
桜並木のある道
近くのバス停から、四つ目の停留所を過ぎると、桜並木がしばらく続く。
かつて川だったといううねった道は、春になると華やかさを増す。
バスが停留所に留まる。
まだ続く桜並木の歩道には、ゆっくりと見あげながら、歩く老人夫婦の姿がある。
穏やかな笑顔で、会話をしている風でもなく、バスの進行と逆に歩いていった。
バスに乗り込んだ人も、席に座ると、華やかな桜に目を向ける。
伸びる枝は、アーチ状に広がり、雑踏の中の花見よりよほど美しいものだ。
席に座った女性が、抱いている幼子に外を見せる。
わかっているのだろうか、笑顔を見せている。
ただこのバス路線を使いなれている人は、外に目を向けない。
たまに乗る、僕のピントが合ってしまうのは、散った花の方だ。
地面に届いたところで、バスや通りを進む車に踏まれていく。
歩道で咲いた桜を見あげている人の靴も、花びらを踏んでいる。
咲いて、散って風に乗る。
美しいのは、咲いて、花びらが宙に舞うまでだ。
地面に落ちれば、アスファルトの上で土にかえることもできず、傷ついたまま自然に消えていくのを待つしかない。
咲いているのも桜なら、散って踏まれるのも桜。
見上げるものは美しく、足元には忘れ去られる跡。
桜にすれば、咲いて、散って、踏まれる、繰り返すしかない。
ハンカチを出し、外したメガネを磨いた。必死に書いた台本を「やる気だけじゃ」と苦笑いされた。
読まれてもいなかったことを知ったのは、数日経ってからだった。
イヤホンをつけた学生が、桜を見あげることもなく、散った花を踏みつけて、スマホに集中している。
ただ何に夢中なのかは人それぞれだ。
振り向くと、黙って散った桜の花びらが、宙に舞っていた。
この瞬間がきれいで、自由だと桜がいっている気がした。
舞う風で少し浮いたタイヤについた花びら。
短いバスでの桜との無言の会話は、並木が抜けたところで終わった。
バスは広い通りに出るため右に曲がった。
その揺れの勢いを利用するように、僕はポケットからスマホを出してメールを見る、日常に戻った。
この日だけ、明日は同じに見えて違う桜並木。
桜にとっては、毎年繰り返される日常だ。