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評価は他人次第、納得は自分次第

    楠瀬 啓介 KUSUNOSE Keisuke

     私は、今は現役を退いていますが、現役時代は人事部門で働いたことがあり、研修講師として人事考課研修や目標管理研修を担当し、最近ではマネジメント系のテキスを書いていました。

     そういう職歴なので、いつも、次の2点が心に引っかかっていました。

    ※人が人を評価するとはどういうことだろう?

    ※自己評価があり他人からされる評価がある。では、自分自身の納得はどの辺にあるのだろう?

     リタイアしても考え続けていたのですが、最近おもうのは、

    ※評価は他人次第

    ※納得は自分次第


    ということです。

     ここでいう評価は、お金と地位に結びつく社会的な評価という意味です。社会的な評価は、私の言動が社会にどういう影響を与えているかで決まるものだと思うのです。影響を受けるのは他人様だから、結局、私の評価は他人次第ということです。

     それは、他人の評価がつねに正しいという意味ではありません。人間が人間を評価することには間違いがつきもの。芸術の世界では、生前まったく評価されなかった芸術家が死後に評価され天才と認められた例が少なくありません。

     しかし、間違った評価かもしれないけれども、評価される側が「それは違う」と異議を申し立てても、なかなか納得してもらえないのも事実です。また、自分で自分を正しく評価するのも難しいので、自己評価には独りよがりに陥る危険もある。ですから、結局は、他人の判断が優先されざるを得ないのが評価の世界だと思います。

     一方、納得は、自分が自分の生きざまをどのように受け止めるかということです。私の生きざまのうち、

    ※他人が評価することができる事柄

    ※他人が評価することができない事柄

    の両方をひっくるめて、自分が自分にOKを出せることが納得です。

     生きざまの中で、他人が評価できない事柄は、意外に多いものです。もしかしたら、そういう事柄の方が人生に占める比重が大きいかもしれなせん。

     私は、30年近く持病を抱えて仕事をしていました。病気のため無理が効かない面がありました。病気を気にし過ぎて積極性を欠いたことも認めます。
     そのような働きぶりとその結果は、仕事で関わる他人の評価にさらされる事柄です。
     
     感情的には「病気でも頑張っているのだから、そこを評価して欲しい」というのが偽らざる本音でしたが、人事経験者として客観的に見ると、健康で無理が効きアウトプットも多い人間に比べて評価が下がるのは致し方ないことでした。そうでないと、組織として公正さを欠いてしまいます。
     
     しかし、私が、持病を抱えて家庭人として、そして職業人として生きていることの全体は、仕事で関わる他人が評価できることではありません。

     私は、全体として自分がやってきたことに納得しています。家族には多々迷惑をかけたので、辛い評価を受けた部分もあったかもしれませんし、そうであればそれについては申し訳ないと思いますが、それも含めて自分はよく頑張ったと思っています。

     私たちは長い学校生活と職業生活を通じて他人から評価されることに慣れ過ぎて、人生における他者評価の重みを過大に見積もっている可能性が大きいのではないか? 現役リタイア後、私はそんな風に思うようになってきました。

     したがって、個人の生き方としては、

    ※自分の納得を優先して生きればよい


    と、今の私は思っています。こんなことは、自分が人事部門の人間だったり研修講師だったりしたときは、口が裂けても地球が逆回転しても言えなかったことです。しかし、今となっては、これが私のいつわらざる実感です。

     以上、とりとめのない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。

    画像提供:K_Kameno 

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    新卒でメーカーに就職、19年務めて研修業界に転職しました。以来、人と組織に向き合い続けてきました。その経験をもとに情報発信し、また、ビジネスについて学びたい方のために教材も提供して参ります。早大政経、Stanford GSB 卒です。

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