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「䞉本足の、おかあさん」あずがき

note創䜜倧賞の䞭間遞考に通ったこずを知ったのは、発衚されたその日の倜だった。
息子が寝静たったあず、キッチンで掗い物を枈たせ、たもなく垰るず連絡をくれた倫の倕食を枩め盎しおいた時だった。

子どもの倏䌑みに忙殺され、創䜜倧賞の䞭間遞考のこずはすっかり頭から消えおいた。
味噌汁の鍋を火にかけながら、キッチンの隅でXを眺めおいたら、
「創䜜倧賞萜遞した」
ずいう文字が目に飛び蟌む。

えっもう䞭間遞考の結果が出おるの
そんなの聞いおない。

あずから知った話だが、note公匏によっお、創䜜倧賞の䞭間遞考の発衚がい぀なのかはXでも知らされおいたらしい。
幌皚園の倏䌑み明けの予定や、新しく我が家の家族になったネコのこずばかりに気を取られおいお、そのポストを芋おすらいなかった私にしたら寝耳に氎である。

もちろん、心底通っお欲しいず匷く思っお曞いた䜜品たちだったけれど、メヌルすら来おいないのだからきっず萜遞しただろうな。こればかりはしかたがない。
悔しさに指が少し震える䞭で、noteのペヌゞを開いた。

゚ッセむの䞭間遞考を通った䜜品の数は党郚で80。この80人に知っおいる人はいるだろうか。

䜜品名ずクリ゚むタヌさんたちの名前が䞊ぶのをひず぀ひず぀、䞀人䞀人の名前をじっくり確認しながらスクロヌルしおいった。あ、あの゚ッセむ前読んだや぀だ、ず知っおいる人の名前のずころで止たるなどした。

半分を過ぎたあたりで、突然、自分の䜜品名ず名前が珟れた。
ある。私の名前が、ここに。
足の力が抜けお、ぞなぞなずその堎に座り蟌んだ。芖界がどんどんにじむ。

「あぁ、通ったんだ」

1人で泣き堪えおいたら、キッチンの鍋の味噌汁が煮立぀ような音が聞こえた。
ハッずした私は急いで火を止め、腕で涙を拭った。

倫に蚀わなくおは。蚘事のリンクを倫ぞ送る。
「䞭間残った」
他に蚀える蚀葉が思い぀かず、ただひず぀それだけを倫ぞ送り぀けた。

お祝いだず、アむスクリヌムをふた぀買っお垰っおきた倫ず2人で、ささやかなお祝いをした。

倜寝る前に改めおメヌルのチェックをしおいたら、noteからの䞭間遞考通過の知らせがあった。
私が気が぀いおいなかっただけで、知らせはきちんず届いおいたのである。

☆☆☆

「䞉本足の、おかあさん」は、私の人生を振り返るような䜜品だ。

杖のこずを曞こうず決意したのは、゚ッセむを曞く䞊で、私自身の背景を避けおは通れないず思ったからである。

32にもなっお、いただに自分が杖を぀いおいるこずをちょっず受け入れきれおないずころもあるために、noteを始めた頃は杖に぀いお䌏せおいく぀もりであった。

が、゚ッセむを曞けば曞くほどに、文章には私ずいう人間が滲み出おいく。私の曞いた考えには、蚀葉には、思いには、これたで生きおきた人生が乗っおしたう。
それならばいっそのこず、杖ず生きおきた自分に向き合おうず決意した。


もう十数幎もの間、私の足ずなっおきた杖ずいう存圚ぞの感情は、䞀蚀で衚せるようなものではなかった。
杖を持぀こずになった原因の病気に察しおの感情はもう萜ち着きを芋せおいるずいうのに、倖偎から芋える「杖」そのものぞの気持ちずいうのは、あたりに耇雑だず自分でわかっおいた。

自分の生きおきた道を振り返りながら、杖ぞの感情を深く掘るずいう䜜業は、ほかのどの䜜品を曞くずきより苊しいものでもあった。
曞きたいシヌンを曞き出し、プロットを組み、それを元に文章を曞いた。
䜕床も曞くのをやめようかず思ったけれど、ここで逃げるわけにはいかない、ず自分を錓舞しお曞き切った。

最初に公開した際、「だいきらいな杖」ず題しおいたこの䜜品は、今の圢にはないシヌンがいく぀か入っおいた。
公開埌、時が経っおから読み返すず、「だいきらい」ず断じおいるこずに、そんな簡単な気持ちではないだろう、そんな単玔な感情ではないだろう、ず自分で曞いた癖しおたったくもっお玍埗がいかず、怖がらずに蚀葉を探そう、自分の感じたこずをたずは玠盎に出そうず、倧幅な倉曎にずりかかるこずにした。


病気や杖は絡むけれど、あくたで私の人生の話を曞くのだず自分に蚀い聞かせた。

読んでいる人の気持ちが暗くなり、読み進められなくならないよう、出来る限り病気に察しおの描写を削った。

そしお、病気や杖が話の芁ではあっおも、病気や障害に察する啓発の䞀面を出さずに䜜品を曞くように心がけたずいうのもある。

昚幎の創䜜倧賞を受賞された、尊敬するタキアナミさんも䌌たようなこずをおっしゃっおいたが、読者のみなさんの時間をもらっお読んでもらう以䞊、私の䜜品から䜕かを持ち垰っおもらわなくちゃいけない、ずいう匷い思いがあったのが倧きな理由である。
私ずいう、フォロワヌ数も20人ほどの人間の曞く゚ッセむは、そもそもずしお需芁がない。読者の時間をいただいお読んでもらう以䞊、せめお読んだ埌にその人自身のこずずしお䜕か残っお欲しいヌヌ少なくずもこの䜜品においお、目指した残るものは、病気の知識や理解ずいったものではなかった。

20幎近い長い時間軞の゚ッセむである以䞊、文章もそれなりに長くなっおしたうもので、この郚分でも頭を悩たせた。
話の内容ず私の文䜓の盞性は、ある意味では最悪だった。どうやっおも文章が軜くならず、重い空気がたちこめやすかった。
読んでみるず、実際の文字数以䞊に長く感じるずいう事態になり、これは最埌たで読んでもらえないぞ、ず危機感があった。
発病圓時からりェディングのあたりの、特に重く沈んだ感情の滲んだ文章では、感芚をも重たくさせおしたうらしい。
そんなわけで、倧幅なブラッシュアップの時に、圹割の䌌た堎面を敎理しお、いく぀かのシヌンを思い切っお削陀した。

党お理由があっお描いおいた堎面だったので、思い切っお削るずいうのは結構心情的にも抵抗があった。しかし、実際削る前ず削った埌の文章を読んでみれば、削った方が重すぎず、心情的においおいかれないだろうず思えたのもあり、思い切りよく螏み切った。


「読んでいる人ぞの負担を枛らし、読んだ人が持ち垰っおくれるように」ずいうのを意識した䞊で、過去の自分に嘘を぀かない蚀葉を綎るずいうのは難しい。私ずいうのは、䜕も考えずに筆を取れば、読んでいる人に察し、自分をよく芋せようずしおしたう蚀葉を曞いおしたうこずがちょいちょいある。
読み返すず「そんな簡単な衚珟ではないでしょうよ」ず自分にツッコミをいれおしたうこずがよくある。ゆえに、他の゚ッセむでも、毎回蚀葉探しに頭を悩たせる。
蚘憶だけではあたりに蚀葉を遞ぶこずができなかった。
自分の圓時の行動や蚀葉、感情、感芚を思い出だけに頌るのは䞍安で、抌し入れにしたい蟌んでいた日蚘をひっくり返しお確認し、しっくりくる蚀葉を探し、声に出しお文を読み、音の数ず衚珟ずを芋盎し続けた。

この䜜品を曞いた時、ただ倫は私のnoteを知らなかったので、友人2人にも読んでもらっお感想をきいた。
圌女たちの反応を芋お、衚珟を埮調敎した。
印象に残るシヌンを聞いたりもした。

そうしおやっずの思いで完成させたのが、「䞉本足の、おかあさん」だ。


創䜜倧賞の終盀で、倫にnoteのアカりントを教えたので、倫は私の䜜品を党お読んでいる。
その倫に、䞭間遞考通過を知らせた時、圌は「やはり『䞉本足』よなヌ」
ず、LINEを返しおきた。他の私の䜜品ず比べるず、やはり、ず思えるものが䜕かしらあったらしい。

この䜜品に関しお蚀えば、私自身が向き合った時間が違うずいうのもあるだろう。
䞭間遞考を通過した今、この䜜品は珟時点においお、名実ずもに私の代衚䜜になったず蚀っおいいだろうか。

☆☆☆

䞭間遞考が通った次の日、幌皚園からの垰り道で、息子に
「お母さんが曞いたお話ねヌ、䞀぀目の審査に合栌したんだっおヌ。もし1番に遞ばれたら、本屋さんに䞊ぶような本をお母さんの曞いたもので぀くれたりもするんだ。䞀぀目の審査だけでも通れたのがずおもうれしくお、ごきげんなんだ」
などず報告した。
䞉床の飯より本が奜きで、倏䌑み䞭には蚘録しおいた私の心が折れそうな勢いで絵本やら図鑑やらを蚈540冊読んだ本の虫こず我が息子は、目をキラキラさせおこちらを芋るなり、
「もし ほんをだすなら、がくがえをかいおあげるからねヌ」
なんお蚀っお、走っおいった。
圌にずっおは本ずいうのは絵があるものらしい。い぀かその時がやっおきたずきには、どこかに小さく茉せられるだろうか。


☆☆☆

創䜜倧賞の結果を埅っおそわそわし、ヒリヒリし続ける日々も、たぶん、長くおもあず2週間かそこらで倚分終わりだろう。
受賞の可胜性がある人には10月䞊旬にメヌルが来るらしいから、䞭間遞考通過者は自分の結果は䞀足早く知るこずになる。

それがどんな結果であったずしおも、党身党霊をかけおかいた䜜品で、今、私は倧きな倢を芋おいるずいう事実に、時折、声にならないような声が出そうなくらいに、心が震えおいる。

「自䞻孊習ノヌト」をクラスで1番冊数をこなした小孊生時代だった。が、その8割か9割が「創䜜文」だの「䜜文」だのだった。胞を匵っお曞き䞊げおいた物語たちがそこにあっお、それは本圓に「自䞻孊習」ず呌べるのかずいうツッコミはさおおき、文章を曞くこずにおいおは人よりずっずこなしおいた子ども時代だった。

病気が悪化しお床に䌏せる時間が増えおいった時期には、垃団の䞭でケヌタむ片手に短線小説を個人ホヌムペヌゞに曞き連ねおいた蚘憶がある。か぀おの䜜品たちは、もうサむト自䜓を芋぀けるこずすらできないが、確かに誰かに読んでもらっおいた。感想をもらったりもあった。
自身の䜓のこずを受け入れ、いわゆる普通の人生ずいうものを諊め始めた頃、せめお物曞きの倢は密かに持ち続けおいようず思い、この幎たでずっず胞に秘めたたた生きおきた。

そんな私が、今、32歳になっお、珟実味のある倢を芋続けおいる日々を送らせおもらっおいる。

こんな日が来るこずを、私は知らなかった。



いいなず思ったら応揎しよう