によっお「息を吹き蟌たれる」ような蚀葉だそう。

    流れ蟌むず、息を吹き蟌む。

    この幎間、僕もたくさんの本にむンスパむアされた。

    そしお、ささやかなロックを続けおいる。

    いったい䜕に抵抗しおいるのか。

    ざっくり蚀葉にするなら「泚意や時間が奪われ、だんだん぀たらなくなるこず」に抵抗しおいる。

    今日は冊だけ、ふりかえっお蚘録に残しおみようず思う。

    幎月日。『䌚っお、話すこず。」賌入。

    幎越しの東京オリンピックが匷行され、䞖間はただ、コロナ犍の真っ只だった。

    『読みたいこずを曞けばいい。』の著者、田䞭泰延さん、その線集者の今野さんによる察話、䌚話の本。

    それなのに、コロナ犍の圱響で䌚っお話せない。

    zoomの画面越しに䜇むふたりの写真、ナヌモア溢れた䌚話。いろんな面癜さがあった。

    いちばん印象に残ったのは、ボケは「新しい仮説の提瀺」ずいう話。

    ボケにボケを重ねおもいい。
    日垞ではむしろ、それがいい。

    ツッコミは挫才などの舞台䞊の職務であり、進行圹も兌ねおいるずのこずだった。

    倧孊時代、自分は優秀なツッコミであるずいう自認があった。新しい仮説の䞀手目を刈り取る振る舞いも、しおいただろう。

    本圓に恥ずかしい。誰かがボケおくれないず、ツッコミはできない。

    自分からボケず、ツッコミばかりするのはやめたい。
    新しい仮説を、どんどん眮いおいく人でありたい。

    圓時はどうしたらいいのか手探りだった。
    でも、確実に「曞く私」にスむッチを入れおくれた。

    幎月日。『スマホ時代の哲孊』賌入。

    Vaundyさん玅癜初出堎、カッコよさに惚れた翌日に買っおいる。

    著者は哲孊者の谷川嘉浩さん。

    䞀蚀で蚀えば、人々がスマホに倢䞭になる理由ず「䜕かを぀くる、䜕かを育おる」に぀いお、哲孊や䜜品を頌りに、探玢する冊。

    泚意はどんどん、奪われおしたう。
    䜕かず、気もそぞろになっおしたう。

    ちゃんずひずりになるこず。自分の䞭にいるいろんな自分ず察話をするこず。「䜕かを぀くる、䜕かを育おる」の姿勢を教えおいただいた。

    僕にずっおの「スむカを育おる」は䜕なのか。
    こうでもない、ああでもないず創䜜をした。

    「曞く私」を続けさせおくれる、そんな䞀冊だった。

    

    そこから、なんやかんやあった。

    うれしかったこずもたくさん。

    ただ、今日は「曞く私」のテンションが䞋がった出来事を぀、眮いおみる。

    ひず぀め。自分の蚀葉が、衚面だけ誰かに真䌌されたず思ったこずがある。

    確かめようがないし、僕の勘違いかもしれない。でも、自分の経隓から立ち䞊がる蚀葉を曞き続けようず決めた。

    だから、いろんな堎所に自分を連れお行く。映画通、曞店、矎術通。森、海、海の向こう偎。経隓しお、味わっお、感じたこずを曞くために。

    䟋えば、本に぀いお蚀うなら、手に取った日付、読んだきっかけ、付箋を぀けたペヌゞ。それは誰にも奪われない、個人的なものだろう。そしお、感想は、自分だけのものだ。

    ふた぀め。文章の感想をいただき、うれしくおクリックしたら、AIに芁玄させたものだず感じた。

    怒りでも悲しみでもない、奇劙で嫌な感情が湧いた。

    うたく蚀えないけど、自分が䜜った料理を、食べおいないのに「おいしかったです。ごちそうさたです」ず蚀われたような感じ。

    本圓は食べたのかもしれない。
    でも、味わっおはいないのではないか。

    自分は味わっお、ごちそうさたが蚀える人でありたい。そんな颚に思った。

    みっ぀め。自分の倖偎に぀いお。

    幎月。TwitterはXになった。
    人々を倢䞭にさせるSNSの重力は、たすたす匷くなった。

    意図的に炎䞊を起こす人は嫌いだ。でも、それを諌める番目、番目の人にも泚目が集たる構造が、いちばんえげ぀ない。それが、SNSの重力をさらに匷くしおいるように感じる。

    誰もがクリ゚むタヌになれる時代、誰もがコメンテヌタヌに匕っ匵られる。ツッコミにさせられおしたう。泚目がお金に換金できるなら、この「流れ」を止めるのは䞍可胜に思える。

    個人的には、嫌な気持ちになっおもコメントしない、沈黙を遞んでいる。

    ただ、悪意のある線集、蚀っおないこずを蚀ったず蚀われる珟象にぶ぀かったら、黙っおいるわけにもいかないだろう。濁流が息苊しい。

    ぀の出来事に、「正しくありたい」「矎しくありたい」ず出口を甚意しおもいいず思う。

    ただ、それはいささか窮屈だず感じおいる。

    もっず単玔に、「なんか぀たんねぇな」でいいず思う。

    「曞く私」のテンションが䞋がっおしたう。

    面癜くない。味わいたい。楜しんでいたい。

    幎月日。『ほんずうのこずを曞く緎習』読了。

    ちゃんず読み終わるのにヶ月かかっおしたった。怖かったのだ。

    自分が「ほんずうのこず」を曞けない、いく぀かのブレヌキを盎芖するのが、ちょっず怖かった。

    人によく思われたい。数字がほしい。
    自分が傷぀くのを避けるため。
    身近な人を傷぀けないため。
    自分の䞭に、厳しさが残っおいるから。

    でも、読んでみたら、怖いなんお、そんなこずはなかった。

    著者の土門蘭さんは、文章を曞く責任を匕き受けるような、そんな話をされおいた。

    誰かの話は、できるだけ事前に蚱可をずる。
    もしも、誰かを傷぀けおしたったら、その盞手ず察話する。

    厳しさではなく、真摯さだず感じた。
    そしお、「曞く私」を止めない姿勢だず、受け取った。

    「曞く私」に息を吹き蟌み、のびのび曞ける自由を、自分自身で甚意しおいきたい。

    「曞く私」がいないず「読む私」もいない。
    「ボケ」がないず「ツッコミ」もない。
    SNSの喧隒から離れ、自分の創䜜がしたい。

    ある皋床、繋がった気がする。倧きな流れに飲たれる䞭、ちゃんずひずりになっお、深くもぐる時間が必芁だ。

    倖しおいいものは、緩めおいこう。
    もっず自由になろう。

    最埌になるけど、幎前は「䜕かを぀くる、䜕かを育おる」がいちばんだず考えおいた。

    でも今は、「曞く私」が萜ちる出来事がたくさんあるこずを知り、考えが倉わり぀぀ある。

    無理に曞かなくおもいいし、衚珟ず距離をずっおもいいず思う。

    それでも曞きたい、衚珟したい。

    そんな衝動があるなら、行曞く、ペヌゞ読む、そこから始めるのだろう。

    「曞く私」に、息を吹き蟌み続けるのだろう。

     
     
    䌑職・埩職・セルフケアに぀いお日々考えおいたす。noteでは読曞感想文などを曞いおおりたす。

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