
傷跡を見せるのはさらに戦う気持ちを強くするため
彼は傷を隠すのをやめた。
それは覚悟なのかもしれない。
プロで生きていくために、無理をしてきた。
負担がかかるとわかっていても、信じたフォームを変えることはなかった。
だから、無理がもっともかかる、肩、肘をいたわるように、真夏でも長袖のアンダーシャツを着続けていた。
しかしそれでも、限界を超えていたのだろう。
彼の肘は、耐えてはくれなかった。
肩、肘の傷を勲章という人がいるが、彼はそう思っていないだろう。
プロである以上、故障などしない方がいい。
腱が切れた時の事、不安を抱えた手術、苦しいリハビリ。
マウンドに上がっている以上、 心の傷が思い出されるばかりだ。
これを勲章だと思えるはずがない。
縫い跡の数は、彼の苦しみと同じだ。
彼は、長袖のアンダーシャツをやめた。
もう代わる腱はない。
さらけ出された傷は、日焼けしていく他の肌とは違う色をしている。
そして彼は若い時と同様に腕を振る。
いつ来るかわからない、しかし確実に来る”最後の一球”への恐怖を振り切るように、腕を振る。
プロとして自分の場所を得るために、以前同様無理を覚悟で腕を振り切る。
彼は傷のある腕をいたわるのをやめた。
ただ大事にしなくなったわけではない。
何度も奇跡を起こしてくれた傷の入った腕と共に、最後の戦いをする覚悟をしたということだ。
いつまでももつか、もってほしい、それは祈りに近いのかもしれない。
いつか彼がグラウンドを去った時、思い出を語れる相手は、傷だらけの腕なのだろう。
そのとき語るべきマウンドでの思いを増やすために、彼は今年もマウンドへ上がる。
自らを追い込み、何度も傷つけた腕に語りかけながら、戦い続ける。
彼の復活は奇跡と呼ばれた。
しかし彼は否定するだろう。
プロである以上、マウンドへ立つのが仕事だと。
当然のことをしただけだと。
これが自分の仕事なのだと。
もし野球の神様がいるなら、そんな覚悟を持つ彼に、その針の通った数だけの勝ち星をと願う。
それが成し遂げられたとき、彼の傷は思い出多き誇りとなるのだろう。