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第五章 後鳥羽上皇、神器なき闘い

・後鳥羽上皇、神器なき闘い

平家が京から落ち延びる際、三種の神器を持ち去ってしまった為、歴史上初の、三種の神器のない天皇として即位してしまい、これが成長するに従い、激しいコンプレックスとなってしまった。
その為、自らの権威を認めさせる為に、自分磨きを怠らず、卓越した能力を持つ上皇となる。

19歳で院政。天皇そっちのけで、引退した上皇が権力を握る制度であるが、天皇が成人して操りづらくなると、そいつも上皇にしてしまって引退させ、自分が実権を握り続けた。その為、同時期に三人も上皇がいる。実権を握っている後鳥羽上皇は、『治天の君』と呼ばれていた。

天皇が政治を執り行いにくいのは、数多くの宗教行事に忙殺される為だとも言われている。


・何が凄かったのか

一言で言えば文武両道でバイタリティの人。

古今和歌集を編纂し、他の家人の論評もできるほどの超一流の歌人。
笛の名手であり、琵琶の名手。琵琶に至っては、余程の腕前の人にしか教えて貰えない楽曲、いわば奥義ともいえる秘曲を、最終奥義の段階まで習得している。1205年1月に「石上流泉」、2月に「上原石上流泉」、3月に「楊真操」、6月には最秘曲「啄木」の伝授を受けたという。
強靱な肉体と運動神経を誇り、スポーツ万能で蹴鞠のチャンピオン。
水泳、乗馬、狩猟も得意で、武人としても別格。

当時、交野八郎という盗賊が京を荒らし回っていたんだが、後鳥羽上皇はその塒へと自ら舟を漕いで乗り込んだ。そして、交野八郎を目掛けて強大な舟の櫂を振りかぶって見せたところ、そのあまりの怪力ぶりに呆然となり、平伏して部下に下ったという。
どこぞの時代劇の将軍様のようなことやってるな(笑)


・経済力も凄い。


荘園(私有領地)をたくさん獲得し、鎌倉幕府を上回る収入を得るに至る。この辺りの仕組みが、奈良時代からの律令制の矛盾が拗れに拗れた結果だから少々煩雑なのだが、藤原道長の腐敗政治を上手くパクった上皇が、天皇そっちのけで私腹を肥やしたという、『全ての土地と人民は天皇のものである』という建前を土足で踏みにじっている無茶苦茶な状態。
だが、これまでの上皇たちと違い、後鳥羽上皇は、「朝廷を中心とした秩序の回復」という、確りとした政治的理念を持っていた。


・軍事力も凄い。


後白河法皇が武士に振り回される様を反面教師として、天皇直属の武士団を作ることに尽力した。これまでは北面の武士という親衛隊しかいなかったところを、西面の武士という親衛隊も造っている。
朝廷での官位を餌に、御家人たちを懐柔して部下にすることも行い、鎌倉と京の間の地域を支配する武士を自分の配下としてしまう。中でも大物は、北条時政に鎌倉殿として担がれて北条義時に殺害された平賀朝雅の兄である、大内惟義。
彼が後鳥羽上皇に取り込まれてしまうことに、義時が危機感を覚えなかったはずはないのだが、源実朝自身が後鳥羽上皇に取り込まれつつあった為、抵抗できなかったのだと思われる。


・源実朝の懐柔。


和歌に興味を示した実朝に、一流の歌人である藤原定家を付けてあげたり、右大臣にまで昇り詰めさせたり、可愛がっているともいえるが、自分に臣従させようとしているともいえる。実朝自身も、それに抵抗も危機感も感じていなかったようだ。


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