
「破壊」しているという「自覚」
たとえば、
一本の樹を切る時にさえ、
ちゃんと胸が痛むかどうか。
我々が我々の「利便性」を
どこまでも求め
それを優先するあまりに、
結果「破壊行為」をしているという
その「自覚」を持てるかどうか。
元々「彼ら」がいた場所を
奪っているのだ、という
その「暴力」を認識しているかどうか。
――まさか自分たちのことを
「生物の中で一番えらい」
なんて勘違いをしていないか。
――自分達で自分達のことを
「人間様」だなんて、
思ってやしないか。

街なかの緑に、
我々は常日頃、
どれほど癒されているだろう。
(植物が一本も見当たらない風景を想像してみて欲しい。)
――それなのに、
自分の都合のいい時だけ求め、
そうでない時は「殺す」という。
――そのことに、
胸の痛みすら感じないという。
そんな勝手を続けていれば、
そりゃあそのうち
「返り討ち」にあったって
文句は言えないよなあ、人間。
「お前ら、いい加減にしろ!」
「とっとと出ていけ!」
と言われても、
何ら不思議はない。

何故、「共に生きる」を
選択できないんだろう。
選択しようとしてこなかったんだろう。
――まあ、我々人間なんて、
同じ生物種属の同士間ですら、
それができないんだから。
大量に殺し合ったりし続けて
今現在に至る訳だから。
そんな野蛮で安直で愚劣な生物には、
土台無理な話なのかもしれない。
――その上、生物界において
「自分たちが一番賢い」なんてことまで
下手すると思いこんでいるから、
尚更手に負えないのだ。

そうか。
でもこれこそが、
「我々の望んでいる世界」
なのか。
――だから、仕方ないのか。