AI小説が私を孤独にした話
SNSでドーパミン補充をしているとき、動物の映像が流れてきて「っはー(かっわ)」となった後、「AIにて生成」というさりげない文字を見つけると、「ああ」と心の声が低くなる。
今年8月、米ビラノバ大学の研究チームが、ChatGPTと人間が創作した短編小説を読者に評価させる実験を行ったところ、評価が高かったのは、
人間が書いたと嘘をついたChatGPT小説
人間が書いた小説
ChatGPTが書いたと告知しているChatGPT小説
の順番だったとのこと。
AIだと知ると心の声が低くなるのは、私だけじゃないらしい。
とはいえ「面白ければ、AI小説でもいいじゃん」と思う。本物だと思って眺めていた動物映像とは違う。小説は元々フィクションとわかって読んでいるからだ。
同じ理由で、アニメにAIが使われていて炎上、というようなニュースを見ると、なぜ? と不思議に思っていた。アニメは二次元なんだからAIでいいじゃないか、と。
でも先日、ちょっとわかってしまった。その気持ちが。
Web小説を読んでいるときのことだった。文中で「以前、私がAと会ったとき」というような一人称の地の文が、「第四話で私がAと会ったとき」と書いてあるのに遭遇した(そのままじゃないです)。瞬間、脳がすごく引っかかった。
誤字なら一瞬集中が切れるだけだけれど、先を読めなくなってしまった。
——第四話。え、なんで急にそんな言い方? あ、AIかも。プロンプトに一話とか二話とか、そういう指示を入れているのかも。AIのバカたれが気づけ。教えた方がいいのかな。いや、誤字じゃないし、AIを指摘しているとか思われたくない——
と、芋づる式に感情が他の方向に引っ張られてしまった。そして翌日、続きを読みに行った私は、真っ先に「第四話で」の文字が修正されているか確認した。されていなかった。そしてその後、なんとなくその小説は読まなくなった。
どうやら私は、米ビラノバ大学(ペンシルバニアにあるそう)の研究結果を、身をもって証明してしたらしい。人間が書いたと思っていたときは読めていたのに、AIだと気づいたら気持ちが離れて、小説を正しく評価できなくなってしまった。
AIだと知った瞬間、マネキンに向かって笑いかけていたみたいな気持ちになったのだ。
たとえフィクションの小説であれ、読み手側はその先の作者に心を重ねているのだと思う。小説の悲しいシーンに涙が出たら、その先に、それを創作した人がいて、その人は悲しいシーンを作ろうとして作っていて、自分はそれを受け取った、という無意識下での温かい交流があるのだ。
作者と読者の間で、あなただけじゃない、私だけじゃない、という手紙を交わしているのだと私は思う。
だから、創作物がAIだと知ると、自分の感情の行き場が消えたような気がして、興味が失せてしまうのだ。
AI小説でも、プロットは人が作って、文章だけAIに書かせるとか、そういう書き方もある。だからAI小説と一括りにするのは乱暴だろう。私も、どこから興味が失せるのか、その境界線はよくわからない。
今でもAIクリエイションが増えることを悪いとは思わないのだけれど、AI創作物だと事前に伝えていないものについては、AIっぽさは徹底的にわからないようになるといいな、とは思う。AIが嫌なんじゃない。気づいた瞬間の、虚しい孤独が嫌なんだ。
