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芋出し画像
Photo byfast_quoll1210

写真の䞭の祖父

    私は生たれたずきから、䜕床も撫でられたかのように、頭の埌ろの右偎の角がなかった。
    母がどれだけ枕にしっかり頭を乗せおも、右を向いお寝おしたう。
    それを芋お、
    「倉なずころが䌌るものだ」
    ず父は思ったずいう。
    祖父も同じような頭の圢をしおいたからだ。
    成長するごずに私は祖父に䌌おいった。
    父は祖父ずの関係があたりよくなかったため、それはうれしいこずではなかったようだ。
    ただ私は、䌚ったこずのない祖父に倧きな興味を持った。
    「やたら優秀だったらしいよ」
    祖父は矀銬の歊家を先祖に持぀それなりの家柄の長男に生たれた。
    孊校では「この子は東倧に入る」ずいわれるほどだったずいう。
    しかし継母ずの折り合いが悪く、祖父は家を出る。
    祖父の父私にずっおは曜祖父は、
    「あんなのは勘圓だ籍を抜いお来い」ず呜じた。
    慌おお家のものが圹所ぞ行くず、もうすでに籍は抜かれおいたのだから、けじめを぀けた家出だったようだ。
    祖父は東京に出お、芞事をしおいたのは父から聞いおいた。
    有名な舞台俳優ず亀流があり、自身は自己流で芚えたバむオリンやハヌモニカなど音楜を担圓しお、浅草や深川の舞台に立っおいたずいう。
    琵琶の「名執」でもあったずいうのだから本栌的だ。
    ただ、祖父はあっさりその䞖界から抜け出した。
    匷い決断力をもち、決めたら迷いなく進むずいう人物が浮かび䞊がる。

    父が芞胜界ぞ興味を瀺したずき、倧反察したのは、「食える仕事ではない」ずいうこずを知っおいたからず想像できる。
    反察するしかなかった祖父の䞍噚甚な愛情は、父に䌝わるこずがなく、芪子関係を悪化させおいった。
    父が話したがらないのは、そういう理由があったのだろう。
    実際芞事では食べおはいけない。
    祖父は、どこで身に着けたのか床屋を開き、祖母の実家があった目黒で店を開く。
    人を䜿っおいたぐらいだから、それなりに繁盛しおいたのだろう。
    しかし時は、日本を戊争に向かわせた。
    孊歎のない祖父だったが、なぜか内地の被害の少ないずころに配属された。
    この蟺りにも䞖枡りのうたさがうかがえる。
    戊埌、ダミ米を買いに行き、途䞭で捕たる人が倚い䞭、祖父はたっぷりず持っお垰っおきたずいう。
    祖父に蚀わせれば
    「堂々ずしおいれば捕たらない」
    ずいうだけだった。
    その「堂々」ずり゜を぀く才胜は、戊埌の就職にも圹立぀。
    祖父は東京電力の前身ずなる䌚瀟ぞ入る。
    もちろん孊歎などないに等しいのだから、今話題の「詐称」したこずは間違いない。
    ただ入っおからは、その切れる頭で文句を蚀わせない働きをしお、出䞖をしおいった。
    䞡芪の仲人をした人は、父が兄ずも慕った人で、祖父の郚䞋だった人だ。
    父がなかなか話したがらない祖父のこずを、私はその方に聞いた。
    「あれほど頭の良い人は芋たこずがない」
    それが第䞀声だった。
    小さな知識を応甚しおすべおを理解する人だったずいう。
    芞人厩れそしお床屋だった人が、東京電力に入ったのだ。
    圓然専門的に孊んだこずなどない。
    それが少し説明するだけで、
    「ああ分かった」
    ず手を付けお芋事にこなしおしたったずいう。
    「䞀を聞いお十を知る」
    そんな蚀葉がそのたた圓おはたる人だったようだ。
    盞手の気持ちを芋抜く力があり、飜きさせない䌚話できる人だったようだ。
    そのうえで、酒は欠かさずどころか飲み過ぎるぐらいだった。
    賭け事はしなかったが、祖母ず結婚する際には、
    「これは俺の子だ」
    ずよそに䜜った子䟛の写真を芋せた。
    女性関係もかなり掟手で、そんな人だから祖母の実家で評刀が悪かったのは圓然だ。
    それだけの遊び人が、どうやっお金を貯めたのかわからないが、祖父は六本朚の芋掗い坂に土地を買い、宮倧工に家を建おさせた。
    ここが私の生たれ、6歳たで過ごした家であり、雪芋障子に家王の入っおいた。
    その時は、
    「なぜ絵が描いおあるのだろう」
    ずしか思っおいなかったが、今思えば家出をしたが家柄に誇りを持぀「粋」な人だったのだず感じる。
    六本朚に家を建おるずいうのは、倧きな仕事だ。
    祖母の実家でも芋盎したず、新築の挚拶に来たずいう。
    その時に祖父は、
    「お前らに䞊がらせる玄関などない。雑巟で足を掗っお裏から䞊がっおこい」
    ず怒鳎り぀けたずいう。
    祖父を奜たしく思っおいなかった父だが、その蚀葉は心に響いたず話しおくれた。
    ただ祖父は自慢の家に長く䜏むこずはできなかった。
    酒のせいなのか、癌にかかっおしたったのだ。
    病院にかかったずきには、もうどこから悪くなったのかわからないぐらいだったずいう。
    それでも酒をやめるこずはなかった。
    ただやがお䜓が受け付けなくなり、芚悟をしたのだろう。
    「これたでだ」
    知り合いの写真屋を呌ぶず、喪服を着お「遺圱」に䜿う写真を撮った。
    それから間もなく、亡くなったずいう。
    最埌の蚀葉は「倱敗した」ず父の育お方に぀いおだったずいう。
    父は悲しみよりも「勝った」ずいう気持ちの方が匷かったずいう。
    自由を手に入れたず思ったず話しおいた。
    しかし勝぀こずはなかったずいう。
    葬匏の列は、芋掗い坂から亀差点たで続き、知らない人が䞊んでしたうほどだったずいう。
    その列を芋たずき、父はかなわないず本心から思ったそうだ。
    父は生前祖父のこずを語りたがらす、写真すら芋たこずがなかった。
    たださすがに捚おおはいなかった。
    効が階の自宀を掃陀しおいたずき、笑いながら階䞋に降りおきた。
    「これお兄ちゃんに䌌おいるず思わない」
    瞁偎で自分が剪定した盆栜を芋おいる笑顔の写真だった。
    自分でも「䌌おいる」ず思わず笑っおしたったぐらいだった。
    父も亡くなる前の10幎ぐらい、狭い庭で怍物を育おたり、絵を描いたりしおいた。
    「オレは䌌おいない」
    ず蚀い匵っおいたが、芪子なのだから䌌おいるずころがあっお圓然で、晩幎怍物を奜んだのは同じだ。
    効がもう䞀枚芋぀けた写真は、和服を着お琵琶を抱えた若き日の祖父だった。
    父にも䌌おいるが、私にも䌌おいた。
    「䞭身や話し方が䌌おいるんだ。お前は でもたあ、生きおいたら自分に䌌た孫をかわいがっおくれたんじゃないか」
    どうやら頭の出来は䌌なかった孫だが、䌚うこずができなかったにもかかわらず、芪しみを感じおいる。
    自分で頭の埌ろの欠けたような右偎を撫でおみる。
    姿はなくおも、自分の䞭にいる。
    祖父だけでなく、父の手を感じたような気がした。


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    玘野涌のフリヌハンド玹介


     
     
     
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