
夢の養生ホテル
――たとえば。
疲れた人が、静かにほどけていくためのホテルがあったなら。
小さなクラシック・ホテルのような、
歴史と歳月の重みが、艶となって滲む洋館。
明るいブナの樹が生える林に建っていて、
道中、さみどりの木漏れ日がちらちらと体を包む。
ロビーをくぐると、フロントマンが
あたたかな微笑とともに迎えてくれる。
ほっと肩の力をぬいて、微笑みを返す。
シンプルな紺色のペンでチェックインして、
ラウンジでウェルカムティーをいただく。
紅茶、中国茶、台湾茶、ハーブティー。
デカフェやルイボス、香り高い珈琲も揃っている。
工夫茶や、抹茶を点てるスペースもある。
わたしのための一服を味わって、疲れを癒す。
客室には、清潔で糊のきいたリネン類。
皺ひとつなく整えられたベッド。
けれども、よそよそしくはなく
自然の風合いをいかした染め物や室礼で、
あたたかく統一されている。
ホテルでは、なにをしてもいい。
なにをしなくてもいい。
こぢんまりとした図書室で読書するのでも、
ブナの林を散策するのでもいい。
アロマテラピーやエステもできるし、
漢方薬剤師による診断もしてもらえる。
ゆっくりと、五感をほどく。
自分の心と体について考え直す。
食事は、自分の体調にあわせて選べる。
少なめがよければ、薬膳粥のセット。
いろいろ食べたければ、
土地の食材をふんだんに使ったビュッフェ。
旬の食材の風味や香りを楽しみながら、
ゆたかな舌の感覚を取り戻す。
手作りのスイーツや果物も楽しめる。
砂糖の甘さだけに頼らない、
素材のもつ滋味や旨みを活かした甘味。
どれも一口サイズで、少量ずつ
いろいろと楽しめる。
心が躍る、くつろぎの時間。
浴場は、季節の薬草風呂。
ヨモギや菖蒲、陳皮といった生薬や、
ラベンダーやミントなどのハーブまで。
東洋と西洋と、湯気のなかで
ふたつの香りを行き来する。
湯上りには、ほどよく冷えた
レモン水やデトックスウォーターを。
希望すれば、就寝用の
お香やアロマも用意してくれる。
外はいつしか、夜のとばり。
やわらかなコットンの夜着にくるまれて
ふかぶかと息を吸う。
静かにふるえる星のしたで、
おだやかな眠りの海へ遠のいてゆく。
眠りがたければ、
ノンカフェインのお茶を一杯。
あるいは、ルームサービスで
あたたかな夜食を少し。
ほうほうと鳴く夜鳥の声や、
樹々のざわめきに耳をすまして
文庫本のページをめくる。
夜が、ひそやかに更けてゆく。
翌日の朝食は、硝子ばりのサンルームで。
さらさらと降り注ぐ明るい日差しが、
白いテーブルクロスをきらめかせる。
香ばしいごま油を垂らしたお粥。
オムレツのバターの匂い。
パン、ご飯、焼き魚にソーセージの
立ちのぼる湯気、できたての香り。
野菜やフルーツも、とりどりの
宝石のように生き生きと輝いて。
珈琲や紅茶をゆっくりと味わったら、
静かな活力が湧いてくる。
もういちど、荷物をまとめて
さあ、ここから旅立とう。
自分自身に胸をはって、
すっきりとした気持ちで玄関を出る。
見送ってくれるドアマンの
うつくしいお辞儀を視界に残して。
外は、今日も晴れている。
ブナの林が、翠の光を透かしている。
たとえば、一杯の紅茶の合間に。
子どもが寝ついた夜のしじまに。
私は空想のつばさを広げる。
「こんなホテルがあったらいいのに」と夢想を語る。
その夢の中でなら、どこへでも行けるから。
寝物語の、夢の語り。