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Photo byku_chan_quokka

ゲッパ䞊等田舎嚘の猪突猛進な人生

    その日、ミッキヌずミニヌがパステルカラヌで圩られたTシャツに、オレンゞ色のレギンスを履かせおいた。月䞭旬、北海道の田舎町はそんなに暑くないず思っおいたのに、レゞャヌシヌトを敷いた応揎垭は意倖にも暑かった。

    出番が近づき、歳児さんが䞊ぶスタヌトラむンたで出向くず、オレンゞ色のレギンスを履いた嚘は振り向いお笑顔を芋せた。
    私はしゃがんで埌ろから抱くように嚘を包み「ほら、ゎヌルに△△先生が埅っおるよ。あそこたで䞀緒に走るからね」ず䌝える。
    嚘はあたり理解しおいないかのように、がヌっずゎヌルを芋おいた。

    「よヌい、ドン」の声から少し遅れお、嚘の手を匕いお走った。ゎヌルをした私は、倧笑いしおしたった。
    なんず、我々は『ゲッパ』だったのだ北海道匁で最䞋䜍。

    暪のテントぞ促され、担任の先生がお菓子ずおもちゃの詰め合わせを嚘に手枡す。私は満面の笑みで蚀った「いやぁ、ゲッパでした」。「頑匵りたしたねほら〇〇ちゃん、じヌじに報告しおおいで。バむバヌむ」

    レゞャヌシヌトの䞊で耇数のポケットが付いたチョッキ姿のじヌじが、目を现めお園児たちを芋おいた。
    「ゲッパだったわ」
    「うん、芋おたよ。おもちゃ、もらったのかい」そう蚀っお、孫に笑顔を芋せる。
    嚘は元気に腕をブンブン振りながら「たた、じヌじ、あんぱんたん」ず連呌しおいる。

    顔がママにそっくりず蚀われるけど、性栌は『自分』ずいうものがしっかりあっお、のんびりもしおおらず「ちぶんで自分で」ず蚀っお、なんでもやる気満々。反しお、私はのんびり屋で、人に勝ちたいずいう意欲が少なく、『ゲッパ』がぎったりな性栌。

    そうだ、本圓にぎったり。
    歳でこの子を産んで、歳の今は未婚のシングルマザヌ。
    歳喜寿でおめでたいじヌじず、逞しい女の子歳か月ず、北海道のど田舎で人暮らし。


    子どもの頃を思い出すず、小・䞭孊校の通信簿は段階評䟡のばかり。やがあるず思ったら、音楜・曞道・矎術の芞術分野だった。

    良い所を䌞ばす道を歩めば良かったのに、これは遊びの授業だしな、ず勘違いしおいた。努力しなくおも、最初から出来る事は喜ぶべき才胜。圓時の自分にそんな考えは毛頭なく、倧人も教えおはくれなかった。

    賢さや運動胜力は䞭の䞋。クラスのリヌダヌになる事は、もちろんない。お調子者な所もあり、アニメキャラを物真䌌しお笑いをずっおいた蚘憶もあるけれど、気の匷い女の子に抌され気味の日々だったず思う。
    お人圢遊びの時は、お父さん圹や匟圹。
    私だっお、お姫さたをやりたいのに。 

    小孊幎生のずき、バレンタむンチョコを友達ず人で手䜜りする事になった。貧しい我が家でも、なんずか月円のおこずかいをもらえおいたので、そこから貯めたお金を握りしめお、友人ずチョコを買った。   

    友人宅でチョコを溶かし、固める。
    「出来たら人に届ける」ずリヌダヌの子に蚀われ、垰宅した。
    埅おど暮らせど、なんの返事もなかった。私は確認出来ずにいた。

    やっず、その子が我が家に来るず、玄関で驚くこずを蚀い攟った。
    「あのね、チョコは出来たんだけど。Aちゃんず私だけで分けたから、かりんちゃんの分はないよ」

    「え・・・」
    かなり、匷い口調で蚀われ、䜕も蚀い返せなかった。
    えなぜなけなしのお小遣いはせっかく䜜ったチョコは
    蚀い返せない私は、やっぱりゲッパのポゞションが䌌合う女の子だった。

    そんな私を産んだ母は、陜気で元気で、倩然ボケの人。知らない名前が明蚘された孊生ゞャヌゞ䞊䞋を着お、その䞊に゚プロンを毎日しおいた。
    専業䞻婊ずは思えないほど忙しく、町内䌚にPTA、「頌たれちゃっお」ずいうボランティア掻動。
    私がいじめに合うず、「どこの誰なの名前は」ず剣幕をおこしおいた。

    高校時代の授業参芳が忘れられない。
    歳ずもなるず、友人たちは芪に「来ないで」ず釘を刺しおいたようで、誰も来おいなかった。
    そういうものか、ず思いながら授業を受けおいるず、埌ろから小さな声で「かりんちゃヌん、かりんちゃヌん」ず聞こえおきた。
    振り向くず、教宀の埌ろにただ䞀人立っおいる女性が、笑顔で「ピヌスピヌス」ず䞡手ピヌスをしおきた。

    私の母だった。



    パッずしない青春を過ごしたのち、倧孊を出お働くようになった。教員生掻幎、新聞蚘者幎ず代は、がむしゃらに仕事をする日々だった。

    代䞭旬ずなった頃、実家ぞ垰省するずよく芋る光景があった。それは、母がラゞオ䜓操ず独自の䜓操を組み合わせ、毎日取り組んでいる姿だった。
    「スヌハ―、スヌハヌ」ず音を立おお呌吞をし、「歳たで生きるから」ず蚀う。その姿に、私は「歳たでいけそうだな」ず芋おいた。


    幎の月、北海道は倧雪ず吹雪が続いおいた。そんな時季、母は亀通事故で亡くなった。

    䞡芪は田舎から札幌ぞ、私に䌚いに来る予定ずなっおいた。仕事の䌑憩にスマホを芋るず、父からLINEず電話が䜕件も届いおいた。内容を確認し、理解するのに時間が必芁だった。

    気づいた時には倧声で泣き叫び、誰もいない廊䞋で倒れお泣き厩れおいた。

    「り゚ディング姿を芋せおいない、お瀌の蚀葉を䌝えおいない、孫の顔を芋せおいない」
    出来なかった事が蚀葉になっお、心にグサグサず刺さった。歳の私は埌悔だらけだった。

    初䞃日、父ず匟の䞉人で仏壇の前に座り、手を合わせた。寡黙な父が、私たちの方を振り返るず声にした。「お母さんは、父さんにはもったいないほどの人だった」そう蚀いながら、男泣きしおいた。



    実は歳を過ぎた時から、女性ずしおのラむフステヌゞが呚りず違う人生だずしおも良いかもしれない、ず考えおいた。
    ラむフステヌゞ党おゲッパどころか、䜓感では呚回遅れの状態。
    もうトラックのレヌンを抜けお、砲䞞投げしおいる人に向かっお走っおいる気分。䜓も匱いし、子を宿しお産むなんお奇跡。

    けれど、母に䌚えなくなり、幎月を経お父や匟が日垞を取り戻すようになるず、考えが倉わっおいた。歳たでにおめでたいこずになったら、結婚をしお、産みたい。

    そしお、幎前の歳。子を宿したず分かった時は、䞀人で倧喜びした。
    ずっず行きたいず思っおいたガラス匵りGODIVAカフェで、空を眺めニコニコしながらカフェオレを口にした。
    「これたでの人生で䞀番幞せだ」心からそう感じた。

    喜びを先方ぞ電話で報告し、同じ気持ちの声がくるのを埅った。りキりキしおいた。
    なぜだろう、声のトヌンが䜎い。聞けば聞くほど私の顔が青くなっおいき、心拍数が䞊がっお、足が鉛のように重くなった。



    「䞀人でも、この子を必ず幞せにする」ず本気で決意出来るたで、私はぞなちょこだった。
    いっそ、二人で消えた方が良いかも知れない。「この子は父芪のいない人生を送る」ずいう未来を想像するず、そう思った。
    すぐに、なんおバカな考えをしおいるのかず気づき、泣き厩れた。

    なんずか䞀人で産むず決めるず、すぐに悪阻がやっおきた。それはコロナのような症状ず船酔いで立おないような状態だった。それでも、幎末幎始に実家ぞ垰っお、劊嚠だけ䌝えおいる父に「䞀人で産む」ず䌝えに行かなくおは。

    札幌ず実家の䞭間で合流し、そこから父の車で垰省する事ずなった。玄束の堎所に着くたで、たるでテレビから出おくる貞子のようにボロボロだったけれど。あず、数十メヌトルずいう所で、手鏡を芋お顔を䜜り、背䞭を䌞ばしおモデルのように歩いお向かった。

    笑顔で手を振り「ごめんごめん埅ったよね」ず蚀っお父に近づくず、「遅いぞ。かりん、あそこで盎しおただろ」ず恥ずかしいくらい、党お芋られおいた。

    「䞀人で産む」ず蚀えたのは札幌ぞ垰る盎前。父は驚きながらも、寡黙な性栌らしく「わかった」ず蚀っおそれ以䞊は远及しなかった。
    安心しお、再び悪阻に苊しみながら家に着くず父からLINEが入った。
    「やっぱり、おろした方が良いんじゃないか」 

    絶望的だった。䞀番喜んでほしくお、䞀番協力しおほしい人に蚀われた事が。どうやら、子どもが生たれたばかりの匟が、珟実の厳しさを思っお父に提案したようだった。

    どうしたら良いんだろう。芪族からは喜んでほしいし、協力しおほしい。

    するず、匟からLINEが届いた。劊嚠ぞの祝いず共に、奥さんから「お姉さんが産むず決めたなら、これからどう支えおいくかを考えた方がいい」ず助蚀されたずいう。

    その矩効の蚀葉にどれほど救われただろうか。


    ヶ月を過ぎるず安定期に入り、長かった悪阻も終わりがきた。「人によっおは産む前たであるよ」ず聞いおいたので、本圓に安堵した。

    ず同時に、私の䞭で『カチリ』ずスむッチが入った。
    やっぱり、あの母の血を匕いおいるのだ。やりたいこずを芋぀けたら、猪突猛進で党力疟走。そこは、母にそっくり。
    今の私のミッションは、ただ䞀぀。
    「䞀人でも、この子を必ず幞せにする事」

    のんびり構えおいる暇なんおない。お人奜しで、い぀もゲッパのポゞションに甘んじおきた。

    誰かに決められる人生は、もう終わりだ。
    これからは党郚、自分で決断する。

    お腹はどんどん倧きくなり、垞に䞡手で支えお歩く事が倚くなっおきた。「絶察に産むんだ、元気で笑顔に囲たれた幞せな子にするんだ」日々、そう願っおいた。
    そしお、願うたび、母のこずを思い出す。
    もし、生たれ倉わりがあるのなら、母がこの子に生たれ倉わったら良いのに。・・・出来なかった恩返しをしたい。

    予定日の数か月ほど前、お腹の子が女の子だず刀明した。

    名前を考える時間は幞せだった。ふず、母が倧奜きだった䌝説のアむドルの名前を付けたら喜ぶかも、ずビビっずきた。
    するず、父からある䞀文字を入れおくれたら嬉しいずLINEが。䞡方を䞊手く組み合わせ、ネットで無料の姓名刀断を確認するず、すべお「吉」以䞊ず出た。

    「これだ」倧満足で決定した。

    母が亡くなっお、もう幎が過ぎおいた。耳が遠い父の䞀人暮らしは、詐欺電話や認知症ず心配も倚く、毎月垰省しおいた。けれど、劊嚠䞭は幎末幎始以降、垰れずにいた。

    『産たれたら、実家で暮らそう。父ぞの心配も解消される』 それも、私が自分で䞋した、倧切な決断だった。



    「これ、可愛いんです♡うちの子も買っおお」
    「おお、確かに可愛いフリフリだね」
    お勧めしおもらった肌着をカゎぞ入れた。神奈川に䜏む匟倫婊が連䌑に北海道ぞ来お、産前に育児甚品の買い出しを手䌝っおくれた。
    「姉ちゃん、䜓調悪くなったら蚀っおね」
    「うん。ありがずう」
    「あ、これ病院の店には売っおないから、絶察入院バックに必須です」若くお可愛い矩効が、西束屋を攻略する先生になっおくれた。

    別の日には、じヌじず再び西束屋ぞ。「ベビヌカヌやチャむルドシヌトは高いから䞭叀で買うよ」ず蚀う私に、睚みをきかせる父。

    「ダメだ。父さんが買うから、新しいのにする」

    なんず、枡哲也ばりのカッコよさ。



    出産時、病院䜓制は玠晎らしいものだった。担圓の助産垫さんはお若いのに安心感があり、優しい声かけで懞呜に䌎走しおくれた。

    倜䞭時に始たった陣痛は、朝時にはピヌクを迎えた。
    数週間緎習しおきたラマヌズ法で「スヌヌハ――、スヌヌハ――」ず呌吞を続け、泣き叫ぶこずもなく、緎習の成果が出たくっおいた。
    ずは蚀え、本音は分嚩台でゎゞラのように暎れたいくらい、しんどい。たるで、尟おい骚を金づちでガンガンず叩かれおいるようだ。

    助産垫さんが「今、麻酔の先生が来たしたので、できたすよ」ず蚀うず、同時に「はい、麻酔ですよぉ」ずベテラン颚の女性ドクタヌが入っお来た。
    倩䜿に芋えた。頭の䞊に光る茪っかが付いおいたはず。実際は県鏡にグレヌヘアヌだったけど。
    「あら萜ち着いた感じね」
      なに
    聞き捚おならなかった。

    『萜ち着いおるちがぁヌヌうラマヌズ法を完璧にやっおきたからだ本圓は限界家で倜䞭に砎氎しお、倧きいバック぀持っお、タクシヌに乗っお、ずっず䞀人で頑匵っおたっせ』
    再び、あばれたくなった。

    その埌、驚いた事に埐々に正気を取り戻すように。
    『この䞖に、麻酔があっお良かった』
    正午の分前、気づいた時には分嚩台の呚りに倧勢の助産垫さんたちが付いおくれ、私のスマホを持っお動画を撮っおくれる人もいた。

    そしお、その子はこの䞖に降り立った。

    「はい、女の子ですよ」
    「お母さん、倧きいですね」

    『・・・うそ、本圓に産たれた』

    ゲッパの人生に奇跡が起きた。



    新生児は無菌状態で出お来たので、觊るにも垞に手を綺麗な状態にしなければいけない。小さくお、軜くお、むにゃむにゃず寝おいる事がほずんどだった。

    じヌじはなんでも買っおきた。ハむハむをし出すず階に䞊がる事のないようにガヌドを、冬にはストヌブに觊れないようにストヌブガヌドを賌入。アンパンマン掚しになるず、アンパンマンのおもちゃを賌入。

    あれ、私はおもちゃなんお買っおもらった蚘憶ないな。ほずんど芪戚のお䞋がりだったんだよな。
    じヌじの目じりが䞋がる姿を芋たら、孫のすごさを実感した。


    人暮らしをしおから、じヌじが思っおいた性栌ず違う事に気づいおしたった。倕飯でカレヌのリク゚ストが倚かったので、「カレヌ奜きなんだね」ず聞いおみる。なぜか数十秒沈黙が続き、「たぁ、嫌いじゃない」ず答えが。

    「・・・え」
    私は、奜きか吊かで聞いたのであっお、そんなMBTI蚺断の遞択項目のような答え、求めおない。

    本人曰く「奜きっお䞀蚀で蚀うのは、味気ないだろ」
    あちゃ、昭和の頑固おじいさんにしっかり進化しおいた。

    嚘は歳か月に入るず、蚀葉の吞収力が、えげ぀なかった。
    ある日、倕方に保育園から垰宅し、車を家の前に駐車した。じヌじの車がないので、枩泉かパヌクゎルフからただ垰っおいないようだった。
    するず、埌ろから「じヌじ、いないねぇ」ず声が。
    「え」単語じゃない䌚話をしたぞ

    さらに、私がトむレを枈たせお出お来るず
    「トむレ、いっおちゃ」トむレ行っおたず問いかけお来た。
    「そ、そうだよトむレだよ」
    「ええ、ほんちょに」ええ、本圓にず笑顔で銖をかしげおいる。
    ・・・爆裂に可愛い

    「可愛いだけじゃダメですか♫」なんお、アむドルの歌詞にあったけど。
    人生の蟛酞をなめお来たおばさんは、真顔で「ダメだろ」ず蚀いたくなる。

    でも、嚘の前では、その理屈が党郚吹き飛んでしたう。

    スヌパヌやドラッグストアでは、マダムたちに「めんこいねぇ」ず声を掛けられ、ご圓地アむドルのよう。

    小さな手で「バむバむ」ず手を振るず、「あらぁ♡」マダムたちの笑顔が眩しい。



    今では、もうすぐ歳。人暮らしも同じく幎が過ぎる。
    じヌじは倕飯がカレヌの日だけではなく、「卵チャヌハン」「豚の生姜焌き」「ゞンギスカン」の日も明らかに機嫌が良い。
    なんず今では、食埌に「矎味しかった」ず玠盎に声にするほど、アップデヌトされおいる。

    嚘も、あんなに小さくむにゃむにゃしおいたのに、やんちゃに成長した。
    お颚呂䞊りなんお、戊争だ。
    ボディヌクリヌムを塗ろうずするず「むダヌ、キャヌ」ず逃げ回る。必死に远いかけおオムツを履かせ、パゞャマを着せ、時には私の䞡足でホヌルドしおドラむダヌをかける。

    続く歯磚きも、攻防戊。
    あの手この手で膝の䞊に寝かせ、シャカシャカず最速で終わらせる。じヌじは「ははは、颚呂䞊りの方が元気だな」ず呑気に笑いながら、自分の歯を磚いおいる。

    就寝時には぀の垃団を敷き、巊偎に嚘、右偎に私が寝る。
    少しするず、嚘がこちらにやっお来お、぀の枕に人で䞊ぶ。目を閉じおいおも、ミルクず子犬を合わせた銙りが隣から挂っおくる。
    目を開けるず笑顔でこちらを芋おいたので、私も笑顔になっおしたう。前を向いたのを確認し、たた目を閉じる。
    音がしお、目を開くず、たた笑顔でこちらを芋おいる。

    「ふふふ、幞せだね」



    先日の運動䌚は、土曜日に開催されたので、぀ぎの月曜日は振替䌑日だった。
    䌑み明け、火曜日の朝。い぀ものようにチャむルドシヌトに嚘を乗せた。「ちぶんで自分で」ず蚀っお、小さくプニプニした手でシヌトを止めようずする。手䌝っおいない颚に手を添えお、䞀緒に止める。
    「うたヌい自分で出来たね」
    「でちたぁ♡できた」

    私が運転垭に乗るず「あんぱんたん」ずリク゚ストが入ったので『アンパンマンのマヌチ』をかけた。腕を䞊䞋にふりふりしながら、にこにこ笑っおいる。

    「おはようございたす」保育園の玄関に入るず、先生、䞻任先生、園長先生が、出お来おくれた。

    「運動䌚はありがずうございたした楜しめたしたか」ず園長先生が蚀う。なんお埋儀な保育園だろうか。
    「はい、ゲッパだったんです」
    園長先生は玠敵な笑顔で「いやいや、順番より、楜しめお良かったです」。
    先生たちはにこにこ嚘を芋おいた。
    「はい。ありがずうございたした」

    車にもどるず、ただ『アンパンマンのマヌチ』が流れおいた。
    ふず、ハンドルを握る自分の手を芋お驚いた。想像以䞊にシワシワで、シミがうっすら芋えおいた。
    私はその歌を口ずさみながら、保育園をあずにした。


     
     
     

    Karin

     
     
    シングルマザヌ歳。歳の嚘ずじヌじずの日々を曞いおたす。未婚でママずなり、北海道の田舎にタヌン子育おに奮闘䞭☆圡キラキラになりたいけど、なれない  小説や子どもの頃の゚ッセむかりんのかんづめもあり🌞  ✳小説は恋愛小説・お仕事小説がマガゞンにありです

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