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Photo byvoice_miwa0401

桜並木のある道

    近くのバス停から、四つ目の停留所を過ぎると、桜並木がしばらく続く。
    かつて川だったといううねった道は、春になると華やかさを増す。

    バスが停留所に留まる。
    まだ続く桜並木の歩道には、ゆっくりと見あげながら、歩く老人夫婦の姿がある。
    穏やかな笑顔で、会話をしている風でもなく、バスの進行と逆に歩いていった。

    バスに乗り込んだ人も、席に座ると、華やかな桜に目を向ける。
    伸びる枝は、アーチ状に広がり、雑踏の中の花見よりよほど美しいものだ。
    席に座った女性が、抱いている幼子に外を見せる。
    わかっているのだろうか、笑顔を見せている。
    ただこのバス路線を使いなれている人は、外に目を向けない。

    たまに乗る、僕のピントが合ってしまうのは、散った花の方だ。
    地面に届いたところで、バスや通りを進む車に踏まれていく。
    歩道で咲いた桜を見あげている人の靴も、花びらを踏んでいる。

    咲いて、散って風に乗る。
    美しいのは、咲いて、花びらが宙に舞うまでだ。
    地面に落ちれば、アスファルトの上で土にかえることもできず、傷ついたまま自然に消えていくのを待つしかない。

    咲いているのも桜なら、散って踏まれるのも桜。
    見上げるものは美しく、足元には忘れ去られる跡。
    桜にすれば、咲いて、散って、踏まれる、繰り返すしかない。
    ハンカチを出し、外したメガネを磨いた。必死に書いた台本を「やる気だけじゃ」と苦笑いされた。

    読まれてもいなかったことを知ったのは、数日経ってからだった。

    イヤホンをつけた学生が、桜を見あげることもなく、散った花を踏みつけて、スマホに集中している。
    ただ何に夢中なのかは人それぞれだ。

    振り向くと、黙って散った桜の花びらが、宙に舞っていた。
    この瞬間がきれいで、自由だと桜がいっている気がした。
    舞う風で少し浮いたタイヤについた花びら。
    短いバスでの桜との無言の会話は、並木が抜けたところで終わった。

    バスは広い通りに出るため右に曲がった。
    その揺れの勢いを利用するように、僕はポケットからスマホを出してメールを見る、日常に戻った。
    この日だけ、明日は同じに見えて違う桜並木。
    桜にとっては、毎年繰り返される日常だ。

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    観察型コラムニスト/エッセイスト| 試合と日常の「流れ」を書く 「スワローズ観察日記R」 「紘野涼のフリーハンド」

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