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Photo byrabo_t

おみくじを引きに

    #創作大賞2026

    #エッセイ部門

    初詣で、おみくじを引いた女の子が、
    「私、コキチ」
    と友人に話している。
    それを困ったように苦笑いを浮かべていた友人。
    おそらく「小吉」だ。
    答えがないので、女の子は
    「コキチ、コキチ。ねえどんな運?」
    と大きな声で問い続けている。
    仕事終わりで、深夜に参拝した仲間と顔を背けながら笑った覚えがある。
    そのときの私が引いたおみくじは「吉」だった。
    エピソードとともにあると覚えている。
    そしてこれが新年の初笑いだった。

    神様はひとりひとりの願い事を叶えるほど暇じゃない。
    手を伸ばされても、握り返すほどの手はない。
    願いは聞こえても混ざって、たとえ神様でもノイズだらけでは聞き取れない。

    正月になると、普段墓参りにもいかないような人でも、神社へ初詣に出かける。
    それも、大勢の人たちが集まる、混みあった神社だ。
    本殿が見えないどころか、御賽銭を投げなければ届かないほどの大群衆。

    参拝客も叶うとは思っている人はほとんどいない。
    盛り上がっている場所へ行き、おみくじを引き、お守りを授かるというイベントだ。

    私もお参りにはいく。
    理由は、行かないと気持ちが悪いというのが正直な思いだ。
    ただ、昨年のおみくじに何が書いてあったのか、それすら覚えていない。
    記憶にあるのは、大吉よりも凶を引いた時ぐらいだ。
    それでも、木に結び付ければ、やがて忘れてしまう。
    思い出すのは、何か悪いことがあった時。
    便利なもので、神様のせいにできる。

    大切なのはお参りではなく、そこで起きた出来事だ。
    どんな小さな奇跡でも拾えることができれば、その祈りは通じたことになる。

    だれだかわからない「小吉」を”コキチ”と読んだ女の子の声を聞いたことで十分、吉の恩恵を受けた元旦だった。

    時に人の前には奇跡のようなことが訪れる。
    説明のつかない運に恐さを感じる。
    だから神話に形として描いたのかもしれない。

    私も毎年、神様に願いを掛ける。
    それは自分との約束でもある。
    叶うか叶わないかではなく、意志の確認。
    神様という浮かべた絵に語り掛けているだけなのかもしれない。

    人と神様はいつもかくれんぼをしている。
    勝つのはいつも神様。

    あの「コキチ」の女の子はどうしているだろう。
    なぜか笑って過ごしているように思ってしまう。
    おみくじで、友人だけでなく周りの人を楽しませた。
    それが無意識であったり、間違いであったりしても、笑わせたのは事実で、「コキチ」の効果は少なくとも一年はあったと思いたい。




     
     
     
    観察型コラムニスト/エッセイスト| 試合と日常の「流れ」を書く 「スワローズ観察日記R」 「紘野涼のフリーハンド」

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