メインコンテンツへスキップ
見出し画像

だれでも1年で365枚写真日記をつくれる方法編み出してしまった...。

    続かない!


    毎年「今年こそは書くぞ!」と日記を始めるけど、1月という壁を超えたことがない。書きかけの10年日記が二冊家で見つかった時、僕は日記を諦めた。



    だけど続いてる人もいる

    これは純然たる事実。誰も続いていなければこんな苦しみはなかった。

    悔しくてめちゃくちゃ調べた。観察した。実践した。
    結論、適当に「ズボラ」がコツだとわかった。
    書いてない日を許すし、空白もいい。場合によってははみ出してもいい。自由に続ける形を選んでる。だからこそ続くんだろう。賢い選択だ。

    でも、、


    なんか、イヤだな。


    スッキリしない。気持ち悪さが残る。服の中に何か入っちゃったようにモヨモヨする。なまじ几帳面なのがよくないのかもしれない。完全に完璧主義がマイナスに働いている。

    でもこうなっちゃうのも仕方なくない?

    そういう性質なんだもん。生まれつきよ生まれつき。もうしゃーないって。その性質の中モヨモヨしつつ、適当にズボラでやれないって。。


    うん。仕方ない。これはもう仕方ない。
    日記を諦める、か


    全部抱えて日記を書くか

    だ。



    ということでまず「日記」、正確にいうと僕が望む「日記」について要素分解をしてみた。まとめると下記の要素を含むものを僕は欲している。

    ・毎日継続していること
    ・読めばその日あったことが思い出せること
    ・振り返りが容易なこと

    単純なものである。

    理由もつけるとこんな感じだ

    ・毎日継続していること
     →モヨモヨするから
    ・読めばその日あったことが思い出せること
     →日記の本質だから
    ・振り返りが容易なこと
     →いつでも浸れるようにしたいから

    ふむ、納得感ある。



    この「日記」が続くならモヨモヨもしないし、忘れていく日常を特別な日常に変えることができるだろう。

    そのためにまず、


    書くのをやめた


    いきなり過去の「日記」を全否定する。日記は書くからダメなんだ。
    「書く」という行為は凄まじくエネルギーを使う。無理無理。そんなの気力でどうにかなる問題じゃない。「書かない」と決めたら、頭がフル回転し始めた。そう、制約と誓約。リスクはバネである。


    画像
    ©️HUNTER×HUNTER


    書くことをやめたら日記はできないと思ってた。
    否、そんなことはない。

    この記事が参加している募集

     
     
     
    弁護士を辞めて、noteにエッセイ書いて暮らしています。

    あなたへのおすすめ