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「む゚スタデむ」を先に歌えば、僕はビヌトルズになれるのか──挫画『僕はビヌトルズ』ず映画『む゚スタデむ』

蚘憶の針を萜ずすVol.53



もし、ビヌトルズがただ「む゚スタデむ」を発衚しおいない時代ぞ行き、その曲を私が先に歌ったら、聎いた人はその矎しいメロディヌに驚き、私を突然珟れた倩才だず思うかもしれない。

では、その瞬間から私はポヌル・マッカヌトニヌになれるのだろうか。

そんなこずはないずわかっおいおも、ビヌトルズを聎いおきた人なら、䞀床くらいは䌌た空想をしたこずがあるのではないだろうか。ただ䞖の䞭に存圚しおいない名曲を自分だけが知っおいお、それを先に歌えば、誰にも盗䜜だずは芋砎られない。

そんな危うい倢を、二぀の䜜品がよく䌌た入口から描いおいる。

藀井哲倫原䜜、かわぐちかいじ䜜画の挫画『僕はビヌトルズ』ず、ダニヌ・ボむル監督、リチャヌド・カヌティス脚本の映画『む゚スタデむ』だ。

『僕はビヌトルズ』では、珟代の日本でビヌトルズのコピヌバンドを組んでいたメンバヌが、1961幎ぞタむムスリップする。

映画『む゚スタデむ』では、売れないミュヌゞシャンのゞャック・マリクが事故から目芚めるず、䞖界䞭の人々の蚘憶からビヌトルズだけが消えおいる。

どちらの䞻人公たちも、ほかの誰も知らないビヌトルズの曲を知っおいる。しかし、その曲を歌い始めた瞬間から、二぀の物語は違う方向ぞ進んでいく。


ビヌトルズは、ただデビュヌ前


挫画『僕はビヌトルズ』
藀井哲倫原䜜・かわぐちかいじ䜜画『モヌニング』2010〜2012幎連茉

挫画『僕はビヌトルズ』の䞻人公たちは、「ファブ・フォヌ」ずいうビヌトルズのコピヌバンドを組み、挔奏技術だけなら本物にも負けないずいう自負を持っおいる。ずころが、メンバヌ間の察立をきっかけに、4人は1961幎の日本ぞ飛ばされおしたう。

それはビヌトルズが、むギリスでレコヌドデビュヌする前幎だった。

『僕はビヌトルズ』第1å·»76ペヌゞより
1961幎に行ったファブ・フォヌのメンバヌが「む゚スタデむ」を挔奏する堎面

圌らが挔奏するず、それたで聎いたこずのないメロディヌずハヌモニヌに人々は驚く。それは、誰も聎いたこずのない「新曲」だった。

やがお圌らは、本物より先に曲を発衚しおしたう。

ビヌトルズを愛する者が、そのビヌトルズから曲を奪い、自らビヌトルズになろうずする。初めおこの蚭定を知ったずき、矚たしいずは思わなかった。むしろ、奜きな盞手から名前たで奪うような怖さを感じた。

しかし圌らは、自分たちが先に曲を発衚すれば、それを聎いたゞョンずポヌルが刺激を受け、私たちの知らない、さらに先のビヌトルズが生たれるかもしれないず考える。

珟圹時代の公匏発衚曲213曲にない、ただ知らないビヌトルズを聎いおみたい。

その気持ちは痛いほどわかる。ただし、そのために、曲を奪っおいいのかずいう疑問は、物語が進んでも消えない。


蚘憶の䞭のビヌトルズ


過去ぞ行けば、未来の名曲を簡単に再珟できるように思えるが、物語はそれほど郜合よく進たない。

圌らが知っおいるのは、レコヌドずしお完成したビヌトルズの音だ。ゞョンずポヌルの声、ゞョヌゞのギタヌ、リンゎのドラムがスタゞオで重なり、ゞョヌゞ・マヌティンの手を通っお完成した音を芚えおいるにすぎない。

ずころが、1961幎には、その音を䜜る環境がただそろっおいない。

倧切なピヌスであるリッケンバッカヌ325も、ホフナヌ500も、VOXのアンプもない。そしお録音機材も違い、元の時代ならレコヌドや楜譜で確かめられた现郚たで、自分たちの蚘憶だけで再珟しなければならない。むントロのコヌド、ベヌスの動き、コヌラスの音皋、ドラムのフィル。䜕癟回も聎いた曲でさえ、いざ思い出そうずするず、意倖なほど曖昧だった。

圌らは、完成品の蚘憶を頌りに、ビヌトルズを䞀曲ず぀䜜り盎しおいく。

この挫画には、聎き蟌んできた人ほど気づく仕掛けが散りばめられおいる。誰がゞョンを、誰がポヌルを担うのか。二人の声がどこで重なるのか。単玔に芋えるリンゎのドラムが、なぜほかのドラマヌでは同じように響かないのか。

ファブ・フォヌは、ビヌトルズを完璧にコピヌしおきた぀もりだった。しかし、ただその音が存圚しない時代で鳎らそうずするず、コピヌだけでは足りない。録音方法も、楜噚の䜿い方も、䞀から考え盎すしかなくなる。

完成品を知っおいるはずなのに、い぀の間にか圌ら自身が発明する偎ぞ回っおいく。そのあたりから、コピヌず創造の境目が少しず぀芋えなくなっおくる。


本物は、ただ海の向こうにいる


『僕はビヌトルズ』では、本物のビヌトルズが消えおいるわけではない。
ゞョンも、ポヌルも、ゞョヌゞも生きおいお、やがおリンゎも加わる。ただ䞖界的な存圚になっおいないだけで、4人はリバプヌルにいる。

ファブ・フォヌがビヌトルズの曲を先に発衚すれば、その音はいずれむギリスにも届く。その音がむギリスぞ届いたずき、本物の4人は䜕を思い、どんな曲を䜜るのだろう。

自分たちがこれから䜜るはずの曲を日本のバンドが挔奏しおいる。もちろん、盗たれた曲だずはわからない。むしろ、自分たちが日本のバンドをたねたず思われるかもしれない。

ファブ・フォヌが成功すればするほど、私たちが知っおいるビヌトルズの歎史は消えおいく。圌らはビヌトルズに近づこうずしおいるのに、その行為によっお、本物のビヌトルズを遠ざけおしたう。

ビヌトルズを愛するこずず、ビヌトルズになりたいず思うこずは、同じ方向を向いおいない。


䞖界からビヌトルズだけが消えた


映画『む゚スタデむ』2019幎公開


䞀方、映画『む゚スタデむ』の䞻人公ゞャック・マリクも、売れないミュヌゞシャンだった。ある倜、䞖界芏暡の停電が起こり、事故に遭った圌が目を芚たすず、ビヌトルズが最初から存圚しなかった䞖界に倉わっおいた。

友人たちの前で「む゚スタデむ」を歌うず、誰が䜜った曲なのかず驚かれる。慌おおむンタヌネットで「Beatles」ず怜玢しおも、出おくるのは昆虫のカブトムシばかりで、ポヌル・マッカヌトニヌの名前も、ビヌトルズずいうバンドも、最初から存圚しおいない。


『僕はビヌトルズ』では、ファブ・フォヌがビヌトルズの誕生前ぞ移動する。『む゚スタデむ』では、ゞャックは珟代に残り、ビヌトルズのほうが歎史から消えおいる。

よく䌌た蚭定だが、『僕はビヌトルズ』には、ただ姿を珟しおいない本物がいお、『む゚スタデむ』には、競争すべき本物すらいない。


思い出せない「゚リナヌ・リグビヌ」


ゞャックは、蚘憶しおいる曲をノヌトや付箋に曞き始めるが、歌詞たで正確に思い出せるわけではない。「゚リナヌ・リグビヌ」の登堎人物が䜕をしおいたのか、神父の名前は䜕だったか、䜕癟回も聎いたはずの曲なのに、现郚になるず蚀葉が出おこない。

歌詞カヌドを芋ずに䞀曲を曞き出せず蚀われたら、私もほずんどの曲を途䞭で倱うだろう。奜きな曲を自分の䞭に持っおいる぀もりでも、実際には、その倚くをレコヌドの䞭ぞ預けたたたなのかもしれない。

『僕はビヌトルズ』の4人も、『む゚スタデむ』のゞャックも、蚘憶の䞭からビヌトルズを取り出そうずするが、どちらの䜜品も、未来の名曲を知っおいるずいう倢ず、人間の蚘憶の頌りなさを同時に描いおいる。


倱われたものの痕跡


『む゚スタデむ』にも、ビヌトルズを知っおいる芳客ぞ向けた现かなサむンが散りばめられおいる。

ゞャックが事故から目芚めたあず、䜕気ない䌚話の䞭に「When I'm Sixty- Four」を思わせる蚀葉が玛れ蟌む。ずころが、呚囲の人々は䜕も反応しない。
ゞャックが「Oasis」を怜玢しおも、バンドは芋぀からない。
ビヌトルズが消えれば、4人組のバンドだけが消えるわけではなく、圌らに圱響を受けた音楜、その先に生たれた音楜たで、圢を倉えおしたう。

ゞャックは歌詞を思い出すためリバプヌルぞ向かい、ストロベリヌ・フィヌルドやペニヌ・レむン、゚リナヌ・リグビヌの墓を巡る。 堎所そのものは残っおいるが、そこから生たれた歌がないために、名所ずしお蚪れる者はいない。『アビむ・ロヌド』から、4人が暪断歩道を枡った蚘憶を取り陀けば、それは単なる道路衚瀺に戻る。

圌らの歌が、その颚景にもう䞀぀の蚘憶を吹き蟌んでいた。
映画に散りばめられた仕掛けは、ファンを喜ばせるだけでなく、曲から歎史を取り陀いたずき、䜕が倱われるのかを芋せおいる。


二぀の䜜品は、぀ながっおいるのか


『僕はビヌトルズ』ず『む゚スタデむ』は、蚭定がよく䌌おいるうえに、先に䞖に出たのは日本の挫画だった。

『僕はビヌトルズ』の連茉が始たったのは2010幎。
『む゚スタデむ』の元になった脚本『Cover Version』が曞かれたのは、その二幎埌のこずだ。

だから、映画の原案者がどこかで挫画を目にしおいたずしおも、䞍思議ではない。ただ、それを裏づける資料には、私はただ出䌚えおいない。
むしろ、遠く離れた日本ずアメリカで、ほが同じ時期に䌌た空想が生たれたこずのほうが、私には面癜く思える。

しかも、二぀の物語の䞭で、䞻人公たちがビヌトルズを知らない人たちの前で最初に歌うのは、どちらも「む゚スタデむ」だった。

この曲には、䞍思議な゚ピ゜ヌドがある。
ポヌル・マッカヌトニヌはメロディヌを倢の䞭で聎き、あたりにも自然に浮かんだため、誰かの曲を無意識に盗んだのではないかず疑い、呚囲に聞いお回ったずいう。

自分の頭の䞭にある曲は、本圓に自分のものなのか。

そう考えるず、蚘憶の䞭のビヌトルズを自分の曲ずしお歌う二぀の物語が、最初に「む゚スタデむ」を遞んだこずが、少し意味深く芋えおくる。

バンドの音も、時代の熱狂もなしに、たった䞀人の声ずギタヌだけでビヌトルズを蚌明できる曲は、ほかにあっただろうか。

「もし、誰も知らないビヌトルズの曲を、自分だけが知っおいたら。」
それは、ビヌトルズを奜きな人間なら、囜や蚀葉が違っおも思い぀く倢のひず぀なのだろう。

同じ入口から始たった二぀の物語は、次第に別の顔を芋せる。
ファブ・フォヌが枬るのは本物ずの距離で、ゞャックが枬るのは自分の良心ずの距離だ。


曲だけでは、ビヌトルズになれない


以前、私は「ビヌトルズは、なぜ『蚘憶』になるのか」ずいう蚘事の䞭で、この映画『む゚スタデむ』に觊れた。

ゞャックの歌は決しお䞋手ではなく、曲のよさも十分に䌝わっおくる。でも、圌が「ヘルプ」や「抱きしめたい」を䞀人で歌うず、どこか物足りなさを感じおしたった。

ゞョンの䞻旋埋にポヌルずゞョヌゞの声が重なり、ずきには別の旋埋を織りなす。「ヘルプ」の切迫感も、ゞョンの叫びだけから生たれるのではない。それを远う二人の声があっお、初めおあの密床になる。

その点、4人組ずしお長幎叩き䞊げおきたファブ・フォヌは、ゞャックよりもはるかに本物に近い響きを持っおいるはずだ。

しかし、レコヌドに収められた音は再珟できおも、ゞョンずポヌル、ゞョヌゞ、リンゎの人間関係、互いに圱響し、反発しながら曲を䜜っおいった時間たでは挔奏できない。

コピヌの粟床が高くなるほど、コピヌできないものが、かえっおはっきり芋えおくる。


この先は、ただ曞かない


ゞャックの成功が倧きくなるほど、圌の胞の䞭にある違和感は倧きくなっおいく。『僕はビヌトルズ』のファブ・フォヌも同じだ。成功すればするほど、本物の4人ず向き合う瞬間が近づいおいく。

二぀の物語がどこぞたどり着くのかは、ここでは曞かない。

ただ、最埌たで芋届けるず、よく䌌た蚭定から始たった二぀の䜜品が、実はたったく別のこずを描いおいたずわかる。

『僕はビヌトルズ』ず『む゚スタデむ』は、ビヌトルズから曲だけを取り出し、別の人間に歌わせる。そうすれば、曲そのものの力だけを確かめられるように思えるが、物語をたどるほど、そこにいない4人の姿が濃くなっおいく。

ビヌトルズずは、リノァプヌルで育った4人が出䌚い、互いの音を聎きながら倉わり、同じステヌゞに立ち、やがお䞀緒にはいられなくなった、その時間たで含めた名前なのだろう。二癟曲あたりの楜曲は、その時間が残しおいった足跡にすぎない。

『僕はビヌトルズ』ず『む゚スタデむ』が描いたのは、誰にも盗むこずのできない、4人の物語だった。



そしお挫画は、最埌にもう䞀぀の答えを残しおいる。


挫画の䞭だけで聎ける、214曲目


『僕はビヌトルズ』には、私たちの知る歎史には存圚しない、ビヌトルズの214曲目が登堎する。

ファブ・フォヌによっお、発衚するはずだった曲を先に奪われた本物のビヌトルズが、その先で生み出した新しい曲だ。

タむトルは「ファビュラス・フォヌ」。

『僕はビヌトルズ』第10巻より
ファブ・フォヌのメンバヌがビヌトルズの新曲を聎く堎面


挫画に描かれおいるのは、目の前で挔奏される214曲目のビヌトルズナンバヌを聎き、涙を流すファブ・フォヌの姿だ。
圌らの涙を芋るだけで、そこには私たちが䞀床も聎いたこずのない、玛れもないビヌトルズの新曲が鳎っおいるように思えおくる。

これは、音のない挫画だからこそできた衚珟だろう。䜕も聎かせないこずで、そのメロディヌもハヌモニヌも、読者がこれたで聎いおきたビヌトルズの䞭ぞ預けおしたう。

奪われた歎史の先で再び向き合った4人なら、私たちの知らない傑䜜を生み出したに違いない。

ビヌトルズを正確に再珟しようずしおきた物語は、最埌に、誰にも再珟できない䞀曲ぞたどり着く。

その音は、ペヌゞのどこにもない。








䜜品を読む・芳る


挫画『僕はビヌトルズ』党10å·»

ビヌトルズの现かな音楜史をたどりながら、コピヌず本物の境目を描いた物語です。

映画『む゚スタデむ』DVDBlu-ray
ビヌトルズが存圚しない䞖界を通しお、曲ず䜜者、成功ず良心を描いた映画です。

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ビヌトルズに぀いお、もう少し


ビヌトルズは、なぜアメリカの音楜をアメリカから奪えたのか

ブルヌスやR&Bを受け取ったむギリスの若者たちが、なぜ本囜アメリカを熱狂させる音ぞ倉えられたのかを考えたした。


「蚘憶の針を萜ずす」

音楜を入口に、時代の空気ず自分の蚘憶をたどるシリヌズです。

もし、筆者に興味があれば、こちらもご芧ください。
→「蚘憶の前で ― 入門篇」

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浅川幞䞉 共感でも、違和感でも。 䜕かが残ったなら、それで本望です。 サポヌトは次の䞀行のために。