メインコンテンツへスキップ
見出し画像

トングレール

    題名 【トングレール】

    【あらすじ】
    人間が自分たちの都合で開発・自然破壊を繰り返し、生き物たちの悲鳴を無視し続けた結果、
    「総意」としての世界の断絶。それは神様が決めたわけではない、生き物たちの強い決意によるものでした。動植物が消え去り、灰色をした未知の生命体「エイリアン」と「ストロマライト」だけが、淡々と地球の生命維持装置として機能する乾いた世界。
    そんな過酷なディストピアの中で人々は、自分たちが何を失ってしまったのか、否応なく対峙させられます。
    人々はそれぞれに深い喪失感を抱え苦しみます。それでも主人公・直比古の周りにいる人々は、不器用にあがきながらも、美しい「人間としての営み」を紡いでいこうと奮闘していきます。

    【本文】
    あっ、また目が合った。
    通勤途中の古い石塀の隙間にいるヤモリ 日陰に隠れていた灰色のクタッとした体をくねらせ、小さな頭を僕に向けて睨んでくる。喉元の薄い皮膚がトクトクと拍動している。
    じっと、恨めしそうな目を見ていると、ヤモリの考えていることが頭に染み込んできそうで慌てて目を逸らした。
    街路樹で泣くセミの声も苦しそうに、ジージーと容赦なく刺さってくる。
    逃げるように焼けるアスファルトの道を足早に通り過ぎ駅へ向かった。

    僕の名前は、川原直彦(親は直彦と漢字を当てたが)本当は直比古と書く。神様からそう言われた。
    僕は神様から御霊分けされて生まれてきた。
    右回りの金の渦と左回りの金の渦が絡まりあい、大きくなって神様の手の掌からこぼれ落ち生まれた。
    生まれ落ち、眩しさに薄目を開けた僕を、神様は優しく覗き込み『直比古』と呼んだ。
    『直比古行っておいで』
    その事を、はっきり覚えている。
    神様から分かれたのだから、僕も神様なのか・・。
    きっと他の人も同じように神様から生まれてきたが、覚えていないだけだと思っている。
    だからと言って僕には特別な力もないし、生まれてから神様に何かお告げをされたこともない。
    ただ、他の生き物の感じていることが、人より少しわかるほうかもしれないが・・。
    それにしても本当に暑い、尋常では無い暑さだ。
    ここ10年、地球温暖化が進み、日本でも40度超えの日が続いている。
    そのせいで奈良公園の鹿も荒い息をし、熱中症で倒れて死んでしまったり、
    虫も鳥も卵を返すことが出来ず、激減しているという。
    そういえば、最近ミツバチや蝶を見かけることがなくなった。
    沖縄のサンゴも白色化が進み、回復不可能なレベルらしい。
    虫も鳥も悲鳴をあげて、なんとかしろと訴えてくる。
    沢山の生き物のフラストレーションが、大きく大きく膨らんで限界が近い、空気がそのせいでピリピリ切りつけてきそうだ。
    ☆
    僕が6歳の頃は、まだ今より少し暑さがましだった。近くの公園では、シジミ蝶やアゲハもたまに見かけた。
    生き物が好きな僕は、しゃがみ込み、その様子をじっと観察するような、大人しい子どもだったと思う。ある日テレビで地球の生き物の進化を取り扱う番組があって、両親と一緒に見ていた。
    知らない事ばかりで、僕は本当に夢中になった。
    何もない海から単細胞生物が生まれ、光合成が始まりカンブリア紀の「生命大爆発」を経て、多様な生き物が出現し今に至る。「奇跡の星」と番組のナレーターが言っていたのが心に残った。
    「凄いね、奇跡の星だって! 奇跡の星に生まれて僕たち良かったね」
    両親の間に座ってテレビを見ながら、2人を交互に見上げた。地球に生きている事は、特別な事なのだと感動した。けれど、嬉しい気持ちは、長くは続かなかった。番組の最後、“バーン”という大きな効果音と共に『警告』という文字が画面に大きく出た。
    『今、地球の生き物達は危機的状況にあります。
    本来、自然の状態では、年間10〜100種程度の生き物が絶滅する速度ですが、人間活動の影響で1年に40000種程(1日100種程度)の生物が絶滅しています。
    このままでは、地球上の多くの生き物が、私たち人間のせいで失われてしまうでしょう』
    とナレーションが入った。それまでワクワクして番組を見ていた僕は、ショックで固まってしまった。40000種!?子どもにとって40000種は、全ての生き物を意味する位の途方もない数だ。僕がテレビを見て固まってしまったので母は、僕を揺さぶって「大丈夫よ」と安心させようとした。しかし、その夜僕は不安でなかなか寝付けなかった。体を丸めて小さいながら何か一生懸命祈ったと思う。
    それから僕は、虫が真夏の暑い中でじっとしている姿が気になって、仕方が無くなった。この虫も絶滅するかも知れない。何とか助けなきゃ、と網を振り回して虫を捕まえては、虫かごをいくつも部屋の中に持ち込んだ。
    僕の将来の夢は、大金持ちになって巨大な温室(中に海があるくらい)を作りその中で生き物を絶滅から守る事になった。ノートに細かく絵を描いては、空想を膨らませる。ノートに書いている時は、なんでも出来そうだったのに、子どもの僕には上手に昆虫を飼うことさえ難しかった。
    小さいけれど2階建て1軒家で暮らしていた我が家は、人並みな生活を送っていた。僕が生まれる前に、長女を病気でなくしていたから両親は、僕と妹に対して寛容で愛情深かった。大きな声で怒鳴られることなど一度も無かったのだ。興味を持った事は、やってみなさいと応援してくれていた。
    なので始めは、色んな生き物を連れてくる僕を、「直彦は、優しい子だね。」と見守ってくれていた。しかし寛容な親もさすがの連日の持ち込みには、困ったらしく
    「直彦の気持ちはわかるよ、お母さんも助けられたらって思うけど、みんなは助けられないよ。それにせっかく連れて来てもすぐ死んじゃうでしょ。家の中では難しいのよ。それにいない日も1日中冷房は、さすがに電気代がもう無理だし」
    庭には死んだ生き物のお墓がいくつも作ってあって、それも母は嫌がっていた。
    洗濯を干すために庭に出るが、踏まないよう足元が気になって仕方がないという。
    それまであまり親に反対された事のないぼくは、母の態度に落胆した。
    “自分は暑い暑いってクーラーが無いと生きていけないって言っているくせに。生き物たちが暑い外にいることは気にならないなんて・・信じらんない。人間のせいで、生き物たちが絶滅しているのに” と憤慨したのを覚えている。
    しばらくは注意された後も反抗し、こっそり虫かごを部屋に持ち込んでは、べットの下に隠したりしていた。
    ある日、僕は久しぶりに大きなアゲハ蝶を見つけた。公園の低い植え込みの間を飛んでいる。
    僕は綺麗な羽を広げて飛ぶアゲハを、どうしても捕まえて守りたかった。アゲハは、気配を感じ止まったり飛んだりを繰り返し、中々網に入ってくれない。汗が顔を伝って流れるのも無視して、頑張って捕まえた。
    無理をして網で傷つけてないかドキドキする。なんとか無事に虫かごに入れほっとした。その羽は、黒地に黄色の模様が美しく鱗粉が日の光にきらきら輝いている。閉じたり開いたりする羽にしばらく僕は、見とれていた。
    急いで帰ると大事にそれをベットの下に隠した。だけど次の日、蜜をあげようと虫かごを取り出してみると、アゲハは狭い虫かごから逃げようと暴れ羽の先がボロボロになっていた。
    ショックだった、守りたかったのにかえって傷つけて大事な羽をボロボロにしてしまった。
    僕が泣いていたのを見つけ、お母さんは、話しを聴くとため息をつき
    「難しかったね」
    と優しく肩をさすってくれた。
    それから結局、僕も諦めてしまった。虫は、連れて帰って餌を与えても死んでしまうし、植物は、日陰に植え替えても弱ってしまう。それに外には、助けられない生き物があふれている。
    僕は、次第に見て見ぬふりをするようになり、巨大ドームの夢も忘れてしまった。
    僕に親のことを言う資格は、なかったわけだ。
    電車を降りてすぐの小さな商店街を5分ほど歩く。年季の入った小さな店が続く。
    まだ、シャッターを閉めている店が多かった。だいたい10時頃からのんびり開店しているみたいだ。高齢の店主が多いせいだろう、どこかゆるい下町の雰囲気が気に入っている。
    ぼくが勤めている会社は、小さな商社だ。商店街を抜けて右に曲がりバス通りを5.6分歩くと見えてくる。一応4階建ての自社ビル(狭くて縦長だが)で1階は、他の会社に貸出している。
    入社して3年、仕事にも慣れ同じ部署の人達とも仲良くやっている。
    会社のビルに入りエレベーターに乗り込む。クーラーの冷気が気持ちがいい。4階を押すと金属に囲まれた無機質な空間にホッとした。
    4階で降り【営業部】とプレートの貼られたドアを開ける。営業部は、20人ほどで、半分位がもう出勤していた。
    奥の自分の席にかばんを置く。隣の席は、岡野理沙さん
    42歳の女性で独身。42歳より若く見える、と言われると嬉しそうな顔をする。しっかり者のお姉さん的存在だ。
    入社したばかりの要領の悪い僕を見捨てず、世話を焼いてくれた。
    “自由気ままが最高”が、口癖で、12歳になる茶トラの猫ヒナタを飼っている。
    生まれて間もない時に拾ったそうで、目が合った瞬間に
    “あぁ、この子は自分の魂の一部だ”
    と分かったらしい。
    確かに机の上に置かれた小さな写真は、老猫だけどとても愛らしい。
    あったことはないけれど、毎日話を聞いていれば、愛着も湧いていた。
    前方の席では、永野透部長が取引先と電話で話している。48才、部下に公平で真摯に仕事に取り組む姿に、男女問わずファンが多い。電話が終わった部長は、僕と目が合うと手招きした。
    「川原おはよう、前回対応してもらった福岡の天野社長の所、原材料の仕入れの件で相談したいらしい。実際会って話したいと言われているから、来週日程調整をしてくれるかな。」
    天野社長、結構無理を言ってくるんだよなぁ、ちょっと面倒くさいなぁ、と思いながら承諾した。
    部長が、励ますように肩をポンポンと叩いてくれた。
    仕事は、好きだ。余計なことを考えなくて済むし、顧客のニーズに答え満足してもらえると、やっぱり嬉しい。
    自分の席に座り、机周りを整理し仕事を開始する。
    パソコンを注視していると、事務の女の子柳千尋さんも、肩を叩いてにっこり微笑みお菓子をくれた。
    なんやかんやで忙しく午前中の仕事を終え、休憩時間。
    同じフロアーにある休憩室で、コンビニで買ってきたお弁当を広げる。暑いのでコンビニへ行くのも一苦労だ。 割と広い休憩室で他部署の人達も来るので良いコミュニケーションの場になっている。
    正面にあるテレビモニターには、お昼の情報番組が流れていた。
    農作業姿の30代前半の若者が、真っ赤に実ったトマトを前に立っている。
    番組の司会者が大仰にトマトをほめている。確かにトマトは、鈴なりでおいしそうだ。
    テレビの画面に白文字で【ファミリープラント 代表 秦 壮志(はた そうじ)】と出ている。
    新しい農業事業で、個人宅に室内用の70センチ四方のプランターを貸し出し、土の管理、水の管理、人工灯の管理、苗の植え替えを定期的にしてくれるらしい。
    『最近は異常気象で、外の畑では野菜の収穫は難しいです。野菜の値段は、高騰し普通の生活をしている方は食べられません。カイワレとか豆苗でも高いでしょ。新鮮な野菜を安定して食べたい、という方達に好評なんです。1年を通して10種類以上の野菜が収穫出来ます』
    緊張しながらも、自信のある口調で説明していた。毎月3万円だか、事業は好調らしい。一昔前なら相手にされなかっただろうけど、ゲストも真剣に頷いていた。
    岡野さんも
    「福利厚生で、会社に3枠位置いてくれたらいいよね〜、帰りにキュウリ1本、もいで帰れたら最高じゃない?」
    と柳さんと話していた。柳さんも頷きながら
    「沢山取れたら、会社前で販売できるんじゃないですか?この辺り会社帰りの人多いし、野菜、ほんの少しあればいいんですよね〜、絶対喜ばれますよ」
    と、目を輝かせていた。さすが商社の社員、商魂たくましいなと笑ってしまう。
    12時30分になり、次のニュース枠に切り替わった。
    いつものちょっと神経質そうなキャスターが、ニュースを読み上げる。
    『次は環境破壊や動物虐待のニュースです。』
    南極の近海で燃料輸送船が座礁し重油が流れ出して、ペンギンの生息地がかなり汚染、アザラシの生息地でもあり、被害は甚大らしい。
    座礁した船をバックに、重油で真っ黒になったペンギンが、ぐったりとして画面に映される。
    次は、気温上昇によるオーストラリアの山火事のニュースだ。乾いた風に煽られて、火がものすごい勢いで迫っている。コアラをはじめオーストラリア固有の生物が、逃げ切れず焼け死んでいる。範囲が広く今年に入って何回目かの山火事に地元の消防隊員は、あきらめの表情をしていた。
    胸が苦しくなるようなニュースが続く。
    日本では、イライラした若者が憂さ晴らしでハトを殺しているという。聞いただけで虫唾が走る。あまり賢くなく、疑わないハトは、餌に釣られ近づいた所をバットで殴り殺されていた。
    キャスターは、事務的な硬い声で
    『動物たちには、災難過ぎる日々が続いています。私達に何が出来るか、真剣に考えていかねばなりません。もう、手遅れになる一歩手前まで来ているのではないでしょうか?』
    と言って視線を視聴者に戻した。
    キャスターが次のニュースに入ろうとした。

    それは 突然来た
    頭を殴られたような凄まじい衝撃と同時に 僕の頭の中に 閃光の渦と ぐわーんーーぐわーんと強烈なメッセージの様なものが 流れ 込んで  きた
    ぐわーんーー ぐわーんーーぐわーんと強烈なメッセージ 
    強烈な 文字にならないきごう 
    ぐわー
    んーーぐわーんーーと
    強烈なメッセージが流れ込んで  もう無理だ 耐えられないと思った
    それは 言葉ではない感覚の問いだった

    【人類と  共に‡†¤か √¶¡か】

    それが 瞬時に世界中に染み渡った 細胞・原子の一つ一つに浸み込んでいく 世界中の生き物の意識が一つになったようで その大きな集合意識の重さが片方に傾いた 空間が大きく大きくゆがんでねじれ沈み込んだ
    恐ろしかった 自分の体も引っ張られ引き伸ばされているようだ
    そしてそれは 耐えきれずガシャンと最後の衝撃とともにねじ切れ 
    切り替わった  切り替わった?

    立っていられない感覚だった。どのぐらいの時間が経ったのか、気づくとそれは凪いで無くなっていた。体が震えている。僕が大きな声を出したのか、休憩室に居た他のみんながぽかんとした顔で僕を見ている。柳さんが場を和ませようと、無理に笑い声を立てた、僕の顔があまりに強張っておかしいと言う。
    「大丈夫ですか?ニュース見て叫んでましたよ?川原さん、生き物好きですもんね」
    気のせいでは無い、何かが起こった。
    “他のみんなは、何も感じなかったのか???”
    動揺を隠そうと、僕もなんとか笑おうとしたけど、出来なかった。
    部屋の空気がぎこちない。
    その時、岡野さんが強張った声を出した。
    「ちょっと変じゃない?私がおかしいのかな、観葉植物さっきまであったよね?」
    休憩室の入口に置いてあった観葉植物に視線を向けると、鉢だけを残して植物は消滅していた。
    入る時には確かにあった。通るとき観葉植物の葉を揺らしたから間違いない。
    「テレビの中にあったトマトは?」
    誰かが素っ頓狂な声を上げた。テレビを見上げると確かに無い。こちらもプランターだけを残して消えていた。
    テレビの中でも出演者と農作業着の若者が驚きの声を上げている。
    ざわめきが起こった。
    何かとんでもないことが起こっている。
    柳さんが窓の外を見て、金切り声を出した。
    「あり得ない、あり得ないあり得ない! 街路樹が一本も無いです!」
    みんなが窓際に詰め寄った。緊張と不安が走る。
    僕もみんなの後ろに立って、下を見おろした。信じられない光景だった。
    街を歩いている人達も、立ち止まって戸惑っている。セミの鳴き声も、無くなっていた。
    テレビの画面は、『しばらくお待ち下さい』の放送停止の画面に切り替わっていた。
    窓の外は街路樹や植え込みの植物が無くなった以外は、全く変わらなかった。
    ただ、歩道を歩いてる人々も呆然と立ちすくんでいた。
    仕事どころでは無かった。みんな急いで家族に電話し、無事を確かめあっている。
    それからテレビのある休憩室にみんな集まり、ニュースの再開を待った。
    すぐに家に帰ろうとする社員を部長が止めたのだ。
    「落ち着いて情報を待とう、もうすぐテレビかラジオで説明があるはずだ。交通機関がどうなっているのかも分からないし。外に出ないほうが良いかもしれない」
    とりあえず家族の無事を確認した社員逹は、頷いた。
    「30分だけ待ちます。それでも情報が無ければ、歩いてでも帰ります」
    人事課の男性、高石誠さんは、最近子どもが生まれたばかりだ。奥さんも子どもも自宅にいて無事だが、不安で落ち着かないらしい。
    奥さんは、状況を見て安全を確認してから帰るよう、念を押したみたいだけど…。
    部長は頷いた。
    重苦しい空気が流れる。初めコソコソと隣の人と話していたが、次第にみんな黙り込んだ。
    高石さんと数人は、しきりに時計を気にしている。
    そろそろ30分経過し、高石さんが腰を上げようとした時、テレビの画面が切り替わった。
    さっきまで冷静沈着だったニュースキャスターは、緊張で顔が強張っている。
    怒鳴るようなテレビのスタッフの声が、放送に入り込んでくる。
    『臨時、緊急ニュースです。今からおよそ30分前、大変な事が起こりました。突然全ての植物が消滅しました。街路樹から、畑の野菜、野山の木々、草花なども含まれます。ただ、切り花や収穫後の野菜などは、当てはまらないようです。 原因は全く分かりません。動物も同じようです。牛舎やペットショップでも、動物の姿は見えません。一部の動物は、例外的に消えずに残っているようですが・・・。ただ、今のところ、テロの可能性や毒物の可能性は無いとのことです。
    室内で待機されている方は、現時点では、外に出て頂いても大丈夫なようです。
    交通機関は、平常道おり運行するよう各所に要請されたとのこと。とりあえず、帰宅等問題ないようですが、状況はいつ変わるかは不明です。不要な外出は控えて下さい。
    また、一部店舗で買い占めが起こっており、スーパーなどは、臨時休業している所もあるようです。冷静な行動をお願いいたします。
    日本だけの現象ではありません。世界各国で同様の事態が起こっているようです。現在、お伝え出来ることは以上です。おってまた情報が入り次第、お伝えします。くれぐれもお気を付けください。』
    キャスターは再度同じことを繰り返しアナウンスしだした。
    その日は、そこから帰宅となった。
    明日は全社員休みとし、それ以降は状況に応じ判断、出社可能な社員のみ出勤し、休みが必要な場合は、連絡を入れるように言われた。
    岡野さんは、帰り支度をしながら
    「うちのヒナタ無事だよね、ちゃんといつもみたいに、良い子で留守番してるよね・・。」
    とつぶやいていた。そして
    「川野くんも気をつけて帰るんだよ」
    と、手を振ると足早に帰って行った。
    職場の戸締まりをし、他の社員数人とエレベーターに乗り込み、1階に降りる。
    みんな表情が暗く、話す気分ではないようだった。
    建物を出ると、むっとした暑い空気が襲ってきた。
    同僚に手を振り、別れてから歩き出したが、いつもの帰り道が異世界のようだった。街路樹や植え込みのない景色は、妙に広くがらんとしている。長い間植え込みに隠れていたゴミが、あちこちに散らばって風に吹かれていた。所々に警官が出て監視している。
    頭上には、ヘリコプターが旋回していて、その羽音が不安な気持ちにさせる。
    これからどうなるのか全くわからなかった。

    【動植物が消えて3時間後】
    ”急いて帰らないと、動物も消えたって言ってたけど・・、ちゃんと鍵かけてるし、ヒナタは用心深くて賢いし”
    岡本理恵は、自分に言い聞かせるように繰り返し、心の中でつぶやいていた。
    駅を降りると、いつの間にか小走りになっていた。
    家に帰り着き、あわててドアを開けようとして鍵を落としてしまう。
    やっと鍵を開けると、祈るような気持ちでドアを開ける。
    「ヒナちゃん、ヒナタ?帰ったよ~、遅くなってごめんね」
    ニャアという甘えた声が聞こえ、ゆっくりと、ヒナタが近づいて来て、足に体を擦り寄せた。
    ヒナタの身体の温かさが、有り難かった。ヒナタがいてくれた。
    ぎゅっと抱きしめて頬ずりをした。
    岡本さんは、ヒナタを膝に乗せ撫でながらニュースを見ていた。
    動植物が消えた原因は、相変わらず不明だという。動物は、一部の飼い猫、飼い犬の存在が確認されたが、どうしてその一部の動物だけが残ったかも不明らしい。テレビには、突然飼い犬が消えた飼い主が、困惑した表情でインタビューに答えていた。
    「2匹豆柴を飼っていたんです。確かに消える寸前まで側にいて、2匹でじゃれあっていて、いつもと変わらずにぎやかで。分かりません、何があったのか、無事でいてほしいです」
    ヒナタを撫でながら、私は運がいいと岡本理恵は神様に感謝した。

    【動植物が消えて半日後】
    その夜、僕(川原 直比古)は夢を見た。真っ白な空間に、生まれて以来初めて神様と対峙して座っている。神様が僕に語りかけてくる。
    『総意よ、総意。もう一緒には、いられぬということ。人間にとっても良かろう。もう、森や林や生き物達の事を考えて開発する煩わしさから解放されて、開発仕放題じゃ。お互い自由にということ。』 
    しばらく僕は黙っていたが、神様は、そんな僕を待つでもなくまっていた。僕が
    「人間を見捨てると言う事ですか?」
    と尋ねると神様は、笑って
    『見捨てたことは、一度たりとない』
    と答えた。
    ☆
    その日の夜、生物が消えてしまった波打ち際に、いつの間にかストロマトライトが出現していた。
    そして空が白み出すと、いなくなった植物の代わりに、ゆっくりと二酸化炭素を吸い酸素を吐き出し始めた。

    【動植物が消えて2日後】
    僕(川原直比古)は、何をしたらいいのか考えても分からず、何も手につかなかった。不安なことばかりだった。
    取り敢えず食糧は1か月分位はある。数年前、地震と他国の戦争の影響が重なり、物流が止まった事があった。
    その後、1週間程で復旧したが、その時の教訓で、国が備蓄を推奨したのだ。毎月一人千円分の食糧(賞味期限1年以上の非常食になるもの・パッケージに【非】マークがある)を購入できる補助を始めたのだ。
    そのため多くの人が、1か月分位の食糧や水の備蓄を持っている。それが日本で大きなパニックになっていない理由だろう。
    そうは言っても、全世界被災者で、今後誰も助けに来てはくれない。生鮮食品は今ある分でなくなってしまう。魚など物によっては、2〜3日しか持たないだろう。
    昨晩もなかなか眠れず、重たい体を起こした。会社どうしよう、仕事をしている場合じゃないと思いながらも、一人で過ごす事は怖かった。
    遅刻ぎりぎりになりそうになって、慌てて準備を始めた。こんな時さえ遅刻を気にする自分は、体にモラルが染み込んでいるなぁ、と苦笑いする。
    いつもと同じ通勤路、暑い。
    石垣のヤモリはいなかった。
    街路樹が消えて陰のない道を、日光に焼かれながら歩いていく。電車に乗ると、いつもの3割ほどしか乗客はなく静かだった。いつも満員の電車だが、珍しく座ることができた。携帯を開きSNSに目を通す。
    外国では、食料や衣類品を確保しようと暴動が起きていた。窓や入口を壊し群衆がなだれ込んで火の手も上がっている。日本では、ある程度備蓄しているためか落ち着いている。画面に開いている店に長蛇の列で並んでいる人々の映像が流れた。それをバックに今後、食料の配給が始まるだろうと報道されている。数件窃盗が起きたとの報道もあった。
    どうせ食料はすぐ尽きる。横並びの不幸を日本人は、諦めの気持ちで受け入れているのかもしれない。食べ物が無いってどういう感じだろう。今まで飢餓を味わったことが無い僕らは、どうなるのか。それでも人間として理性的に、思い遣りを持って行動出来るのか。
    今日のお昼のカップ麺の入ったカバンを抱き抱えながら、自分がこうして出勤しているのも現実逃避だ、と思う。
    携帯には、今回の信じられない出来事に対して、書き込みが溢れていた。
    <環境破壊を続けた私達への天罰だと思う、人間は、生き残る資格が無いと言うこと>
    <人間消滅のカウントダウンが始まった。ジタバタしても仕方ないから、私は、この運命を受け入れて死のうと思う>
    <人間なんて地球のために何の役にも立ってない。むしろガンだ。滅びろというメッセージでしょう>
    <これから私たちは、どうなるのかな?もっと植物や動物を大切にすれば良かった。もう一度、緑の野山を見てみたい。鳥や虫の鳴き声に耳を傾けたいです>
    悲観的な投稿が多かった。重いため息をつき、画面から目を離し窓の外を見る。
    一昨日夜の神様の言葉を考える。
    “開発仕放題かぁ、そんな世の中を僕たちは、選んでいたのか・・?”
    天気の良い空だけを見ていると、何も変わってないのに、視線を下に向けると、緑のない乾いた世界が広がっていた。
    新しいSNSの投稿が上がった。
    <私達は、〇〇町の商店街のメンバーです。このような時でご批判もあるかと思いますが、
    明後日の8月24日(土曜日)18時より〇〇区〇〇町ナザキ公園で予定通り夏祭りを開催します。今年は、取りやめるべきとの声も頂きましたが、
    野菜も果物も生花も、あと数日でダメになってしまいます。一部の方にお渡しするよりも、たくさんの方と味わいたい。綺麗な花をみんなで楽しみたい。そして何より、夏祭りを楽しみにしている子ども達のために、と思い決行する事に致しました。
    今までのような夏祭りは、今後出来ないかもしれません。ぜひみんなで盛り上げましょう。
    チケットの綴りを、お一人様1枚のみ1000円で販売します。
    ご来場お待ちしています>
    夏祭り、SNSの住所は遠い他県で行くことは出来ないが、心惹かれるSNSだった。
    ☆
    〇〇町〇〇商店街役員メンバーの渡部圭は、SNSに夏祭り開催の投稿をし終えて、自分の手が震えているのに気付いた。
    商店街の空き地に集まって、若いメンバー達と夏祭りをどうしたものか、と話しあっていた。各自の店の商品は、自分で仕入れた物だから、各自好きに親戚に配ったり、お得意さんに分けたり出来る。だが、夏祭り用に仕入れた野菜や冷凍した肉・イカなどは、町内会費で購入したものだ。勝手に使うことは出来ないし、町内会費を払っている人に均等に配るのは、不可能だ。
    どうしたものかと悩んでいる所に、商店街の重鎮がやってきた。若い役員の話しを聞くと
    「中止に決まっとるやろう?こんな時に何をしてるんやって、周りにお叱り受けるに決まっとる。
    用意した食材は、町内役員で分配や。いつも町内のために頑張ってるんやから文句ないやろう。」
    とひとにらみして行ってしまった。
    もう、夏祭りの準備は、ほぼ終わっている。後は、当日食材を切って調理するくらいだが、町内の重鎮の言葉に、“そうするしかないのだろう”
    という空気が若いメンバー達に漂った。
    なんとなく解散のムードになって、“じゃあ、また”
    と圭が手を上げかけた所へ、小学3年生、女子軍団がやってきた。
    この界隈の子ども達の中で、一番口が達者なメンバーだ。その中のリーダー格の真那が、結んだポニーテールをぶんと振って、問い詰め口調で詰め寄ってくる。
    「圭ちゃん、夏祭り無しとかありえんから。聡子が、勇君に告白する予定なんよ。わかっとる?絶対絶対、夏祭り開催だからね。中止したら一生恨んでやる」
    『一生』 の所を強調して睨んでくる。
    真那の母親は、小中高校の先輩で、今だになんとなく頭が上がらない。その様子を見て育った真那は、小さな頃から圭の事を圭ちゃんと呼んでいる。
    20歳以上離れているとは思えないタメ口だ。まずい、という雰囲気が、若い役員メンバー達に広がった。小学3年生軍団が苦手なのだ。口では本当に敵わない。
    私も、私も、と子ども達が詰め寄ってきた。
    「最近、嫌なことばっかり」
    と言うと子ども達は、泣き出した。
    圭たちは、頭を抱えてしまった。ちゃんと考えるからと、なんとかなだめすかし、子ども達を帰す。どうしようとため息が出たが、この状態で不安に思っている子ども達の楽しみを、取り上げる事は出来ない、とみんな思った。
    なんだかんだ言っても、小さな頃から見て来た子ども達だ。
    せっかく頑張って準備もしたし。どうなるか分からないがやってみよう、と決め、代表して圭がSNSに投稿した。怖気付いて“やっぱり無理だ”と、辞めてしまわないように。
    ☆
    その日、会社には、僕を含め独身一人暮らしの男性人ばかり10人ほどが、出勤していた。
    みんな一人で家にいるよりは、という気持ちのようだ。
    永野部長が、話しかけてきた。
    「川原おはよう、色々大変だろうけど大丈夫か?実家に帰らなくていいのか?」
    両親は、妹夫婦と同居していて、連絡すると元気にしていた。僕が大丈夫ですと答えると頷いて
    「昨日、依頼した福岡の天野社長の件、予定通りに進めるのは無理だろう。仕入れ先と天野社長双方に確認を頼む。あと今日休みの社員の分も
    連絡が必要な案件が山積みだから、手分けして当たっていこう」
    初めての事態に、仕入れ先や発注元も混乱し、一旦保留の案件ばかりだった。それでも仕事をしていると、少し日常に戻ったようで安心する。
    とりあえず今日の仕事を終え、いつもより早めの帰路についた。
    まだ17時頃だったが、商店街を通った時、全てシャッターが閉まっていた。自販機の飲み物も全て売り切れだ。買えないとなると無性に喉が渇く。
    “あーぁ、ビールを買っておけば良かった” と後悔した。
    閉まったお店の前にチラシがあちこち貼ってあった。見てみると
    [8月24日 18時より夏祭りを行います。皆さまぜひ遊びに来てください]
    というものだった。
    後から知ったが、朝みたSNSが拡散されて、日本中で夏祭り開催が決定されたらしい。そうか、ここの地域でも夏祭りが開催されるのか・・。
    小さい頃に行った夏祭りの空気感を思い出し、ぐっと胸にくるものがあった。
    ちょっと覗きにだけ行って見ようかなぁ、こんな大人になって申し訳ないけど。
    こんな状態でも、楽しみにするものが出来たのが、とても有り難かった。
    ☆
    岡野理沙は、家から出られずにいた。もともと1カ月分程の食糧の備蓄をしていたので、今日明日は困らないが、ずっとこのままと言う訳には行かない。
    だけど、だけど、ヒナタを置いて外出するのは怖かった。あの日(何もかもが消えてしまったあの日)ヒナタが、無事で本当に安堵したのに・・。
    あの日の翌日、ヒナタの餌をストックしておきたくて、ペットショップに行くと、いつもの若い男性の店員がいた。入ってきた私を見て怪訝な顔をする。
    「お店が開いてて良かった〜、こんな事になってしまってあなたも色々大変でしょう。ペットがいると自分の食料もだけど、ヒナタの分も蓄えないといけなくて・・。
    いつものキャットフードお願いします。あっ、でも今日は、ちょっといいやつにしようかな、それを3袋もらえますか?」
    笑顔で話しかける私の話しに、店員は被さるようにして
    「えっ、岡野さんのとこ、猫ちゃんいるんですか?消えて無いんですか??すごいです!!
    他のお客さん全く来ないですよ、うち、明日には閉店になります。ペットの餌も、今入ってるのが最後です。買えるだけ買っておいたほうがいいと思います」
    と言いながら、世界に1匹しかいない珍獣を見るような目で、私を見てきた。
    「もし、岡本さんが猫を飼うのが無理になったら、ぜひぜひ譲ってくださいませんか?頑張って言い値で買わせて頂きます。50万円位なら出しますので」
    熱心に言う店員の顔が、真剣過ぎて本当に怖くなってしまった。
    ヒナタがいる事を話すんじゃなかったと後悔した。
    「もう、すっかり老猫よ」
    と冗談にして買った餌を抱えると、逃げるようにしてペットショップを後にした。
    その後はテレビをつける度、ペットのニュースが気になった。残ったペットが連れ去られる事件が、起こっているらしい。
    岡本理沙は、ストレスで何も手につかなくなった。

    【動植物が、消えて3日後】
    植物が消えた翌日から、海岸に緑の岩の様なものが、出現していたらしいが、3日目には、それが海岸線一面を埋め尽くして、山のようになっていた。ストロマトライトだ。ヘリコプターからの撮影をバックに学者が、テレビで興奮したように説明していた。
    『ストロマトライトとは、シアノバクテリアの群体によって、形成された堆積岩です。地球上で初めて大量の酸素を、大気中に放出した生物とされ、先カンブリア時代(約35億年前)から見られる生きた化石です。他の植物が消えたことで、ものすごい勢いで繁殖しています。植物が消え酸素が作られない事は、致命的であると非常に危惧されていましたが、ひとまず酸素については、安心してよいかと思われます。』
    ストロマトライトの成長速度は、1年間に平均0.4mm。高さ30cm程度のストロマトライトの岩体を形成するには、1000年以上かかると言われているが、不思議なことに岩のように大きなストロマトライトが、海岸を埋め尽くした。

    【動植物が消えて4日後】
    今日は、8月24日
    商店街のチラシに書いてあった夏祭りの日だ。SNSの拡散で、日本全国沢山の場所で今日は、夏祭りが行われている。世界のニュースでは、日本は危機感が無いと、驚きの声が上がり話題になっているらしい。
    僕は、職場を出ると、夕暮れの中を歩いて商店街近くの公園に向かう。
    結構な数の人が、同じ方向に向かっていた。久しぶりに道行く人の顔が明るい、みんなの高揚している気持ちが、伝わってくる。
    割と広い公園は、本来沢山の木々が植えられていたが、今は一本も無い。所々落ち葉があるだけだ。すごく空が高く広く感じられた。
    夕焼け空が、すごくきれいだ。暑い1日を頑張った地球が、ほっと肩の力を抜いているようだった。
    公園に近づくと香ばしい匂いが、漂っていた。
    入口近くに、立って雰囲気を味わう。
    地元の人に混じって、テキヤのおじさん達も屋台を出していた。協力して開催しているみたいだ。
    スーツの上着を腕にかけて、いつまでも入口に立っている僕は、目を引いていたようだ。笑い声を上げてじゃれ合っている子ども達の様子に、気を取られていると、子ども連れの若いお母さんに声をかけられた。
    「良かったら残りのチケット使ってくれませんか?どうしても帰らないといけなくなって、ほとんど使ってて申し訳ないけど、焼きそばと最後のお花のプレゼントが残ってますから。」
    躊躇する僕に、遠慮は要らないとチケットを差し出し
    「少しでごめんなさいね」
    と言うと、チケットを僕の手に握らせて、行ってしまった。
    ちょっとしわくちゃになってしまったチケットを眺める。使用済みの所には、線が引いてあった。
    せっかくだからな、ありがたく行ってみようかなと、子どもみたいで気恥ずしさがあったが、焼きそばの売り場の前に立つ。
    「お願いします」
    と声をかけると、70代位のおじいさんが、目尻のシワを下げて紙皿に焼きそばを、乗せてくれた。
    「みんなに分けたいもんで、少しでごめんよ、もう2度と食べれんかもしれんからよーく、よーく味わって食べて」
    紙皿の真ん中に置かれたほんのひとつまみの焼きそばだったけど、野菜と肉がちゃんと入っていた。開催してくれた人達の気持ちが、ありがたくて泣けてくる。
    自分が涙ぐみ慌てて目をこすると、おじさんは、僕の様子を見て少し笑い声をあげ、やはり涙が出てきて手の甲で拭った。
    気を取り直すようにおじいさんは、咳払いをし大きな声を出した。
    「今日は、お互い楽しみましょう」
    料理はどれも一口ずつだったが誰も文句を言う人はいなかった。みんなゆっくりゆっくり噛み締めながら食べていた。
    子どもたちは、深刻さがまだピンと来てないのか、さっさと食べてはゲームに歓声を上げている。
    いつの間にか日は落ちて夜になっていた。
    夏祭り独特の夜の空気、人々の楽しそうなざわめき、ゲームをしている子ども達の歓声、暗くなった会場を照らす明かり、何か夢の中にいるかのようだった。この香りも最後かもと大きく息を吸い込んだ。
    広場の真ん中には、色とりどりの生花が、バケツに生けられている。
    ここ数日、緑を見ていなかったので、花ってこんなに綺麗で精巧だったかなと驚いた。花びら1枚1枚、はっぱの1枚1枚が、輝いて見える。沢山の人が花に顔を近づけ写真を撮っていた。
    みんな離れがたくて、なかなか帰らない。夏祭りが終わるのが、寂しかった。
    後はもう、人類最後へのカウントダウンなのか、それともなんとかなっていくものなのか・・。
    地震など自然災害が起こるわけでもなく、戦争で爆弾が落ちてくるわけでもなく、未知の病気が蔓延するわけでもない。
    動植物が居なくなった他は、穏やかな日常だ。だから余計に、どうしたらいいのかわからなかった。食料を調達しようにも今世の中にある分は、あまりにも少なく、それを奪って自分の物にした所で先は見えている。
    20時になった。
    拡声器でアナウンスが流れる。
    「本日はご参加頂き、誠にありがとうございました。これにて〇〇商店街夏祭りは、終了致します。最後に先着で、1輪ずつ花をお渡し致しますので、お持ち帰り下さい。
    皆さまのご無事をお祈り致します。これからが大変でしょうが、助け合って参りましょう」
    どこからともなく拍手が起きた。
    みんな1本ずつ花を受け取る。
    後ろに並ぶ高校生の彼氏が、彼女に話しかけている。
    「僕の分あげるから」
    彼女が首を振った
    「だめ、持って帰ったほうがいいって、お母さん喜ぶと思うよ」
    他愛ない話しが、可愛らしい。
    次は、自分の番だ。前をのぞくとバケツの花は、残り少なくなっていた。
    後ろの行列の人を考えると足りないだろう。辞退しようか、もらえないと思うと無性に欲しくなる。
    悩んでいる間に自分の番になった。
    白い花を渡される。
    今までは、なんとも思わなかった茎の手触り、生花を見るのも触るのも最後になるだろう。
    「やっぱり辞めておきます。すぐ枯らしそうなので」
    そう言って一瞬堪能して戻した。
    帰り道、空を見上げると今まで通りの夜空、空は変わらずか。
    大きく息を吸って吐いてを繰り返す。
    酸素があるだけありがたい。残り悔いなく過ごそう。

    【動植物が消えて1週間後】
    植物が消えて何も無かった地面に、1週間程するとポツポツと灰色のキノコのようなものが現れた。初めはこぶし大だったが、あっと言う間に成長しスイカ程の大きさになった。少しでも土のある所に群生するようになり、深く深く根を張り地面を支えた。それは山肌、平地、街中と場所を選ばなかった。ストロマトライトもそうだか、信じられない勢いで増えていく。根っこごと引き抜くと根っこの長さは1〜2m程もあった。その姿が、昔見たタコ型エイリアンにそっくりなのだ。
    初め気持ちが悪いと思っていたが、だんだんと見慣れてくる。
    ただその灰色が、初め僕は、好きになれなかった。
    食料が本当に心配されだしてから、その新種のきのこもどきが食べられる事がわかった。(きのことは違う今まで発見されていない未知の植物らしい、いつしかみんなが、それをエイリアンと呼び出した。)
    エイリアンは、糖質、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラル(わずかしか含まれていないものもあるが)全て含んだスーパーフードらしい。取っても取っても次から次へと生えてくる。少し木くずのような臭いがするが味は無い。
    スーパーなどで食べ物が無くなり、自宅でのストックも心もとなくなってきた市民は、エイリアンを取りだした。
    オイルも貴重で茹でる位しか出来ないが・・。
    ☆
    岡野理沙は、ヒナタを連れて出勤することを決めた。
    とりあえず、新種のきのこもどき(エイリアン)が、食べられると判って、悲壮感が和らいだ。この状態で生きていかないとだめなら仕事がいる。
    10日間、週給と有給を合わせて自宅にいたが、そろそろ限界だ。
    ペットショップに買い物に行ってから2度ほど [ペット買い取ります] とポスティングされていて、昨日は、ドアノブをガチャガチャとされた。
    恐る恐る覗き穴から確認すると全く知らない男性だった。ドア越しに怒鳴ったら止んで居なくなったが、とてもヒナタだけを置いては行けない。
    断られるかドキドキしたけど、勇気を出して部長に電話をかけた。
    受付の
    「しばらくお待ち下さい」
    からが長い。勝手な想像で、部長が顔をしかめ「困ったな」 と、呟く様子が想像されて息が苦しくなってきた。
    “絶対無理だよね、ヒナタを連れて仕事なんて、バカな事を言っているって分かってる。でも、神様助けて下さい!!”
    と、心の中で叫んでいると部長が電話口に出た。
    「岡本さん、待たせて申し訳ない」
    いつもの優しい口調にホッとする。
    勇気を出して話し出した。
    飼い猫のヒタナが消えずにいる事、ペットショップの店員の反応、放り込まれた [ペット買います] のチラシ、部屋まで誰かが来たこと。
    一気に話して、息継ぎをろくにしてなかった事に気付く。
    「迷惑はかけません、ヒタナを職場に連れて行くことを、許可して頂きたいんです」
    部長は、じっと話しを聞いていた。少し沈黙の後、
    「いいよ、僕から明日社長に伝えておくから、明後日からヒナタを連れて出勤して下さい。岡本さん、運がいいよ、社長一家は大の猫好きだから。
    ただしリードをつけて、横の小さな方の会議室に入れておくこと。君の机の位置を、その会議室に一番近い所に変えておくから」
    あんまりあっさりでつい
    「本当にいいんですか?部長怒られませんか?みんなは、気分を害したりしないでしょうか?」
    と尋ねると
    部長は、少し笑って
    「みんな大歓迎なんじゃないか?」
    と言ってくれた。電話を切ると今まで緊張し過ぎて、体が強張っていたのを実感する。ぷつっと緊張の糸が切れた。
    近づいてきたヒナタを撫でながら
    “私は、本当に恵まれている”と感謝した。
    2日後、久しぶりの車通勤、ヒタナを入れたゲージをバスタオルで包み、見えないようにして助手席に置いた。ほっとしてエンジンをかける。誰よりも早く出勤したくて、いつもより1時間早く家を出た。
    久しぶりの道路は、木々が消え妙に見通しが良く変な感じだ。植え込みに灰色のエイリアンが、たくさん顔を出していた。
    会社の駐車場に停めてゲージを抱きかかえる。カードキーで玄関を開ける。
    まだ、受付も来てなかった。
    誰もいないエレベーターに乗り込み、ホッともたれた。
    4階に着くと部署のドアを開く。すると部長がもう来ていて仕事をしていた。目を丸くする私を見て部長がおかしそうな顔をする。
    「早く来るとは思っていたが、思った通りだったね」
    ゲージのなかのヒナタを覗きながら言った。
    「岡野さん、心配症で真面目だから」
    部長が、2つあるうちの小さな会議室の扉を開けてくれた。猫砂や爪とぎも置いてある。
    「実家の猫が、いなくなった社員が、持ってきてね。セールの時に買っておいた予備の物だから未使用らしい」
    予備が無く自宅の物を持ってきていたが、仕事場専用の物があれば、本当にありがたい。
    ヒナタは、最初警戒していたが、部長の事は気に入ったらしく、部長の足の間に入り込んで体を擦りつけていた。
    「すみません、毛がついちゃう」
    慌ててヒナタを離そうとしたけど ヒナタが、嫌がって身を捻った。
    「珍しい、私以外にはあんまり関心示さないのに」
    と言うと部長は、
    「ちゃんと味方にしておいた方がいい人間が分かるとは、賢いなぁ」
    と言いヒナタの頭をなでた。
    「一応仕事時間中は、あんまり覗きに行かないように、今日は別ね、初日だから。まぁ、岡野さんにわざわざ言う必要ないか、常識の範囲でお願いします」
    と言うと、部長は出て行った。
    新しい場所がもの珍しいのか、ヒナタは辺りを見渡し部屋の隅を覗いている。思ったよりヒナタが、馴染んでくれそうでホッとする。
    席に戻るとみんなが次々と出勤してきた。柳さんは、顔を見ると抱きついてきて
    「寂しかったです、元気でした?」
    と再会を喜んでくれた。
    みんな会議室のドアを少し開けてヒナタを見ては、嬉しそうに声をあげニコニコしていた。川野君が、近寄って来て
    「席が離れて寂しいですよ、ヒナタの事で手伝うことがあったら言ってくださいね。」
    と、言ってくれた。

    【動植物が消えて1ヶ月後】
    僕(川原 直比古)は、ここ最近部長の事が気になって仕方ない。いつもは、落ち着いてポジティブな頼れる上司なのに、最近は物思いに沈んでいることが多い。昼休みに他の同僚に尋ねると、みんな気になっていると言う。だけど、誰も原因がわからなかった。
    今まで部長に相談する事はあっても、相談された事はない。
    部長の事をほとんど知らない、という事に、気付いた。
    ☆
    透(永野部長)には、今不安があった。自分では解決出来ない不安だ。心配してもどうにかなるものではないから、運命を受け入れようと思いながら出来ずにいる。透は、1型糖尿病を患っていた。4歳になったばかりの頃に発症した。小学校の高学年から自分で血糖値をチェックし、腹部にインシュリンの注射をしてきた。
    現在の医薬品は、全成分の95%が植物から抽出されている。いや抽出されていた。今回、植物が消えたことによって、大部分の医薬品の製造が中止されている。インシュリンもその中の一つだ。
    昨日、病院に行ったが、インシュリンの入荷が無く、今後も入る見通しは、無いと言う。1型糖尿病は、インシュリンを打たなければ、糖尿病性アシドーシスになり昏睡状態に陥って死んでしまう。
    「残念です」
    と告げた主治医の先生は、疲れた顔をしていた。きっと沢山の患者に、同じ事を説明してきたのだろう。
    「あなたの命は後残りわずかです」と言う事を。
    「尋ねたい事はありますか?」
    と事務的に先生に言われたが、何も思いつかなかった。黙って首を振る。
    “自分の手持ちのインシュリンは、あと2カ月半分はある。
    後、2カ月半は生きられると言う事だ。
    良い面に目を向けよう。明日死ぬわけじゃあない。それにあのまずいエイリアンとやらを、食べ続け無くてもいいって事だ。”
    透は、今まで病気の事はなるべく人に言わずに生きてきた。同情されたり遠慮されたり、何より気を使わせるのが嫌だった。
    実家は代々農家だったが、父親の代で廃農した。だが、家の造りは農家のままで、母屋の隣に平屋の納屋があり、側に柿の木があった。
    当時、4歳だった透は、糖尿病を患ったがやんちゃで、好奇心の塊だった。透の病気が分かった時、母は透を抱きしめて泣いていた。母は心配して色々と注意してきたが、4歳の透には、まだ病気のことをよく理解する事は、無理だった。
    5月末ごろ、いつも遊んでいた庭の柿の木に、黄色がかった白い花を見つけた。それは、しばらくすると青い小さな実になった。透がその実を見上げていると、父が青い実は、これからもっと大きくなって、秋には赤く色付くこと。そうしたら食べられるようになる、と教えてくれた。
    “食べてみたい!” とそれが楽しみで透は、毎日柿の木を見上げていた。
    母親が
    「そんなに楽しみなの?」
    と呆れていたのを覚えている。
    夏が過ぎ秋になって柿が色付くと、取ってみたくてたまらなくなった。だけど柿の実は、頭上高くジャンプしても、とても届かない。どうにかならないかと見回すと、納屋の横に積んである古い材木が目に入った。それに這い上がり納屋の屋根に手をついた。トタンのザラザラした感触を我慢して、体を持ち上げようとしたけど、なかなか上がらない。悪戦苦闘していると、不意に声が聞こえてびっくりする。
    「おい、バカ透、怒られるぞ、そんな所に登って。無理、無理、お前みたいなチビには、ぜーったい、無理」
    小学3年生の兄、稔が、ニヤニヤしながら見ていた。
    透は、ちょっと頭に来たけれど、柿を取りたい気持ちが勝って、兄を無視した。納屋の屋根に再度手をかけ、何とか上がろうとバタバタもがく、足元の木材が揺れて崩れそうになった。
    「ばか!」
    稔が慌てて木材を押さえた。
    「にーちゃん、お願い」
    透が頼み込むと、稔は仕方なく一度透を降ろして、先に自分が納屋の屋根に登った。
    「もう一度、木材の上に上がったら引っ張りあげてやるよ」
    稔は納屋の屋根の上に上がると、手を伸ばし透を引っ張った。
    その時だ。
    「稔何してるの!!透は病気なんだよ!!体調崩しやすいの!!なんでそんな事も分からないの?怪我でもしたらどうするの!! 本当にあんたって子は!!」
    鋭い声でいうと母が、透を後ろから抱き抱えた。稔の顔がなんとも言えないようにゆがんだ。そして透の事をじっと睨みつけ、プイッと顔を背けた。
    あの時の兄の目が透の心に突き刺さった。
    「僕が頼んだの!! お兄ちゃんは、悪くないのに!! お母さんのせいだ! 大嫌い‼」
    透は、大声で喚いて母から離れようともがいたけれど、お母さんは、離してくれなかった。その夜、透は疲れて体調を崩した。
    稔は、透のようにその事を覚えているわけではない。あの後、すぐいつもの兄に戻ってくれた。だが、透の心の中には、あの時の事が小骨のように刺さっていた。ずっと兄は、何かと我慢させられていたと思う。
    それが負い目になっていった。
    親が透に対して過保護だったので、旅行に行くにも、透に負担のかからないように計画されたし、楽しみにしていた家族の行事も、透のせいで中止になることが多かった。だから透は病気の事以外では、家族に迷惑が、かからないように努めた。
    反抗して困らせることも無かったし、勉強も頑張った。兄に取っても可愛い弟だったと思う。そうこうする内に、気付いたらクラスでも目立つ存在になっていた。自分言うのもなんだが、ルックスも悪くなかったので、そこそこもてて、告白される事もあった。
    でも、高校からは、病気の事はクラスメートに言って無かったので、彼女を作るつもりは無かった。
    何事もオープンにするなら初めから言わないと、途中からカミングアウトは難しい。
    ずっと1人で生きていくのかな、と漠然と思っていたが、就職5年目に気になる人が出来た。夏生まれの 沢山 夏。
    同期で入社5年目に同部署に配属された。外見は特別目立つ子ではなかったけど、所作がきれいで、明るくみんなに好かれていた。
    接してみると驚く位話しやすい。同期と言うこともあり仲良くなった。
    会社の飲み会途中、気付くとお酒を片手に、隣に夏が座りに来ることもあった。なんとなく夏の好意を感じていたと思うし、それを嬉しく思う自分もいた。
    だけど、透は病気の事を周りに伏せており、同僚と付き合うつもりは、全くなかった。
    それで夏にご飯を誘われてもはぐらかし、2人きりには、ならないようにしていた。夏も人の気持ちを図る事に敏感だったから、それ以上は透にアプローチしてこなかった。しばらく良い同僚で過ごしていたと思う。
    一緒に働き出して1年程して、透と夏と大卒新人の3人で、販路拡大の大きな案件を任される事になった。透がリーダーを務め、みんなをまとめた。なんとか取引き先との話しがまとまり、取り引き1回目を迎えた。
    透は、新人の子に
    「大事な取り引き初回だから、先方に今一度、確認のメールをしてから発注をかけてほしい」
    と依頼した。それまで新人の子は、慣れないながらも、ミスなく指示を守り、仕事をこなしてきたので、大丈夫だろうと安心していた。ところが新人の子が、最後の最後であり得ない発注ミスをかけていた。透も、取り引きがまとまった事に安堵し、最終チェックを飛ばしてしまって、夏が気付かなければ、大変な事になっていただろう。
    夏は、目立たない所で大きな案件が、上手くいくよう細かく心配りしてくれていた。その時も1人で、もう1回とチェックを入れてくれていたのだ。
    帰ろうとする透を
    「今日は、しばらくかかりそう」
    と青い顔で引き止めてくれた。
    なんとか先方に迷惑をかけることなく収拾する事が出来、冷や汗を拭う。遅くなった帰り道
    「ありがとう、沢山さん。今度お礼に食事奢るよ」
    と、言うと夏はしばらく考えて
    「ランチでもいい?日曜日でも」
    と返した。
    次の日曜日、よく晴れた日だった。夏の希望で、海を見ながら食事が出来る話題の寿司屋へ行った。
    真っ白な店内は、天井高く職人が寿司を握る背景は、大きなガラス張りだ。その中に海が大きく広がっている。目が覚めるような海だ。
    「永野君は、夜より昼のほうが良さそうだったから。せっかく奢ってもらえるから遠慮なく昼ランチで高そうな所を選んでみたよ」
    と夏は、機嫌良く肩をすくめた。
    「いいね、この店」
    透も大きな仕事が終わって、ほっとしていたから、少し贅沢な雰囲気が嬉しかった。私服で会うのは初めてで、同級生ということもあり、学生に返ったような気分になる。
    楽しく穏やかな時間だった。幼少の頃の話しになった。2人とも田舎育ちと言うことで、色々地元を自慢しあった。
    「田舎に生まれて良かった事は、その年一番の蛍を見れることかなぁ、もうそろそろかなぁって、あの季節は妙に雨の気配とか、空気の匂いが気になるんだよね~。そしてその年初めての蛍を見れた時は、本当にうれしいんだ。」
    夏は、遠くを見る目をして故郷を懐かしんだ。
    楽しい1日だった。日も傾いてきて、海沿いの道を帰路につく。いつの間にか話は途切れ、しばし沈黙の中ハンドルを握っていると、彼女が、決心したように話し出した。
    「ねぇ、こんなチャンス2度と無いと思うから、思い切って言うね。
    私、永野君のことが好きです、結婚したいくらい本当に好き。」と一気に言うと頭を下げ俯いた。手を握りしめ頭を下げたまま動かない。彼女の緊張が伝わってきた。
    とっさに返事が出来ない。そんな僕の事を見て彼女は、一瞬悲しい顔をした。そして僕がこの事を喜んでいないのを感じ取り
    「ごめん、ごめんなさい。今日が楽しくて言わないと後悔しそうで。永野君となら幸せな人生になる、そう思ったんだよね。あぁ、なんでこんな事言っちゃったんだろう。結婚なんて付き合ってもいないのに、本当にバカだよね。永野君が気にしないでくれたら本当に嬉しい。」
    と言い、雰囲気を変えるため別の話題を始めたが、続かず涙声になり言葉に詰まった。
    “彼女の気持ちに気付いていたのに、こうして出掛けた自分のせいだ。
    自分だって好感を持っていることを暗に伝えていたと思う。こんな思いをさせて、本当に申し訳ない。”
    「僕たち付き合ったとして幸せになれるのか、わからない。言ってない事がある」
    透は、運転し前を見ながら話し出した。自分が4歳の頃から1型糖尿病である事。それからずっと自分で注射をしてきた事。なかなか人に心をひらけない自分であること。
    夏に惹かれる気持ちがあったが、それに気づかないようにしていたこと。色々な事をもっと早く言うべきだったと伝えた。
    “女性から告白させてこんな返ししか出来ないなんて ” 透は彼女の顔が見られなかった。
    彼女は、黙って話しを聞いていた。それからほっと息をはき、言葉を選びながら答えた。
    「私、今まで、永野君が好きな事、色々態度で見せていたと思うんだよね。だけど永野君知らない振りだったから、気がないのかなぁって思ってた。
    今日が無ければ、告白する勇気も無かったし。だけど、やっぱりどうしても言いたくて、それ位永野君、素敵な人なんだよ。
    病気は、注射したら大丈夫なんでしょう、今まで全く気付かなかった。私、にぶいからなぁ、言いたくない事言わせてしまってごめんなさい。
    でもね、私は、病気の事あんまり重要な事だとは思ってないよ。だって明日私が病気になるかもでしょう。
    永野君なら私を見捨てないんじゃないかなと思う。
    私も永野君を見捨てたくないし。」
    一生懸命言葉を選んで、気持ちを伝えようとする夏を見て、透は、泣きそうになってしまった。
    あれから結婚前提で付き合いを始めたのに、今、透は一人でいる。
    あの後、透の部署が変わって忙しくなったり、夏のお母さんが入院したりと、色々あってすぐに結婚が難しくなった。彼女のお母さんのお見舞いに行った時、透がいない所で彼女のお母さんが、
    「あの病気(糖尿病1型)遺伝するの?」
    と心配そうに聞いていた。それを立ち聞きしてしまったのも縁がなかったからかもしれない。
    お互い忙しくなり会うことがぐっと減ってしまった。そして2人の熱量が凪いで静まり、どうしても結婚するまでの勢いが無くなってしまった。別れた時の会話も、もうぼんやりと薄れている。
    ただ寂しさと同時に少しほっとしたのを覚えている。
    物思いはこれ位にしないと、部下の声かけに透は我に返った。心配そうな表情をしている。
    「すまん、すまん」
    謝ると透は仕事に取り掛かった。
    ☆
    僕(川原直比古)は、夢を見た。深い海の底に潜って行った。深い深い海の底。もうすぐ泳ぐ事が出来なくなると言われている海。魚もいない海藻もないそんな海を潜っていく。ゴミだけがゆらゆらと、浮かんでいる。陽の光も届かなくなり暗くなる。
    深海の岩棚に光る瞳があった。みんなと一緒に行き損ねてしまった一匹のシーラーカンスだった。
    陸に上がった死んだ写真は、どこか不気味だったけど、海の中で見るシーラーカンスは、青く鈍く輝いてとても綺麗だった。生きた化石が最後に残るなんて、と思いながら手を伸ばしてみる。逃げるだろうか?シーラーカンスは少し躊躇したが、僕の体に寄り添ってくれた。僕は海の底で、
    シーラーカンスを抱き寄せて、眠りについた。もう君の住めない海になってしまったよ、ごめん。

    【動植物がいなくなって2ヶ月後】
    高石誠は、重い足取りで自宅に帰ってきた。鍵を開けて小さな声で
    「ただいま」
    と声をかける。居間には明かりがついていたが、誰もいなかった。ベビー用のおもちゃやガーゼ地のタオルケットが落ちている。寝室にしている部屋の扉は閉まっていが、中から赤ん坊(麻美)の泣き声が聞こえていた。
    そっと扉を開けて見ると、妻の恵美が、麻美を抱いてベットに腰掛けていた。
    必死に授乳しているが、なかなか泣きやまない。
    誠の顔を見ると恵美は顔を歪めた。
    「どうしよう、私、母乳がやっぱり少ないみたい。まーちゃんが泣きやまないよ」
    誠は、ベットに並んで腰掛け、恵美の背中を擦った。
    「変わるから、ちょっと休んだら?」
    恵美は、首を振った。
    「ミルクは、とうに売り切れているし。まーちゃん、体重増えてないんだよね、このまま死んじゃったらどうしよう。でも、こんな植物も動物もいない世界で生きていくより、死んだほうが、まーちゃん楽なのかなぁ」
    妻の疲れ切った呟きを聞いて、誠も不安で息が詰まる気がした。
    3カ月にしては、ちいさく瘦せた我が子を見おろす。
    「明日、病院に行ってみよう、一緒に付いて行くから」
    大丈夫、と励ますように努めて明るく声をかけた。
    麻美の生まれた病院は、家から近い小児科のある中規模の総合病院だ。病院に着くと、植物が消え薬が枯渇しているためか、体調をくずした多くの患者が来院していた。
    麻美の状態を伝え検査をしてもらったが、特に病気は見つからなかった。
    やはり母乳の量が不足していることによる低体重と、ぐずりとのこと。
    看護師さんから乳房マッサージを受け、あまり神経質になると、かえって母乳の量が出ない事がある、とアドバイスを受けた。
    恵美は、
    「家に赤ちゃんと2人でいると、どうしようもなく不安になるんです」
    と涙ぐんで訴えている。椅子に並んで腰掛け、看護師さんは、恵美の訴えを我慢強く聞いていたが、同じ訴えを繰り返すと少し困ったように
    「ごめんなさいね、他に患者さんを持たせてて、粉ミルクは、手に入らないと思うから教えた乳房マッサージを続けてみて、また受診して下さい。」
    と言うと立ち上がり、軽く会釈をして去って行ってしまった。取り残され肩を落としている妻を励まして、誠は背中を擦っている。
    待合室で看護師を捕まえ、泣き声を上げていた恵美の姿は、目立っていた。
    なんとなく周囲も彼女に視線を送っている。
    その中の1人、高石家の様子を少し離れた所から見ている女性がいた。
    野間華子 38歳 webデザイナーを自宅でしている。夫、野間孝之の仕事も高収入で、経済的には安定しているし、夫婦仲も悪くはなかった。
    子ども好きの旦那は、結婚当初から子どもがいる家庭を望んでいたが、忙しく仕事に追われ、ついつい先延ばしにしてしまった。華子自身もきつい印象を持たれるが小さな頃の夢は、保育園の先生だった。子どもは好きだ。
    30代後半になり、いざ子どもを作ろうとしたら、なかなか出来ず焦った。
    不妊治療を開始したが、想像の何倍も辛かった。
    [採卵]や [卵管造影検査]があんなにつらいなんて・・。ホルモン剤の内服でいらいらするし、受診の度に落ち込んだ。子どもが欲しいのは、旦那も同じなのに、どうして私ばかりこんな目に会うのか、旦那の顔を見るのも嫌になりそうだった。
    そんな私の事を、見ていられなかったのだろう。
    「もう、やめようか?子どもは欲しかったけど、幸せじゃないと意味がない。こんな状況おかしいよ」
    と孝之が口にするようになっていった。華子も半分諦めかけた時、妊娠がわかった。つらい不妊治療を乗り越えての妊娠に、夫婦とも本当にほっとし、喜んだ。
    5カ月が過ぎ安定期に入り、少しお腹がふくらみだす。
    やっと出来た赤ちゃん、その誕生を楽しみに、旦那と迎え入れるための準備をするのは楽しかった。わくわくして今まで避けていた百貨店8Fの子供服売り場につい行ってしまう。
    出来たのが女の子だとわかると、さらにお金に糸目をつけず、可愛いベビー服を揃えていった。
    旦那はもともと優しかったが、妊娠がわかるとさらにかいがいしく華子の世話を焼いた。
    「俺は妊娠を変わってやれないから、家事頑張るよ」
    と仕事が忙しくても、洗濯やお風呂掃除を、嫌な顔一つせずやってくれる。
    そうやって、みんなに応援されて迎えた9カ月目のある朝、陣痛が起き病院に急いだ。すごく痛かったが、やっと子どもに会えると思うと、ワクワクする気持ちのほうが強い。仕事場の旦那に電話した時、
    「うわー、すぐ行く」
    と、いつもは聞かない上ずった声で、答えたのを覚えている。
    予定より少し早かったが、元気で生まれてきてくれて、3人の生活が始まるもの、と思っていたのに死産した。
    あの日、病室に入りモニターを取り付けた時から、助産婦さん達の様子が変わった。
    顔がこわばり
    “急いで!先生を呼んで!”
    と声が飛び交う。すぐに分娩室に移動させられ点滴を取られ麻酔がかけられた。何が起こっているのかはっきりと誰も言ってくれなかった。不安で泣きそうだ。意識が朦朧とする中で、
    “私の事なのに説明して!!”
    と叫んでいたように思う。
    そして、もやのかかった意識の中で拾った言葉が、[死産]だった。
    今日は、その3ヶ月後の検診だ。
    世の中が、こんな事になってしまって、
    「かえって良かったかもよ」
    と心無い慰めを言ってくる周囲の人達に、表面には出さないが、憤りとストレスを抱えていた。
    みんなの前で泣いている姿を見せるのは、絶対嫌だった。そんなの耐えられない。ドロドロした気持ちを抱えていた華子は、恵美の泣き言を聞いてさらにイライラした。
    “無事に生まれただけでも、どんなに幸運か分からないなんて・・、どうしてあんな頼りない人の所に赤ちゃんが生まれて、私はだめなの?不公平だ、不公平だ、不公平、不公平、不公平”
    呪いの言葉のように心の中で “不公平” と、繰り返し、恵美達の側を通った。
    きつい視線を恵美達に向ける。
    おくるみに包まれ泣きつかれて、ようやく眠りについた麻美の顔が見えた。
    白く小さな顔だった。
    悪態をついた自分が、少し後ろめたくなった。

    それから1週間が過ぎた。
    赤ちゃんが、死んでも胸が張って母乳が出てくる。熱く熱を持って固くなっているのを、歯を食いしばるように搾乳して流しに捨てていた。
    華子には、この前病院に行ってからずっと脳裏に張り付いている顔がある。
    あのときの泣きつかれた赤ん坊の顔だ。
    ふとした時、ふとした時に思い出し1日何度もその時の記憶をなぞっている。
    ‘もう1度会ってみたい。’
    華子は、夫に相談した。死産してから落ち込み、イライラしている華子を、どう扱ったらいいのか分からなくなっていた夫は、華子の話しを聞くと
    「もっと傷付く事にならない?」
    と尋ねたが、強く決心した華子の顔を見るとため息をついた。こういう顔をした時は、何を言っても無駄だと知っている。夫にも話し、決心すると華子は病院へ問い合わせをした。
    小児科につないでもらう。
    すぐに看護師に変わった。
    「お待たせしました。野間さんですね?どうかされましたか?」
    華子は一つ大きく息を着くと話し出した。
    「先日、高石さんと言われるご家族が、受診されていたと思うんですが、すみません、話が聞こえてしまって・・・。」
    華子は、自分が死産し、その3か月後の検診で受診していたこと。その時に、高石家の話が聞こえた事や、ぜひ高石家に母乳を提供したいと思っている事を伝えた。
    看護師は、黙って話しを聞いていた。少し間があって、
    「当院は、母乳が余っている方の善意で、搾乳して頂いた母乳を、病気で授乳出来ない方や、母親のいない赤ちゃんへ届けています。
    野間さんにもお声かけしましたが、一度は断られているようですね。私たちは、まず先ほどお伝えした方たちを優先しています。
    高石さんは、母乳量はかなり不足してますが、優先順位としては低いんです。それに、提供される方と受け取られる方が、直接会うことはありません。」
    と、説明した。
    華子は、目を瞑った。言われることはもっともだ、こんな時に自分の思いを優先させるのはわがままな事だと思う。
    でも、私の母乳でしょ、捨てるよりいいんじゃない?
    「高石さんの赤ちゃんにあげたいんです。ほかは、考えていません」
    強く言うと看護師さんは、ため息をついた。
    「高石さんに条件をお伝えしてみます。双方傷付く事にならないといいんですが」
    その日の午後、高石誠の携帯が鳴った。麻美が生まれた病院からだ。ちょうど相談したいこともあったし、と思いながら電話に出る。
    前回、受診した時に恵美が待合室で話していた看護師だった。
    「お仕事中にすみません。あれから奥様はどうですか?母乳は出てます?麻美ちゃんの体重は、増えてますか?」
    一通り質問し、状態は変わらないと聞くと、看護師は話しを続けた。
    「実は、ある方から申し出がありまして」
    そして野間華子が、子どもを死産したばかりであること。通常は、該当しないが、どうしても高石家に搾乳した分を渡したいと言う事。
    「あと、1つ、これが奥様がどう思われるか、心配な所なんですが、」
    少し言い淀んで看護師は、続けた
    「1日1回、直接授乳する事が条件と言われてます。」
    2人ともしばらく沈黙してしまった。恵美がナイーブで、すぐ泣き出してしまう事を知っているからだ。誠は、恵美に伝えてみます、と答え電話を切った。
    その日、誠は仕事に集中出来なかった。帰り道でも、恵美の反応を色々想像してしまう。自分をだめな母親って責めるだろう...。でも、子どもが生まれるまでは、楽観的で自分を客観的に見れる人だった。
    見上げると月は、少し欠けていたが、変わらず美しかった。月が励ましてくれているように感じる。誠は、恵美を信じる事にした。
    「ただいま」
    小さな声で声をかけ、玄関を開ける。恵美はリビングのソファで、麻美を抱いたままうたた寝をしていた。
    誠は、起こさないように注意して着替えを済ますと、途中だった洗濯物を静かに畳みだした。
    恵美は、玄関の音を遠くで聞いて、起きないと、と思いながらも眠たくて目が開かなかった。
    ようやく目が覚めてくる。背中を向けて家事をする誠の姿を、恵美はぼんやりと見ていた。
    “こんな弱音ばかりの私に、うんざりしてるよね?”
    と心の中で問いかける。
    うんざりしてても優しいから、誠はすごいなぁと思う。
    誠は、恵美の気配にぱっと振り返った。
    「ごめん、起こしちゃったね」
    麻美が、寝てくれているので、その間に2人で夕食を食べた。片付けが終わって落ち着いた所で、誠は看護師から聞いた話しを伝えた。
    恵美は、搾乳した母乳がもらえることにホッとしたが、1日1回、直接母乳をあげることが条件と聞くと、なんとも言えない気持ちになった。自分がまーちゃんにしてあげたくてたまらないけど出来ないこと。それを赤の他人がやすやすと出来る事が、ショックだった。
    「まーちゃんを取られそうな気持ちになっちゃうね」
    ぽつんと呟いた。でも、まーちゃんの命が、これで助かる。まーちゃんが、お腹が空いているのを見なくて済むと思うと、自分の考えがあまりに勝手に思えて、慌てて
    「ありがたいです、よろしくお願いします。と伝えてもらってもいい?」
    と答えた。
    ☆
    永野透(部長)は、仕事を終え家路についていた。
    動植物が消えて2カ月、なんとか世の中は回っている。商社も仕事がなくなるのではないかと心配したが、今までの在庫やリサイクルした資材などを取り扱っている。第1次産業や飲食店は、大打撃で閉店になったが、とりあえずの3年間補助で今後の生活を考える時間が出来た。
    みんな少しずつ前を向いている中で、透は取り残されていた。
    暗い帰り道をゆっくりと歩く。
    両親が亡くなっていて良かったと思う。生きていたら、母は耐えれなかっただろう、本当に心配症で過保護だったから。
    兄の稔とは、先日会ってきた。
    インシュリンが、あと半年分は確保出来ていると嘘をつくと、ホッとした顔をした。兄も疲れた顔をしている。
    「半年か・・、出来ることを一緒に探そう」
    兄は兄で、家族を守っていかないといけない。妻と3人の子どもがいるから余計な心配を増やしたく無かった。
    インシュリンは、後1ヶ月分 死が実感されてくる。指先が冷たくなってくる。
    マンションの前に来て顔をあげると、女性が1人マンションの前に立っていた。明かりをバックに顔が、陰になっている。横を通り過ぎた時、名前を呼ばれた。
    初め誰か分からず、住民の人だと思ったが、下の名前を呼ばれた事で混乱した。
    女性が、顔をマンション側に向け、明かりが当たった。夏だった。
    びっくりして言葉がでない。お互いにすぐ言葉が出ず、顔を見合った。20年以上経っているのに、夏はあの頃とあまり変わらなかった。 夏には、自分がどう見えているのだろう。
    家に上がってもらうのも違うような気がして、近くの小さな公園へ行った。街灯の下のベンチに、腰をかける。
    夏がクスリと笑う。
    「1回目の食事の後も、ここの公園で話したよね。部屋に上がってもらうのは、違う気がしたんでしょ?」 
    そう言われればと思った。
    透がなんと声をかければいいか、と黙っていると、
    夏は、
    「まず、はじめに確認だけど、透さん結婚してる?もしくは、彼女さん居たりする?」
    いきなりの問いかけに意味がわからないまま、正直に首を振った。
    そんな僕を見て、やっぱりね、という表情で夏はうなずく。
    「約束を守りに来たよ、偉いでしょ。まぁ、約束と言っても私が一方的にそう思っていたやつだけどね」
    と言った。
    「見捨てないって言ったよね?勘違いしてほしく無いんだけど、今さら恋人になりたいわけじゃないからね?いつもは、すっかり忘れてたし、
    ただ、インシュリンないんでしょ?お兄さんに頼める性格じゃないし、死んだ後の事とか、頼みたい人がいるんじゃないかと思って」
    透は、そう言われて
    あーぁ、そうか夏はこういう子だったなあと思った。そして夏とはずっとどこかで、繋がっていたのかと納得した。一緒には生きて来なかったけど、どこかでお互いを気にかけていた。
    透は、苦笑いをして
    「身も蓋もないな、でも、たしかに正直困るかもしれん。そろそろ色々考えなきゃと思っていた。孤独死は、周りに迷惑だよな。ありがたい。でも、ご家族は、大丈夫なの?」
    と返しながら、20年近く経っているのに、気負わず話せている事が嬉しかった。
    夏は、頷いて
    「私、結局あれから他の人と付き合って、プロポーズまでされたけど、断ったんだよね。その人も、どうしても私じゃなきゃって事無かったし。お互い悪くないかな程度で・・。そんなだとその時がピークで、後は惰性の人生になる気がして・・。結局、私も一度も結婚せず」
    というと肩をすくめた。
    夜の公園のベンチは、緑は無かったけど風が吹いて気持ちが良かった。
    それから、2人が別れた後の話しを色々とした。会社の同僚達には、何も言ってない事を話すと、夏は
    「言ったほうがいいよ、言われなかった方は寂しいよ。もっと周りの人を頼らなきゃ」
    と背中を叩いてきた。1時間位して別れた。
    毎日、ラインするからね、と夏が手を振った。透は体を暖かいものが、巡りだしたように感じた。

    【動植物が消えて6ヶ月後】
    僕(川原 直比古)は、仕事で、初めての場所に来ていた。こういう事態になって、商社も右から左へ物を動かすだけでは、仕事が限られる。地元の小さな工場で、古紙を使った商品開発が面白い、と情報を得て視察させてもらうのだ。地図アプリを見て道を確認する。二股に分かれた道、どちらも到着時間変わらずか・・。
    運動のため勾配のきつい方にする。12月になり寒くなったが歩くと暖まってきた。少し行くと、道に紙で出来た金の輪繋ぎが落ちて風に揺れていた。近くの保育園児が落として行ったのかな?懐かしいなぁ、僕もこんなの作っていたなぁと思いながら、どうしようかと周りを見渡す。近くの金網にかけてみる。これならきっと落とした子も気付くし汚れないな。僕は、視察先へと向かった。
    ☆
    柳千尋は、最近うつになっていた。
    あの日(動植物が消えた日)から色々あって、生き延びる事が出来るのか心配で、気持ちが張り詰めていた。でも、最近今の状況に慣れつつあって、そうしたら一気に不満が溢れ出した。
    何の我慢が辛いって、食べたい物が、何も食べられないのが辛かった。
    休日の食べ歩きが、一番の楽しみだったのに・・。

    家の近くにあるお手軽フレンチのランチのコース、前菜もスープもメインもデザートも、とても美味しかった。

    中華料理店のお気入りのスーラータン、細い面がスープに絡んでたまらない。

    駅チカのお店のアサイボール、金色のハチミツが、たっぷりかかっていた。
    ハチミツもう一度なめてみたい。

    飲んだ後で “今日は、いいよね”
    と友達と食べる醤油ベースのラーメン、レモンを絞って食べるのが、飲んだ後に最高だった。

    夜、ひとりでテレビを見ながら食べるアイスクリーム、くるみをローストして入れるのが幸せだった。

    そしてなんといっても、小さい頃から通っていた近所の和菓子屋さん
    『つぶら』の絶品桜餅
    優しいお店のおばあちゃんに、よく抱っこしてもらっていた。家に上がり込んでは、手伝いの真似事をしていた。じゃまだったろうに、おばあちゃんは1度も嫌な顔をしなかった。もち米を蒸す香り、小豆を炊く香りがとてもいいのだ。
    もう、2度と食べられない。

    気が付くとぼんやり想像してしまい、夢にまで見てしまう。
    友達と会っても、
    “もし1つだけ食べられるなら何が食べたい?”
    という愚かなお題で盛り上がった。そしてみんなで落ち込んだ。
    最近は、毎日エイリアン料理だ。見た目が、グロくなかなか慣れない。そもそも、今まで未知の植物がいきなり大繁殖なんて、気味が悪過ぎる。
    それも焼くか茹でるか、味付けはもっぱら塩味。
    砂糖も醤油も味噌も胡椒もオイルもバターもマヨネーズもカレー粉も、全部植物や動物から作られている、と言うことを痛感させられている。
    仕事に持っていくお弁当も、エイリアンだ。
    まぁ、肥満がすごい勢いで減っているらしいから、健康的な食事なんだろうけど。
    きのこもどきのエイリアンが、食べられると知って、ホッとして感謝した気持ちは、どこかに行ってしまった。
    今日は、半日仕事を早めに上がって帰っている。有給が余っていて、仕事もあまりないので “有給使ったら?” と勧められたのだ。
    木々がなくなって、旅行に行く気もしない。景色は単調で、風が吹くと砂ぼこりが舞うから嫌になる。(それもエイリアン様のお陰で、だいぶ軽減しているらしいが・・。)
    久しぶりに歩いて帰り、二股に別れる所に来た。
    どちらからでも帰れるのだが、右のほうが勾配が少ないし、左の道は、途中にある大好きな和菓子屋『つぶら』が、閉まっているのをみるのが嫌で避けてしまう。
    いつものように右側を行こうとすると、左側の道の途中で、キラキラと光るものが見えた。“なんだろう・・・”
    気になって左側の道をいく。
    それはどこかの保育園児が作っただろう、金の輪っかをつなげたものだった。誰かが金網に引っかけて帰ったらしい。風が吹くと少し揺れ日の光を反射していた。
    近寄ってそれを見ていると、
    閉まってた和菓子屋『つぶら』の窓が少し開いた。
    おばあちゃんがにっこり笑ってこっちにおいで、と手招きしている。
    駆け寄って
    「わーっ、久しぶりです。お元気でしたか?」
    と尋ねると、おばあちゃんは、
    「そんな事はいいから、入っておいで」
    と昔ながらの木戸を、がらがらと開け、招き入れてくれた。
    「ちひろちゃんが、通るのを待ってたけど、なかなか捕まえられんで、やっと会えたよ」
    と手を握ってくれた。
    柔らかくってお餅の匂いがする
    「!!お餅の匂い???」
    驚くと
    「あんまりちひろちゃんを待ってたから、夢で神様が、今日やって来るって教えてくれてね、それで作ったんよ。ちひろちゃんと会えるって、確信があった。やっぱり夢で教えてくれたのは、神様やったね〜」
    と言うと、和室の居間の座布団に千尋を座らせ、桜餅を出してくれた。
    「孫たちに食べさせて、材料がもう少しだけになってしまって・・。
    最後は、ちひろちゃんと一緒に食べたかったんよ、最後の桜餅ね。
    私も年だし、そろそろ店じまいって思った時に、こんな事になってしまって・・」
    熱いお茶も入れてくれた。向かい合って座る。
    「私の桜餅の一番の理解者は、ちひろちゃんでしょ。小さい頃、良く手伝ってくれて、ちひろちゃんが大人になったら、作り方伝授しようと思ってたから、本当に残念。」
    いつもは一人暮らしで、お店を閉めてから話し相手が居なくなってしまった『つぶら』のおばあちゃんは、千尋と会えたことを本当に喜んでいた。
    千尋は、自分の事で一生懸命で、おばあちゃんの事を気にかけていなかった事を、恥ずかしく思った。
    「写真撮ってもいい?」
    お茶と桜餅を前に、にこにこ笑っているおばあちゃんの写真を撮った。
    あばあちゃんが、
    “ちひろちゃんの写真も欲しい”
    と言うので、2人で並んでお茶と桜餅餅を持って、写真を撮った。
    おばあちゃんが、体を抱き寄せてくれて、顔を近づけて、さらにもう1枚撮る。
    おばあちゃんにも送ると、嬉しそうに
    「良い写真だね〜、桜餅もよく撮れてる」
    と喜んでくれた。
    色々と昔の思い出話をして久しぶり声を出して笑った。
    桜餅、ゆっくりゆっくり味わう。鼻に抜ける桜餅の香り、桜色のもち米とさくらの葉の渋い緑の色合い。もち米の甘さ、あんこの甘さ、下に残る余韻。五感で味わう、この美味しさだ。
    最後の一口を、名残を惜しんで飲み込んだ。
    おばあちゃんは、これからここを離れて、遠く離れた妹さんの家で2人で暮らすことにするとのこと。
    “おばあちゃんは、年だし家族もいないここには、帰ってこないだろう。
    私が会いに行くって言いたいけど、優柔不断な私が、安易に約束したら、
    きっとおばあちゃんを待たせてしまう。
    がっかりしたままおばあちゃんが、死ぬことになったりしたら、自分を許せない。”
    そんな事を考えていたら、思い詰めた顔になっていたんだろう。
    「きっと会いに行くから」
    と言った千尋の言葉を遮るように、おばあちゃんは、手を振って
    「だめだめ、ここでお別れね。それでいいのよ。電話もいらない。私の事は死んだと思ってほしいの、写真撮れただけで本当に幸せ。」
    と言った。
    千尋は、号泣してしまった。今まで我慢してたことや、おばあちゃんが、私の事をお見通しな事で、自分が情けなくて、本当にわんわんと泣いていたと思う。
    あの日、散々泣いた千尋に、ノートが一冊託された。もし、また世界が元に戻ったら、作ってみてほしいと和菓子のレシピだった。開いてみると、千尋でも作れるように、丁寧に事細かく手順が書かれていた。今、千尋の机の引き出しに大切にしまってある。
    千尋の宝物だ。
    引き出しを開けると微かに和菓子の香りがする。
    あの日から付き物が取れたみたいに、心が落ち着いた。
    まだお菓子の夢を見たりはするけれど。

    【動植物が消えて1年後】
    【ファミリープラント】の秦 壮志は、大きなため息をつくとプラントの土をひっくり返した。
    初めてのテレビ出演をしたあの日、緊張しながらも事業の説明が終わった時、ほっとする間もなく、目の前で作物が消えた。何が起こったのかすぐには理解出来なかった。思わずトマトの消えたプラントの土を触ったが、植物が引っこ抜かれた後は無く、表面は平らだった。テレビは、待機画面に切り替えられ、周囲は慌ただしくテレビスタッフが走り回っている。
    “ここだけではないらしい” “全国・全世界らしい” “政府の会見があるらしい” “らしい・らしい・らしい” と言う言葉が飛びかっている。誰もが壮志の事を忘れている、というか相手にしていなかった。
    壮志は、誰にも声をかけず、黙って重く土だけになったプラントを抱えると、テレビ局を後にした。帰り道は、高速を使っても2時間はかかる。所々警察が出ている。
    街はクルマで通り過ぎる限り、思ったより落ち着いていたが、街路樹が全くない風景は、異様としか言いようがなかった。
    緑の無い街は、いつもより汚れて荒廃して見える。落ちているゴミがすごく目につく。遠くに見えてきた山も木々が無くなり、茶色の山肌をさらしていた。所々ある木は、立ち枯れているか倒れているものだ。
    ラジオをつけると臨時ニュースが流れていた。
    『臨時、緊急ニュースです。今からおよそ2時間前、大変な事が起こりました。突然、全ての植物が消滅しました。街路樹から、畑の野菜、野山の木々、草花なども含まれます。ただ、切り花や収穫後の野菜などは、当てはまらないようです。 原因は全く分かりません。動物も同じようです。牛舎やペットショップでも、動物の姿は見えません。一部の動物は、例外的に消えずに残っているようでが・・・・(省略)・・・
    日本だけの現象では、ありません。世界各国で同様の事態が起こっているようです。現在、お伝え出来ることは以上です。おってまた、情報が入り次第お伝えします。』
    世界中から植物が消えたのか・・、種は消えずに残っていると聞いて、壮志は、自宅の納屋を思った。
    ちょうど【ファミリープラント】の知名度が上がり、注文が増えてきた時だった。今が勝負時と、沢山の種類の種と培養のための特殊な土を、どちらも大量に仕入れたばかりだったのだ。壮志はついていると思った。
    あの種を使って事業をすれば、大金持ちになれる。一生使う分のお金を短期間で稼げるかもしれない。
    みんなが困れば困るほど商機だと、顔がにやけ、世界を思うがままに出来そうな気分だった。
    2時間の運転を終えて家に帰りつき、エンジンを切るとほっとした。庭の草木も無くなっている。もうプランターは明日片付けることにして、取り敢えず家に向かう。田舎によくある古い平屋の一軒家だ。横開きのガラガラという玄関の音を聞きつけて、父と母が出てきた。遅くに生まれた一人っ子の壮志を父も母も頼りにしている。
    父は、
    “壮志は小さい頃から賢くて、先見の明がある”
    と、事業を立ち上げた息子を、機会がある度、周囲に自慢していた。身内自慢は嫌われるのに、それを繰り返す父は、周囲からやや煙たがられていたと思う。今日もテレビに出るからと、親戚、近所に言いふらし朝から壮志よりも緊張していたのだ。
    母は、普段から何かと心配して、世話を焼いてくる。
    農作業は暑いからと、幅の広い帽子を買ってきて、要らないと言っても無理やり車に乗せてくるし、重いプランターを持つのを見ては、どこから買ってきたのかセンスの悪い軍手を差し出してくる。自分の一挙手一投足じっと見られて、不備不足が何かないかと、探されているようで息が詰まった。両親の粘りつくような執着が、壮志をいらつかせていた。
    今もいそいそと、壮志から荷物を受け取る。
    「こんな事になって大丈夫だった?」
    すがるように話しかける母を、疲れているからと邪険に払った。
    色々話したくて待っていた母は、不満そうだったが、それを無視して
    「大丈夫だから」
    と一言言うと、自室に閉じこもった。
    4畳半の小さな部屋で、今どき蛍光灯の紐が、天井から垂れている。
    その紐の先に、学生の頃につけたアニメのマスコットが、揺れているのを見るともなく見ながら
    「どうしたってこの先、金持ちだろ」
    と呟いた。
    翌日から庭の作業場に籠もって、プラントに種付けを始めた。作業場は、保温効果を上げるため、内張材を貼り、暖房機を入れている。そのため2月でも23度ほどあり暖かい。植物育成LEDライトも設備しており、問題ないはずだ。
    まずは、簡単な小松菜とミニトマトから始めよう、壮志は自信をもって取り掛かった。
    芽が出るまで1週間はかかるだろう、それまでに販売ルートを考えよう。
    次の種を取るためのプラントも、同時に育てる必要があると、色々考えるのが楽しかった。
    初めに計画していたプランターの貸し出しは、辞めることにした。
    客が自宅で育てて、種を収穫されては困るからだ。
    盗まれては大変なので、不在時は作業場に鍵をかけて育てることにする。親も勝手に入るのを許さなかった。この方法で今までも、沢山の野菜を育てて来たから不安はない。

    “おかしい” 壮志は眉をひそめて首をかしげた。
    1週間待ったが、プランターに変化は無かった。土をまじまじと覗き込む、土を触った質感はいつもと全く変わらなかった。手順も大して難しいことは無い、もう少し様子を見てみよう。
    しかしさらに2週間待ったが、芽は全く出なかった。何が悪かったのか、
    丁寧に再度試みる。再々度試みるもやっぱりダメだった。
    カイワレを植えた時だけ、ほんのわずかに、芽の先が顔を出した気がしたが、気がしただけで勘違いだった。
    試行錯誤を繰り返すうちに、半年も経ってしまっていた。
    心配だったが、仕方なく自然光の下で育ててみる。しかし、結果は変わらなかった。
    再度、作業場の環境を変えて試みるも、今回も失敗。何度目の失敗かわからなくなっていた・・。もう夏だ。無駄にした時間、労力を考えると怒りで顔に血が登る。土の入ったプランターを思いっきりたたきつけるようにひっくり返した。
    結局、借金の山になってしまった。
    その時、母親が遠慮がちに、作業場に顔を出した。昼食の声かけにも返事が無く、1時間が経ってしまっている。倉庫の前で入る勇気が無く、神経質にウロウロしていたが、大きな物音がしたので、何かあったのかと勇気を出して覗いたのだ。
    そんな母親の気持ちも知らず、壮志は、すごい形相で母親を睨みつけた。
    「壮ちゃん?ご飯食べないと」
    母親は、ビクつきながらも言葉を続ける。
    「少し休まないと、あんまり思い詰めてもかえって上手くいかないよ、母さんが、言う事じゃないかもだけど・・。」
    ますます険しくなる壮志の顔を見て、声が尻切れるように小さくなった。
    壮志は母親の肩に当たるのも構わず、荒々しく横をすり抜けていった。母親は大きくため息をついた。
    壮志は、かなりの量があった種も土もすべて、庭先に放り出した。それを思い切り踏みつける。踏みつけても踏みつけても、怒りは収まらなかった。それから夕食も食べずに部屋に籠もると、ふて寝をした。怒り過ぎて頭がガンガンと痛く、血管が切れそうだった。その夜遅くに雨が降り出した。
    庭先に放り出された種が、濡れていく。
    雨がザーザーと降り注ぎ、種の色が、茶、黒、黄土色からすべて灰色に変わっていった。灰色になって捨てられた培養土と一緒に、硬い岩の塊になって庭に鎮座した。
    初めから庭にあったかのように、びくとも動かない硬い岩。それは静かに夜の雨に濡れ続けた。
    そんなとこが起こっているとは知らず、壮志は、明け方やっとウトウトと夢を見た。
    夢の中でいつの間にか大きな種の中に閉じ込められて、どうしても出られない。
    種の中は、緑色で湿り気があった。恐怖と怒りで大きな声を出し、種の中から殻を叩く。
    気づいているのかいないのか、種の外で父と母が話している。
    父)「あの日のあの約束覚えているか?」
    母)「もちろんですよ、あ〜嬉しい。やっと壮志を閉じ込められました。」
    父と母は、何か作業をしている。穴を掘っているみたいだ。
    母)「壮志は、種をダメにする。壮志を埋めれば、世の中元に戻るって約束ですもんね。」
    壮志の入った種がゴロンと転がされ穴に落とされた。顔が下を向き息苦しい。さらに殻を叩くが、両親は知らぬ顔だった。
    ざっ、ざっと土がかけられる音がする。
    母は、楽しそうに土をかけるリズムに合わせ、歌を歌っていた。知らない歌だった。
    壮志は夢の中でパニックになって叫んでいた。

    朝早く起きた壮志の両親は、雨上がりの庭を見て驚いた。昨日、壮志が怒鳴りながら放り出していた種や土が、一つの岩の塊になっていたからだ。よく見ると種の粒の形が表面に見て取れたが、完全に岩と一体化して、取り出す事は出来なかった。
    考えられない事ばかりで唖然としたが、壮志がまた怒り狂う事が分かっていたので、本人が気付くまで何も言わないことにした。
    今までは、何かあれば壮志、壮志と、相談する事が当たり前だったが、最近の壮志は、昔の息子では無くなっていた。いつも凄い形相で睨まれては、父も母も壮志に頼る気持ちが無くなっていた。

    雨上がりの気持ちの良い朝だった。
    壮志は、カーテンの隙間から漏れる日の光りで目を覚ますと、そのままじっと、昨日の自分の夢を思い返していた。
    朝の光は、穏やかで、昨日あんなに怒った事が恥ずかしくなった。じわっといたたまれなさが襲ってくる。今までは、父と母が構ってくるのが鬱陶しかったが、そういえば最近は、あまり話しかけても来ない。それに気づくと、夢の中の2人を思い返して怖くなった。
    何か大事ものを無くした気がした。
    雨に濡れてしまった種を思うと、大切なものを冒涜した気持ちになった。
    慌てて起き上がる。スウェットのまま部屋を出たら
    居間にも食堂にも、両親はいなかった。
    いつもはつけっぱなしのテレビも消えていて、昔から居間にかかっている古い時計の音が耳につく。両親の事も気になったが、まずは昨日投げ捨てた種が気になって玄関を出る。
    玄関を出た途端、おかしな事に気がついた。種と土を投げ捨てた所が、どう見ても岩なのだ。近づいて行きながら体が震えるのを感じた。
    神様は、いる 
    壮志は、硬い岩の表面に刻まれた種のような模様を撫でながら、
    “ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい”
    と泣き出していた。
    昨日、夢で言っていた父と母の会話を思い出す。
    “壮志は、種をダメにする”
    自分には、自然を相手に仕事をさせてもらう資格が無かった。向き合い方も気持ちの持ちようも、全て間違っていた。泣きながらそう気付いた。
    昼過ぎ両親は、恐る恐る帰ってきた。壮志が荒れ狂っているだろうと予想し気が滅入る。両親が居間に入ると壮志は、付き物が取れたような顔をしていた。庭の岩の事には触れず
    「明日から、仕事探してみるから。なかなか見つからないと思うけど・・.今までごめん」と謝った。

    【動植物が消えて1年後】
    華子は、憂鬱な気持ちで家を出た。
    高石家に通いだして8ヶ月になる。
    “毎日1日も休まずに通うなんて、嫌がらせの域だ。搾乳して冷凍すれば、大丈夫なのに・・。”
    でも、麻美が可愛くて1日も空けることが出来なかった。高石夫婦を差し置いて、何か絆ができたように感じてしまう。
    だけど、麻美も1歳2カ月、離乳食が開始され、あのまずいエイリアンを潰した離乳食を嫌がらずに食べ出した。
    だんだん食事の量が増えてくる。実際もうミルクは、無くても大丈夫だろう。
    通い始めの頃は、華子のほうが圧倒的に立場が強かった。母乳が出ない事を恵美は引け目に感じていたし、元々の性格が、恵美は大人しくて言いたいことを言えないタイプだ。
    それに比べて華子は、ズバズバ言いたいことを言うし、自分の事を一番に考えている。
    “もっと仲良くなっておけば良かった。”
    共通の話題がなく恵美との会話は、未だにぎこちない。
    “きっともう来なくていいと言われるだろう。”
     華子は、ため息をついて歩き出した。
    あの日(動植物が消えた日)から1年経って季節はまた、夏になっていた。
    木々が消えて本当に日差しがきつい。うるさかったセミの泣き声も今となっては、良かったなあと懐かしく思えてくる。
    道路の植え込みには、(エイリアンが咲き誇るって言うのは、おかしいだろうけど)スイカ大のエイリアンが咲き誇っていた。こいつらが、麻美の離乳食になると思うと、顔をしかめて睨みつけた。高石家のインターフォンを押す。ドアが開くといつものように
    「あーい」
    と麻美の声が聞こえて来た。トテトテと足音を立て、両手を上げて出迎えてくれる。
    「なーたん」(華子のなを取ってなーたん)と片言の声が可愛らしい。今日は、黄色のワンピースだ。華子がプレゼントした綿100%のもの(中古だが)で、おそろしく高かった。
    華子は顔を綻ろばせて、麻美を抱き上げた。そのまま居間に入るとお絵かき用のタブレットが置いてあった。
    「すみません、散らかってて、今お茶を淹れますね」
    恵美は、大事なお茶を華子の分1杯だけいつも入れてくれた。初めは断っていたが、それでも勧めてくれるので、今は大人しく頂いている。また、絵を描き始めた麻美を見ながら取り留めのない話をしたが、やっぱり話のネタも尽きてしまう。少しの沈黙にお互い気まずさを感じて、華子はいつものように
    「麻美ちゃん、おっぱいにしようか?」
    と声をかけた。麻美は、タブレットから顔を上げずに、首を振った。
    「お絵かきは、後にしようか?」と重ねて聞くと麻美は、絵を描きながら
    「いらないの」
    と答えた。
    華子は、固まってしまった。今まで要らないと言われたことがなかったからだ。
    “どうしよう”、恵美の反応が怖くて華子は慌てた。顔を上げられずしばらく麻美のお絵かきを見ているふりをしていたが、いたたまれず
    「また明日くるから」
    と告げ立ち上がった。その時、クスッと恵美の笑い声が聞こえた気がした。
    ぱっと顔を向けると、恵美はきまりが悪そうな表情をして
    「すみません、麻美がワガママで、明日またよろしくお願いします。あーちゃん、なーたん帰るから、また明日来てね、ってご挨拶して?」
    と声をかけた。
    麻美は、顔をあげるとにっこり笑い手を振った。
    華子は、顔が赤くなるのを感じた。挨拶もそこそこにマンションを出てしまった。マンション前で頬に手を当て、しばらくその場で立ち止まる。
    なんたる失態、いつかはこんな日が来ると覚悟していたはずなのに・・。
    もっと上手に切り抜けて、あわよくば、時々麻美に会えるよう話しを持っていくはずだったのに・・。麻美に断られた場面がリフレインする。自分の頭を殴りつけたい気持ちを抑えて、重い足取りで歩き出した。
    ☆
    その様子をマンションのベランダから見ていた恵美は、ため息をついた。
    “あ~あ、やってしまった。華子を見て笑ったわけでは無かったのに。”
    初めて華子にあった時を思い出した。授乳をさせるには、あまりにもキメて来てびっくりした。メイクもそうだし、スーツもアクセサリーもヒールの高いパンプスも。
    恵美は、自宅では、Tシャツやスウェットが多かったし、ヒールの高い靴は頭が痛くなるから普段から履かなかった。軽く萎縮するのを感じた。華子の話し方も優しかったが、本来の気の強さが感じられて、気が落ち着かなかった。これからしばらく会うことになると思うと、麻美のために来て頂くとわかっていても、気持ちが落ち込んだ。
    でも、それでも対処出来たのは、恵美にとってこの感じは、馴染みのあるものだったからだ。
    母も姉もよく似たタイプだったのだ!
    自己主張が苦手な恵美を、母も姉も心配しながら呆れた顔で見ていた。
    学校の役員を押し付けられたと知ると、自分の事のように怒り抗議するので、そのうち恵美は自分の事を話さなくなっていった。
    特にプライドの塊の姉は、自分が失態を犯すと、それを隠そうと必死になる。その時の姉の顔と華子の顔が重なって、つい笑ってしまったのだ。そんな事をすればプライドを、さらに傷つけるのはわかっていたのに・・。
    これからどうしよう、恵美子はため息をついた。
    恵美子は、お茶が好きだった。紅茶・ほうじ茶・ハーブティーどれも茶葉を数種類取りそろえ、その日の自分の体調などで選ぶのが楽しかった。特に好きなのが緑茶で、旅行に行くと、必ずその土地のお茶を買ってきていた。
    植物が無くなってお茶の値段は、恐ろしく上がり、やがて手に入らなくなってしまった。
    恵美子は集めていたお茶を、いつか大事な時のためと飲まずにいたが、華子が授乳してくれる時だけ、お礼の気持ちを込めて1杯入れて差し出していた。
    でも、そんな風に気を遣う事が、とても精神をすり減らすことに思い至った。もちろん華子には、とても感謝している。だけど毎回、華子がお茶を飲むのをじっと見守るのが、違っている気がしたのだ。
    華子は立ち上がると、自分のために、家にある一番良い日本茶を取りだした。大事に取って置いたものだ。袋を開けると茶葉の深緑色が美しい。丁寧にお茶を入れる。湯飲みをのぞくと小さな茶柱が立っていた。
    「私、これでいいよね?」
    茶柱に尋ねると、うなずくようにゆっくり沈んで浮き上がってきた。
    恵美子は、湯飲みを両手で包んだ。久しぶりの手の感触だった。ゆっくりと香りを楽しみながら飲んでいく。人間いつ死ぬかわからない。くよくよ思い悩むのは辞めよう、自分の気持ちのままに正直に誠実に、そうすればきっとそれが正解になる。

    次の日、華子が来る時に備えて気が散らないようにおもちゃは、片付けておいた。華子が来るといつものように麻美が出迎え嫌がらずにすんなりと授乳させた。授乳出来てホッとした表情を華子は浮かべていた。
    恵美は、先日飲んだ茶葉で3人分のお茶を入れてきた。麻美にも薄めたお茶を用意する。
    「みんなで飲みたくて」
    初めての事で目を丸くしている華子をみながら恵美は言った。
    「麻美も一緒に3人で」
    少し沈黙してから恵美は、勇気を出して続けた。
    「華子さん、今まで本当にありがとうございました。華子さんが麻美を大切に思って授乳して頂いたおかげで、麻美は無事に1歳の誕生日を過ぎることが出来ました。返しきれない恩を感じています。ですが、授乳はもう必要ないと思います。」
    華子は、血の気が引くのを感じた。華子の顔を見る事が出来ずに、うつむきながら恵美は続けた。
    「ですから、毎日来て頂かなくても大丈夫になりました。」
    華子は、「お役ごめんって事か・・・」
    と呟いた。
    恵美は、勇気を出して続けた。
    「お茶3人分淹れましたよね、そういう事です。たまに遊びに来てください。麻美も待っているので」
    華子は、
    「たまにってどれくらい?でも、私の事嫌いでしょ?」
    と少し恨みがましく答えた。恵美は顔をあげて華子の顔を真っ直ぐ見ると表情を和らげ
    「1週間に1回位、あんまり決めてしまいたくありません。でも、それ位で」と答えた。
    華子は、ほっと息をついた。湯飲みを掌で包み込む、温かい。緑茶のかおりをかいでいると気持ちが安らいできた。深く頷くと
    「ありがとう」
    と呟きお茶を飲んだ。
    麻美が機嫌よく笑って、小さな体で華子にもたれ掛かってくる、その重さをこれからも感じられる事が嬉しかった。
    ☆
    動植物が消えてから2カ月半過ぎた、ある日の朝礼で、社長が永野部長の肩を抱いて、みんなの前に立った。
    社長の目が赤く、泣いたような様子にみんな何事かとびっくりしている。
    社長が、永野部長を可愛がっているのは、みんなが知っている。
    まさか永野部長どこかに転職するんだろうか?
    だとしても、肩を抱いて涙ぐむのはおかしい。部長より背の低い社長が、肩を抱くのには少し無理があって、可笑しいはずだが、笑える雰囲気では、無かった。社員みんなが戸惑っている。
    社長が話し出した。
    「永野君から話しがあるから、みんな聞くように」
    永野部長が社長に軽く頭を下げると、社長は、永野部長を励ますように肩をたたき、回した手を降ろした。そしてその手を前に組んで頭を垂れた。
    部長は、自分に集まる視線に優しく頷き
    「仕事前の大事な時間を頂き申し訳無い。私は、あと1ヶ月程で、仕事を辞めなければいけません。
    もちろん会社に不満があるわけではありません。やり甲斐を感じていますし、皆さんと一緒に働ける事を感謝しています」
    部長が辞めると聞いて、ざわめきが起こった。
    「私は、1型糖尿病を患っていまして、インシュリンを打たなければなりませんが、残念な事に、薬が後1ヶ月分程になってしまいました。どうか仕事の引き続きをさせて下さい」
    そう言うと部長は、深々と頭を下げた。薬が無くなって死んでいくニュースは、テレビでよく報道されていたが、まさか部長が当てはまるとは・・。
    社長は、新しい人事と仕事の引き続きについて話していたが、僕は話しが全く入ってこなかった。
    ショックで物思いに耽っていた僕の名前が呼ばれて、ハッとする。
    「川原君は、新しい部長の補佐として、申し送りを一緒に受けてほしい」
    社長と部長がこちらを見ていた。
    永野部長が、僕の顔を見て頷いた。僕も頷き返すしか出来なかった。
    それから慌ただしく時間が経っていった。業務の申し送りで遅くなり部長と2人で会社を出た時、部長が
    「川原には申し訳ないけれど、私事で頼みたい事があるんだか」
    と申し訳なさそうに言ってきた。僕は、部長のために何かしたいと思っていたので
    「何でも言ってください」
    と伝えた。
    「今から人と会うんだけど、一緒に少し付き合ってほしい」
    と、部長は言って微笑んだ。居酒屋に向かう。居酒屋と言ってもお酒は、あまりに高額で、一般庶民は飲めない。もっぱら炭酸水とエイリアンを炙ったり、茹でたりしたものだ。
    それでも、仕事終わりに気を晴らしたくて、お店には結構客が入っていた。
    お酒が無くても、そこそこみんな楽しそうにリラックスしている。
    混んでいるカウンター席を通り抜け、奥の個室に案内され入ると、女性が1人、眼鏡をかけて本を読んでいた。部長を見るとにっこり笑い、僕を見て目を丸くした。部長と同年代のようだ。部長は、彼女を見ながら
    「こちら沢山 夏さん、私の友人。そしてこちらは、川原 直彦君、部署の後輩で、すごくいい奴」
    と紹介してくれた。部長は自分が入院したり、死亡した時の会社への連絡や後処理を僕に頼みたいと言った。なるべく迷惑が少ないようにするからと申し訳なさそうだった。
    「自宅の方や役所の手続きは、沢山さんに頼んでいる。お互い連絡を取れるようにしてくれるとありがたい。そして、兄への連絡は、川原に頼んでもいいだろうか?女性から連絡入ったら、もう色々想像して余計にややこしくなりそうだから・・。なるべくビジネスライクに、淡々と伝えてくれると助かるよ。兄貴は、きっと川原のこと気に入ると思う」
    そう言うと、部長の親族の連絡先など、諸々書かれたメモを渡された。
    「夏も申し訳ない。よろしくお願いします。」
    夏さんは、何度も頷くと、僕を見て
    「よろしくお願いします、気になっていると思うから伝えておきますね。私、一応元カノです。一応ね」
    と言うと乾杯の仕草をした。それから3人で何回か会って食事をし、夏さんとは随分親しくなった。
    部長が、会社を辞める日が来た。少し前から今日の日を思うと、落ち込んでしまう。今の職場の人たちとは、ただの同僚以上の繋がりを感じるけど、その中でも部長は特別だ。みんなも落ち込んでいる。だけど部長は、それに気づかないかのように、いつも通り淡々と振る舞っていた。他の部署の人達が挨拶に来たり、部長が挨拶に行ったり慌ただしい。そのうちに部署のみんなは、仕事に追われ出した。仕事の引き継ぎは、もう終わっている。雑用などを手伝ってくれていたが、部長は、気づくと席を外していた。
    “どこに行ったんだろう”
    気になって探しに行くと、部長は廊下の突き当たりの細長い窓から、外を見ていた。
    外、と言っても隣のビルの壁がすぐ近くで、他に見えるものも無い。
    僕は側に寄って
    「部長、大丈夫ですか?」
    と声をかけた。何を見ていたんだろう・・。窓の下の方に目を向けたまま部長が言った。
    「この前、偶然見つけたんだよ」
    部長の目線を追うと、窓の外の50cmほど下にスペースがあって、そこに鳥の巣があり、ピンポン玉位の白い卵が、1つ残されていた。
    高くて猫も来ないし、雨にも濡れない。日陰で誰にも見つからない、そんな場所だった。
    「ハトの巣だよ、本来なら森の中とか草むらとかに巣をつくるんだろうけど、こんな所しか無かったんだろうなぁ。見つけた時は、卵が2つあって親が交互に温めていた。
    ハトってあんまり好きではなかったけど、一生懸命温めているのをみると健気だなぁって、可愛く思えてくるもんだ。
    だけど、あのみんな消えた時から、親鳥と卵が1つ無くなってしまって・・このもう一つの卵だけが残ってしまったんだ。
    この卵の中のやつ、どう思ったのかなぁ?今まであった親とか兄弟の気配が無くなって、卵の中で心細かっただろうなあ」
    ☆
    会社を辞めてしばらくして、部長の体調が悪くなり、入院したと連絡を受けた。
    部長からは、お兄さんには、
    “亡くなってからの連絡でいいよ”
    と言われていた。部長が言うには、お兄さんに今の状況を伝えてしまうと、インシュリンを探して奔走しかねないらしい。だけど亡くなって知らせることが良いとは、どうしても思えなかった。夏さんと電話で相談する。
    夏さんは、どうしようもないと言う感じで
    「透さん、お兄さんに迷惑かけてきたって負い目があるみたい。色々我慢させたって。ご両親が亡くなって、たった1人の家族なのに。お兄さんからしたらたまらないよね、勝手に遠慮されて死なれたら」
    夏さんと相談し、部長は怒るかもしれないけど、僕からお兄さんに連絡することになった。
    伝えないといけない内容に緊張する。携帯のコール3回目で
    「はい、どちら様でしょうか?」
    と声が返ってきた。部長に似ている声に心臓が跳ね上がって、息が詰まった。咳払いをして話し出す。
    「初めまして、永野透部長の部下の川原と申します。お兄様にお伝えする事がありまして。少しお時間を頂けますか?」
    そして部長が会社を退職した事。その理由が、インシュリンを手に入れる事が出来ず、生きていく事が、出来なくなった為である事。現在、体調を崩し入院している事。お兄さんの事を思って、死亡した後に伝えるように言われていたが、出来なかった事を伝えた。
    「お兄様には、心配をかけたくないと言われましたが、やはりお伝えしたほうが良いと判断し、お電話させて頂きました」
    僕がなんとか話し終わると、電話の向こうから
    「あーぁ」
    と溜め息が聞こえた。少し間があった後、
    「ありがとうございます。伝えて頂いて、本当に感謝いたします。すぐにそちらに向かいます」
    と返答された。
    翌日には、お兄さんの稔さんが、部長の病室にやってきた。部長は、びっくりしたみたいだったけど、嬉しそうにも見えた。お兄さんは、部長よりほんの少し背が低くがっちりしている。稔さんはベットの横に丸椅子を寄せてしばらく2人で話し込んでいた。
    僕と夏さんは、邪魔をしないよう、病棟の待合室で黙って待っていた。つきっぱなしのテレビを見るともなく眺める。しばらくして稔さんが呼びに来てくれた。
    病室に戻ると
    「ありがとう」
    と、一言告げて部長は、深くベットの上で頭を下げた。どこか晴れ晴れとした表情だった。お兄さんも
    「ありがとうございます」
    と、同じように頭を下げた。その姿が二人とても良く似ていた。
    お兄さんに伝えて良かったとほっとする。夏さんを見ると少し涙ぐんでうんうんと何度も頷いていた。
    翌日、会社に出勤した僕は、部長が、最後の出勤日に気にしていた鳥の巣を見に行った。卵は部長と見下ろした時のままそこにある。窓を開けて見ると、換気のための15センチほどしか開かなかった。巣の乗っている出っ張りは30センチほどしかない、注意しないと落としてしまいそうだ。落とすと、隣のビルとの間だから取るのは無理だろう。
    席に戻りどうしたものか思案していると、岡野さんと柳さんが近づいてきて部長の様子を尋ねてきた。
    3人寄れば文殊の知恵だ。2人にハトの巣の話をして、窓の所に連れて行った。コンクリートの出っ張りに、心もとなく乗っている巣を見ながら、3人で あーだこーだ と話していると、社長が通りかかり、僕らの後ろから覗き込んだ。
    「どうしたの?」
    急に社長から声をかけられて、ぼくら3人びっくりして、飛び上がりそうになってしまった。
    「あっ、いや、あの卵をどうにかして取り出したいんです。埋めでやろうと思って・・」
    動転してしどろもどろの返事をしてしまった。昼休みではあるが、仕事場で何をしているんだ、と怒られやしないか心配したが、社長は、
    「そう」
    と頷くと、
    「火挟みの先に粘着テープをつけてみたら?」
    とアドバイスをして、岡野さんに軽く頭を下げると行ってしまった。
    「社長、懐深くて、いい人だよねぇ。」
    ヒナタの件で恩義を感じている岡野さんは、社長の後姿を見ながらつぶやいた。時々ヒナタを覗きにくる社長と、雑談するようになったらしい。
    社長のアドバイスを参考に、1階の掃除道具入れにあった火挟みを用意し、粘着テープを巻き付けた。一番痩せて手が伸ばしやすい柳さんに託し、岡野さんと見守る。
    「チャンスは、1回よ、火挟みの先が巣にくっついたら、卵は、落ちちゃうから。柳さん、本当に気を付けて」
    と岡野さんは、自覚なくプレッシャーを与えていた。
    「あ〜、もう。緊張するなぁ」
    柳さんは、ジャケットを脱ぎ汚れないように事務用のアームカバーを取り付ける。1回肩を回してブツブツ何かを言いながら、柳さんがゆっくりと火挟みを降ろす。巣にくっつけそうになり、息を呑んだが、火挟みの先の向きを修正し、1度目のトライで見事卵をくっつけ持ち上げた。柳さんの凄く得意気な顔が可笑しかった。岡野さんも跳びはねて喜んでいる。
    ホッとして火挟みから卵を外してみる。するとなんとか頑張って取り上げた卵は、空だった。見えない所に割れ目があって、ちゃんと孵化していたのだ。きっと親鳥や兄弟と一緒に消えたのだろう。
    小さな卵の殻を手の中で転がしながら、どこかで元気に生きていてほしいと願った。
    柳さんが小さな空箱の中にコットンを敷いて、持ってきてくれた。化粧のための大事な1枚だけど、部長のためならと提供してくれたのだ。卵の殻を鎮座させる。
    「なんか、立派になったね」
    と覗き込んで岡野さんが笑った。
    その箱を2人に託され、ポケットにしまいこんで、僕は部長のお見舞いに行った。4人部屋の窓際のベットだ。
    上半身を起こした部長は、だいぶ痩せて見える。物思いに耽りじっと夕焼け空を見ていた。声をかけるのをためらっていると、部長が僕に気付き、顔を見て喜んでくれた。ベットの横の椅子に腰掛け、箱を取り出す。卵の殻を見せながら、どうやって取り上げたか説明する。岡野さんや柳さんの奮闘を話すと、部長は、とても楽しそうにわらっていた。部長は、箱を手に取って覗き込み、卵の表面を撫でた。
    「そうか、みんな大変だったなぁ、本当に申し訳ない。ごめん、あんな事言ったばっかりに。だけど、うん、そうか、なんだか安心した。意味も分からず置いてけぼりにされたのかと思っていたから。それは可哀想だもんな」
    と言ってくれた。それが僕が部長に会った最後になってしまった。
    それから数日後、容体が悪くなり、部長は亡くなった。

    でも部長がつないでくれた縁は、今も続いている。部長が亡くなって半年近く経った今、部長のお兄さんの稔さんと、お墓参りに向かっている。
    夏さんも後で合流予定だ。5月末になって暑くなってきたが、今年は、まだ過ごしやすい。のんびり電車で行こうと言ったのは、稔さんだった。
    電車の振動が心地良い。うとうとしかけている僕を見て、稔さんがくすっと笑った。
    へんな顔でもしていたかなぁと、慌てて起きようとした僕を見て稔さんが言った。
    「透が君のことを薫って言ったんだ。薫と思っていたって。薫って俺たち兄弟が子どもの頃、もし、もう一人兄弟がいたらって想像して遊んでいた頃があって・・。その時想像した弟の名前が薫。色々細かく空想して遊んでいて、透は弟が欲しかったから、俺が飽きてやめた後にもずっと空想していたらしい。その想像の弟が、君にとても似ていて、他人とは思えなかったと。」
    僕は、合点がいった。時々部長がなんとも言えず優しい感じだったから。
    部長の古里は、田舎ののんびりとした所だった。草木が、あればとても綺麗だったろう。部長の実家は、今は誰も住んでいなくて、長く空き家になっているらしい。家の前を通りかかり、庭に案内してくれた。
    錆びたトタン屋根の納屋があり、元はその横に大きな柿の木があったらしい。色の変わってしまった柿の葉が、まだ地面に残っていた。
    「懐かしいなぁ、透はこの納屋の屋根に登って、柿を取ってみたかったんだよ。後一歩って所で、母親に見つかって、未遂で終わったけど。取らせてやりたかった。可愛いかったなぁ、一生懸命よじ登ろうとする後ろ姿がさ、お兄ちゃんって呼ぶ声を覚えてる。」
    稔さんの声が、少し震えていた。
    夏さんも合流し、3人でお墓の前で手を合わせる。部長、もし来世があるなら本当に部長と稔さんと兄弟になってみたいです、と。

    【動植物が消えて3年後】
    昨晩遅く、岡野さんから電話があった。色々考えて、今朝早く、会社の裏のスペースで待ち合わせた。以前は植え込みがあった所を、頑張って50cm位掘る。横でじっと岡野さんが、亡くなったヒナタをくるんだタオルを、抱きしめていた。
    亡くなった後、献体にするのは絶対に嫌だと、こっそり埋葬する事にしたのだ。なんとか掘った穴の中に、ヒナタを入れながら岡野さんは、
    「あっちで部長に会えるかな?」
    と言った。僕は、ウンウンと頷いて答えた
    「部長は、面倒見がいいから、きっとヒナタの事、面倒見てくれますよ。岡野さんが来るまで、代理飼い主です。」
    岡野さんは、赤い目をしていたが微笑んで
    「それなら安心」
    と呟き、ヒナタを埋めた土の上に両手をあてた。

    その夜僕は、幽体離脱をしたと思う。寝ている自分の姿を下に見て、体が浮き上がる。少しゾクゾクしたが、不思議と怖くはなかった。しばらく上昇し雲を抜けるとレンゲの花畑があった。ヒナタがその中を、背中を向けて駆けている。行かなければいけない所が、分かっているようだった。
    “あ~、これがあの世か・・”
    紫色の空とれんげのピンクが美しい。誰もいないのかなと思って周りを見渡すと、ヒナタの向かう遠くに、部長が現れ、手を振っていた。
    「おーいおーい」
    と大きな声で呼んでいる。僕も呼び返す
    「部長、会いたかったです。大好きですよおー、ヒナタよろしくお願いします。」
    部長は、
    「了解」
    と叫んで、大きく手を振った。

    【動植物が消えて5年後】
    人間って、凄い。動植物が去って5年、その環境に順応してきた。
    動植物が消える前に出た衣類や紙の廃棄物は、徹底して回収され、リサイクルされている。
    樹木が消え、一時エイリアンしか無かった街には、今では、沢山のデジタルのパネルが建っている。昔記録されていた森の画像を、日替りで映し出すデジタルパネルの森だ。有名な学者が言うには、本物で無くても緑色は、ストレス解消になるらしい。そこから夏にはセミの鳴き声、春にはウグイスやメジロの鳴き声まで流される。
    頭上には、木陰の替わりに直射日光を避ける巨大な日傘まで作られており、至れり尽くせりだ。
    もう6歳以下の子ども達は、今の世界が当たり前になってしまった。
    遠足で行くのも、3Dバーチャル映像の動植物園で、そこでは、バーチャルの蝶が指先に止まるのが売りらしい。
    だけど本物の蝶の羽は、とても脆くて、気を付けないとボロボロになってしまう。近づくのも、そっと息を殺さないといけない。もうあんな感覚は、体験出来ないのか・・と、悲しくなってしまう。
    エイリアンについては、少しずつ分かってきた事がある。いきなり現れた未知の植物と言われて来たが、実は、動植物が消える20年前から存在が確認されていた可能性が高くなったのだ。
    写真が残されていて群馬に住む植物愛好家の方が、地元の山中で見つけたものだ。今とは全くサイズが異なり、えのき茸位の大きさだった。見つけた方も、初めはえのき茸と思ったらしい。しかし色がえのき茸にくらべ灰色がかっており、笠からしたが地中に埋まっていたので
    「これは、なんだ」
    と目を留めたとの事。引き抜いて見るとえのき茸と違い植物の根っこのように、先が分かれて、それがとても長かったという。
    植物好きの仲間と作っていた同人誌に投稿して、新種のきのこではないかと考察が分かれたが、結果が出ず、学会に問い合わせようと言うことで意見がまとまった。
    ただ、その後、発見された方が私事で忙しくなり、そのまま放置されていたようだ。今回のエイリアン出現で、同人誌仲間が、あの時の物に似ていると声を上げたらしい。実は、もっともっと昔から、ひっそりと山奥に、生息していたのかもしれない。
    ただ、なぜ急にこのタイミングで、ここまで大きくなったかは、不明らしい。
    この3年で、きのこモドキのエイリアンは、研究に研究され、小麦粉代わりの粉末や、糖分も取り出せるようになった。
    加工し醤油や味噌のような調味料も作り出す。最近は、肉のような食感に加工しステーキのような物も出てきた(色が灰色でちょっと気持ち悪いが・・・)。繊維も取り出し紙や服も作れるように研究が進んでいるらしい。もう、お米の味も魚の味もぼんやり忘れて来て、以前のようにどうしても食べたい、という強い欲求不満も無くなってきた。
    だけどなんだろう、喪失感はつきまとう。色も音も匂いも味も触覚も何もかもが足りず、の芯が枯れていくような・・・。
    疲れが取れない日々を過ごしていた。

    ある日僕は、夢の中で久しぶりに神様の前に座っていた。
    「なんだか疲れが取れなくて。自分が空っぽになったような、変な表現だけどそんな感じがするんです。血管の中に流れているのが血液では無くなったような、生きている感じがしないというか・・・。」
    上手く言葉を見つけられず、しばらく伝えたい言葉を探して黙り込む。神様も何も言わず沈黙が流れた。
    僕は、顔をあげるといつも気になっていた事を訪ねた。
    「みんなは、消えた動物や昆虫、植物はどうしていますか?」
    神様は、僕を見て思案顔をした。
    『直比古は、自分がまがい物になったように感じるという。動物や鳥、植物も本来の姿で生きているぞ。嬉し楽し弥栄よ』
    「嬉し楽し弥栄か・・・。もう、会えませんか?一度だけでも」
    神様は、首を横に振り
    『もう、それぞれの世界。交わるには、遠すぎる。今、側に居てくれる物を大切にする事が一番ではないかな?』
    そばにいるもの・・・僕は、海辺のストロマトライトと灰色のエイリアンを思い浮かべた。
    動物や植物のいる世界、夢でもいいから行ってみたいと願うけど、どうしても夢に見る事が出来ない。神様は、幸せに暮らしていると言っていた。美しい世界なんだろう。
    目を閉じて想像する。
    日の当たった温かく湿った土の感触。青々としげる草原。蝶がいる、小さなアリや蜜蜂が一生懸命動きまわっている。風が吹くと草の匂いが鼻をくすぐる。ザァーザァーと木の枝の揺れる音。鳥の羽ばたき、犬の群れが丘の上にたたずんでいる。人工的な物は何一つ無い、澄んだ世界。想像の世界は、美しかったけどどこかぼんやりと虚しかった。
    もう、僕たちの世界と橋が架かることは無い。
    何万光年と離れて会うことの出来ない、遠い惑星のようになってしまった。恋慕の気持ちは、置いたほうがいいんだろう・・。
    僕は、神様の目を見た。優しい目だった。
    今を生きる。
    そっと息をつく。
    海辺のストロマトライトときのこモドキのエイリアンを精一杯愛そう。
    僕達を支えるために現れ、嫌な役割を引き受けてくれた、感謝だ。
    そしてこれからを一緒に生きて行く人たちを大切にしよう。
    まずは、そこからだろう。
                   完

    #創作大賞2026 #ファンタジー小説部門

     
     

    kotori

     
     
    児童書が好きで、ジョージ・マクドナルド童話やナルニア物語、佐藤さとるさんの「だれもしらない小さな国」など読んでは、本の世界に入り込み空想に浸っていました。少し不思議で優しい小説を書いていきたいと思っています。

    あなたへのおすすめ