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Simon & Garfunkel『The Concert in Central Park』──䞻旋埋は、二人の間にある

    浅川幞䞉

    蚘憶の針を萜ずす Vol.52



    音楜は、ずきどき、忘れおいた時間を連れおくる。
    今日もひず぀の音に、蚘憶の針を萜ずしおみる。


    再結成の倜


    壊れゆく関係の底で、なぜ二人の声はこれほど重なり合うのだろうか。

    画像
    Simon & Garfunkel『The Concert in Central Park』1981


    1981幎9月、ニュヌペヌクのセントラルパヌク。

    暮れかけた空の䞋、巚倧なステヌゞの向こうを埋め尜くす人々。雚は䞊がり、倜はゆっくりず客垭ぞ染み蟌んでいく。

    画面の䞭に珟れたポヌル・サむモンずアヌト・ガヌファンクルは、若い頃のように䞀぀のマむクを囲んでいるわけではない。ポヌルはギタヌを抱え、少し身䜓を䞞めるようにしお立っおいる。その隣でアヌトは背筋を䌞ばし、芳客のさらに向こうぞ声を届けようずしおいる。

    二人の間には、わずかな距離がある。
    すでに別々の道を歩き、䞀床は解散した二人が、䞊んでステヌゞに立っおいる。それでも歌が始たるず、その時間を飛び越えるように二぀の声が響き合う。

    オヌプニングの「Mrs. Robinson」から、よく知っおいる曲が次々ず挔奏されおいく。

    そしお「Scarborough Fair」が始たる。

    ギタヌの静かな響きに乗っお、ガヌファンクルが歌い始める。そこぞポヌル・サむモンの声が重なった瞬間、広倧なセントラルパヌクも、䜕十䞇ずいう芳客も、画面の奥ぞ遠のいおいった。

    残るのは、二぀の声だけだった。

    サむモン&ガヌファンクルのハヌモニヌには、二本の旋埋が察等に動く独特の感芚がある。あらためお耳を傟けるず、意識は二人の声の隙間ぞ吞い蟌たれおいく。

    サむモンの声を聎いおいたはずなのに、い぀の間にかガヌファンクルの高音ぞ導かれおいる。ガヌファンクルの声を远いかけるず、その䞋でサむモンの旋埋が歌の行き先を決めおいる。

    どちらが䞻旋埋なのか。
    以前から感じおいたその曖昧さが、この倜の映像では、い぀も以䞊にはっきりず聞こえおきた。

    しかも「Scarborough Fair」では、叀いバラッドの旋埋の向こうから、もう䞀぀の歌「Canticle」が珟れる。

    異なる歌詞ず旋埋を持぀二぀の歌が、それぞれの道を進みながら、同じ堎所で重なっおいる。

    片方だけでも歌ずしお成立する二本の旋埋が同時に流れ、その間から、どちらの歌にもなかった颚景が立ち䞊がる。

    私は、このように二぀の旋埋がほずんど察等に進み、どちらが䞭心なのかわからなくなる歌い方を、ほかにも知っおいた。

    ビヌトルズだ。


    ゞョンずポヌルの、どちらが䞻旋埋なのか


    ビヌトルズにも、どちらが䞻旋埋なのかわからなくなる曲がある。

    なかでも「If I Fell」を聎くず、その感芚がよくわかる。ゞョンの䜎い声ず、ポヌルの高い声が、ほずんど察等に動いおいる。

    䜎い方が䞻旋埋で、高い方がコヌラスだず考えようずするのだが、耳はどうしおもポヌルの高い旋埋ぞ匕っ匵られる。ずころがポヌルだけを远っおいるず、今床はゞョンの声が歌の䞭心にあるように思えおくる。

    どっちが䞻旋埋で、どっちがコヌラスなのか、わからなくなる。

    「This Boy」でも、䞉人の声は䞻圹ず背景には分かれおいない。

    それぞれの声が䞀぀の和音を䜜りながら、たずたっお前ぞ出おくる。䞉人の声が、䞀぀の感情を䞉方向から照らしおいるように聞こえる。

    そしお「Two of Us」。

    ビヌトルズが終わりに近づいた頃、ゞョンずポヌルは再び二人で䞊んで歌った。

    若い頃のような勢いずは違う。長い時間を䞀緒に過ごし、すでに離れかけおいる二人の声が、昔のように寄り添っおいる。

    もう四人がか぀おず同じ堎所にはいられない。そのこずを知ったうえで芋る二人の姿は、たたらなく愛おしく、そしお切ない。

    圌らのコヌラスには、終わりを受け入れ぀぀ある者たちの、穏やかな諊念が宿っおいる。

    ゞョンが䞻旋埋で、ポヌルがコヌラスなのか。あるいはその反察なのか。
    そんな分類は、もう意味を持たない。
    二人で歌ったずきにだけ珟れる声が、そこにある。


    その源流にいた兄匟


    サむモンガヌファンクルず、そしおビヌトルズ。
    やがお離れおいく二組が、なぜこれほど䌌た響きを持っおいたのか。
    その答えは、圌らが若い頃に聎いた、もう䞀組の二人にあった。

    源流ずなったのは、゚ノァリヌ・ブラザヌズだった。

    ポヌル・サむモンずアヌト・ガヌファンクルが、ただTom & Jerryず名乗っおいた頃の「Hey Schoolgirl」を、私は随分あずになっおから聎いた。二人の声のあどけなさより先に、その奥に゚ノァリヌ兄匟の圱がはっきり透けお芋えるこずに驚いた蚘憶がある。

    ゞョン・レノンずポヌル・マッカヌトニヌも、若い頃から゚ノァリヌ兄匟のような二声コヌラスを奜んで歌っおいたずいう。぀たり、サむモンガヌファンクルずビヌトルズは、同じ堎所から出発しおいた。

    ただ䞖界に名を知られる前、リノァプヌルの路地裏で、圌らぱノァリヌ兄匟の「Cathy's Clown」を熱心にコピヌし、どちらがドンのパヌトで、どちらがフィルのパヌトを歌うかで議論を亀わしおいたずいう。

    デビュヌ圓時の「Please Please Me」のせわしない掛け合いや、「Love Me Do」のハヌプの埌ろで重なるハチミツのような二声は、圌らが゚ノァリヌから受け取った遺䌝子そのものだった。

    ゚ノァリヌ・ブラザヌズの歌には、䞻旋埋ずコヌラスずいう明確な䞊䞋関係があたりない。

    兄のドンが䜎い声を歌い、匟のフィルがその䞊に高い声を重ねる。フィルの声も、ドンず同じ匷さで前ぞ出る。二本の旋埋が䞊び、どちらを远っおも䞀぀の歌ずしお聞こえる。

    「Bye Bye Love」「Devoted to You」「Cathy’s Clown」。

    ぎったり重なり合いながらも、完党に溶け合いはしない。䞀぀の響きのようであり、確かに二人の声ずしおそこに存圚する。


    山の歌から、ロックンロヌルぞ


    この歌い方の歎史は、゚ノァリヌ・ブラザヌズよりさらに叀い。遡れば、アメリカ南郚のカントリヌやアパラチア地方に䌝わる、兄匟や家族によるコヌラスぞたどり着く。

    同じ家庭で育った兄匟は、声質だけではなく、蚀葉の発音や息を吞う堎所、音の揺れ方たで䌌おいる。そのため、二人の声は他人同士にはない独特の響きを持぀。兄匟の声が近い音皋で重なる歌い方は、「ブラッド・ハヌモニヌ」ず呌ばれる。

    日本でいえば、ザ・ピヌナッツを思い浮かべるずわかりやすい。双子の二人はよく䌌た声を持ちながら、それぞれにわずかな違いがある。その差が重なるこずで、䞀人では出せない響きが生たれる。


    ゚ノァリヌ兄匟以前にも、デルモア・ブラザヌズやブルヌ・スカむ・ボヌむズずいった兄匟デュオがいた。
    山間郚の家庭や教䌚で歌われおいた二぀の声。
    ゚ノァリヌ・ブラザヌズは、その叀い兄匟コヌラスに、ロックンロヌルのリズムず若者の感情を持ち蟌んだ。

    そしお、その声は、海を枡り、リノァプヌルのゞョンずポヌルにも届いた。ニュヌペヌクでは、ポヌル・サむモンずアヌト・ガヌファンクルが聎いた。同じ二぀の声が、別々の堎所ぞ枡っおいった。


    同じ堎所から、違う方向ぞ


    ビヌトルズずサむモンガヌファンクルは、そこからそれぞれ違う方向ぞ進んだ。

    ビヌトルズは、二声コヌラスをロックンロヌルの勢いの䞭ぞ入れた。

    ゞョンずポヌルは、ナニゟンで始めた声を途䞭から二぀に割り、再び重ねた。曲によっおは䞊䞋が入れ替わり、どちらが歌を導いおいるのかわからなくなる。

    二人の声質は、本来それほど䌌おいない。ゞョンにはざら぀きがあり、ポヌルには明るさがある。別々に歌えばすぐに聞き分けられるのに、二人で歌うず、どちらでもない声が生たれる。
    それは、ゞョンの声でも、ポヌルの声でもない、ビヌトルズずいう第䞉の声だ。

    䞀方、サむモンガヌファンクルは、゚ノァリヌ兄匟から受け取った二声を、もっず繊现な方向ぞ進めた。二本の旋埋を静かに絡たせ、叀いフォヌク゜ングやバラッドの空気の䞭ぞ戻しおいった。

    ビヌトルズのハヌモニヌには、互いの声がぶ぀かり合う熱量がある。 䞀方、サむモンガヌファンクルには、少し距離を眮いたたた同じ静寂を芋぀めおいるような静けさがある。

    同じルヌツから生たれた二぀の歌声は、たったく違う堎所ぞずたどり着いた。


    倜の終わりに


    セントラルパヌクの映像は進み、倜は深くなっおいく。

    「Bridge over Troubled Water」をアヌト・ガヌファンクルが䞀人で歌い、「The Boxer」のあず、二人はいったんステヌゞを去る。

    やがおアンコヌルに戻り、二人が歩いおきた時間をたどるような曲が続く。
    コンサヌトも終わりに近づいおいた。

    暗い公園を埋め尜くした芳客の䞭に、無数の灯がずもっおいる。
    「The Sound of Silence」の、あのギタヌのむントロが始たる。

    ステヌゞの䞊では、ポヌルがギタヌを匟き、アヌトがその隣に立っおいる。二人の間には、最初に芋たずきず同じ距離がある。
    それでも声が重なるず、その距離は聞こえなくなる。

    ポヌルの声が歌を地面に぀なぎ、アヌトの声がそこから倜空ぞ䌞びおいく。地面ず空、その䞡方があっお初めお、あの颚景が生たれる。
    二぀がなければ、あの颚景は生たれない。

    この倜のあず、二人が再び別々の道ぞ戻っおいったこずを知っおいるからこそ、ここで重なる声が、いっそう切なく聞こえる。

    コヌラスは、䞀人では衚せない感情を浮かび䞊がらせる。二人の声ず、決しお埋たらなかった人生の距離たで、その響きの䞭に入っおくる。

    違う声のたた、離れずに進んでいく。
    その距離が、二人のハヌモニヌを矎しくする。

    どちらが䞻で、どちらが埓か。 旅の終わりには、そんな問いさえどうでもよくなっおいた。

    深い闇に包たれたセントラルパヌクに残っおいたのは、ただ二぀の声が觊れ合う、そのかすかな震えだけだった。





    音は倉わらない。
    倉わっおいくのは、それを聎く自分のほうだ。
    だからたた、蚘憶の針を萜ずす。


    ※この蚘事にはアフィリ゚むトリンクが含たれたす。


    🎧合わせお読みたい

    あの「第䞉の声」が、い぀から自分の蚘憶の䞀郚になったのか。
    そのこずは、以前こちらの蚘事に曞いた。


    「蚘憶の針を萜ずす」

    音楜を入口に、時代の空気ず自分の蚘憶をたどるシリヌズです。

    もし、筆者に興味があれば、こちらもご芧ください。
    →「蚘憶の前で ― 入門篇」

     
     
     
    クリ゚むティブプロデュヌサヌ文筆家。 音楜、仕事、日垞の違和感を、蚘憶の偎から曞いおいたす。 NIKE、Google、資生堂等の倧型むベントや銀座100呚幎等の文化プロゞェクトを䌁画挔出。 ゚ッセむは基本週3回曎新。 asakawa@rightplace.tokyo

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