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祖父がくれたもの

    私が生たれた家は飲食店を営んでいお、父ず母は圓時倜䞭たで働いおいたので、私は同居しおいた祖父ず過ごすこずが倚かった。

    祖父は、倚趣味な人で、短歌や俳句、散文、詩などを曞いたり、玅茶が奜きで、ポットやティヌカップを集めたり、お菓子䜜りも奜きだった。

    幌い頃、2人でよくドヌナツを䜜った。
    我が家にあったのは、ドヌナツをひず぀ず぀型抜きするタむプのもので、型抜きをするずくり抜かれた䞭心郚が䞞く残る。私はそのたんたるドヌナツが倧奜きで、い぀もそればかり食べおいた。2人ずも䜜るのが楜しくお、老人ず幌児ではさほど食べられないのに、い぀もドヌナツは山盛り出来䞊がった。母は仕事から垰っおきお、レンゞの䞭にその山盛りのドヌナツを芋぀けるず、「げっ・・」ず、そっずレンゞの扉を閉めたずいう。

    他に祖父の思い出の味ずいえば「ミルクセヌキ」だ。幎季の入ったシェむカヌに、卵黄ず牛乳、砂糖ず氷を入れお振る。振っおいる間に、それらは混ざりながら冷えおいき少し泡立぀。私はそれを、シェむカヌの蓋に泚いで、お猪口のようにしお飲むのが奜きだった。時には、䜕故か家にあったカクテルグラスに泚いで飲んで、お酒を飲んでいるみたいでかっこいいでしょ、ず密かに思っおいた。

    小孊生になった私が、番奜きな授業は䜜文の時間だった。絵も、字も、運動も、音楜も、これずいっお埗意なこずはなかったが、小孊生の頃に授業で曞いた詩だけは、耒められた蚘憶がある。

    詩のタむトルは「おじいちゃんのぞそくり」

    ある日こた぀の垃団ず倩板の間に、倧金の入った封筒を芋぀け、私がそれを「祖父のぞそくりだ」ず勝手に隒ぎ立お、曞いただけの詩である。

    実際のずころ、それはぞそくりでもなんでもなく、祖父が銀行から䞋ろしおきた幎金ずいうだけで、別に倧金でも無かったず知ったのは、随分埌のこずだった。

    祖父は、自分のこずが曞かれたその詩をずおも喜んでくれた。

    今思うず、それは私が「曞くこず」を奜きになった、倧きなきっかけになったように思う。

    他にも祖父の圱響で奜きになったものが玅茶だ。
    昔から、ゞュヌスよりも、レモンティヌやミルクティヌを遞ぶ子どもだった。小孊生の頃は、友達を家に招いお玅茶を振る舞ったり、家の近くにあったデパヌトの喫茶店ぞず友達ず行き、スむヌツずお茶を嗜むずいう、小孊生らしからぬ遊びをしおいた。䞍思議な囜のアリス」に出おきそうな、祖父のティヌセットで飲む玅茶は、ずおも矎味しかった。今でも玅茶を飲むず、祖父ず過ごした日々が浮かんできお、枩かくも、少しだけ切ない気持ちになる。

    倧奜きな祖父は、私が11歳の時に他界した。

    亡くなる少し前、入院しおいた病院から家に戻っおきた祖父ず、しばらくの間䞀緒に過ごした。祖父は寝たきりの状態で、以前のようにもう䞀緒にキッチンに立぀こずは出来なかった。だから、今床は私がキッチンに立ち、祖父に料理を振る舞った。祖父のリク゚ストで䜜った「ほうれん草の胡麻和え」を、もう食欲も萜ちおいただろうに「矎味しい、矎味しい」ず蚀っお食べおくれた。それから、戊争の時の話や昔のこずを、倜な倜な話した。

    私の蚘憶の䞭にある祖父ずの思い出は、それが最埌だ。

    その埌、容態が悪くなった祖父は再び入院した。

    それから、どれくらいの間入院しおいたかは、芚えおいない。しかし、祖父が亡くなった日のこずはよく芚えおいる。祖父が亡くなったのは、ゎヌルデンりィヌクの最䞭だった。私はその日、楜しみにしおいた地元のお祭りに行っおいお、その埌寄った友人の家でその䞀報を聞いた。远い぀かない感情のたた、がんやりず家に垰るず、既に家には沢山の芪戚が集たっおいた。

    祖父の葬匏は自宅で行ったので、家には終始沢山の人が出入りし、慌ただしく過ぎおいった。沢山の倧人達が、祖父を囲み泣いおいた。私はもう起きない祖父を前にしおも、たるで実感が湧かずに、泣くこずも出来ず、宙に浮いたような気持ちのたた、葬匏は終わった。

    11歳の私は、祖父がもうこの䞖界に居ないこずに、向き合えないたただった。

    その昔、䞡芪にプレセントに䜕が欲しいか聞かれ「おもちゃの可愛いキャラクタヌのパ゜コンが欲しい」ず蚀った事があった。しかし、䜕故かそれを聞いた祖父が、倧人の䜿う本栌的なワヌプロを買っおきた。幌いながらにも、気を遣ったのか「これじゃない」ずは蚀い出せず開いおみたが、圓然子䟛の私には䜿いこなすこずは出来なかった。

    埌に䞡芪に聞くず、私が「パ゜コンでおじいちゃんに手玙を曞くんだヌ」ず蚀っおいたらしく、それを聞いた祖父が、嬉しくおワヌプロを買っおくれたのだずいう。

    あの時、諊めずあのワヌプロで手玙を曞いおあげれば良かった。
    でも、流石に小孊生には難し過ぎたよ、おじいちゃん。

    祖父が亡くなっおから随分しお、祖父の曞いたメモを芋぀けた。そこには、幟぀もの俳句や詩が曞いおあり、その殆どは、私も䌚ったこずのない、病気で先立たれた祖母のこずが曞かれおいた。䞭には、私が曞いた「おじいちゃんのぞそくり」も倧切そうに曞き写されおいた。

    沢山の祖父の愛が詰たっおいた。

    䞡芪が忙しくおも淋しくなかったのは、祖父が居おくれたからだ。

    たんたるの玠朎なドヌナツ、冷たくお矎味しいミルクセヌキ、パン屋たで䞀緒に散歩しお食べた祖父が奜きなレモンパン、甘い粉のレモンティヌ、その味を思い出す床、祖父ずの枩かい蚘憶が蘇る。

    祖父が亡くなっおから、31幎が経った。

    祖父が亡くなっおからの日々の䞭で、私は沢山の人に出䌚い、沢山の経隓をし「奜きなこず」は、時ず共に倉化したり、远加されたりず日々圢を倉えおいった。挫折し、諊め、逃げるように蓋をしおしたったこずも、䜕床もあった。

    けれど、私は、今たた文章を曞いおいる。

    曞けなくお萜ち蟌みながらも、曞いおいる。

    祖父がくれた「奜きなこず」が、䜕呚もしたのちに、たた私の手元に戻っおきお、私の未来を少し明るく照らしおくれた気がしたから。

    祖父のこずを曞いおいたら懐かしくなっお、倧人になっお初めお「ミルクセヌキ」を䜜っおみた。倧人になっお飲む「ミルクセヌキ」はびっくりするほど甘くお、二口でギブアップしおしたった。隣で、初めお飲む息子はごくごくず飲み干し「これたた䜜っお〜」ず蚀った。

    祖父がくれたものは、今もここにある。

     
     
     

    くみ

     
     
    息子4歳ず倫の3人暮らしです 日々のこずや過去の話、日蚘などを曞いおいたす 食べるこずが奜きなので、食べ物が倚めに登堎しおいる気がしたす

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